Jun 11, 2011

Chapter 31-1


The Simplicity of Salvation

救済のシンプリシティ(簡明さ)

 31-1

救済とは何とシンプルなものなのでしょう!

救済が示しているのは「初めから真理でなかったことは今でも真理でなく、そのようなものが今まで真理であったことも決して無かった」ということです。

不可能なこと{神からの分離}は決して起こらなかったのです。 だからそのようなことが影響を与えていることは在り得ないのです。 {救済が示しているのは}これだけなのです。

「これが真理であることを望んでいる人」にとってこれを学ぶことが難しいわけがありません。

これを学びたくないという態度だけが、この簡単なレッスンを難しくしてしまっているのです。

「間違いは真実では在り得ない、そして真実が間違えである筈がない」と見抜くことが難しい筈があるでしょうか?

 

 

あなたはもう「間違いと真実の違いが解らない」などとは言えないのです。

何故なら「どのようにしてそれらを見分けるか、もしそれらを混乱したならどうするべきか」あなたはハッキリ教えられたのだから。

であれば、どうしてあなたはこのようにシンプルなことを学ぼうとしていないのでしょうか?

 

それには理由があります。

それ(あなたがこれを学ぼうとしない理由)と「救済があなたに学ばせようとしているシンプルな事柄」を取り違えないで下さい。

救済はとても明確で当たり前のことを教えているのです。

救済は一つのレッスンからもう一つのレッスンへとあなたを優しく導いて行きます。

 

これは難しいことではないのです。

しかしそれでもあなた達は混乱しています。

それは「全く混乱していること」が学び易く理解し易いとあなた達が信じているからです。

あなた達が自分達に教えたことはとても難しいとても驚異的な学習でした。

それでもあなた達はこれを求め、これを(エゴの学びを)達成したのです。

勤勉にこれを学び、立ち止まってこれが難しすぎるとか複雑すぎると考える暇さえ自分達には与えなかったのです。

 

あなた達が何を学んだか、どれだけ注意深く学んだか、それらのレッスンをどれだけの痛みに耐えて考えられる限りの色々な形で繰り返し続けたか、それを理解したなら、あなた達の学習力を疑うことは出来ないでしょう。

これより偉大な力は世界に存在していません。

{あなた達が作った}世界はこれ(あなた達の学習力、それは誤った方向に使われたのです)により狂気に作られてしまったのです。

そして今も世界はこれ(あなた達の学ぶ力)だけに依存しているのです。

あなた達が自分達に教えたレッスンはとても良く学習され確定されているので、それらは重いカーテンのように吊るされており、それがシンプルで当たり前のことを覆い隠しているのです。

 

自分達にはこれを学ぶことが出来ないなどと言うのは止めなさい。

何故なら、あなた達の学ぶ力は「あなたの意志があなたのものではない/あなたの思考があなたのものではない/あなたは誰か他の人だ」と教えてしまえる位強いのだから

「それらのレッスンが容易であった」などと誰が言えるのでしょうか?

しかし、あなた達はこれ以上のことも学んだのです。

あなた達は学び続けたのです。 どれだけ難しくても一歩づつ文句も言わず、{分離をリアルにしようとして}あなた達に似つかわしい世界が作られるまで。

 

{あなた達が現在住んでいる}世界を構成している全てのレッスンは、{エゴの}学びの第一の達成から立ち昇って来ているのです。 それはとても巨大な学びで、その巨大さの前では聖霊の声は小さくか細く聞えるのです。

 

世界は(神をも忘れさせる、神の子に自分自身を解らなくしてしまい、その中で神自身が神の子を設立した故郷から神の子を追放してしまう程パワフルな)一つの奇妙なレッスンから始まっています。 

 

神の子が有罪であると自分達自身に教えたあなた達は{それ程の学習力を有しているあなた達は}、救済があなた達に教えようとしているシンプルなことが学べないなどと言わないで下さい。

{「神の子は有罪である」これがあなた達を神から遠ざけた第一のレッスンなのです。}

 

