Jan 26, 2013

Ch25-07

Commuting The Sentence

宣告をくつがえす


あなたは自分の上に色々な宣告を下しました。 そのあなたの宣告を聖霊が祝福に変換出来た時、それはもう罪では在り得なくなります。
全ての世界の中で唯一変えることの出来ないものが罪です。

罪は変換不可能なのです。
そして罪の不変性(罪の確実性)に世界が依存しているのです。

世界の魔法が、{分離的世界の中に住んでいる}罪人達に対して罪の痛みが隠せているように見せており、ギラギラしたきらびやかさと狡猾さで{罪人達を}騙しているのです。
{世界の中では}それぞれの人々が罪の代償が死であると知っており、だからそのように成っているのです。

何故なら、罪とは死の要求であり、「この世界の基盤を愛と同等に確実にしたい、天国と同じぐらい確実にしたい、神そのものと同じぐらい強くしたい」という願いなのだから。

罪が可能であると考えている全ての人達にとって、世界は愛に対して安全に守られているのです{世界は愛から遮断されているのです}。そして{罪が可能であると考えている全ての人達にとって}罪は不変で修正不可能なのです。

 
しかし「神が創造しなかったもの」が「神の創造の属性/性質」を共有(シェア)することが可能でしょうか? 「神が創造しなかったもの(世界)」と「神が創造したもの(天国)」のあらゆることが正反対なのに。

『「死を求めている罪人の願い」が「生命への神の意志」と同じだけ強いこと』は在り得ません。

「神が作らなかった世界の基盤が天国と同じ位揺ぎ無く確実であること」も不可能です。

「天国と地獄が同じであること」などが在り得るでしょうか?

「神が意図しなかったことが変更出来ない」というようなことが在り得るでしょうか。

神の意志以外に不変なものが在り得るでしょうか?

「神の意志以外のものがその性質(神の性質)を分け与えること」など可能でしょうか?

何が神の意志に反して立ち上がり、不変に成ることが出来るというのでしょうか?
「神の意志以外に不変なものなど何もない」とあなたに認識出来たなら、このコースは難しいものではありません。

何故なら、あなたが信じていないのはそれ(神の意志だけが不変だということ)なのだから。

しかし神の意志が本当は何か見てみたなら、『あなたに信じることが出来るのは「神の意志」以外何もない』と解るのです。

 
わたし達が以前言ったことに立ち返り、それをより注意深く考えてみましょう。

「神が狂気」か「この世界が狂気の場所」か、そのいずれかが真実であるに違い無いのです。
この世界の中では神の思考は何一つ意味を成してはいないのです。

神のマインド内では「世界が真実として信じているもの」は全く意味を持っていないのです。 
そして「意味が無く理性が表れていないもの」は狂気なのです。
そして狂気は真実では在り得ないのです。

ここで{この世界の中で}深く尊重されている信念が一つでも真実であったのなら、神が抱いた全ての思考は幻想であるに違いないのです。

そして神の思考が一つでも真実で在ったなら、世界が{人々が}意味を与えている様々な信念は全て間違いであり無意味であるに違いないのです。 

これがあなたが選ぶ選択なのです。

この選択をこれ以外のものとして見ようとしたり、これを歪めて別のものを作ろうとするのは止めなさい。

何故なら、あなたに出来ることはこの選択だけなのだから。
この選択以外のことは全て神が行うことで、あなたが行なうことではないのです。



世界が持っている価値を一つでも正当化することは、あなたとあなたの父の正気を否定することなのです。
何故なら、「神」と「神に愛されている神の子」が異なる考えをそれぞれに持つことはないのだから。

神と神の子の思考のこの「合意」が、神の子を「神の子を作った思考マインドの共同創造者」にするのです。

そして真理に反している思考を一つでも信じる選択をしたなら、その時その人は「自分は父の子ではない」と選択しているのです。 何故ならその場合、「子は狂気に陥っており、正気が父と子の両方から遠ざかっている」に違いないのだから。

