Aug 24, 2011

9/11 加害者

2001年9月22日
(抜粋、下記の会合ではACIM文を読んではいません。)

Raj:  新しいテレビシリーズが始まったそうですね。「アメリカの新しい戦争」ですか。 これにもう耽溺/中毒/依存してしまった人はどれ位いるでしょうか。

どれだけこの新しいシリーズに関する情報を与えられたにしろ、そこには沢山のプロパガンダも含まれていることに気を付けてください。
あなた達は物事を特定の見方で受け取るように奨励され続けています。

ここでも「(何をどの様に見て考えるか)教えようとすること」が行われ続けているとが認識出来れば、あなたも何を学ぶか自分で選ぶことが出来るでしょう。

ここで(現実に対する定義を)教えることが行われていると気付かなければ、あなたは聞いたことを全て鵜呑みにしてしまうかもしれません。
するとあなたの視点(見方)は否応なくその影響を受けてしまい、自制心を失ってしまいます。 つまり、その時点であなたは意識的でいることが出来なくなくなってしまうのです。

ご存知の通りコースでは「全ての人がいつも教えている」と言っています。
あなた達全員は何時でもお互いに教え続けているのです。

例えば今現在あなた達は、自分達の静けさを通して「この状況では静かにあることが適切だ」とお互いに教え合っています。
もし部屋に居る何人かが話していたなら、彼らは「いまここでは、聞くか話すかしていることが適切だ」と教えていることになります。

この様に「教える事」と「学ぶ事」が常時起こっているのです。
この事実に気付いていなさい、自分の学びたい事と学びたく無い事をあなたが識別出来るように。

何故でしょう? それは自分が学んだことをあなたは世界の中で体現するからです。
(あなたは世界の中で「自分が学んだもの」に成っているのです。)

「兄弟姉妹の為の証言者に成る事」に関して、前の会合で詳しく話しました。
「彼らの中の最上のものを証言する事」が癒しをもたらすのです。

兄弟の最善を証言するには、あなた自身の中で静かに成って(直接あるいはガイドを通して)神に聞き耳を立て、兄弟に関する神の視点を得るのです。 あなた個人の最上の認識に頼って兄弟の最上のイメージ(像)を作るのではなく。

あなたは9月11日の事件以降、静寂の中で自分の兄弟に関する真理をどれだけ神に訊けましたか?

「オサマ・ビンラデンの最上/最善を自分のマインド内で知ること/見ることが出来る」と思い出せていた人は、どれぐらい居るでしょうか?

「あいつを殺せ。」とアメリカのプライドをかけて言い募った人はどれ位居たでしょうか?
彼等がそう言ったのは、彼等が自分達の最上の認識/知覚に依存していたからです。 あるいは自分達で使うことを選んだ最上の認識に依存していたからです。
そして彼等はグループとしてお互いに依存し合います。 それが彼等自身に報復の力とパワーを与えると考えているから。

そしてオサマも彼自身の最善を証言していませんでした。
彼の彼自身(の真実)に対する誤った証言が、「自分の中の最低のものを証言すること」をあなたから引き起こし、オサマ(やアフガンや中東や中東人)に対するテロの力とならない様にしましょう。

次のことだけはシッカリ覚えて置いてください。

あなたが神と繋がって同胞の真理を目撃し、それを同胞に対して証言することが癒し/変容/再生になるのです。

あなたは世の中の(変容をもたらす)善良な力となることが出来ます。
反応(反発)的に成ったり正義を一生懸命に探すことの方がより難しいと気付けばよいのです。

正義を求めていては癒しは得られません。
 解りますか? 正義に成ろうとしていては癒しは得られません。 しかし癒しを求めれば、あなたは何時でも正義を得ることが出来ます。

そしてその正義は「関わり合っている者全員に対する祝福」に成ります。 それは報復には成りません。


(ニュースなどから)あなたに示されている言葉には気を付けなさい。
アメリカの新しい戦争。 「新しい世紀の新しいタイプの戦争。」

しかしこれは戦争ではありません。 それは正しい言葉遣いではありません。
これは戦争(世界規模の戦争)を起こすだけの能力を欠いたヤクザ集団です。
「戦争」と言う言葉が使われているのは、アメリカと他の国々がその注意とエネルギーを近所のヤクザ達に向けるよう即されているからです。

しかし国家ではなく、近所のヤクザと対応することが求められている事だと明確に解ったなら、本当の戦争とは違った対応が必要と解るでしょう。

そう気付けば恐れは減るでしょう。 それなれば(これはしなければならない事であると知っている)世界中のより多くの市民からのサポートが発生するでしょう。
彼らは「戦争と言う言葉を不用意に使えば、必要以上の力を使う事に成りかねない。それは大きな間違いだ。」と知っています。


