Apr 25, 2012

シャラップ!?


道を歩きながらLesson46をしていたら、面白い帽子を被った男の人からイキナリ「Shut up!(黙れ)」と言われました。

ホホウ。こいつオレの思考を聞いているな!

ショッピングバックを覗き込んでいた奥さんらしき人が「私は何も言っていないわよ。」と言うと彼は「いや。俺はあいつに言っているんだ」。 {やはり私に話しかけているようです。}

頷いて見せて「よし解った」と(心の中で)言ったら、彼はにっこり微笑んでくれました。

ACIMのレッスンを一生懸命しようとすると宣言に気をとられて、静かに聞くこと(静かに在ること)をおざなりにしてしまいがちです。少なくとも私は。 

Lesson 46

Lesson 4 6

[愛である神の中で私は赦します。]

“God is the Love in which I forgive.”


神は赦しません{神は赦す必要がありません}。それは神が断罪しないからです。
赦しが必要に成る前には、断罪(誰かを呪うこと/有罪と宣言すること)が在ったに違いないのです。
この世界にとても必要とされていることが赦しなのですが、それはここが幻想の世界だからです。

だから赦した者は自分達自身を幻想から解放し、赦さなかった者は幻想に自分達を縛りつけているのです。
あなたが断罪するのはあなた自身だけで、あなたが赦すのもあなた自身だけなのです。
{その必要がないので}神は赦しませんが、それでも神の愛が赦しの基礎なのです。
怖れは断罪し、愛は赦すのです。

マインドを神への認識(神への気付き)に戻すことにより、「怖れが作ったもの」を赦しが解除するのです。
この理由から、赦しこそが救済と真に呼べるものなのです。
これが幻想を消し去る方法なのです。

今日は最低3回の(長い)プラクティス・ピリオド(各5分間)と、出来るだけ頻繫に沢山の短いプラクティスを行なう必要があります。

プラクティス・ピリオドを始めるに当たって、いつも通り今日のアイディアを自分自身に言い聞かせます。
今日のアイディアを言い終わりながら目を閉じてください。それから1-2分間あなたのマインド内を探って「あなたがまだ赦していない人達」を探します。

あなたがその人をある程度赦していても問題ではありません。{あなたがその人を既に少し赦していたとしても、今日のアイディアをその人に対して適用して構いません。}
あなたはその人を完全に赦しているか、でなければ全く赦していないのです。

正直にこのエキササイズを行なったなら、「あなたが未だ赦していない人達」を少なくとも数人探し出すことが容易に出来ることでしょう。
あなたが嫌っている人達全員が、このエキササイズの対象として相応しいのです。
それらの人と一人一人その名前で呼んで、下記のような言葉を宣言します。

[神は愛で、その中で私は____さんを赦します。]

“God is the Love in which I forgive you, [name].”

今日のプラクティスのこの第一部分は{上記の宣言を行って}、自分を赦せる最上のポジション(状態)にあなた自身を置くことなのです。
思い付ける全ての人達に対して今日のアイディアが適用出来たなら、下記の言葉をあなた自身に向かって述べます。{ここからが第二部分です}

[神は愛で、その中で私は自分自身を赦します。]

時間が残っているようなら、今日のアイディアと関連している下記の様なアイディアを述べてください。

[神は愛で、その愛で私は私自身を愛します。]
[神は愛で、その中で私は祝福されています。]

色々異なった言葉を使うことが可能ですが、中心的アイディアを忘れてはいけません。
例えば、下記のように言うことも出来ます。

[私は神の子なので、私は有罪では在り得ません。]
[私は既に赦されています。]
[神によって愛されているマインドの中では怖れは不可能です。]
[愛が私を赦してくれたので攻撃は必要ありません。]

今日のアイディアを繰り返し言ってプラクティス・ピリオドを終了します。



{頻繫に行なうべき}短いプラクティス・ピリオドでは、今日のアイディアをそのままの形で繰り返し言うか、今日のアイディアと関連した宣言文を言うか、その必要が起こったなら特定の人に対して赦しの宣言を行なってください。

今日中に誰かに対してネガティブな感情(それが現在に関することでも、過去のことであっても)が思い浮かんだなら、その人に対する赦しの宣言を行なう必要があります。

もし{その時その人と直接対面していたなら}その人に対して静かに下記のように述べます。

[神は愛で、その中で私は赦します。]

“God is the Love in which I forgive you.”


Apr 23, 2012

Lesson 45

Lesson 45
 

[神はマインドで、神であるマインドと共に私は考えます。]

“God is the Mind with which I think.”


