Dec 15, 2011

Ch1-3b

41. 奇跡は時間の必要を減らす学習装置です。 
奇跡の中に含まれている「垂直な知覚から水平な知覚への急激なシフト」が期間(interval)を導入し、それによって(奇跡を)行なう人と(奇跡を)受け取る人の両者が(奇跡が起こらなかった場合と比べて)より進んだ地点へ到達するのです。
奇跡はこのようにして、それ(時間)が占めている一定期間を不必要にすることにより時間を消滅させるユニークな特質を持っています。
奇跡に掛かる時間と奇跡がカバーする(奇跡が消滅させる)時間の間には関係がありません(それらは比例していません)。
奇跡は(奇跡が起こらなかった場合に必要な)何千年にも及ぶ学習時間の代わりになるのです。
「(奇跡を)行う人」と「(奇跡を)受け取る人」の平等と神聖を認識することにより、これ(時間の短縮)が行われるのです。

これは不安定ですが、完全に首尾一貫しているのです。
つまりこれ(奇跡)は定期的に起こるわけではなく、同じ形で起こることは非常に稀ですが、それ自身の中では完全に首尾一貫している(統合されている)のです。
そこには平等性と価値の認識以外のものは何もなく、全ての部分が等しいのです。 これが有効性の必要条件を満たすものなのです。

すでに言ったように、奇跡は時間を無くすのです。
それは時間を崩壊(COLLAPSING)させることにより、これを成し遂げます。
これにより、特定の期間(INTERVALS)が無くなるのです。
しかしこれはより大きな出来事の中で起こることなのです。
だから奇跡の有効性は時間軸上は(論理的ではなく)「予測的(PREDICTIVE)」なのです。
これ(奇跡)は(普通の時間法則から外れている)パターン外の時間枠を設立するのです。 この意味でだけ、そこには無時間性があるのです。
時間を崩壊させることにより、これ(奇跡)は時間を短縮するのです(丁度サマータイム制度のように)。 こうして光の分配を整え直すのです。

奇跡だけが、時間をコントロールする為に人が持っている唯一の装置なのです。
時間を超越できるのは(時間とまったく関係していない)啓示だけです。
奇跡は(体と同様に)学習装置で「それ(体や奇跡)が必要でなくなること」がその目的なのです。
最終的に魂(Soul)が{神と}直接コミュニケーションしている原初の状態に到達したなら、その時もはや体も奇跡も必要ではないのです。

しかし人が体の中に居る間、彼は「奇跡的創造チャネル」と「愛のないチャネル」のどちらかを選ぶことが可能なのです。
人は空の殻を創造することが出来るのですが、しかし全く創造しなくなることは人には出来ません。
人は、待つことが出来、遅らせることが出来、自分を麻痺させること、自分の創造性を殆どゼロにすることも可能です。自分を後退させることも出来ます。
しかし人には自分の創造力を壊滅させることは出来ないのです。
人は自分のコミュニケーション媒体を破壊することは出来ても、自分の可能性(コミュニケーションの素養)を破壊することは出来ないのです。

人は自分の自由意志によって創造されているものではありません。
自分で創造したもの(自分で作った運命)だけを、人は決めることが出来るのです。
{人が自分で自分を創造したわけではないので、人が自分のコミュニケーション能力を自分の意志によって破壊することは不可能なのです。}
奇跡的マインド(奇跡の準備が出来ているマインド)は基本的に、必要以上に時間を掛けようとはしません。

時間を無駄にすることが可能なように、時間が無駄を作ることも在り得ます。
ミラクル・ワーカーは奇跡に備わっている時間操作の機能を喜んで受け入れるのです。
何故なら、それぞれの時間崩壊が、最終的に時間から解放されること(そして父と子が一つに成ること)に人々をまた一歩近づけるのだから。

「同種である”are of one kind”」というフレーズの本当の意味は「共に一つのマインドや意図から来ている」ということなのです。
神の子の共同体(Sonship)と父の意志が一つである時、父と子のパーフェクトな調和(一致)が天国なのです。

追加: 「彼(ビル)があなた(ヘレン)に不動の力を与え続けていることは正しい」とビルに伝えなさい。 あなた(ヘレン)はそれを必要としており、彼はそれ(勇気)をあなたに与える必要があるのです。
あなた(ヘレン)の不安定と彼(ビル)の弱さは、良くないカルマの選択の結果なのです。 そして「今」のあなた達の関係が未来にとって重要なのです。
あなた達両者は、それ(あなた達の関係)をそれ本来の姿に修復するために全ての努力をしなくてはいけません。
あなた達両者は、それぞれが過去に失敗したことを修正しようとしているのです。
このことがすでに、あなたが(あなた達の共同救済の為に)予測していなかった役割を果たす事を可能にしました。そして私はあなた達により多くの子供達の救済も委ねて行くでしょう。
これらのことは偶然に起こったのではありません。
ビルには「彼の準備は、あなた(ヘレン)の非凡な能力の活用結果を分け合うことだけではない」と伝えてください。
(彼の準備が整ったなら彼にも理解出来ますが)彼自身の役割も驚くべきものになるのです。
彼もまたあなたの助けを必要としているのです。 あなたが今彼の助けを必要としているように。