もし学校の校庭に3-4人の苛めっ子がいて彼等が喧嘩を始めたなら、何が起こるでしょうか?
辺りの大人たちが集まってくるでしょう。
彼等大人達は、三人の苛めっ子が発しているエネルギーには揺るがされず、苛めっ子達の反応(感情)には巻き込まれません。
彼等(大人達)は大人の様相を纏っているので知性を使い、苛めっ子達を拘束するのです。

大人達は学校を燃やしてしまうでしょうか? いいえ。
何故なら大人達には、これは学校の中の少数の子供達で、この子供達には「彼等自身の最善のもの」が感じられておらず、だからこの子供達は「彼等自身の最善のもの」を表現していない方法で振舞っているとクリアに解っているのだから。
そして子供達が「自分達の最善のもの」に対するより良い理解を得られるよう教育を助けることが答えなのだと大人達には解っているのだから。


あなたに知って欲しいことがあります。

(それが人であれ、病気であれ、事故であれ、ハリケーンのような自然であれ、)「問題の原因が何か自分で解っている」とあなたが考えていて、問題をその原因のせいに出来ると考えていたなら、あなたにはその出来事によって傷付いた人々を癒やすことは出来ないのです。

あなたが誰かを(あるいは何かを)問題の原因と考えている限り、その問題によって傷付いている人達を癒やすことは(問題の原因が自分に解っていると考えている)あなたには出来ません。

You cannot claim a victimizer without having a victim.
[あなたは被害者無くして加害者を見つけることは出来ません。]

もしあなたが癒やしを通して「被害者は居ない」とデモンストレートしたければ、「彼の最善以下の在り方」というあなたの定義を彼(加害者として認識されている者)から解除しなければいけません。

あなたが癒やしを通して「犯罪者」を免責したなら(嫌疑を晴らしたなら)、犯罪が消え、犯罪の結果も消えるのです。

例えばビールスがあなたの体に侵入しており、その体が悪化していた場合でも、もし「ビールスが本当は何か」(ビールスの神聖を)明確にあなたが見ることが出来たなら、あるいは(それが神の権限を全く何も表明していないので)ビールスなど存在していないと解ったなら、病が(ビールスが起こしたと思われていた悪化が)消えるのです。

私の言おうとしていることが解りますか?
「テロライザー(恐怖を与えているもの)の効果」を癒やすだけでなく、あなたは「テロライザー」を癒やす必要があるのです。 
あなたは「テロライザー」か「テロライザーの効果」のどちらか一つだけを癒やすことは出来ません。

だからあなたは被害者の最善(最上の状態)を願いながら、被害者に対する全責任を負っている者として加害者をとらえ続けることは出来ないのです。

誰かが事故に遇って鞭打ち症(その他の怪我)になった場合、「正義を得るために」(積極的に)法廷に訴えた人は(そうしなかった場合より)癒やし(治り)が遅いのです。 何故なら彼等は法廷や弁護士などの為に何回も「自分が被害を受けた、怪我の仔細はこうだった、この怪我は不当なものだった」と言ってリハース(事故を再現)し続けなければ成らないから。

すると彼等の(事故に遇って法廷に訴えている人の)癒やしは遅くなるのです。
もしかしたら彼等には完全な癒しが得られないかも知れません。何故なら彼等は加害者を有罪と考え続ける必要があり、加害者を有罪にし続ける為に彼等は「加害者によって自分達に行われたことの効果」を示し続ける必要があるから。
私の言いたいことが解りますか?

だからもしあなたが(怪我などからの)癒やしを求めているなら、(それが外的加害者でも、あるいはビールスという内的加害者でも、あるいは憎しみと怖れの実行という内的マインドの加害者でも)あなたは全てをクリアしなくてはいけないのです。

あなたは全てに無垢を見なくてはいけないのです。
あなたは「全てのもの/こと」の中の「リアルなもの/こと」を認識する為にここに居るのです。 全ての者と物と事の「リアル」を認識する為にあなた達はここに居るのです。

愛とは、全てのものの中のリアルなもの(全てのことの中のリアルなこと)に対する認識なのです。 そしてあなたには「誰が(何が)あなたの愛に値するか決める権利」は無いのです。

するとあなたは「この状況下ではそれは難しすぎます。」と言ってしまうかも知れません。
しかし良いですか?
オサマもそれと同じことを言うことでしょう。 何故ならオサマも何の理由も無く事を起こした訳ではないのだから。 彼は怒っていたのです。
「その怒りが正当なものであったかどうか」というような仔細に私は立ち入りません。
彼が自分の怒りと向き合ったそのやり方(自分の怒りに対する彼の対処)は不適切だったのです。 

しかし「何かしなくてはならない」ということは彼にはクリアに見えていたのです。 丁度あなた達に「テロリズムに関して何らかの対応をしなくてはならない」とクリアに見えているように。{そしてあなた達にも怒りの対処を間違えてしまう可能性はあるのです。}
私の言おうとしていることが解りますか?

