Jun 6, 2011

あやつり

「今までのNWFFACIM には操りがあった。」
これが私に解った真実です。

ラジの言うことには沢山の気付きがあり、私はそれを尊いものとして受け取り、書き示しました。

しかし今までにポールを通してラジが言ったこと(募金の必要性)の中には、おかしなことが含まれています。 (そして自分に納得出来ない事には、異を唱えるべきなのです。)
「ポールはラジのテキストなどは販売せず、募金によって全てを運営する。」 これは尊いことです。
しかし「募金が少なすぎては安心してラジが聞けない。」 こうラジ/ポールが言い出した時、NWFFACIMの運営は取引に成っているのです。  
催眠的効果があるようにも感じられるラジの言葉の中にこのようなことを混ぜるのは正しいことではありません。

ポールは時々自分の不安をラジの言葉として口に出してしまっています。自己防御をラジに言わせてしまっています。
私はこれを指摘しない訳には行きません。

「ポールを責めないで欲しい。」そうラジは言っているようです。
しかし、それがNWFFACIMであれFFIPであれ、イエスの言葉を自分達の所持品のように扱う人達を責めない訳にはいかないのです。
私は彼等を愛しているのだから。
ここで言われていることが(神とひとつである)イエスの言葉であると思ったから私は翻訳をしたのです。 これがポール個人の意見、これがポールのもの(ポールの発明)だと受け取ったなら、私はこれを翻訳はしませんでした。
だからラジの言葉の代金(報酬)を何らかの形でポールが受け取るのは正しくありません。
ポールへの募金は、どのような見返りも求めないものとしてなされるべきなのです。

これを書くのに一年以上掛かりました。
私はこれに関して聞き続け、自分が言うべきことに対する自信/自覚が育つまで待ったのです。
そして、ここにある「もくろみ」もまた引き抜かれなければいけない、そう理解するに至りました。

このことを簡潔にメールで書いてポールに知らせました。
彼がそれをどのように読んだかは解りません。
しかし彼に通じていることは私にも感じられます。

だから翻訳を再開することにしました。

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