筆記者としてのあなたが彼の助けを必要としている訳ではありません。
何故なら、あなたは自分の努力でこの能力を開発し、やっと私の為にこれを使う気持ちになれたのだから。
あなたに自分の力を貸す事により、彼(ビル)は自分自身を強くしているのです(より確実にしているのです)。
彼が彼自身でこれ{何らかの奇跡}を得始めた時、彼は思いもかけないやり方であなたから助けられることを必要とするでしょう。

しかしこれもまた奇跡の相互作用の一例に過ぎないのです。
現在時点では、平等は均一を意味していません。
全ての人達が全てを持っている状態に成ったなら、その時、神の子の共同体(Sonship)に対する個人的貢献はもはや必要ではなくなります。
アトーンメント(和解/救済/贖い)が完了した時、全ての才能は神の子達全員によって共有されるようになります。
神はえこひいきしません。
全ての子供達は神の全ての愛を与えられ、神の全てのギフトが全ての人達に等しく自由に与えられるのです。

"Except you become as little children" あなた達が幼子のように成らない限り(天国へ入ることは出来ません。)」とは「自分が完全に神に依存していることを十分理解しない限り、あなたには父との関係の中で子が持っている本当の力を理解することは出来ません」という意味なのです。

あなたとビルは現時点で天界のスピードアップの為に必要な特別な才能を持っています。しかしここで言うスピードアップとは時間を超越することに関するものではありません。

時間が消滅して、神の全ての子供達が故郷に帰ったなら、特別なエージェント(使者/仲介者)はもう必要ではなくなります。
しかし現時点で特別なエージェントの力を(それらの力が必要とされていることを)過小評価するのは止めなさい。
私自身も自分がそれ(特別なエージェント)以上の者であるとは主張していません。
正しいマインドを持っている人達は全員常にそれ以上もそれ以下も求めはしないのです。
今私の為の証人に成るよう呼ばれている人達は、全ての人達の為に証言しているのです。私がそうであるように。
巫女(司祭)の役割は啓示を体験し奇跡を働くことだったのです。
まだ啓示を直接体験出来ない人達が、それを正しく体験出来るように整える役目を(巫女や司祭は)負っていたのです。
高められた知覚が、巫女の特質として常に必要だったのです。

(ヘレンのノート。 私もビルも、どの様にしたらセックスの衝動が奇跡の衝動に変換出来るか明確にはわかっていません。)
私が昨日話したファンタジー(これはヘレンとビルの話の内容に言及しているものです)が、あなた達がどのようにスイッチ(シフト)するべきか示す絶好の一例です。

ファンタジー(幻想)とは歪んだ形の思考です。 何故ならファンタジーは常に知覚を捻じ曲げてリアルでないものを作り上げてしまうものだから。
ファンタジーとは堕落したヴィジョンなのです。
ヴィジョンと啓示は密接に関連していますが、ファンタジーと投射はそれよりも強く結びついています。
(ファンタジーと投射は)両方とも間違った内的必要に従って外部のリアリティをコントロールしようとする試みなのです。

「生きよ、そして生きさせよ。"Live and let live"」とはとても意味深い宣言です。
リアリティを少しでも歪めたなら、その時あなたは{リアリティを}破壊的に知覚しているのです。 その場合、横領{神の意志を横取りすること}によってリアリティが失われてしまい、それが虐政(抑圧)を作るのです。
すでに言ってある通り今あなたはアトーンメント・プラン内の以前の(オリジナルな)役割を取り戻している(修復している)のです。
しかし、より広大な修復の為に、あなたは自分の伝承(継承したもの)を捧げるよう自ら選ばなくてはいけません。
地球上に奴隷が一人でも残っている限り、あなたの解放は完了していないのです。
神の子の共同体(Sonship)が完全に修復されることだけが、「奇跡を志向している(求めている)マインド」の本当のゴールなのです。

原則的に、性的ファンタジーとは知覚を歪ませることなのです。
それは誤った関連付けを行いそこから快楽を引き出そうとする試みなのです。
人にこれが可能な理由は、人が創造的であるからに他成りません。
人は間違った関連付けを知覚認識することが出来ますが、それを(自分以外の者にとって)リアルにすることは決して出来ません。

以前にも言った通り、人は自分が創造したものを信じるのです。
人が奇跡を創造したなら、その奇跡に対しても強い信念を(人は)持つものです。
(奇跡を創造した)彼の信心(確信)の強さが、奇跡を受け取っている人の信念を保つのです。

(性的なものを含む)全てのファンタジーは真実ではありません。
(必要/熱望を)完全に満たし切るリアリティの性質が顕わに成れば、ファンタジーは不必要に成ります。
性的衝動が正しくフォーカスされた時、それは奇跡の衝動に成るのです。