今日のアイディアは「あなたのリアルな思考がどのようなものか示す鍵」なのです。
「自分で見ているとあなたが考えているもの」が「ヴィジョン」とは無関係であるように、あなたのリアルな思考はあなたが考えているようなものではないのです。
「リアルなもの」と「あなたがリアルだと考えているもの」の間には全く関係がないのです。
『「これが自分のリアルな思考だ」とあなたが考えているもの』は『あなたのリアルな思考』とは全く似ていないのです。
「自分はこう考えているとあなたが考えていること」は「ヴィジョンがあなたに示すこと」とは全く違うのです。


あなたは「神のマインド」と共に考えているのです。{あなたは本当は神のマインドで考えているのです。}
だからあなたはあなたの思考を彼と共有しており、神も神の思考をあなたと共有しているのです。
それらは同じ思考なのです。何故なら、それらは同一のマインドによって考えられているのだから。
分かち合う(共有する)とは、同じようにすること(一つにすること)です。
神のマインドと共にあなたは考えており、思考があなたのマインドを去ることもありません。 何故なら思考がその源を去ることはないから。

だからあなたの思考は、あなたのマインドの中に在ると同時に、神のマインドの中に在るのです。
あなたの思考は「神が存在しているあなたのマインドの中」にも在るのです。
あなたが神のマインドの一部であるように、あなたの思考も神の思考の一部なのです。

であれば、何処にあなたのリアルな思考が存在しているのでしょうか?

今日わたし達はそれ(あなたのリアルな思考)に到達しようとするのです。
わたし達は「あなたのリアルな思考」を「あなたのマインド内」で探さなくてはいけません。 何故なら、あなたのリアルな思考はあなたのマインド内にあるのだから。

あなたのリアルな思考があなたのマインドから去ることは不可能なので、それらはまだあなたのマインド内にあるに違いないのです。
神のマインドによって考えられたものは創造の一部であって、だからそれらは永遠なのです。

今日も昨日と同じ形式で3-5分間のプラクティス・ピリオドを3回行ないます。
今日わたし達はリアルでないことを離れて、リアルを探します。
今日わたし達は{真理を現していない}世界を否定して、真理を求めます。
今日わたし達は、世界の思考がわたし達を押し留めることがないようにします。
今日わたし達は「神がわたし達にさせようとしていることは不可能だ」世界の信念に言わないようにします。

神がわたし達にさせようとしていることは不可能ではなく、神がわたし達にさせようとしていることだけが可能であるとわたし達は認識するのです。
そして「神がわたし達にさせようとしていること」こそがわたし達のしたいことなのだと理解出来るようにするのです。
そして『「神がわたし達にさせようとしていること」にわたし達が失敗することは在り得ない』と思い出すのです。
今日わたし達が成功することに自信を持つべきあらゆる理由があるのです。何故ならそれが神の意志なのだから。


今日のエキササイズ(長いプラクティス)を始めるに当たり、まず今日のアイディアをあなた自身に向かって言いながら目を閉じます。
そして今日のアイディアをあなたのマインドに留め置きながら、それと関連したあなた自身の思考を少しの間考えます。
あなた自身の思考を4-5個述べた後、今日のアイディアをまた言って、それからあなた自身に向かって次の言葉を優しく言ってください。

[私のリアルな思考が私のマインド内に在ります。私はそれらを見つけたいのです。]

“My real thoughts are in my mind. I would like to find them.”
  
それから(あなたのマインド内にある真実を覆い隠している)「リアルでない思考全て」をすり抜けて、永遠へと{あなたの意識を}届けます。
あなたのマインドを塞いでいる全ての無意味な思考や狂気のアイディアの下に「{分離が始まる前までは}あなたが神と一緒に考えていた思考」があるのです。

それらの思考は全く変えられることなく、今でもあなたのマインド内に在るのです。
それらの思考は(そっくりそのまま原初の形で)常にあなたのマインド内にあるのです。
それ以降{神からの分離以降に}あなたが考えた全思考は変化します。 しかしそれらの元に成っている基盤は全く変化しません。

今日のエキササイズはこの基盤に対して向けられているものなのです。
そこであなたのマインドが神のマインドと繋がっているのです。
そこであなたの思考が神の思考と一つに成っているのです。
 
このタイプのプラクティスに必要なことは一つだけで。それはあなたが、「父である神と子である神に対して捧げられている祭壇」の前に進む時ように、このプラクティスを行なうことです。
何故なら、あなたが届こう(到達しよう)としている場所はそのような所(父である神と子である神に対して捧げられている祭壇)なのだから。

