Jul 14, 2012

Ch24-8

The Meeting-Place

出会う場所
 

この世界と繋がっている人達は「真実にしたいと思っている特別性(これを真実にしようと自分達で決めている特別性)」をどれだけ執拗に守ろうとすることでしょう!
彼の願いは彼にとっては法で、だから彼はそれに従うのです。

彼の特別性が要求するものを彼は何も拒否しないのです。

彼は特別性が必要とする全てを「自分が愛しているもの」に与えるのです。

そして特別性が彼に呼び掛けている間、彼はそれ以外の声は聞かないのです。

(些細な攻撃から/疑いの囁きから/怖れの示唆から/深い尊敬意外のあらゆるものから)自分の特別性を守る為にはどのような努力も惜しまず、どのような犠牲も厭わず、どのような値段も高すぎないのです。

あなたがあなたの父に愛されているように、「あなたが大切にしている特別性」が『あなたが愛している「あなたの子」』なのです。
そしてあなたの特別性が「神の父性を(神から奪い取るのではなく)あなたが神と共有する為に行なう『あなたの創造』=あなたの子供」の場所に居座ってしまっているのです。
 

あなたの力としてあなたが作ったこの子供は何なのでしょうか?
これほどの愛が与えられている、地上のこの子供は何なのでしょう?

あなたの創造{あなたと神の共同創造}にとって替わろうとしている「神の創造に対するこのパロディー」は何なのでしょうか?

そして神のホストが「彼等よりも好ましい子供」を見つけた今、彼等は何処に居るのでしょうか?

{そして神のホストであるあなたが「より好ましい子供=あなたの兄弟の中の神聖」を発見している今の中には、あなたが求めていた特別性を示している体はもうどこにも居ないのです。}
 
神の記憶は一人だけで孤独に輝いているものではありません。
「あなたの兄弟の中に在るもの」は今でも創造の全てを内包しています。

今までに創造された全て/これから創造される全て/既に生まれたもの/未だ生まれていないもの/未だ未来に在るもの/過ぎ去ったように見えるもの、それら全てがまだあなたの兄弟の中に在るのです。
あなたの兄弟の中に在るものは不変で、それを認識することによって「あなた」の不変性が確認されるのです。

あなたの中の神聖は彼のものなのです。 {あなたの中にある神聖は、あなたの兄弟に所属しているのです。}

そしてあなたが神聖を兄弟の中に見ることにより、神聖があなたに返って来るのです。
 

「あなたが特別性に与えている全ての捧げ物」も兄弟のものであり、こうして{あなたが特別性に与えている全ての捧げものが}あなたに返って来ているのです。
{あなたが特別性に与えた}愛と気遣いが、強い庇護が、日夜の思考が、深い心配が、これが自分だという力強い確信が、「彼(兄弟)のもの」なのです。

あなたが特別性に与えているもので、彼に支払われないもの{彼に与えられていないもの}は何も無いのです。

そして彼に与えられていないものは、あなたにも与えられていないのです。

{あなたが特別性に与えているものは全て、あなたの兄弟のものとして考えられているのです。 そして「あなたの兄弟のものとして認識されているもの」は全てあなたのものとして認識されるのです。}
 
特別性があなたを支配している限り、どうしてあなたにあなたの価値を知ることが出来るのでしょう?

彼(兄弟)の神聖の中にあなたが自分の価値を知ることが出来ないことが在り得るのでしょうか?

あなたの特別性を真実にしようと求めるのは止めなさい。何故なら、もしあなたの特別性が真実であったなら、確かにあなたは迷ってしまう(失われてしまう)のだから。
だから(あなたの特別性を真実として見ようとすることは止めて)彼の神聖を見る為に真実が与えられていることに感謝しなさい。何故ならそれ(彼の神聖)が真実なのだから。

そして彼の中で真実であることは、あなたの中でも真実であるに違いないのです。

あなた自身に対して次のことを訊ねなさい:「あなたはマインドを守ることが出来ますか?」
体なら少しは守ることが出来るでしょう。時間から体を守ることは出来ないけれど、一時的に体を守ることは出来るでしょう。

そしてあなたはセーブしようと沢山考えていますが、あなたは{マインドを、そして体を}痛めているのです。

何の為にあなたはそれ(体)を保存/保持しようとするのでしょうか?
{あなたが体をどのような目的で使おうとしているか}この選択の中に体の健康と障害が掛かっているのです。{どんな目的であなたが体を保持し使おうとしているか、その選択に体の健康が左右されるのです。}

