Dec 28, 2012

Ch25-04

The Joining Of Minds

マインド達の繋がり


(お互いと繋がっており自分達が繋がっていることを認識している)マインド達が罪悪を感じることは出来ません。
何故ならマインド達には攻撃は出来ず、{自分達が繋がっているという}このハッピーな事実の中に自分達の安全を見ており、その通りであることをマインド達は喜んでいるのだから。

マインド達の喜びは彼等自身が見ている無垢の中に在るのです。

だからマインド達は無垢を求めるのです。

何故なら、無垢を見て喜ぶことが彼等の目的なのだから。

 
人々は皆『「自分達に喜びをもたらすもの」として自分達が定義したもの』を求めています。

変化するのは目標そのものでは在りません。 {「喜びを求めること」を変える必要はありません。}

目標への見方を{どのように目標を見ているかを}変えることにより、『選択されている方法を変えることが不可欠で、目的が変えられない限り変化が絶望的であること』が示されるのです。

すると「喜びをもたらすもの」が、今までとは違うように定義され、今までとは違うように求められるようになり、{目標を求める}方法が今一度選び直されるのです。
だから知覚の基本法則を次のように言い表すことも出来るのです。
 

"You WILL rejoice at what you see BECAUSE you see it TO rejoice."

『あなたは「あなたが見ているもの」を見て喜ぶのです。 何故なら、あなたは喜ぶ為にそれ(あなたが見ているもの)を見たのだから。』 

 
「苦しみと罪が自分に喜びをもたらす」とあなたが考えている限り、あなたが苦しみと罪を見られるように、苦しみと罪がそこに在るのです。{「苦しみと罪が自分に喜びをもたらす」とあなたが考えている限り、あなたは苦しみと罪をそこに見るのです。} 
あなたの望みから離れて有害だったり有用だったりするものは何もありません。

あなたの望みがあなたに対する効果/結果を作っているのです。

{あなたの望みが「あなたが見ているものがあなたに与えている効果」を作っているのです。}

何故なら、あなたはそれら{罪/分離/特別性の望み}を「喜びと嬉しさもたらすもの」と信じて、それら(喜び/嬉しさ)と同じ効果を得る方法としてそれ{あなたが見ていること}を選んでいるのだから。
この法則は天国の中でさえ通用するものなのです。

神の子は彼に{自分に}喜びをもたらす為に創造するのです。 神の子自身が行う創造の中で、父の目的を共有して、神の子自身の喜びと一緒に神の喜びが増すようにするのです。


平和でない世界を作っているあなた達よ、平和が住んでいるもう一つの世界の中で休まりなさい。
全ての疲労した目と、そして罪とその悲しいリフレーン(繰り返し)を見ている疲れた心に、あなたはこの世界(平和なもう一つの世界)を持って行き与えるのです。

彼等の安息はあなたから来るのだから。

彼等が見て喜べる世界が、そして彼等の心がその中で喜んでいる世界が、あなたから立ち上がって来るのだから。

彼等全員に向かって差し伸ばされるヴィジョンがあなたの中に在るのです。

あなたの中に在るこのヴィジョンが彼等を優しさと光で包み込むのです。

そしてこの広がって行く「光の世界」の中で、「彼等がそこに求めた暗闇が」遠く遥かかなたの影に成るまで押し遠ざけられ、太陽がそれらの上に輝きそれらをかき消したなら、それら(彼等がそこに求めた暗闇=特別性)はもう長く思い返されることはないのです。

彼等の全ての邪悪な思考や罪深い願いは、彼等の罪悪の夢や無慈悲な復讐は、そして痛め付け殺そうとする全ての願望は、あなたが持って来る太陽の前に消え去るのです。
 

あなたは神の愛の為に、そしてあなた自身の為に、これをしようとは思いませんか?
これが「あなた」の為に何をするか考えてみなさい。

{あなたが上記をしたなら}今「あなた」を苛んでいる邪悪な思考が「あなた」から段々遠ざかって離れて行くように見えるでしょう。

そしてそれらの邪悪な思考はドンドン遠ざかります。 何故なら、あなたの中の太陽が昇って来ており、その光によってそれらが押し出されているのだから。

それらの邪悪な思考は少しの間だけ居残るでしょう。 認識出来ない程遠くにある歪んだ形として暫くの間見え続け、そして永遠に消え去るでしょう。

 
そして日の光の中に「あなた」は静かに立っていて、「あなた」は無垢で全く怖れていないのです。

そしてあなたから「あなたの残りの部分」が差し伸べられるて(拡張されて)いることが発見されるのです。 だから「あなた」の平和がこぼれ落ちて「あなた」をホームレス(宿無し)にすることはないのです。