学びはあなた達自身が作り自分達に与えた能力です。

それは神の意志を行なう為に作られたのではなく、「神の意志に逆らいたい、そして神の意志から離れた意志の方が神の意志よりもリアルなのだ」という願いを達成する為に作られているのです。

{あなた達の}学びはこれをデモンストレートしようとしており、あなた達はこれが{この概念が}教えようとしていることを学んだのです。

 

さてあなた達の古代の過剰な学習は真理の声の前に揺ぎ無く立ちはだかり、その(真理の声の)レッスンが「真実ではない/難しすぎる/見ることが出来ない/本当のことの反対である」と教えているでしょうか? {そう教えていることでしょう。}

しかしあなた達はこれらの(真理の声の)レッスンを学ぶのです。 何故なら、これだけが世界の中のあなた達の学びの目的であると聖霊は見ているのだから。

{何故なら、聖霊は真理の声のレッスンだけを世界の中に居る(世界の中に居ると思っている)あなた達に学ばせようとするのだから。}

彼(聖霊)の赦しのレッスンは、あなた達のレッスンよりも強靭な力を持っています。 何故なら、それらは「神とあなた自身からあなたのもとに来ているもの」だからです。

 

この小さな声は、とても小さく静かで、無意味な騒音の波に飲まれてしまっていますか?

しかし神は、神の子が神を忘れることは願ってはいません。そして神のために話している声(神に代わって話している声)の中に神の意志があるのです。

どのレッスンをあなたは学ぼうとするのでしょうか?

どちらの結果が神と同様にハッキリしており、全ての疑いや質問を遥かに超えており、確実なのでしょうか?

(奇妙な結果をもたらす、驚異的に難しい)あなた達の卑小な学びが確実でしょうか? それとも(時間が始まり学びが起こって以降)毎日各瞬間あなた達に教えられているシンプルなレッスンが確実なのでしょうか。

 

あなたは二種類のレッスンの内の一つを学ぶのです。

これら二種類のレッスンは、それぞれ別の世界をもたらします。

それぞれの世界は、それぞれの源から来ており、それぞれの源に従うものなのです。

神の子が有罪であるというレッスンの必然的結果が、あなた達が見ている世界なのです。

{現在のあなた達が居る}ここは恐怖と絶望の世界です。 ここには希望も幸福もありません。

ここには安全なプランの成功はありません。

ここで喜びを探し求めても無駄です。

 

しかしこれ以外のことも、あなたの学びから引き出せるのです{もしあなたが別なことを学んだなら}。

あなた達が選んだ役割をどれだけ学び続けて来たにしろ、神の愛を反映しているレッスンの方がより強いのです。

そしてあなた達は神の子が無垢であることを学び、もう一つの世界を見るのです。

 

神の子が無罪であるというレッスンがもたらすものは、その中で全てが希望に燈されており優しい友情に輝いている「怖れのない世界」なのです。

全てはあなたの友達に成ろうとしてあなたを優しく呼んでおり、あなたと繋がろうとしているのです。

そして呼びかけが聞えなかったり、誤解されてしまったり、応えられなかったりすることは決してないのです。 呼びかけられた言語(言葉)で、答えが返されるのです。

 

世界の中の全ての人と全てのものは、この呼びかけをしていたのだとあなた達は理解するのです。

しかしあなた達はそれを正確には聞き取らなかった(知覚しなかった)のです。

そして今あなた達は自分が間違っていたことを理解しました。

呼びかけは形の中に隠れており、その形にあなた達は騙されていたのです。

だからあなた達にはそれが聞えておらず、常にあなたの一部と成りたがっていた友達を失ってしまったのです。

 

「この第二のレッスン(真理の声のレッスン)がもたらす世界」の中で「神の創造の各部分が全体に対して呼び掛けている永遠の優しい声」が聞こえるのです。

(健全/全体に成りたい、そしてあなたにこの呼びかけを聞いてもらいたいという)宇宙的意志を分け合っていない生き物は存在していません。

living thing/生き物 = 存在している全てのもの、と理解することが可能です。 訳注}

 