それを(体を)見せびらかしのために保ったり、他者を誘惑するエサにしたり、その中により優れたスタイルであなたの特別性を住まわせたり、あなたの憎しみの周りに愛らしさの額縁を編み上げたりしたなら、あなたはそれ(体)に対して腐敗と痛みを宣告しているのです。

そしてもしあなたがこの目的を兄弟の中に見ていたなら、あなた自身に対するあなたの宣告もそれと同じに成るのです。 

であれば、真理が兄弟の上に輝き「あなた」に腐敗からの安全を与えるよう、兄弟の周りに神聖の額縁を編みなさい。


父は「父が創造したもの」を安全に保ちます。
あなたが作った間違ったアイディアでそれ(父が創造したもの)に触れることは出来ません。何故なら、それはあなたによって創造されたものではないのだから。

あなたの馬鹿げた空想によって脅かされるのは止めなさい。
不滅なものは攻撃され得ません。「一時的でしかないもの」は{神が作った不滅なものに対しては}効果は持っていないのです。

あなたがその中に{父の創造の中に}見ている目的だけが意味を持っており、もしこれが真実であるならば、その安全は確実なのです。

もしそうでないなら、それには(あなたが見ているものには)目的がなく、それは無為な手段でしかないのです。

真理の手段として知覚/認識されているあらゆるものは、その神聖を共有しており、真理自身と同じだけ安全に光の中で安らかなのです。
そしてそれ(真理の手段として現れているもの)が無くなった時、この光が消えることもありません。

その神聖な目的がそれに不滅性を与えており、天国の中に新たな光を据えたのです。

天国の中で「あなたが創造したもの達」が「あなたからのギフト(「あなたが創造したもの達」をあなたは忘れてはいないというサイン)」を認識しているのです。
 

地上(地球上)の全ては「これは何の為に存在しているのか?」という問い掛けによってテストされるのです。
その答えが「あなたにとってそれが何であるか」決めるのです。

{地上の全てのもの}それ自体には何も意味がなく、しかしあなたは(あなたが仕えている目的に従って)それにリアリティを与える ことが出来るのです。

ここにおいて「あなた」はそれと共に{癒やす目的を遂げる為の}方法でしかないのです。
 

神は方法であると同時に結果なのです。
天国の中で方法と結果はひとつであり、それらは神と共にひとつなのです。

これが(時間の中ではなく永遠の中の)真の創造の状態なのです。

ここでは{地上では}これは誰にも説明出来ません。この条件がどのような意味を持っているか説明する方法もありません。

あなたが「学ぶこと」から「与えること」へと通り抜けるまで、「あなたが創造したもの達」の聖なる家をあなたが再び作るまで、これは理解出来ません。

父の共同創造者{であるあなた}は子供を持っている必要があるのです。
そしてこの子供はその創造者{あなた}と似ているように(同じように)創造されているに違いないのです。

{父の共同創造者によって創造されているこの子供は}パーフェクトな存在であって、全てを内包しているそして全てに内包されている存在であって、そこに足されるべきものはなく、そこからは何も取り去られないのです。

それはサイズや重さや時間の中には生み出されておらず、どのような不確実性や限定によって抑えられてもいません。

ここで方法と結果がひとつに成っているのです。

そしてこの「ひとつのもの」にはどのような終わりも全く無いのです。

これら全ては真実です。しかし「まだ学ばれていない一つのレッスン/まだ確実でない目的の思考/分離されている目的の希望」を記憶の中に持っている者にとっては、これには意味がありません。


このコースは簡単に学べないことを教えようとしてはいません。
この学習範囲はあなたの能力/理解を超えてはいません。

このコースの学習内容で現在のあなたの理解範囲を超えているのは「あなたのものはあなたの準備が出来た時にあなたのもとにやって来る」ということだけです。

ここでは方法と目的が分離されているのです。何故なら、{ここでは}それらはそのように{分離されているものとして}作られており、そのように{分離されているものとして}知覚認識されているのだから。
 

知覚の目的が理解されるまで、全ての知覚が逆さまで在り続ける(逆転している)ことを憶えておく必要があります。
知覚は方法には「見えていません」。

知覚が方法{分離という目的をもたらす為の方法}として認識されていないことが、『「あなたが何をどのように知覚するか」は「あなたが知覚を何の為に使おうとしているか」に大きく左右されていること』を理解しづらくしているのです。