だから自分達の方が彼よりもとても優れていると考えてしまう前に注意しなさい。
彼の怒りには全く正当な根拠が無かったと決め付けてしまうことが無いように気をつけなさい。{訳注: ここでは「彼の行動の正当性」に関しては何も言っていません。}

彼の理由は間違っていたかもしれません、しかしあなた達全員が間違った考えを体験したことがあります。自分で正当化出来た、それを全く正当なものとして見ることが出来た「間違った考え」を持った経験があなたにもあるでしょう。

物事に対して建設的に対処するか破壊的に対処するか、その選択はあなたのものです。

しかしもしあなたが物事に対して破壊的に対処することを選んだなら、あなたは自分の選んだその選択に対する修正の要求と直面することになります。
だからここには修正の必要が在るのです。

しかしここでどの様な修正がなされるか(あなたが正しい修正をもたらせるかどうか)、それはあなたが加害者に対するあなたの知覚認識を神から集めているか、それともあなたのエゴから集めているか、に掛かっているのです。

もしあなたのエゴの視点を選んだなら、あなたは間違った選択をしており、そこでまた修正が必要になります。
もし修正が行われる前に、自分の間違った選択をもとにあなたが行動し出していたなら、あなたは闘争/軋轢/衝突を得るでしょう。


さて話の論点を一旦戻しましょう。

あなたが自分の兄弟姉妹全員の為の証言者に成ることを選び、自分の感情的反応を手放して自分の平和の中に入って行き(父の意志を反映している)自分のガイドと繋がることにより、神の視点から証言することを選んだなら、その時あなたは自分の責任/役目を果たしているだけではなく、それ(神の視点から兄弟の為に証言すること)には癒やす力があるのです。

何故なら、その時あなたは「世界の中でリアルな意味を持っているもの」を体現しているのだから。
何故なら、その「意味」は父のもとから集められており、あなたは自分の兄弟の為に証言しているのだから。

これは(あなたの兄弟の為に証言することは)「この自分の最善のものを表現していなかった兄弟を捕まえること」を意味するかもしれません。 これは彼が刑務所に入ることを意味しているかもしれません。

これは彼が急に自分のマインドを変容させることは意味していないかもしれません。これは彼が自分の正当なストレス(彼にとっては正当に感じられているストレス/不満)を破壊的行動に反映させ続けることを阻止することに成るかもしれません(成ることでしょう)。そして学習の機会が与えられ彼のマインドの変容が可能になるかもしれません。

「彼の中の最善のものを証言するあなたの意欲」の結果がどのような事として現れるか想定することはあなたの役目ではありません。
しかし(これをすることにより)脅威は絶対取り除かれるのです。

だからあなた達は変化をもたらす力を持っているのです。
これは個人的力(パーソナル・パワー)ではありません。
これは反映されている力(神を反射している力)なのです。

あなたのエゴは個人的力をあなたが持っていると考えています。エゴはあなたに「あなたは個人的力を持っている」と言い、そのように主張することでエゴはあなたを被害者にしており、あなたを怖れさせているのです。
「神とは別の権威を、あなたという存在の源から離れた権威を、あなた自身が持っている」と示唆することによりエゴはあなたを怖れさせているのです。

このエゴの言い立てをあなたが信じたなら、あなたは神から独立して行動しようとし始めます。
すると突然(そして神から独立していようと考えている限り永遠に)あなたは何らかの怖れの中に入ってしまうのです。

そして継続する何らかの怖れ(例えそれがどのようなレベルであろうとも)の中で生き続けることがテロリズムなのです。

あなたは反映(反射)することにより変える力を持っているのです。
つまりあなたが自分の中に留まることを選択して、とても酷い出来事の真っ只中であなたの平和を見つけ、神の視点を体験しそれを感じる以上に重要なことを全く何も持たなくなったなら、神の視点に対するあなたの意識体験が体現されるのです。

それはあなたが個人的に持っている力によって行なわれるのではなく、「そこに存在する唯一の力」を自分のマインドの中に在る唯一の力にすることをあなたが許可したからです。

