夢の役割
あなたは「真理が何らかの幻想に過ぎない」と信じていますか?
{しかし}それらの幻想は真実ではないので、それらは夢なのです。
『それらの幻想が「等しく」真実を欠いていること』が奇跡の基礎に成るのです。
これは『「夢は夢であり、夢からの脱出は(夢に依存しているのではなく)目覚めることだけに依存している」とあなたが理解した』という意味なのです。
「ある種の夢が保たれたまま、他の夢から目覚めること」などが可能でしょうか?
行なうべき選択は「どの夢を保とうとするか」ではなく「あなたが夢の中に住み続けたいか、それとも夢から目覚めたいか」だけなのです。
だから奇跡が「(その恩恵/寛大により)ある種の夢を選んでそのままに保つこと」はありません。
あなたがある種の夢を見続けたまま他の夢から目覚めることは出来ません。
何故なら、あなたは眠っているか、でなければ目覚めているのだから。
そして「夢見ること」はこれらの状態のどちらか一つだけと共に在るものなのだから。
「あなたが好んでいるとあなたが考えている夢達」も「その中で怖れが見られている夢達」と同じ位あなたを{目覚めることから}押し留めてしまうのです。
何故なら、全ての夢は(それがどのような形を取っているように見えたとしても)怖れの夢に過ぎないのだから。
{夢のなかでは}怖れが、内側に、外側に、そしてその両方に見られているのです。
あるいは怖れが心地良い形(見栄えの良い形)に偽装されているかもしれません。
それでも怖れが夢から無くなることは決してないのです。
何故なら、怖れが夢の材料で、全ての夢は怖れで出来ているのだから。
夢の形は変えられるのですが、夢を夢でないものにすることは不可能です。
あなたは怖れを認識していなかったので、奇跡がまだあなたを怖れるままにさせておいたとしたなら、その場合確かに奇跡は裏切に満ちていることになるのです。
{奇跡が目覚めの準備を整えるのですが、もしまだあなたが怖れていたなら}その場合あなたは目覚めようとはしないのです。
一番シンプルな攻撃の形は『「あなたが認識している役割」に従って満たされていない(遂行されていない)と考えられている役割への反応/反発である』と言うことが出来るのです。 {あなたの考えに従って目的が達成されていない時のあなたの反発が攻撃なのです。}
それ{役割}はあなたの中に在るか、あるいは他者の中に在り得るのですが、それが知覚された場所でそれが攻撃されるのです。
夢は怖れで出来ているので、全ての夢のテーマは憂鬱か攻撃なのです。
喜びや快楽の薄い変装が怖れを包んでいるのですが、包まれている中身は「怖れの重い塊」であって、この中身が変装の隙間から垣間見えているのです。
奇跡が知覚するものは、怖れを包んでいる包装紙(変装)ではなく、これ(変装/偽装されている怖れ)なのです。
あなたが怒っている時、それはあなたが誰かに割り当てた役割をその人が満たさなかったからではないですか?
そしてこれがあなたの攻撃を正当化する「理由/理屈」に成ってはいないでしょうか?
自分が好んでいるとあなたが考えている夢は、あなたが与えた役割が満たされている夢なのです。 あなたが好んでいるのは『「あなた」があなたに割り当てた必要が満たされている夢』なのです。
それらの役割が満たされても(あるいは)それらの役割(目的)が求められていただけだとしても、「それら{分離した役割/働き/目的}が存在している」ということから怖れが立ち上って来ているのです。
夢は「多く求めているか、少し求めているか」するのではなく、夢は「求められているか、全く求められていない」のです。
それぞれの夢は、あなた達が割り当てた何らかの役割(働き)を表しています。
それぞれの夢は、「(出来事や体や物が象徴するべき、そしてあなたの為にそれらが達成するべき)何らかのゴール」を表しています
それが成功したなら、あなたは自分がその夢を好いていると考えるのです。
それが失敗したなら、あなたは夢が悪いものであると考えるのです。
しかし夢が失敗するか成功するかはその夢の本質ではなく、{夢の本質である分離に掛けられた}薄い衣でしかないのです。
あなた以外の者が{つまり精霊が}「夢に含まれている全ての人物に「正当な」役割を与えている者」に成ったなら、あなたの夢は何とハッピーに成ることでしょう。
彼(兄弟姉妹)に関するあなたの「アイディア」だけが失敗出来るのです。
そしてこれ以外の裏切りは存在していないのです。
聖霊が与える夢の中身は決して怖れではありません。
衣(変装)は変わっていないように見えるかもしれません。
しかし、それらの衣の意味が変わったのです。何故なら、それらは「今までとは別のもの」を包んでいるのだから。
知覚は「知覚に与えられている目的」を表しているように見える(受け取られる)のです、
だから、知覚はその目的{あなたが知覚に与えている目的}によって決まるのです。
もしこれが(兄弟を助けることが)夢の役割になったなら、「あなたが攻撃していた影のフィギュア(夢の人物)」が「助けるチャンスをあなたに与えている兄弟」に成るのです。こうして悲しみの夢が喜びに変わるのです。
あなたの兄弟は何の為に存在しているのでしょうか?
あなたはそれを知っていません。何故なら、「あなた」の役割はあなたには不明瞭なのだから{あなたはあなたの役割を明確に理解していないのだから}。
この役割を彼が満たせばあなたが幸福に成れるとあなたが想像している「彼の役割」を彼に与え続けるのは止めなさい。
そして「(自分の人生はこのようにあるべきだとあなたが夢見たことの中で)あなたが彼に割り当てた役割」に彼が失敗した時、彼を痛めよう(攻撃しよう)とするのは止めなさ。
彼(聖霊)は「彼が持っている全ての夢」の中で助けを求めるのです。
そしてもしあなたが夢の「役割/働き」を彼(聖霊)が知覚しているように見たなら、あなたは彼に与えるべき「助け」を持っているのです。
彼(聖霊)は全ての夢を「彼に与えられている役割を達成する方法」として使うことが出来るのです。
何故なら、彼は夢を愛しているのではなく「夢見ている人」を愛しているので、だからそれぞれの夢が愛への捧げ物に成るのです。
その中心{聖霊が愛への捧げ物に変化させた夢の中心}には神のあなたへの愛が在って、「それ{夢}が持つどのような形」でも愛で照らすのです。
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