人は「苗を作る"procreating the stock"(これに関してWolffはそれ程間違っていませんでした)」適切なパートナーを見つけます。
Robert Perry氏によればhttp://www.circleofa.org/qanda/Sex.phpここでWolffと記載されているのは精神科医で著名なセクソロジストでもあったCharlotte Wolffのことだそうです。訳注)
そして創造的な家の設立を一緒にしようとするのです。
そこにファンタジーが入り込むことはありません。
もし私{イエス/聖霊}がその決断を一緒にするように求めれたなら、そこで行なわれる決断は正しいものなのです。

あなたか相手が(あるいはその両方が)不適切なセックス衝動を感じている時、それ(セックス衝動)は怖れの表現なのだと知りなさい。
(不適切なセックス衝動を感じているその時)あなた達のお互いへの愛はパーフェクトではなかったのです。 だから怖れが表れ出ていたのです。
怖れの力を否定して、すぐ私に向き直り、あなたが怖れを愛で置き換えられるよう私に助けを求めなさい。
これがすぐにセックス衝動を奇跡衝動にシフトし、(あなたの衝動を)私が使えるものにするのです。

それからあなた自身と相手の本当の創造的価値を認めなさい。
これが力をそれが本来あるべき場所に置くのです。
不適切な創造的役割の中に相手を知覚しようとすることにより{相手に不適切な役割(役目)を振り分けることになる}セックスのファンタジーは常に破壊的なのです(欠乏をもたすのです)。
(その場合ファンタジー内に居る)双方の人達が(自分達自身の快楽を満たす為の)「物体」として相手を知覚認識する傾向を持ってしまいます。
(相手に対する)この非人間的視点が、セックスを欠乏/不足の原因にしてしまうのです。

(セックスに対する)フロイドの記述は完全にネガティブなものでした(セックスは不快からの解放を目的としているとフロイドは考えていました)。
フロイドは「イドの衝動からもたらされるストレスは決して完全に無くならない」とも言っています。
フロイドは下記のように言うべきだったのです。
「奇跡衝動からセックス衝動へシフトしてしまえば(それによってレベル・コンフュージョンが導入されてしまうので)、それは不能(不機能)をもたらすのです。 これ(レベル・コンフュージョン/レベルの混同)が本当の解放が不可能な状況を設定してしまいます。」
それから、フロイドは「セックスをリラクセーション(緩和)をもたらす装置として考えていたこと」にも注意してください。 彼はリラクセーションを平和と取り違えていたのです。

不適切なセックスは、それが身体的睡眠を引き出すという意味でだけリラックスさせるものなのです。
それに対して奇跡はエネルギーを与えるのです。
奇跡は常に力を与え、決して力を奪うことがありません。
奇跡は平和をもたらすのです。そして(リラクセーションではなく)平静/静寂を確立することにより、奇跡は「奇跡を与える者」と「奇跡を受け取る者」の両方を恩寵(Grace)状態に導くのです。
これによって彼(神の子)の「奇跡に対して準備が出来ているマインド」が修復されるのです。

テンション(緊張)とは、表現されなかった奇跡衝動が蓄積された結果なのです。
テンションが本当に軽減されるのは、(今までブロックされて来た)奇跡へのドライブ(欲求)が解放された時だけです。
テンション(蓄積されて来た未表現の奇跡衝動)をセクシャル・リビドーに変換しても、より大きなブロックが作られるだけなのです。
そのような幻想を(奇跡のテンションをセクシャル・リビドーへ変換出来るという幻想を)自分の中で育んだり、他者のそれ(幻想)を増強させたりすることは止めなさい。
「物体」は解放されることが在りません。 何故ならそれ(物体というアイディア)は、創造的力を奪われている概念なのだから。
あなたと他者の中にある本当の創造力を認識することが解放をもたらすのです。何故なら、そうすることが平和をもたらすのだから。
理解を所有している「神の平和」があなた達のハートを今にそして永遠に保つのです

Robert Perryによれば)Keneth Wapnick の著作Absence from Felicityには聖母マリアの受胎に関してヘレンが書き留めた文章も存在していたと書かれており、それらはUrtext内には残されていないそうです。
Doug ThompsonA Course In Miracles The Original Dictation(これはUrtextとは少し別です)にその該当部分が見つかりました。
http://www.miraclesinactionpress.com/dthomp74/2009/HTML%20Versions/1%20Notes/1%20Text/T%201+2%20html.htm

下記に該当部分の翻訳を示します。

イエス: 子供の母としてあなたはマリアと共に祝福されています。
中略

見よ主の女中が現れています。 汝の意志に従ってそれが私の上になされますように。(この部分はルカ1:38を引用しているようです。)

イエス: その通り! それは自己中心的エゴイズムです。
私はもう一人の身体的母親を必要とはしていません。
そして彼女(イエスの母マリア)だけが全く愛の欠如を持たずに子供を妊娠した唯一の人だったのです。

I do not need another physical mother, and she was the only one that conceived without any lack of love.


A Course In Miracles The Original DictationChapter1 セクションB 30
(Absence from Felicity, p. 233 訳者はこの本は日本語版しか所有していないので、この部分がこの本の中でどのように記載されているかは未確認です。)

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