あなたがこれを自分の奥深くに受け入れた場合、そしてもしあなたの役割がオサマ・ビン・ラデン(ある程度の感情をあなた達は彼に対して抱いていますね)に対してこれを行なうことであったなら、(あなたが彼の為に働いている/その無垢を証言しようとしている)この嫌なヤツはあなたが考えていた程嫌なヤツではないと解るのです。 あなたが考えていたよりはもっと簡単に(その行動ではなく人物を)容認することが出来ると解るのです。

すると最低限でも、あなたのボスや配偶者や子供など(オサマ程でなくともあなたに困難をもたらしている誰か)に対するあなたの視点(考え)が向上するのです。 

神を(神に)聞こうとあなたが選択して、神の視点の流入を体験している時、あなたは世界の変革を体現/実現しているエージェント(仲介者)に成っているだけではなく、 あなたは平和を体験するという祝福を得ており、と同時に世界は「あなた個人には不可能な何か」により祝福されているのです。 自分を通してこれが実現されることを許可することがあなたに可能なのです。

あなたがテレビを見ていて、そこでプロパガンダ(扇動)や悲しみなどが分け与えられているのを見たなら、あなた自身も反応的/感情的に成り、気分良くは感じないでしょう。

しかしそれだけでなく(そのようにだらしなく情報や感情を受け取り続けた場合)あなたは変革のエージェント(仲介者)として働けなく成っているのです。

そしてもしあなたが感情的反応を起こしていない場合、あなたは「私は悲しんでいない。私は人々に対して無感覚で無慈悲なのかもしれない。私は非人間的なのだろうか。」と考えてしまうかもしれません。 

あなたが他の人達と共に苦しみ嘆くことが「人間的」の意味することならば、その場合(そうあなたが考え振舞っていた場合)あなたは変化のエージェントには成れません。 その場合それを(状況を)変えることが出来ず、苦しみが続いてしまいます。
これが良いことでしょうか?

誰かが「このようなことが起こっているのに平和を感じているなんて、あなたはおかしいのではないですか? あなたは現状を本当に理解しているのですか? あなたはちゃんと生きていますか? あなたは何が起こっているか解っているのですか? 今起こっていることはあなたにとって何も意味が無いのですか?」などと言うかもしれません。

『ハイ、私はそれを知っています。しかし私は私の中の一番落ち着いている(グラウンディングしている)場所からそれを知ろう(それに気付こう)としているのです。 そこで私は憤慨しておらず、だから自分の感情から反応してしまってクリアに知的に考えられなくなってはおらず、する必要があることが解らなくなってしまってはいないのです。 私は感情的に怒り出してはいないので、私自身が「するべきことがなされている場所」に成ることが可能なのです。私は私自身が「自分がしていることが違いをもたらせる場所、そして私が違いをもたらさないことはしていない場所」に成ることを選択しているのです。』 

以前から言っていることですが、下記のアドバイスに従ってください。

あなたは、ニュースを見終わった後20分以内に自分の中から憂鬱/ストレスを追い出せるようにしておくべきです。 そう出来なかったなら、あなたはニュースを見過ぎたのです。 

もしニュースを三分見た後に、自分の平安を取り戻すために20分掛かる程のストレス/感情的反応が溜まっているなら、そこでテレビを消しなさい。もし一時間テレビを見た後でも20分以内に自分の平和(落ち着き)が取り戻せるなら、一時間テレビを見てもいいでしょう。

しかし「あなたを圧倒してしまうもの」をあなた自身に見せ続けるのは絶対、絶対、絶対やめなさい。
何故ならあなたが圧倒されている時、あなたは自分の平和から出てしまっており、あなたは変化のエージェント(仲介者)になる能力を失っているのです。 そして変化のエージョント(より良い変革を仲介出来る人)こそ、人々が本当に求めているものなのです。

新しい言葉の意味を考慮してみてください。
それは愛国心(Patriotism)です。
愛国心とはグループや国家が持っているプライドです。
これをグローバルな世界的愛国心(愛世界心?)に拡張しましょう。

愛国者は何をするでしょうか? 彼等は集まって一緒に立つ(団結する)のです。
自分達の一体感を意識的に感じながら一緒に立ち上がるのです。
問題は国家に対する忠義(愛国心)が掻きたてられている時、それは自分達の団結を他の国(他者)に対抗して立ち上げていることになるのです。

しかし今求められているのは、世界中の一体感(団結)が世界中の人達への愛として意識的に感ぜられることなのです。
そしてこの一体化(一体感)が世界にもたらされ、あるいは不健康な場所に健康を育成するものが体現されるのです。何故ならその一体性(一体感)の中で、愛がその行為を動議付けているのだから。