あなたはまだ「あなたがどれだけ高く行こうとしているか」理解出来てはいないことでしょう。
しかしあなたが今までに得た少しの理解からでも、これが怠惰なゲ
ームでは無く、神聖のエキササイズであり、天国に届こうとする試みであることが理解出来る筈です。
 

短いプラクティス:

今日のアイディアを適用する(自分に向かって述べる)に当たって、『「神と共に考えているマインドの神聖」を理解すること』がどれだけ重要か憶えていられるよう努力してください。

今日一日中、今日のアイディアを言いながら、2-3分間あなたのマインドの神聖を認めそれに感謝を捧げます。

あなたは神のホスト、神の宿主なのです。
たとえ僅かな時間であっても、神に相応しくないあらゆる形の思考から離れるようにします。
そして「神があなたと一緒に考えている思考」について神に感謝を捧げます。


Apr 22, 2012

Lesson 44

Lesson 44


[神は光で、私はその光の中で見ているのです。]

[私は神という光の中で見るのです。]

“God is the Light in which I see.”


今日わたし達は昨日のアイディアを引き継ぎ、それに新しい次元を付け加えます。

あなたは暗闇の中では見ることが出来ませんし、あなたが光を作ることも出来ません。 
しかしあなたは暗闇を作りその中で自分が何かを見ていると考えることが出来ます。 
でも光は生命を反射しており、従って光は創造の一側面なのです。
創造と暗闇は両立出来ません。 しかし光と生命はそれぞれ創造の別の側面で、それらは一緒に存在しているのです。

人が見る為には{人にヴィジョンが見えるようになる為には}、光が(外側ではなく)内側にあることを理解する必要があります。
あなたはあなた自身の外に{ヴィジョンを}見ることは出来ません。
見るための器官(道具)があなたの外にある訳でもありません。この器官(道具)の最重要部分は「見ることを可能にする光」なのです。それ(光)は常にあなたと共に在り、どのような状況内でも、あなたの中のその光がヴィジョンを可能にしています。

今日わたし達はこの光に意識を届けることを試みます。
その為には既に以前一回使っているプラクティス形式をここでも使います。そしてこれからこのようなプラクティスをより頻繫に使って行くことになります。

これはマインド・トレーニング(マインドの鍛錬)の主要なゴールで、これは鍛えられていない(整えられていない)マインドにとっては難しいことです。このトレーニングはまだトレーニングされていないマインドに欠けていることを補うものなのです。あなたが{ヴィジョンを}見れるように成るには、このトレーニングを行なう必要があります。

今日は最低三回のプラクティス・ピリオドを行ないます。 各プラクティス・ピリオドには3-5分掛けてください。 もしストレスなくプラクティス期間が過ぎていくようなら、より長い時間を掛けてプラクティスすることをお勧めします。

わたし達が今日使うエキササイズは「トレーニングされているマインド」にとってはとても自然で容易なものですが、「トレーニング(訓練)されていないマインド」にとってはとても不自然で難しいことです。
あなたのマインドはもはや全くトレーニングされていない状態ではありません。わたし達が今日使うエキササイズを学ぶ用意があなたには出来ています。

でももしかしたらあなたは強い抵抗を感じるかもしれません。その理由はいたって簡単です。
それは、この形式のプラクティスを行なっている時、あなたは「あなたが今まで信じてきた全て」と「あなたが今まで作り上げて来た全ての思考」を後にするからなのです。
これが地獄からの解放なのです。
しかしエゴの目から知覚したなら、これはアイデンティティの損失であって、地獄へ落ちることなのです。でも少しで良いのであなたがエゴから離れられたなら、エゴの怖れと抗議は無意味であることが解るでしょう。

「光に届くことは暗闇から脱出することである」とあなた自身に時おり言い聞かせることが助けになるでしょう。

神は(その中であなたが{リアリティを}見ている)光なんです。
あなたは神に届こうとしているのです。



長いプラクティス:(3回各3-5分間)

プラクティス・ピリオドを始めたならまず、目を開けたまま今日のアイディアを繰り返し言います。それから目をゆっくりと閉じて、今日のアイディアをもう数回繰り返します。
それからマインド内に沈み込み、全ての邪魔{な思考}などの脇をすり抜けてそれらを手放します。

あなたが止めることを選ばない限り、あなたのマインドがこれ(このエキササイズ)を止めることはありません。
あなたがこのエキササイズをしている時、マインドは単にその自然なコースを辿っているだけなのです。
あなたの中に現れる思考を観察して、それらには捕らわれず、それらの思考の脇を静かに通り抜けなさい。