 
全ての人達に平和を捧げている者達は、天国の中に(この世界によって破壊されることは在り得ない)住家を発見したのです。

そしてこの住家は、その平和の中に世界を保持出来る程に大きいのです。

「あなた」の中に天国の全てがあり、宙に舞う全ての落ち葉さえもあなたの中で生命を与えられているのです。

今までに囀った全ての小鳥があなたの中でまた唄歌うのです。

今までに花咲いた全ての花はその香りと愛らしさをあなたの為に保存しているのです。


どのような狙い(目標)が彼(神の子)に対して天国を修復しようとする「神と神の子の意志」を邪魔出来るというのでしょうか? 彼(神の子)の為に天国が作られており、天国だけが彼の住家なのです。

それ(天国)の前には何も無く、それ(天国)の後にも何もないのです。

それ以外の場所はなく、それ以外の状態や時間も無いのです。

どのような形でも、天国を越えているものはなく、天国よりも{あなたに}近いものは何も無いのです。

 
「あなた」はこれを「全ての世界」に与えることが出来るのです。

「あなた」はこれを「世界の中に入って来て暫くのあいだ間違えられていた全思考」に与えることが出来るのです。

「暗闇の世界を通り抜けて光へ歩き進みながら天国の光をもたらし行こうとするあなたの意欲によって、あなた自身の間違いが真理の下に持って来られること」よりも良きことがあるでしょうか?

Dec 25, 2012

イエス


今年の夏が過ぎてからでしょうか。

あなたが初めてジーザスの声をきいて涙がでたですとわたしにメールしてくれたのは。



このシーズンになるときまって話題になるのは「サンタクロースって本当にいるの?」。


わたしはそんなことより「ジーザスって本当にいるの?…

そうたずねたいです。

何も知らないこどものように

 

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私がそう言いましたか?

憶えていません。

 

イエスは光りで、人の形もとれるけれど、

人の形はドアで、そこを通って光り(気付き/意識)がやって来ます。

ドアを通ってやって来る者は人の様には見えませんでした。

その者は全ての人なのです。

その者は「その者と対峙している者」と同じなのです。

「イエスとはこんな者だったのだろう」と私が想像していたことは全く役にたちませんでした。

 

あなたの隣人をあなた自身として愛しなさい。

Dec 21, 2012

Ch25-03

The Fundamental Law Of Perception

知覚の基本法則


あなたが罪悪を尊んでいる度合いに応じて、あなたは「攻撃が正当化されている世界」を知覚するのです。

罪悪が無意味だとあなたが認識した度合いに応じて、攻撃が正当化出来ないことをあなたは知覚するのです。

これは{次に書き示す}「ヴィジョンの根源的な法則」に従っているのです。

「あなたはそこにあるとあなたが信じたものを見ます。そしてあなたがそれをそこに求めたので、あなたはそれがそこに在ると信じているのです。」

知覚にはこれ以外の法則は在りません。

その他の法則はこの法則から導かれていて、その他の法則はこの法則を成り立たせサポートする為に存在しているのです。

この法則は『「愛はそれ自身を創造する、そして愛自身以外のものは全く創造しない」というより基本的な神の法則』をこの世界に適応させた知覚の形(知覚形式)なのです。
 
 
神の法は「世界の知覚ルール」に対しては直接当て嵌まりません。{神の法と世界の知覚ルールは同じではありません。}
何故なら、そのような世界{知覚によって認識されている世界}は「知覚が全く無意味なマインド」によっては作れなかったのだから。

