May 7, 2013

セミナー

日にちを大幅に変更いたしました。{5月16日と18日のセミナーは中止しました。}


日時:  

5月19日日曜    午前9時ー午後1時   終了

5月20日月曜    午後7時ー10時    終了   




場所:
喫茶店ルノアール ニュー銀座店 
東京都中央区銀座2-8-15 共同ビル銀座通り2階 (19日は二号会議室、20日は5号会議室)
電話番号03-3567-3655

http://standard.navitime.biz/renoir/Spot.act?dnvSpt=S0107.40


参加費:  成人5千円。 

岡上
Hiro.Okaue@gmail.comn 
080-9676-9828





「私の体験」
「人間関係」

「ACIM が言おうとしていること」

「我々はどのように既に永遠に生きているの? 」

「ハッピー・ドリームって何?」

「Ch28-03(結果と原因を逆転させること)が言おうとしていること。」

「レベルコンフュージョン(レベルの混同)。」




これらに関することは下記のサイトにも加えて行きます。

http://whatisthewillofgod.blogspot.com/

May 6, 2013

Ch29-05

The Changeless Dwelling-Place

 不変の住家

 

「この世界全体が赦されている場所」があなたの中に在るのです。

そこには罪と幻想の記憶がもう居残っていないのです。

あなたの中には「時間が立ち去って永遠のエコーが聞かれている場所」が在るのです。

そこにはとても静かで「(感謝している神である父と子へと昇っている)天国への賛美歌以外の音は聞えていない安息所」が在るのです。

{父と子の}両方が居る所において、彼等は両方{父と子}を憶えているのです。

彼等{父と子}が居る所が天国で、彼等が居る所が平和なのです。

彼等の住家をあなたが変えられると考えるのは止めなさい。

何故なら、彼等{父と子}の中にあなたのアイデンティティが住んでおり、彼等が居る所に「あなた」が永遠に居るに違いないのだから。

 

不変な天国はあなた達の中に在り、それはとても深く内側に在るので、この世界の中のものは全てそこ(天国)を(天国に気付くことなく、天国を見ることもなく)通り過ぎるだけなのです。

「終わり無い平和の静かな無限」があなた達をその柔らかく優しく強く静かな抱擁で「創造者の意志の中」に包んでいるので、「その中に居る聖なる神の子の邪魔を出来るもの」は何もないのです。

『「(神の子に付き添っている、そして目覚めた神の子を見つけて喜んでいる)あなた」に聖霊が与える役割』がここにあるのです。

彼はあなたの一部で、あなたは彼の一部なのです。 何故なら、彼は「彼の父の子」であって、『「あなたが彼の中に見ているどのような目的」にも従うべきでない者』なのだから。


あなたに求められているのは「彼の中に住んでいる不変と永遠を受け取ること」だけなのです。 何故なら「あなた」のアイデンティティがそこに在るのだから。

 

あなたの中の平和は、彼の中で見つけることが出来るのです。

彼に対してあなたが捧げる愛ある考えの全てが「永遠の平和と終わりの無い喜びへ目覚めること」へあなたを近づけるのです。

 

(あなた自身と同様に)この神の聖なる子はあなたに対する父の愛の鏡なのです。

それは神の子を作り上げている父の愛のリマインダー(思い出させる手掛かり)なのです。 それは(父の愛があなたの中に住んでいるように)神の子の中に未だ住んでいる「父の愛」に対するソフトなリマインダー(記憶を取り戻させるキッカケ)なのです。

 

とても静かに成りなさい。 そして神の声を彼の中に聞き、「彼の役割が何なのか」その声があなたに告げられるようにしなさい。

「あなた」が十全/健全に成れるように、彼が創造されたのです。

何故なら、完成されているもの(十全なもの)だけが「(あなたを創造した)神の完成の一部」に成ることが出来るのだから。

「父があなたから求めているギフト」は『あなたが全創造の中に「父からあなたへのギフトの輝く栄光」だけを見ること』なのです。

父の子を見なさい、「父のパーフェクトなギフト」を見なさい。

「父のパーフェクトなギフト{であるあなたと兄弟}」の中で彼の父(あなたと兄弟の父)が永遠に輝いているのです。

「父のパーフェクトなギフト{であるあなたと兄弟}」に対して全創造が彼自身のもの{あなた達自身のもの}として与えられているのです。

 

彼{あなたの兄弟}がそれ(父のギフト)を持っているから、それがあなたに与えられたのです。

そしてそれが彼の中に置かれている場所で「あなた達」の平和が見られているのです。

あなた達を包んでいる静寂が彼の中に住んでおり、そしてこの静寂から「あなた達の手が無垢/無罪の中に繋がれているハッピー・ドリーム(幸福な夢)」がやって来るのです。

 