 あなたはこれを信じているのです。
{世界が持っている価値を正当化して父の正気を否定しているあなたは、父と子の両方が狂気に陥っていると信じているのです。}

この信念がその形に左右されていると考えるのは止めなさい。

{この信念が表れている形によって、この信念の本質が変化していると考えるのは止めなさい。}

何らかの形で(どのような意味でも)世界が正気であると考えている者は、世界が考えていることが正当化出来ると考えている者は、世界が何らかの理性によって保たれていると考えている者は、これ(父と子が狂気に陥っていること)が真実だと信じるのです。

 
{しかし}父と子は狂気ではないので、罪はリアルでは無いのです。

世界は罪の上に立っているので、この世界は無意味なのです。

誰が「真理の上に立っていない永遠」を創造出来るというのでしょうか?

 
聖霊は「あなたが見ている世界の全基盤」を「別のもの、正気の知覚に基づいている世界、狂気に基づいていない世界」に変える力を持っているのです。 {すると}狂気以外の世界が知覚出来るようになるのです。
「神の子を正気と喜びに導くことと矛盾せず対立しない世界」が知覚出来るようになるのです。

{そこには}「死と非情を証言するもの」や「分離して違いを与えるもの」は何も無いのです。

何故なら、ここにおいて全てが一つとして知覚されており、誰も失わず、全ての人達が得るのだから。
あなたが信じている全てのことを、この{上記の}判断基準によってテストしなさい。

この一つの要求{上記の判断基準}を満たす全てのことが、あなたの信心に値すると理解しなさい。 それ以外は何もあなたの信心に値しないのです。

 
愛でないものは罪なのです。そして愛は罪を無意味なものと知覚し、罪も愛を無意味なものと知覚するのです。

「(自分達の道が正気へと続いている信じている)罪人達によって全く狂気であると知覚されている世界」の基礎は愛なのです。{「自分達の道が正しいと誤解している人達」には「愛の上に築かれている世界」は狂気に見えるのです。}

 
しかし(狂気を超えて優しい目で安らかに真理を眺め見ている)愛の視界の中では、罪はそれと同じぐらい狂気なのです。

(愛も罪も)両方ともそれぞれに、変えようのない世界を見ており、「あなた」に関する永遠の真理を{それぞれの世界の中で}定義しているのです。
そして愛と罪はそれぞれに、父と子がどのようであるべきか示す視界(絵)を反映しており、その視界(絵)に意味を与え、その視界(絵/視点)を正気に見せるのです。

 
あなたの特別な役割は、神が狂気ではないという真実をあなたに一番解り易く意味深く示す「特別な形」なのです。

そして{特別な形の中の}内容は同じなのです。{形を変えても、内容は変わらないのです}

形は{あなたの特別な役割は}、あなたの特別な必要に応じて作られており、「自分が居るとあなたが考えている特別な時間と場所」に対処するよう、時間と場所からあなたが自由になれる場所に対応するよう、あなたを限定しているに違いないとあなたが信じている全てのことに対応するよう、作られているのです。
 

{しかし}神の子は時間や場所には縛られず、神が意図しなかったどのようなことにも縛られないのです。

でも神の子の意図が狂気として見られてしまった場合、狂気の者達に一番受け取り易い形の正気の為に「特別な選択」が必要になるのです。

{しかし}この選択が「(自由な選択が出来ず理性の光の中で選択を行なうことが出来ない)狂気の者」によって選び取られることはありません。

 
狂気の者達に救済を任せることこそ狂気です。

神は狂気ではないので、神は自身と同じだけ正気な者を任命し(自分の救済として狂気を選んでいる者達の視界に上るように)より正気な世界を立ち上げさせるのです。

この者{聖霊}に「(狂気に陥っている)彼に一番適応した選択の形」が託されているのです。 この選択は、彼が見ている世界を攻撃せず、その世界の中に静かに入って行って、その世界が狂気であることを示すのです。

この者はアルタナティブ(今までとは違う在り方、別の選択肢)を示すのです。 「彼が今まで見てきたもの、今までその中に自分は住んで来たと彼が認識している世界、彼が今まで理解していたと考えて来た世界」を別の見方で見る方法を示すのです。