それでも神の法はあらゆる場所に反映されているのです。

しかし「この反映{知覚の反映}が現れている場所である世界」がリアルである訳では全くないのです。

神の子がそうだと信じているから、そして神の子の信念から神の子自身を完全に分離することは神には許可出来なかったから、{神の法がこの世界の中のあらゆる場所にも反映されており、この世界がリアルに見ているのです}。
神が神の子と一緒に神の子の狂気の中に入ることは出来ません。

しかし神は(神の子の狂った願いの中で神の子が永遠に失われ続けないよう)「神の子の正気{聖霊}」が神の子と一緒に行くことを確実にしたのです。


知覚は選択に依存していますが、叡智(knowledge)は選択には依存していません。

叡智は一つの法則だけを持っているのです。何故なら、叡智は一つの創造者しか持っていないから。

しかしこの世界を作った者は二人居り、(この世界を作った)彼等は世界を同じものと見てはいないのです。

この世界を作ったそれぞれの者にとってこの世界は異なる目的を持っており、

それぞれの者にとってこの世界は「この世界が知覚されている目的であるゴール」に仕えるためのパーフェクトな方法なのです。

特別性にとって、この世界は特別性を設置する為のパーフェクトな額縁なのです。特別性の戦いを行なうパーフェクトな戦場なのです。特別性がリアルにしようとしている幻想の為のパーフェクトな避難所なのです。

特別性だけが特別性の知覚の中で{この世界を}保持しているのです。 {しかし}本当に正当化出来るものはそこには無いのです。

世界を「作っている者」は他にも居ます。{間違った知覚の世界を修正している者が居ます。}

『神の法の中で「何か」を安定させるリンク(繋がり)無くして「何でも」設立して保持することが出来る』という狂気の信念を瞬時に修正する者が居ます。
神が創造した通りに宇宙を維持している法則の中で働くのではなく、自分で宇宙を作ったと信じている神の子の必要に合わせる形で{法則を使って修正を行なう修正者が居るのです}。

エラーが修正されることがエラーの終わりなのです。

こうして神は「エラーの中に居る神の子」をそれでも守っているのです。


エラーが作ったこの世界の中にはもう一つの目的があります。 何故なら、世界には(世界のゴールと創造者の目的を和解/再統合することが出来る)もう一人の「作り主」がいるのだから。
世界に対する彼(もう一人の作り主=修正者=聖霊)の知覚の中では「赦しが正当化されていること」と「パーフェクトな無罪の光景」しか見られていません。

そこで発生している全てのことは瞬間的で完全な赦しによって出迎えられるのです。

そこでは『「不変に輝き続ける無罪/無垢」を不明瞭にしてしまうもの』は何も残りません。

『無罪/無垢を(無垢が当然存在している)マインド内から押し出してしまって、無垢の代わりに「体」照らそうとしている特別性』の惨めな試みを超えて無罪/無垢は輝き続けるのです。
天国のランプ達{輝ける無垢}は「それ{特別性=分離的思考}が意図した所に、それら{体}を見ることを選ぶ為のもの」ではありません。

それ(特別性)が「それら{無罪}の家から異なった場所」にそれら{無罪}を見ることを選び、「それら{無罪}が存在し得ない場所」をあたかもそれら{無罪}が照らし出しているかのようにしていたなら、そしてあなたが{このような状態に}同意していたなら、「世界を作っている者」があなたのエラーを修正する必要があるのです。 

そうでなければ、あなたはランプが無い暗闇の中に留まってしまいます。


ここに居る人達は全員暗闇の中に入って来たのですが、一人でここに入って来た人は誰も居ません。

そして人がここに一瞬でも留まる必要は全く無いのです。

何故なら、人は自分の中に天国のヘルプ{聖霊}を伴ってここに来ており、何時でも人を暗闇から光の中に導く準備が{聖霊には}出来ているのだから。

人は何時でもこれを選べるのです。何故ならヘルプ{聖霊}はそこに居り、人の選択を待っているのだから。

そして自分に与えられているものを人が選んだ時、「今まで自分の怒りを正当化していると思って来たそれぞれの状況」が「自分の愛に値する出来事」に変わって行くことを見るのです。