あなたの答え(応答/反応)が得られなければ、それは(全ての生き物は)死んでしまうのです。 何故なら、あなたがその呼びかけを生命への古代の呼びかけとして聞き、その呼びかけを{あるいは、その生き物を}あなた自身のものとして理解した時に、それ(全ての生き物/世界)は死から救われるのだから。

あなたの中の「キリスト」は、神が神の愛を知っている確実さでもって、神を覚えているのです。

 

しかし神の子が無垢(無罪)な場合にだけ、彼(神)が愛で在り得るのです。 何故なら、もし神が無垢(純真)に創造した神の子が罪悪の奴隷に成れるのなら、神は確かに恐れに違いないから。

神のパーフェクトな子供は、神の創造を覚えています。

しかし罪悪の中で、神の子は自分が本当は何か忘れてしまったのです。

 

神の子が自分の無垢を(彼が彼の無垢を)学んだ時に神の愛が思い出されると同様に、神の子が有罪であるというレッスンからは神への怖れが必ず起こります。

何故なら、憎しみは怖れを生まずにはおれず、怖れを生んだ父(つまり憎しみ)をそれ自身として見ざる得ないのだから。

 

(それぞれの殺人的攻撃の後ろで歌われている、そして死につつある世界を愛が修復するよう懇願している)「死の声として聞えているもの」を超えて響き渡っている呼び声を聞けていないあなた達は何と間違っているのでしょう!

憎しみのそれぞれの形の最果てから、戦争へのそれぞれの呼び掛けの彼方から、誰があなたを呼んでいるのか、あなたはまだ理解していません。

しかし彼(聖霊)があなたに呼び掛けている言語であなたが彼(聖霊)に答えれば、あなたも彼(聖霊)が認識出来るようになります。

あなたが彼(聖霊)に答えた時彼(聖霊)が現れ、あなたは彼(聖霊)の中で神が愛だと知るでしょう。

 

誘惑とは、あなたが学ぶべきことに対して間違った選択をして、欲していない結果を手にしてしまうことなのです。

「これが(神が愛だと知ることが)求められていないマインド状態である」という認識が、{誤った}選択が強化されてしまっている方法であり、(それ故に)他の結果の方が望ましいと見られてしまっているのです。

 

自分が悲劇と決裂と痛みを望んでいると信じているなら、あなたは欺かれているのです。 この呼び掛けを自分の中に聞くのは止めなさい。

そうではなく、「そのような呼び掛けよりも深い所から来ている呼び掛け」を聴きなさい。 それは平和と喜びを現しています。

すると世界の全てがあなたに喜びと平和を与えるでしょう。

あなたが答えを聞いたなら! 見なさい! あなたの得た答えが、あなたの学んだことの証明なのです。

あなたの得た答えの結果が、その時あなたが見ている世界なのです。

 

暫く静かになって、わたし達が学んだ全てのことを忘れましょう。 わたし達が抱いた全ての思考、物事の意味や目的に対する全ての思い込みを忘れましょう。

「世界に対するわたし達自身のアイディア」を思い出すのではないのです。

わたし達は{リアルな世界を}知ってはいません。

「全ての人々に対してわたし達が持っている全てのイメージ」をマインドの中で手放して流し去りましょう。

裁きを知らないように成り、誰かに対してあなたが抱いた悪や善の全思考を忘れてしまいましょう。 さあ今あなたは彼を知ってはいません。

しかしあなたは彼に関して学び、彼を新しく学ぶことが出来るのです。

今(彼に死刑を言い渡した、そして彼と共にあなたに死刑を言い渡した過去をなくして)彼はあなたにとって新しく生まれ変わっており、あなたは彼にとって生まれ変わっているのです。

今彼は自由に生きることが出来、そしてあなたも自由なのです。

何故なら、古代の学びが消え去り、そこには再生のための真理の場所が残されているのだから。

1 comment:

  1. 2012年10月19日に修正を加えました。

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