すると彼はそれ(世界に対する今までの見方)に疑問を持たずに居られなくなるのです。何故なら(その時に示された)アルタナティブ(もう一つの見方)は、彼には「否定出来ないもの/見逃すことが出来ないもの/知覚に失敗することが出来ないもの」なのだから。

 
それぞれの人達によって「自分の特別な役割は可能である」と認識されるように、そして(このアルタナティブこそが自分が求めているものであるとそれぞれの人達に証明することによって)この役割を果し続けることがより一層好ましく思えるように、(特別な役割は)デザインされているのです。

 
{自分の特別な役割を受け入れた}このポジション(視点/立場)からは『「自分の罪深さ」と「自分が世界の中に見ている全ての罪」が自分に捧げているもの』が段々減少して行くのです。

「これ(罪/分離的概念)が自分の正気を犠牲(コスト)にしており、これが自分が正気に成ることを阻んでいる」と理解されるまで{罪からの捧げものが減り続けるのです}。

そして「狂気から逃れる方法無しで彼が(あなたが)打ち捨てられること」も無いのです。何故なら、彼は(あなたは)全ての人々の解放のための特別な役割を担っているのだから。

父が自身の子を無思慮に無視することは出来ないように、平和の希望の中の特別な役割を失って彼(神の子であるあなた)が外に置き去りにされることも無いのです。

 
神の愛以外に確実に頼れるものが在るでしょうか?

彼(神)の中以外の何処に正気が存在しているのでしょうか?

神があなたの為に特別に選んだアルタナティブの中で、神の為に話す者があなたにこれを示すことが出来るのです。

「これ{神の中にしか正気は存在していないということ}をあなたが思い出して、あなたが深い悔みから抜け出てパーフェクトな喜びに至ること」が神の意志なのです。


「(地獄と天国は同じではなく違うものであると神の子に対して示す)神自身のプラン」の中であなたに割り当てられている役割を受け入れなさい。
しかし天国の中で{天国と認識されていたり地獄と認識されている}それらは全て同じなのです。 天国から地獄を作り上げようとしていた、そして地獄を天国にしようとしていた「違い」が無かったなら、そのような{天国と地獄が別々に存在していると考えるような}狂気は可能ではなかったのです。


「誰かが(何かを)失い得る」という信念は、神が狂気に違いないという信条/見解に基づいているのです。

何故なら、この世界の中では「一人が失ったからもう一人が得るに違いない」と見えているから。

もしこれが真理であったなら、確かに神は狂気なのです。
しかし{一人が失わない限り他者が得ることは出来ないという}この信念が『「罪がリアルで、罪が世界を支配している」というより基本的な信条を言い換えたもの』に過ぎなかったらどうでしょうか?

ほんの少しの利益の為にも、誰かが失い、血と苦しみにおいて同等の(得られた利益と同等の)支払いを行わなくてはならないのです。 そうでなくては「悪が勝利して、あらゆる利益のコスト(代償)は破壊に成ってしまう」{ということになるのです}。


神が狂気だと信じているあなたは、これを良く見てください。
神か「これ{罪がリアルである世界}」か、そのどちらか一つが狂気で、それら両方が正気であることは在り得ないと理解してください。
救済とは、「誰かが失ったことにより誰か他の人が得ることなど出来ない(他の人の利益の為にあなたが何かを失うことは不可能だ)というアイディア」が再び生まれ出ることなのです。 

そして「誰かが得るためには、全ての人達が得なくては成らない。{誰かが何かを本当に得たなら、それは必然的に全ての人がそれを得ることに成る。}」ということなのです。

ここに{この認識の中に}正気が修復されているのです。
この真理の一つの岩の上に「(完璧な信頼と平和をもたらす)神の永遠の正気」への信心が依存しているのです。

ここにおいて全ての狂気の信念が修正され、理性が満たされるのです。

 
そしてこのことが真実であるならば、罪は不可能であるに違いないのです。

この岩の上に救済が立っているのです。

この視点から聖霊が(その中であなたが特別な役割を担っている)プランに対して方向性と意味/意義を与えているのです。

何故なら、ここにおいて{この認識の中で}あなたの特別な役割が全体の「機能」を共有しているから。 ここにおいてあなたの特別な役割が十全/完全に成っているのだから。

全ての誘惑は、狂気に満ちた下記の信念に過ぎないのです。
『神の狂気があなたを正気にし、あなたが求めているものをあなたに与える。

神かあなたのどちらかが狂気に負けている必要がある。何故なら、神の目的とあなたの目的が統合(和解)されることは不可能だから。
死が生命{の犠牲}を要求しており、どのようなコストを支払っても生命が保持されることはない。』