「今まで戦いの呼び声として聞いて来たこと」が本当は「平和への呼び声(平和を求めている声)」だったことが明確に自分に聞こえるように成るのです。

今まで自分が攻撃して来た所は「自分が(より多くの幸福と共に)赦しを与えられるもう一つの祭壇」であることを人は知覚するのです。

こうして人は全ての誘惑を「自分に喜びをもたらす新たなチャンス」として解釈し直すのです。

どうして誤知覚が罪で在り得るのでしょうか?{誤知覚は罪では在り得ないのです。}

あなたの兄弟の全ての間違い(エラー)を「あなたに与えられているヘルパー{聖霊}の働きを見るチャンス、あなたが作った世界ではなく彼(ヘルパー/聖霊)が作った世界を見るチャンス」にしなさい。

であれば、
「何が正当化されているのでしょうか?」
「あなたは何を求めていますか?」

これら二つの質問は同じもので、あなたがこれらを同じものとして見た時、あなたの{正しい}選択がなされているのです。
何故なら、これら二つの質問を同じものと見ることが「二つの見方が存在しているという信念からの解放」をもたらすのだから。

この世界はあなたの平和に貢献するものを沢山持っており、あなたが赦しを差し伸べる沢山のチャンスを宿しています。
「平和と赦しが自分達の上に降りて来ることを見たい、そして自分達自身を光に捧げたい、と願っている者達」にとって、世界の目的はかようなものなのです{上記のようなものなのです}。

優しい世界を作る者(聖霊)は、あなたと彼(聖霊)の優しさの間に立ちはだかっているように見えている「暴力と憎しみの世界」を取り消すパーフェクトな力を持っています。

彼(優しい世界を作る者=聖霊)の赦す目の中にはそれは(暴力と憎しみの世界は)存在していません。 だから、それは(暴力と憎しみの世界は)あなたの眼の中にある必要もないのです。


 
罪とは知覚には変えることの出来ない固定された信念{固定観念}なのです。
{罪という信念の中で}一旦断罪されたものは永遠に断罪され続けており、永遠に赦せないのです。 なので、もしそれが{罪として断罪されているそれが}赦せるものなのであれば、罪の知覚が{それを罪として知覚したことが}間違っていたに違い無いのです。

こうして変更が可能になるのです。

聖霊もまた「変更のチャンスを遥かに越えているもの」として物事を見ています。

しかし聖霊のヴィジョンの中に罪が入ってくることは出来ません。 何故なら、罪は聖霊の視力によって修正されたのだから。

従ってそれは{あなたが罪だと思っていたそれは}エラーであって罪ではなかったに違いないのです。 何故なら、「在り得ないと罪が宣言していたこと」が起こったのだから。

罪は懲罰による「攻撃」で、そのようにして「保存」されているのです。

しかしそれを{あなたが罪だと信じてきたそれを}赦すことが、その状態をエラーから真理に変えることなのです。


神の子は決して罪は犯せません。しかし神の子が自分を痛めることを望むことは可能なのです。
そして神の子は自分が痛められることが出来ると考える力を持っています。

これが神の子自身に対する誤知覚以外のもので在り得るでしょうか?
これは罪でしょうか、それとも間違いでしょうか? これは赦せることでしょうか、それとも赦せないことでしょうか? 彼は助けを必要としているでしょうか、それとも断罪を必要としているのでしょうか? どちらなのでしょう?

あなたの目的は彼を救うことでしょうか? それとも彼を断罪することでしょうか?

「あなたが彼をどのような存在として受け取るか」この選択が「あなたの未来」を決めることを忘れないでください。

何故なら、あなたはそれ(あなたの未来)を今(時間の全てがゴールに届く為の方法に成っている瞬間に)選択しているのだから。

だからあなたの選択を行いなさい。

しかしこの選択の中で「あなたが見ている世界の目的」が選ばれており、それ(あなたが見ている世界の目的)が{あなたの見ている世界の中で}正当化されることを認識しなさい。