特別な役割/働き
「癒す目」の中に神の恩寵が優しく宿っています。 その目が見ている全てのものが「見ている者」に彼(神の子)を語り知らせるのです。
{赦す目を通して全てを見ている}彼は悪を見ることは出来ず、世界の中で恐れるべきものは彼には存在しておらず、彼自身と異なっている者は誰も居ません。
そして彼が人々を{そして世界の中の全てのものを}愛するに従い、彼は愛と優しさを持って「彼自身」を見るのです。
『「彼の間違い」に関して他者以上に彼自身を断罪すること』もなくなるのです。
{赦しの目を使っている}彼は復讐の決定者ではなく、罪に対する懲罰者でもないのです。
彼の視界の優しさは、それが他者に捧げる全ての親切と共に、彼自身の中に休んでいます。
何故なら、彼は癒やすだけであり、祝福するだけなのだから。
そして彼は神が意図していること(神の意志)と「調和」しているので、彼は「神の恩寵と共に彼が見ている全ての人達」を癒やし祝福する力を持っているのです。
{あなた達の}目は暗闇に慣れてしまっています。すると輝かしい日中の光は「黄昏時に知覚される薄暗い様子に慣れ親しんでいる目」には眩しく痛く見えることでしょう。
だからそれらは(暗闇に慣れ切っている目は)日の光から目を逸らし、日の光が照らし出す明確から{明確なヴィジョンから}目を逸らしてしまうのです。
{暗闇に慣れている目には}薄暗さの方が好ましく思え、暗闇の方が良く認識されるのです。 曖昧なものの方が(完全にクリアで明確なものよりも)見やすく目に優しいのです。
しかし目はそのような為のものではないのです。{スピリチュアルな目は薄暗い不明瞭なものを見る為のものではないのです。}
そして{光りよりも}暗闇を好みながら「自分は見たいと欲している」と主張出来る者は誰なのでしょう?
「見たいという願い」があなたの目の上に神の恩寵を呼び出し、見ることを可能にする「光りのギフト」を持って来るのです。
あなたの兄弟を見ませんか? {あなたの兄弟を見つけてください。}
神は喜んであなたに彼(神の子である兄弟)を見させようとしています。
「あなたの救済者があなたに見逃されてしまうこと」を神は意図しません。
『「神が彼(神の子)に与えた役割/働き」を兄弟が持たないままで居ること』を神は意図していません。
彼(兄弟/神の子)を孤独なまま放っておくのは止めなさい。
何故なら、世界の中で自分達が果すべき役割を見ていない者達は孤独で、自分が必要とされている場所を持っておらず、自分だけがパーフェクトに遂行出来る目的を持っていないのだから。
これが特別性に対する聖霊の優しい知覚/認識なのです。
聖霊は「あなたが作ったもの」を(痛める為に使うのではなく)このように使うのです。
聖霊はそれぞれの人達に対して、救済の中で彼だけが(その人だけが)担うことの出来る特別な役割を与えます。 彼だけの役割(その人特有の役割)を与えるのです。
そして彼が(その人が)自分の特別な働き(役目)を見つけて、彼自身に割り当てられたその役割を果すまで、そうすることによって「不完了が統治している世界」の中で彼自身を完成させるまで、プラン{神の救済プラン}は完成されないのです。
神の法がパーフェクトな形で全てを統治していない「ここ」で、彼は一つのパーフェクトなことを行ない、一つのパーフェクトな選択をすることが出来るのです。
そして『「彼自身ではないと知覚されている他者」に対するこの特別な信心の行為によって、ギフトが彼自身に対して与えられた事』を彼は学び、従って彼等(「自分の役割を果している彼」とそして「彼と関わっている他者」)が一つであることが学ばれるのです。
時間の中で意味を持っている唯一の働きが「赦し」なのです。
それ(赦し)は特別性を罪から救済に変換/翻訳する為に聖霊が使う方法なのです。
赦しは全ての人の為なのです。
そして赦しが全ての上{全ての人の上}に置かれた時、赦しは完成しており、この世界の全ての役割(働き)がそれと共に完成しているのです。
すると時間はもう存在していないのです。
しかし{あなた達が}時間の中に在る限り、するべきことが沢山在るのです。
それぞれの人が自分に割り当てられていることをするべきなのです。何故なら、プラン{神の救済プラン}の全ては、彼が自分の役割を果すことに依存しているのだから。
彼には時間の中の特別な役割が在るのです。何故なら、彼はそのように選んでおり、それを選ぶことにより彼はそれ(自分の役割)を彼自身の為に作ったのだから。
彼の願いは否定はされず、しかし(彼の願いが彼自身と彼の兄弟の為に働けるように)その形が変えられたのです。 このようにして「彼の願い」は、損失の方法(失う方法)ではなく、救いの方法に成ったのです。
救済とは「この世界があなたの故郷ではないと思い出させる知らせ」にしか過ぎないのです。
この世界の法はあなたの上に押し付けられておらず、この世界の価値(価値観)はあなたのものではありません。
「この世界の中にあなたが見ているとあなたが考えているもの」はどれも本当にそこにあるものではないのです。
人々が世界を作る時にそれぞれの役割を果したように、世界の解除に対するそれぞれの役割を人々が担い始めたなら、これが(上記のことが)見られ理解されるのです。
人は(この世界を作る、そしてこの世界を解除する)その両方の方法を持っているのです。 人は常にその両方の方法を持ち続けて来たのです。
「人が自分自身を痛めるために選んだ特別性」を神は「その人の救済の方法」として指定しているのです。 人が特別性を選んだ瞬間に、神がこの選択(特定の人が選んだ特定の特別性を解除することをその人の役割に指定すること)を行ったのです。
その人の特別な罪が、その人の特別な恩寵に作られたのです。
その人の特別な憎しみが、その人の特別な愛に成ったのです。
聖霊がその役目を満たす為には、「あなた」の特別な役割{あなたがあなた特有の役割を満たすこと}が必要とされているのです。
「あなた(自分)はここには特別な価値を持っていない」と考えるのは止めなさい。
あなたはそれ(特別な役割)を求めて居り、それはあなたに与えられています。
あなたが作った全てのものは、簡単にそして素晴らしく、救済の為に働くことが出来るのです。
神の子は「(神の子に反して使うのではなく)神の子の為に聖霊が使うことの出来るもの」しか選択出来ません。
暗闇の中でだけあなたの特別性が攻撃に「見える」のです。
光の中で、あなたはそれ(あなたの特別性)が「全ての攻撃から神の子を救済するプラン」の中の「あなたの特別な役割/働き」であることを見るのです。
そして彼(神の子)が安全であり常に安全で在り続けて来ており、彼が時間と永遠の中に等しく留まることを彼(兄弟姉妹)に理解させるのです。
これがあなた達それぞれに与えられている役割であり、これがあなた達のお互いに対する役目なのです。
であれば、お互いの手からそれ(自分達の役割)を優しく受け取って、あなた達両者の中で救済がパーフェクトに満たされるようにしなさい。
あなたに「全て」が与えられるように、この一つのことをしなさい。
No comments:
Post a Comment