 
{しかし}神の意志が満たされる為に誰かが苦しみむことは在り得ません。

救済が神の意志なのです。何故なら、あなたが神の意志を分け合って(共有して)いるのだから。

あなた一人の為だけではなく、神の子という「自己」の為に{あなたは神の意志を分け合っているのです}。

彼(神の子)が失うことは不可能です。 

何故なら、もし彼が失うことが可能なら、それは彼の父が失ったことになるのですが、彼(神)の中で損失は不可能なのだから。

そしてこれ(上記のこと)が正気なのです。 何故ならこれが真理なのだから。

Jan 22, 2013

Ch25-06

The Special Function
特別な役割/働き


「癒す目」の中に神の恩寵が優しく宿っています。 その目が見ている全てのものが「見ている者」に彼(神の子)を語り知らせるのです。

{赦す目を通して全てを見ている}彼は悪を見ることは出来ず、世界の中で恐れるべきものは彼には存在しておらず、彼自身と異なっている者は誰も居ません。

そして彼が人々を{そして世界の中の全てのものを}愛するに従い、彼は愛と優しさを持って「彼自身」を見るのです。

『「彼の間違い」に関して他者以上に彼自身を断罪すること』もなくなるのです。

{赦しの目を使っている}彼は復讐の決定者ではなく、罪に対する懲罰者でもないのです。

彼の視界の優しさは、それが他者に捧げる全ての親切と共に、彼自身の中に休んでいます。

何故なら、彼は癒やすだけであり、祝福するだけなのだから。

そして彼は神が意図していること(神の意志)と「調和」しているので、彼は「神の恩寵と共に彼が見ている全ての人達」を癒やし祝福する力を持っているのです。


{あなた達の}目は暗闇に慣れてしまっています。すると輝かしい日中の光は「黄昏時に知覚される薄暗い様子に慣れ親しんでいる目」には眩しく痛く見えることでしょう。

だからそれらは(暗闇に慣れ切っている目は)日の光から目を逸らし、日の光が照らし出す明確から{明確なヴィジョンから}目を逸らしてしまうのです。

{暗闇に慣れている目には}薄暗さの方が好ましく思え、暗闇の方が良く認識されるのです。 曖昧なものの方が(完全にクリアで明確なものよりも)見やすく目に優しいのです。

しかし目はそのような為のものではないのです。{スピリチュアルな目は薄暗い不明瞭なものを見る為のものではないのです。}

そして{光りよりも}暗闇を好みながら「自分は見たいと欲している」と主張出来る者は誰なのでしょう?


「見たいという願い」があなたの目の上に神の恩寵を呼び出し、見ることを可能にする「光りのギフト」を持って来るのです。

あなたの兄弟を見ませんか? {あなたの兄弟を見つけてください。} 

神は喜んであなたに彼(神の子である兄弟)を見させようとしています。

「あなたの救済者があなたに見逃されてしまうこと」を神は意図しません。

 

『「神が彼(神の子)に与えた役割/働き」を兄弟が持たないままで居ること』を神は意図していません。

彼(兄弟/神の子)を孤独なまま放っておくのは止めなさい。

何故なら、世界の中で自分達が果すべき役割を見ていない者達は孤独で、自分が必要とされている場所を持っておらず、自分だけがパーフェクトに遂行出来る目的を持っていないのだから。

これが特別性に対する聖霊の優しい知覚/認識なのです。

聖霊は「あなたが作ったもの」を(痛める為に使うのではなく)このように使うのです。

聖霊はそれぞれの人達に対して、救済の中で彼だけが(その人だけが)担うことの出来る特別な役割を与えます。 彼だけの役割(その人特有の役割)を与えるのです。

そして彼が(その人が)自分の特別な働き(役目)を見つけて、彼自身に割り当てられたその役割を果すまで、そうすることによって「不完了が統治している世界」の中で彼自身を完成させるまで、プラン{神の救済プラン}は完成されないのです。