このエキササイズを行なうに当たって特別な形式は特に必要とされませんが、「自分がここでしていることはとても重要なものである」と認識することが必要なのです。
このエキササイズがあなたに与える計り知れない価値を意識して、自分がとても神聖なことをしているという気付きを持つことが重要です。

救済があなたの一番ハッピーな業績なのです。
そして救済こそが唯一意味のあることなのです。何故なら救済こそがあなたに使える唯一のものだから。

抵抗が何らかの形で表れたなら、時間をとって今日のアイディアを繰り返し言いなさい。
その時、目を閉じている必要がない限り、目は閉じておいてください。
もし怖れなどが感じられた場合は、目を一旦開けたほうが安心出来るでしょう。
しかし出来るだけ速やかにエキササイズに戻るようにしてください。

このエキササイズを適切に行なっているなら、あなたは自分がリラックスしていることを感じ、自分が光に近づいていて光の中に入って行くフィーリングも感じられる筈です。
「この世界の思考」を後にしながら「形も区切りも持っていない光」について考えるようにします。

そして「この世界の思考」があなたを縛りつけることは(あなたがそのような力を世界の思考に与えない限り)出来ないことを憶えておいてください。



短いプラクティス:(下記を可能な限り頻繫に行なってください。)

今日一日中、目を閉じた状態で(あるいは必要なら目を開けたまま)何度も今日のアイディアを繰り返し言ってください。 今日一日これを忘れないでしようとする決意が何より重要なのです。

Apr 13, 2012

Lesson 43


Lesson 43

[神が私の源です。神から離れて見ることは私には出来ません。]
“God is my Source. I cannot see apart from Him.”

 
知覚は神の性質/属性ではありません。 叡智(knowledge)の領域が神なのです。 知覚と叡智の仲介者として神が精霊を創造したのです。
この神との繋がり{精霊}が無かったなら、あなたのマインドの中では永遠に叡智が知覚で置き換えられてしまったことでしょう。
この神との繋がり(精霊)によって、知覚が大きく変えられて純粋に成り叡智へと導かれるのです。
これが精霊が見ている知覚の役割なのです。 だからこれ{あなたを大きく変えて純粋にし、叡智へ導くこと}が知覚の真の役割なのです。

神の中ではあなたは見ることは出来ません。 
何故なら神の中では知覚には役割が無く、知覚は存在していないから。
しかし救済(実際には起こっていないことが解除されること)の中で知覚に偉大な目的が与えられています。
知覚は不聖な目的の為に神の子によって作られたのです。
だから知覚は「彼(神の子)の神聖が彼(神の子)の意識の中に修復される方法」に成る必要があるのです。
知覚は何も意味を持っていません。
しかし精霊は「神の意味と非常に近い意味」を知覚に与えるのです。
癒された知覚が「神の子が自分の兄弟を赦すことにより自分自身を赦す方法」に成るのです。

あなたが神から離れることは出来ないので、あなたは神を離れて見ることは出来ないのです。
あなたが何を行っているにしろ、あなたはそれを神の中で行っているのです。 何故なら、あなたが何を考えているにしろ、あなたは神のマインドを使って(神のマインドと共に)考えているのだから。
もしヴィジョンがリアルであるならば(精霊の目的を共有している限りにおいてヴィジョンはリアルなのです)、その時あなたは神から分離して見ることは出来ないのです。

今日は5分間のプラクティス•ピリオドを3回行います。 
一回目は朝起きた時出来るだけ早く、最後の(三回目の)プラクティスは夜寝る前に行います。二回目のプラクティスは都合の良い時を選んで行ってください。

プラクティス第一部
プラクティス•ピリオドを開始するにあたって、まず目を閉じて今日のアイディアを自分に向かって宣言します。それから少しの辺りを見回して、あなたに見える特定の事柄に今日のアイディアを適用します。
4-5個の対象に対してこのエキササイズを行い今日のアイディアを適用します。
例えば下記のように言うことが可能です:

[神が私の源です。神から分離したこのデスクを見ることは私には出来ません。]
[神が私の源です。神から分離してこの絵を見ることは私には出来ません。]
“God is my Source. I cannot see this desk apart from Him.”
“God is my Source. I cannot see that picture apart from Him.”
この部分(第一部)は比較的短い期間で完了させてください。
意識的に何らかの主題を排除したり、特定の事柄だけに集中するのではなく、これらのアイディアを適用する対象を無差別に選んでください。
プラクティス第二部(より長い時間を掛けます)
目を閉じて今日のアイディアをもう一度言い、それから思い付いた考えを(それが今日のアイディアと関連している限りそれがどのようなものでも)述べてください。
下記のような考えや、今日のアイディアと関連したあらゆる考えを述べます。
[私は赦しの目を通して見ます。私は世界を祝福されているものとして見ます。世界が私に私自身を見せてくれています。私は私自身の思考(それは神の思考と似たものです)を見ています。]
“I see through the eyes of forgiveness,”
“I see the world as blessed,”
“The world can show me myself,”
“I see my own thoughts, which are like God’s,”
必ずしもここであなたが述べる考えが今日のアイディアと明確に関連している必要はありません。しかし「今日のアイディアに反しないもの」である必要があります。
もしあなたがボンヤリし始めたなら、あるいは今日のアイディアに反する考えが起こり始めたなら、あるいは何も考え付かなかったなら、目を開けてプラクティスの第一部を行いそれから第二部を試みてください。
プラクティス•ピリオド中は「今日のアイディアと関係の無い思考」に捕われて後戻りしてしまわないようにします。
後戻りしてしまわないよう、必要なだけプラクティスの第一部を繰り返してください。


より短い(より頻繁な)プラクティス•ピリオド内では、あなたが直面している様々な状態/状況に合わせて今日のアイディアの言い方を変えてください。
例えばあなたが他の人と一緒に居たなら、忘れずに彼/彼女に向かって静かにこう言ってください。
[神が私の源です。神から離れて私があなたを見ることは私には出来ません。]
“God is my Source. I cannot see you apart from Him.”
この上記の言葉はあなたの知り合いにも見知らぬ人にも同じように適用可能です。 そして知り合い/他人というような区別はしなようにしてください。

一日の中で起こる様々な状況/出来事(特にあなたにストレスをもたらす出来事)に対しても今日のアイディアを適用します。
下記のような言葉を使ってください。
[神が私の源です。私が神から離れてこれを見ることは出来ません。]
“God is my Source. I cannot see this apart from Him.”
特定の対象(出来事/人物)があなたの意識の上に現れなかったなら、今日のアイディアをそのままの形で述べてください。
今日、長い期間このアイディアを思い出すことなく(従ってあなたの役割を思い起こすことなく)過ごしてしまわないようにしてください。

 

ヒューゴ(II) インスピレーション、聖霊の声、世界の崩壊




主人公の少年がどのように聖霊と繋がりその声(インスピレーション)を受け取っているか?  映画の中ではあまり詳しく描かれていません。

しかし繊細なカメラーワークにそれは現れています。



シフトが起こる前には少年の印象的な目がアップに成るのです。

多くの場合その目は閉じられて、彼(少年)の目の前に提示されている現実との繋がりが一旦消えます。 そこで彼(少年)は自分の投射を止めているのです。

そして何か一言言うのです。 

例えば自分を捕まえて孤児院に送ろうとしている警官に対して彼は ボクには理解出来ない。 でもあなたならわかる筈だ! あなたは理解するべきだ!  I don’t under stand.  YOU should understand.」と言います。


すると他の人達の表情が変わります。 

繋がりが出来たのです。他の人々の投射も解除されたのです。 固く守られていた相互合意が破られ世界(に対する見方)が崩壊し、そして世界が変ったのです。

―――――――――
 

警察官グスタフ: 我々はお前を孤児院にあずけることになるだろう。
ヒューゴ: ノー。そこはボクのいるべき所(私が所属している所)じゃない!

警察官グスタフ: ではお前はどこに所属しているんだ{どこがお前の家なんだ}! 子供は皆何処かに所属しているはずだ。

ヒューゴ: お願いだから聞いてよ! お願いだからボクの言うことを聞いて。
あなたは解っていない!あなたはボクを手放さなくてはダメなんだ!
ボクには解らない、何故父が死んでしまったか、何故ボクが独りきりなのか。

[ヒューゴ泣く]
ヒューゴ: これがボクが働く唯一のチャンスなんだ。あなたなら解る筈だ。

[すると自身も元孤児だった警官グスタフは、頭を下げてブレースで覆われている自分の怪我した足を見る。するとメリエスとその養女イザベルが現れて、]

ジョルジ・メリエス:  私には(彼が何処に所属しているか)解る!  (グスタフに向かって)ムッシュー、この子は私に所属しているんです(それは私の子なのです)。
[するとグスタフはヒューゴを手放す。]