「あなたが何を見ているか」知覚があなたに教えているように見えているのです。

しかし本当は、知覚はあなたが教えたもの{あなたが自分や兄弟に教えたもの}を証言しているだけなのです。

知覚は、外側に見えている{分離の}望みの絵で、あなたが真実としたかったイメージなのです。
 

例えば、あなた自身を見たなら、あなたは体を見ます。しかし異なる光の下でこの体を見たなら、それは異なって見えます。そして光が無かったなら、体は消えているように見えます。 しかし{光が無くとも}あなたは体がまだそこに在ることを確信しています。何故なら、その場合でもまだあなたは手で体を触ることが出来、体が動いていることを聞くことが出来るのだから。
 
ここにあなた自身としてあなたが求めたイメージが在るのです。
これがあなたの{分離の}望みを真実にしようとする方法だったのです。

それを見る目を、それを触る手を、それが立てる音を聞く耳を、それが(分離したイメージとしての体が)あなたに「与え」るのです。

「それ(体)がそれ自身のリアリティをあなたに対して証明しているのです。」

これはあなた自身に対する論理として作られている体なのです。

それ自身を超えた証拠が入る準備(余地)はそこには無く、それ自身の視界内にはそれから逃れる余地は無いのです。

体自身の目から眺めた時、そのコース(運命)は確実なのです。

それは育ちそして衰退するのです。 それは開花して後に死ぬのです。

そしてあなたはそれ(体)から「離れた」自分は考えてみることも出来無いのです。

{分離した体という}あなたのブランド(刻印)は罪深く、あなたはその行動を憎み、それを邪悪と裁くのです。


それでもあなたの特別性はこう囁くのです。「ここに私の愛する子がおり、私はこの子にとても満足している。」
こうしてこの子が「この子の父の{つまりあなたの}目的を達成しようとする方法」に成っているのです。

これは{父の創造と}同じではなく、似ても居ないのですが、しかしこれも「父に対して父が求めるものを捧げる方法」ではあるのです。神の創造の戯曲(パロディー)はこのようなものなのです。

父の子の創造が父に喜びをもたらし父の愛を証言し父の目的を分け合うように、体もそれを作ったアイディアを証言し、そのリアリティやその真実を話すのです。

こうして二人の子{二種類の子供達}が作られており、それらは両方とも地上を歩いているように見えているのですが、彼等が出会う場所はなく、彼等がお互いと出会うことはないのです。

あなたがあなたの外に見ている人が、あなたが愛しているあなた自身の子{神から離れてあなたが作った子供}なのです。

もう一人の子(父の子)はあなたの兄弟の中に休んでいるのです。 そしてあなたの兄弟も{父の子としてのあなたの兄弟も}あなたの中で休んでいるのです。


彼等(あなたの子と神の子、「あなたが自分の外に見ている人」と「あなた達の中に休んでいる父の子」)の違いは「彼等の見掛けや彼等が行く場所や彼等がしていることの違い」に由来しているのではありません。
「彼等{父の子とあなたの子}はそれぞれ異なる目的を分け合っているのです。」{父の子とあなたの子は、それぞれ異なる目的を持っており、それを自分達の仲間とだけ共有しているのです。}

彼等がそれぞれの仲間達と共有している目的が父の子を「{父の子に}似ている者達」と繋がらせており、あなたの子達を異なる目的を持った各側面(aspects)に分離させているのです。
 

神の子は自分の父の意志を保っています。
それに対して{分離を信じている}人の子(The son of man)はエイリアン(侵入者)の意志を知覚してしまっており、「リアリティが自分の意志どおり(知覚どおり)であって欲しい」と望んでいるのです。こうして彼の知覚は彼の望みに仕えており、それに{彼が望んでいることに}真実の見掛けを与えているのです。
 

しかし知覚は他のゴール{分離以外のゴール}に仕えることも出来るのです。
知覚はあなたの選択によって特別性に縛られているだけなのです。

あなたが{特別性とは}異なる選択をして異なる目的の為に知覚を使う為に、それ(知覚)は与えられているのです。

そうなれば、あなたが見ているものがその目的(癒やす目的)に良く仕えるように成り、あなたが見ているものがそれ自身のリアリティをあなたに証明するのです。

Jul 12, 2012

Ch24-07

Salvation From Fear

怖れからの救済


あなたの兄弟の神聖の前では、世界は静かで、平和が世界の上に優しく降りて来てとても完璧に祝福するので、夜の闇の中であなたを脅かす闘争は跡形も無く消えているのです。
彼が(あなたの兄弟の神聖が)、怖れの夢からあなたを救い出す救済者なのです。