これらは痛みの夢の中で掴んでいる手ではないのです。

それらの手は剣は握っていないのです。何故なら、それらの手は「世界に対する全ての空虚な幻想」をもう手放しているのだから。

こうして空になった手の中に「兄弟の手(その中に完成/十全が入っているのです)」が握られて受け取られているのだから。


「赦しの先にある栄光のゴール」を知っていたなら、あなたはどのような思考も持ち続けようとはしないでしょう。どれだけ「思考の中の悪のタッチ」が軽く見えていたとしても。

何故なら、{癒やしがもたらすゴールをあなたが知っていたなら}『「祝福する手を操作することが出来るマインド、神の子を神の子の父の家まで案内することが出来るマインド」の中に「神が与えなかったもの」を保とうとするコスト(代償)がどれだけ大きいか』あなたにわかるのだから。

 

「(父によって父の住家として作られている)彼」の友達に成ろうとあなたは求めませんか?

神自身に相応しい{住家}と神が彼を評価しているのに、「あなた」は憎しみの手で彼を攻撃しようとしますか?

誰が「天国そのもの」に対して血塗られた手を上げながら天国の平和を見つけようとするのでしょうか?

あなたの兄弟は彼が{兄弟自身が}死の手を持っていると考えています。

彼(あなたの兄弟)を信じるのは止めなさい。


そうではなく、「(あなた自身の解放を彼に捧げることにより、彼を解放することが出来る)あなた」がどれだけ祝福されているか学びなさい。

 

「彼が(あなたの憎むべき敵ではなく)あなたの救済者に成っている夢」があなたに与えられているのです。

あなたに一つの夢が与えられており、その夢の中では「彼{兄弟姉妹}の全ての死の夢に関してあなた達が彼{精霊}を赦しており、分離した憎しみの邪悪な夢を見るのではなく、あなたは希望の夢を彼{兄弟姉妹}と分け合っている」のです。

この夢を分け与える(わかち合う)ことがどうしてそんなに難しく見えるのでしょうか?

それは聖霊が夢にその役割を与えない限り、夢は憎しみの為に作られており、死に仕え続けるからです。

{聖霊が夢にその役割を与えない限り}夢が表すそれぞれの形は何らかの方法で死を求めているのです。

そして「(それぞれに小さな槍と錆びた剣を持っている)死の主に仕えている者達」は「自分が交わした古代の死ぬ約束」を守る為に「分離されている世界」の中にやって来て死を崇拝しているのです。

 

「夢に対して(これとは)異なる役割を見ている彼{聖霊}」によって使われないようにされている「全ての夢の中の怖れ」の中身はこのようなものなのです。

全ての夢は攻撃と分離の為に作られてはいるのですが、夢が「{聖霊と}分け合われた(共有された)」時、その攻撃と分離の役割(働き)は失われてしまうのです。

しかし「夢の世界の中にあるもの」が「変化の希望と向上」抜きで存在し続けることは決してないのです。 何故なら、不変(永遠)が見つかる場所はここ(夢の世界の中)ではないのだから。

 

私達は「これが本当であること」を喜びましょう。

そして「この世界の中で永遠を探すこと」は止めましょう。

赦す夢は『「あなた自身の外にある世界」を夢見ること』から抜け出る為のものなのです。 そして最終的には「全ての夢から抜け出て永遠の生命の平和へ至る為に」赦す夢が存在しているのです。

May 1, 2013

Ch29-04

Dream Roles

夢の役割

 

あなたは「真理が何らかの幻想に過ぎない」と信じていますか?

{しかし}それらの幻想は真実ではないので、それらは夢なのです。

『それらの幻想が「等しく」真実を欠いていること』が奇跡の基礎に成るのです。

これは『「夢は夢であり、夢からの脱出は(夢に依存しているのではなく)目覚めることだけに依存している」とあなたが理解した』という意味なのです。

「ある種の夢が保たれたまま、他の夢から目覚めること」などが可能でしょうか?

行なうべき選択は「どの夢を保とうとするか」ではなく「あなたが夢の中に住み続けたいか、それとも夢から目覚めたいか」だけなのです。

だから奇跡が「(その恩恵/寛大により)ある種の夢を選んでそのままに保つこと」はありません。

あなたがある種の夢を見続けたまま他の夢から目覚めることは出来ません。

何故なら、あなたは眠っているか、でなければ目覚めているのだから。

そして「夢見ること」はこれらの状態のどちらか一つだけと共に在るものなのだから。

 

「あなたが好んでいるとあなたが考えている夢達」も「その中で怖れが見られている夢達」と同じ位あなたを{目覚めることから}押し留めてしまうのです。

何故なら、全ての夢は(それがどのような形を取っているように見えたとしても)怖れの夢に過ぎないのだから。

 

{夢のなかでは}怖れが、内側に、外側に、そしてその両方に見られているのです。

あるいは怖れが心地良い形(見栄えの良い形)に偽装されているかもしれません。

それでも怖れが夢から無くなることは決してないのです。

何故なら、怖れが夢の材料で、全ての夢は怖れで出来ているのだから。

 