神の法がパーフェクトな形で全てを統治していない「ここ」で、彼は一つのパーフェクトなことを行ない、一つのパーフェクトな選択をすることが出来るのです。

そして『「彼自身ではないと知覚されている他者」に対するこの特別な信心の行為によって、ギフトが彼自身に対して与えられた事』を彼は学び、従って彼等(「自分の役割を果している彼」とそして「彼と関わっている他者」)が一つであることが学ばれるのです。

 

時間の中で意味を持っている唯一の働きが「赦し」なのです。

それ(赦し)は特別性を罪から救済に変換/翻訳する為に聖霊が使う方法なのです。

赦しは全ての人の為なのです。

そして赦しが全ての上{全ての人の上}に置かれた時、赦しは完成しており、この世界の全ての役割(働き)がそれと共に完成しているのです。

すると時間はもう存在していないのです。

しかし{あなた達が}時間の中に在る限り、するべきことが沢山在るのです。

それぞれの人が自分に割り当てられていることをするべきなのです。何故なら、プラン{神の救済プラン}の全ては、彼が自分の役割を果すことに依存しているのだから。

彼には時間の中の特別な役割が在るのです。何故なら、彼はそのように選んでおり、それを選ぶことにより彼はそれ(自分の役割)を彼自身の為に作ったのだから。

彼の願いは否定はされず、しかし(彼の願いが彼自身と彼の兄弟の為に働けるように)その形が変えられたのです。 このようにして「彼の願い」は、損失の方法(失う方法)ではなく、救いの方法に成ったのです。

 

救済とは「この世界があなたの故郷ではないと思い出させる知らせ」にしか過ぎないのです。

この世界の法はあなたの上に押し付けられておらず、この世界の価値(価値観)はあなたのものではありません。

「この世界の中にあなたが見ているとあなたが考えているもの」はどれも本当にそこにあるものではないのです。

人々が世界を作る時にそれぞれの役割を果したように、世界の解除に対するそれぞれの役割を人々が担い始めたなら、これが(上記のことが)見られ理解されるのです。

人は(この世界を作る、そしてこの世界を解除する)その両方の方法を持っているのです。 人は常にその両方の方法を持ち続けて来たのです。

「人が自分自身を痛めるために選んだ特別性」を神は「その人の救済の方法」として指定しているのです。 人が特別性を選んだ瞬間に、神がこの選択(特定の人が選んだ特定の特別性を解除することをその人の役割に指定すること)を行ったのです。

その人の特別な罪が、その人の特別な恩寵に作られたのです。

その人の特別な憎しみが、その人の特別な愛に成ったのです。


聖霊がその役目を満たす為には、「あなた」の特別な役割{あなたがあなた特有の役割を満たすこと}が必要とされているのです。

「あなた(自分)はここには特別な価値を持っていない」と考えるのは止めなさい。

あなたはそれ(特別な役割)を求めて居り、それはあなたに与えられています。

あなたが作った全てのものは、簡単にそして素晴らしく、救済の為に働くことが出来るのです。

神の子は「(神の子に反して使うのではなく)神の子の為に聖霊が使うことの出来るもの」しか選択出来ません。

暗闇の中でだけあなたの特別性が攻撃に「見える」のです。

光の中で、あなたはそれ(あなたの特別性)が「全ての攻撃から神の子を救済するプラン」の中の「あなたの特別な役割/働き」であることを見るのです。

そして彼(神の子)が安全であり常に安全で在り続けて来ており、彼が時間と永遠の中に等しく留まることを彼(兄弟姉妹)に理解させるのです。

これがあなた達それぞれに与えられている役割であり、これがあなた達のお互いに対する役目なのです。

であれば、お互いの手からそれ(自分達の役割)を優しく受け取って、あなた達両者の中で救済がパーフェクトに満たされるようにしなさい。

あなたに「全て」が与えられるように、この一つのことをしなさい。