彼が、「あなたの犠牲感覚」と「あなたの所有しているものが風に飛ばされて塵に成ってしまうという怖れ」に対する癒やしなのです。

彼の中に「神がここに居る、神が今あなたと共に居る」というあなたの確証/保障が在るのです。

神が神である限り、神を知ることが可能であり、神があなたに知られることがあなたに確約されています。

何故なら「彼(神)自身の創造から離れること」は彼(神)には決して出来ないのだから。

(神の神聖の前ではあなた自身に対するあなたの全ての疑いが消えることを証明する為にあなたに与えられている)あなたの兄弟の中に「上記のことが真実であるサイン」が置かれています。


彼(あなたの兄弟)の中に神の創造を見なさい。

何故なら、「神があなたを神の一部として創造したことに対するあなたの認識」をあなたの兄弟の中で「あなたの兄弟の父」が待っているのだから。

あなた無しでは、神の中に欠落/欠乏があり、天国が未完成で、父に子が無いのです。{あなた無しでは、}そこには宇宙がなく、リアリティも無いのです。

何故なら、神の意志は完全/完璧/全体で、神の意志がひとつであるが故に「神が意図するもの」は神の一部なのだから。

神の一部でないものは何も生きておらず、神の中で生きているものしか存在していないのです。
あなたの兄弟の神聖が『神がひとつであり、神があなたとあなたの兄弟と共にあること。そしてあなたは兄弟からも兄弟の父からも分離していないので、「兄弟が持っているもの」はあなたのものであること。』をあなたに示すのです。 


宇宙の全てのものはあなたから失われてはいないのです。
神が創造したもので、神があなたの前に永遠にあなたのものとして置いていないものは何もないのです。

神のマインド内の思考で「あなた自身の思考内に存在していないもの」も無いのです。

「あなたに対する神の愛をあなたが分ち合い、世界が始る前に神があなたを考え作った愛(そして今も神があなたを知っている愛)であなた自身を眺めること」が神の意志なのです。


神は「神の子に対するマインド(神の子に対する考え)」を変えません。

(神が住んでおり、あなたが神と共に在る)永遠の中では、無意味な変り行く状況に応じて神が神の子に対する認識(マインド)を変えることはありません。

あなたの兄弟は、神があなたの兄弟を作ったとおりに存在しています。このことが「神が作らなかった世界」から「あなた」を救うのです。


神の子の癒しの為に世界の全てが存在していることを忘れないでください。
それだけが「聖霊が世界の中に見ていること」で、だからそれだけが「聖霊が持っている唯一のもの{聖霊の唯一の目的}」なのです。
「子を癒やすこと」だけが世界の中で(時間の中で、全ての見える様子の中で)あなたが達成しようとする全てに成るまで、あなたが父やあなた自身を知ることはないのです。
何故なら、そうなるまで(神の子を癒やすことだけがあなたの全目的に成るまで)、あなたは世界をその目的に反して使ってしまい、その法則の暴力と死から{世界に対する神の目的に反して世界を使おうとすることから来る暴力と死から}あなたは逃れられないのだから。


しかし全ての意味で全ての状況内でその法{あなたに見えている世界の法則}を超える為に、これが(世界が)あなたに与えられているのです。
「そこに存在しないものを知覚しようとする全ての誘惑」を退ける為に、「自身の在りのままの姿を見ていないが故に神の子が痛みをこうむることが出来る」という全ての信念を超える為に、これ(世界)があなたに与えられているのです。
あなたの兄弟を見て、「この世界を司っているように見えている法則全体」が彼の中で逆転することを見なさい{発見しなさい}。
彼の自由の中にあなたの自由を見なさい。彼の中の自由があなたの自由なのだから。
彼(兄弟)の特別性が彼の中の真理を不明瞭にしないようにしなさい。あなたが彼を縛り付けている死の法の一つからもあなたが逃れることは出来ないのだから。そしてあなたが彼(兄弟)の中に見る一つの罪でさえ、あなた達両者を地獄に留めてしまうのだから。
しかし彼(兄弟)のパーフェクトな無罪があなた達両者を解放するのです。 何故なら神聖は選り好みをせず、神聖が見ている全てのものに対して「ひとつ」のジャッジメント(判断/裁き)だけを持っているのだから。
そしてこれが{聖霊の一つのジャッジメントが}行なわれるのです。 これはそれ自身{聖霊自身}が行なうのではなく、(生きている全ての中に居る、神の存在を共有している全ての中に居る)神の為に話す「声」を通して{ジャッジメントが}行なわれるのです。