夢の形は変えられるのですが、夢を夢でないものにすることは不可能です。

あなたは怖れを認識していなかったので、奇跡がまだあなたを怖れるままにさせておいたとしたなら、その場合確かに奇跡は裏切に満ちていることになるのです。

{奇跡が目覚めの準備を整えるのですが、もしまだあなたが怖れていたなら}その場合あなたは目覚めようとはしないのです。


一番シンプルな攻撃の形は『「あなたが認識している役割」に従って満たされていない(遂行されていない)と考えられている役割への反応/反発である』と言うことが出来るのです。 {あなたの考えに従って目的が達成されていない時のあなたの反発が攻撃なのです。}

それ{役割}はあなたの中に在るか、あるいは他者の中に在り得るのですが、それが知覚された場所でそれが攻撃されるのです。

夢は怖れで出来ているので、全ての夢のテーマは憂鬱か攻撃なのです。

喜びや快楽の薄い変装が怖れを包んでいるのですが、包まれている中身は「怖れの重い塊」であって、この中身が変装の隙間から垣間見えているのです。

奇跡が知覚するものは、怖れを包んでいる包装紙(変装)ではなく、これ(変装/偽装されている怖れ)なのです。

あなたが怒っている時、それはあなたが誰かに割り当てた役割をその人が満たさなかったからではないですか?

そしてこれがあなたの攻撃を正当化する「理由/理屈」に成ってはいないでしょうか?


自分が好んでいるとあなたが考えている夢は、あなたが与えた役割が満たされている夢なのです。 あなたが好んでいるのは『「あなた」があなたに割り当てた必要が満たされている夢』なのです。

それらの役割が満たされても(あるいは)それらの役割(目的)が求められていただけだとしても、「それら{分離した役割/働き/目的}が存在している」ということから怖れが立ち上って来ているのです。

 

夢は「多く求めているか、少し求めているか」するのではなく、夢は「求められているか、全く求められていない」のです。

それぞれの夢は、あなた達が割り当てた何らかの役割(働き)を表しています。

それぞれの夢は、「(出来事や体や物が象徴するべき、そしてあなたの為にそれらが達成するべき)何らかのゴール」を表しています

それが成功したなら、あなたは自分がその夢を好いていると考えるのです。

それが失敗したなら、あなたは夢が悪いものであると考えるのです。

しかし夢が失敗するか成功するかはその夢の本質ではなく、{夢の本質である分離に掛けられた}薄い衣でしかないのです。

 

 

あなた以外の者が{つまり精霊が}「夢に含まれている全ての人物に「正当な」役割を与えている者」に成ったなら、あなたの夢は何とハッピーに成ることでしょう。

彼(兄弟姉妹)に関するあなたの「アイディア」だけが失敗出来るのです。

そしてこれ以外の裏切りは存在していないのです。

 

聖霊が与える夢の中身は決して怖れではありません。

衣(変装)は変わっていないように見えるかもしれません。

しかし、それらの衣の意味が変わったのです。何故なら、それらは「今までとは別のもの」を包んでいるのだから。

知覚は「知覚に与えられている目的」を表しているように見える(受け取られる)のです、

だから、知覚はその目的{あなたが知覚に与えている目的}によって決まるのです。 

もしこれが(兄弟を助けることが)夢の役割になったなら、「あなたが攻撃していた影のフィギュア(夢の人物)」が「助けるチャンスをあなたに与えている兄弟」に成るのです。こうして悲しみの夢が喜びに変わるのです。


あなたの兄弟は何の為に存在しているのでしょうか?

あなたはそれを知っていません。何故なら、「あなた」の役割はあなたには不明瞭なのだから{あなたはあなたの役割を明確に理解していないのだから}。

この役割を彼が満たせばあなたが幸福に成れるとあなたが想像している「彼の役割」を彼に与え続けるのは止めなさい。

そして「(自分の人生はこのようにあるべきだとあなたが夢見たことの中で)あなたが彼に割り当てた役割」に彼が失敗した時、彼を痛めよう(攻撃しよう)とするのは止めなさ。

 

彼(聖霊)は「彼が持っている全ての夢」の中で助けを求めるのです。

そしてもしあなたが夢の「役割/働き」を彼(聖霊)が知覚しているように見たなら、あなたは彼に与えるべき「助け」を持っているのです。

彼(聖霊)は全ての夢を「彼に与えられている役割を達成する方法」として使うことが出来るのです。

何故なら、彼は夢を愛しているのではなく「夢見ている人」を愛しているので、だからそれぞれの夢が愛への捧げ物に成るのです。

その中心{聖霊が愛への捧げ物に変化させた夢の中心}には神のあなたへの愛が在って、「それ{夢}が持つどのような形」でも愛で照らすのです。