{体の目ではなく}「見ることの出来る目」が見るのは、彼(あなたの兄弟)の無罪なのです。
「見ることの出来る目{スピリチュアルな目}」が彼の愛らしさを全ての中に見ているのです。
そしてそれら(見ることの出来る目)があらゆる場所で探しているのは「彼{あなたの無罪な兄弟}」なのです。 そして彼が居ない場所や時間や光景は見つけないのです。
(あなたと世界の救済のパーフェクトな額縁である)「あなたの兄弟の神聖」の中に「(その中であなたと兄弟が共に生きている)彼(神)」の輝ける記憶が置かれているのです。


(キリストの顔を兄弟から隠してしまい、あなたからも隠してしまう)特別性のヴェール(覆い)によってあなたの目が眩まされないようにしなさい。
そして神への怖れが「あなたが見るべく意図されているヴィジョン」を見ることからあなたから押し留めてしまわないようにしなさい。
あなたの兄弟の「体」はあなたに「キリスト」は示しません。
「彼(キリスト)」はあなたの兄弟の神聖の中に置かれているのです。
だからあなたは彼の体と彼の神聖のどちらを見ることを「求める」か決めなさい。{あなたがそれら両方を同時に見ることは出来ないのだから。}あなたが見ることを決めた方をあなたは見るのです。

しかしあなたが真理{だけ}を選択出来るようになるまで、あなたは様々な機会/状況に限りなく選び続けるのです。
何故なら「彼の中のキリストをもう一度否定し続けること」の中で永遠を取り戻すことは出来ないのだから。
そしてもし彼が体でしか無かったなら「あなた」の救済はどこにあるのでしょうか?
彼の神聖の中以外の何処に「あなた」の平和があるというのでしょうか?
「永遠の中で神があなたの兄弟の神聖の中に置いた神の一部の中」以外の何処に神自身が居るというのでしょうか? 「あなた」があなたの真理を見られるように、あなたの真理があなたに認識され、あなたによって理解されるように、神は神自身の一部をあなたの兄弟の中に置いたのです。


あなたの兄弟の神聖が「あなた」へのサクラメント聖なる行為であり祝福なのです。
あなたの兄弟のエラーが、神の祝福が神自身から差し出されることを押し留めたり、「兄弟を真に見ているあなた」から神の祝福が差し出されることを押し留めることは不可能です。
彼(兄弟)の間違いは『彼から受け取るように「あなた」に与えられているもの』を遅らせることしか出来ないのです。
『彼から受け取るように「あなた」に与えられているもの』によってあなた達両者は、決して始らなかったそして終わりを必要としていない「旅」を終らせることが出来るのです。
「決して起こらなかったこと」はあなたの一部ではないのです。
しかし「決して起こらなかったこと」はあなたの傍らに立っている兄弟の一部でもないとあなたが理解するまで、あなたはそのように考えてしまうのです。 
{『自分の兄弟が「決して起こらなかったこと{分離}」をしており分離した体に成っている』とあなたが考えたなら、あなたはあなた自身も分離しており体に成っていると考えてしまうのです。 訳注}

彼(兄弟)はあなた自身の鏡なのです。 あなたはその中に{あなた自身の鏡である彼の中に}『あなた達「両方」の上にあなたが置いた裁き(ジャッジメント)』を見ているのです。
あなたの中のキリストは彼の神聖を見ています。
しかしあなたの特別性は彼の体を眺めており、彼を見ていないのです。
彼を彼そのものとして見たなら{あなたが彼の真の姿を見たなら}「あなた」の解放は間近です。
その他の選択(彼の体を見て神聖を見ない選択)があなたに与えるものは、目的もどのような達成も無い無意味な彷徨だけなのです。
あなたの兄弟が眠っている間あなたに割り当てられている役割が達成されるまで、そして彼(兄弟)が過去から起き上がるまで、満たされない働きの無益があなたを悩ますでしょう。
自分自身を(そしてあなたを)断罪している彼は、あなたと共に断罪から救われる為にあなたに与えられているのです。
そして(あなたと兄弟の)両者が神の子の中に神の栄光を見るのです。
あなたは神の子を「肉であり法に縛られている」と誤解していたのですが、そのような法は神の子の上に力を持ってはいないのです。

これらの法が「あなた達のもの」ではないと喜んで理解しようとは思いませんか?
であれば、彼(兄弟)をこれらの法の囚人と見るのは止めなさい。
「神の一部を統治しているもの」が神の全てを統治しているに違いないのです。
彼を統治しているとあなたが見ている法の下にあなたはあなた自身を置いているのです。
であれば(神の一部をあなたに与えて痛みから救い「あなた」に幸福を与えている)神のあなたへの愛がどれだけ偉大なものか「考え」なさい。
(神の全ての部分を同等に愛しており気遣っている)神の意志の前にあなたの特別性が消え去ることを疑うのは止めなさい。
あなたの中のキリストはあなたの兄弟を真に見ることが出来るのです。
あなたは「彼(あなたの中のキリスト)が見ている神聖」を否定しようとしますか?
特別性はあなたがあなた自身に対して与えた働き/役割なのです。 

 {「あなたの中のキリストが見ている神聖を否定すること」が特別性の働きであり目的なのです。 訳注}
それ(特別性)はあなただけの為に立っており、自らを作っており、自らを保っており、何も必要とはしておらず、体を超えたどのようなものとも繋がっていないのです。
(特別性の)その目の中であなた達は分離した宇宙であり、それ自身をその中に完全に保持する全ての力を有しており、その全ての入り口は侵略に対して閉ざされており、その全ての窓が光を閉ざしているのです。
{特別性は}常に攻撃されており常に怒っており、その怒りは常に正当化されており、あなたはこのゴールを「決して譲ろうと考えない警戒心」とそして「決して止めようとしない努力」と共に追い求めてきたのです。

そしてこれらの冷徹な決意は全て下記の為だったのです:

「あなたは特別性が真実であることを求めたのです。」

今あなたに求められているのは、これ{特別性を真実にしようと求めること}とは別のゴールを追及することなのです。
{今までよりも}より穏やかに、より少ない時間で、より少ない努力で、そして神の力によってこれ(神聖なるゴールの探求)を保ちなさい。神の力がその成功を確約しているのだから。
しかしあなたはこれら二つ(特別性と神聖)の内で「これ(神聖/神の力)」をより難しいと思っているのです。
あなたは自己の「犠牲」を理解しており、これが大き過ぎる代償だと思ってもいません。
そして神に対するうなずきさえ、あなたの中のキリストに対する僅かな譲る意欲さえ、あなたにとっては疲れる退屈な担い切れない重荷なのです。
しかし神が設立した真理への献身の中では、犠牲は求められておらず、苦しみは呼び出されていません。
天の全ての力と真理そのものの力が方法{癒やす方法}の為に与えられており、ゴールの達成を確約しているのです。


兄弟の神聖よりも兄弟の体を見る方が容易だと信じているあなたは、何がこの裁き(判断/ジャッジメント)を作ったか理解しなさい。
ここに(キリストに対して裁きを与え、あなたに得ることの出来る目的を「あなた」のために設定しており、あなたに出来ないことを設定している)特別性の声が明確に聞こえています。
「この裁き{兄弟を体と見ること}を味方にしてあなたが何をしたか」に対してこの裁きが適用されるに違いないことを忘れないでください。
{特別性の世界の中では「この裁きを使ってあなたが何をしたか」によってあなたが裁かれることを忘れないでください。}
何故なら、それは{あなたの特別性の裁きは}あなたがキリストを通して何をしているか知らないのだから。


彼(キリスト)にとってはこの裁き(特別性の裁き)は全く無意味なのです。
何故なら彼の父が意図したことだけが可能で、彼(キリスト)に見える他の可能性は存在していないのだから。{父の意志がなされていること以外をキリストが見ることは出来ないのだから。}
「彼(キリスト)の矛盾/葛藤/闘争の欠如」からあなたの平和がやって来るのです。
そして彼(キリスト)の目的から、抵抗の無い達成と休息(安楽)の方法が来ているのです。