愛とは、全ての中に「リアルなもの」を認識しようとする意欲なのです。
全てです! 全てとは全体です。 それがワンネス(一体性)です。
そして国家がそれ自身にプライド(誇り)を持っている時、国家はそれを(国家が誇りにしているものを)国民の中に育てようとするのです。

9月11日の出来事は(アメリカへの攻撃ではなく)平和への攻撃だったので、世界中がこれを感じました。 これは世界中が感じとった攻撃だったのです。 これがその要点(ポイント)だったのです。 だからあなた達は統一(unification)が起こったことを見たのです。

確かに取引や政治的側面がここには存在しています。それでも今、より大きな統一(合一)のフィーリングが世界中に広がっています。 そしてあなた達全員は世界統一(World Unity)を怖れ続けるのを止めるべきなのです。

世界統一に対する怖れが存在しています。
国家的プライドが、国家の独立独尊が失われることに対する怖れが存在しています。
この怖れは消えるべきなのです。
地球上の全ての人達は神の見える様子触れる様子(神の可視性/可触性)なので、そのような怖れは消え去るべきなのです。
だから全ての人達全員が一緒にファミリー(家族)なのであって、誰かがその外に出られるのは、その人(達)の誤った想像の中でだけなのです。

合一(一体性)の中で団結することを怖れないで下さい。
これは何かに対抗して団結するのではなく、ファミリーから分離し続けようとしている人達に向かって親密な招待状を送ることなのです。 家族という故郷の中に帰ってくるように要請することなのです。

興味深いことに、あなた達がまだ誰も目覚めていないのは、あなた達がプライドのために自分達をお互いから分離しているからなのです。 (何らかの理由で)想像上の権威を体験し続ける興奮がまだ手放せないでいるのです。

そして目覚めているわたし達は誰も(眠っている)あなた達の上に爆弾など落としてはいないのです。 あなた達を小さな洞穴から駆り立てようともしていません。

わたし達はあなた達を招待しているのです。あなた達が自分達を新しい見方で見えるように助けることによって(あなた達を招待しているのです)。
あなたがあなた自身を「本当のあなた」として見えるように助け、「本当のあなた/あなたであるもの」に対するこのよりクリアな視界があなたにとって安全だと理解出来るように、あなたの自治を放棄することは危険ではないと理解出来るようあなた達を助けているのです。

このプロセスの中であなたの個人性(individuality)が失われてしまうことはないので、これは危険ではないのです。
そして、あなたとして現れている「神の表現の特定のユニークネス(個性)」は全体にとって絶対的に必要なものなのです。
それ(あなた達の個人性)が消滅することは「神であるもの」が減ることを意味しており、そのようなことは不可能なのです。
だからあなた達は故郷に帰って、あなたの正しいマインドに返って、合一(ユニティー)を体験するよう招待されているのです。

あなた達の中には先週とても愚かなことをしていた人達が居ます。それでもあなた達は、私の招待と激励と愛に値するのです。


いいですか。 オサマも誰かの息子なのです。
このことを忘れてしまいたい人達もいますね。
「彼のことをあまり人間として考えるのは止そう。彼のことを「我々と同じ」と考えるのは止そう。」 (と言うわけです。)

しかし彼もまた誰かの息子であって、存在するに値する者なのです。彼もあなたのケアー(気遣い/心配)に値するのです。 そして(彼が)物事をより良く見えるように、そしてより上手く働く振舞いが出来るように、(あなたも彼も)限りなく激励される必要があるのです。

もしあなたがそれらのこと(愛の表現)に値するのならば、必然的に彼もまたそれらのことに値するのです。 (もしあなたが彼はそれには値しないと考えたなら、その時あなたは自分もそれには値しないと考えているのです。)

だからあなたが故郷(正しいマインド)に帰って行って神に譲って「私の意志ではなく、あなた(神)の意志が為されますように。」と言ったなら、あなたは自分が行なわなかった(しかし自分では行なったと思っていた)全てのことを見て、それをより広大な視野から眺めるのです。

その時それら(自分が行なったとあなたが考えていた行為)が消えて行くか、あるいは(あなたはあなた自身だけで全てを行なっていると考えていたのですが)「そこに現れている神である愛の聖油」をあなたは見るでしょう。 そして(実際に)行なわれたことは依然としてそのままで尊ばれて(感謝されて)いるのです。


さて、ここで私はとても過激なことを言いましょう。

もし十分な数の人々が変化のエージェント(仲介者)に成る意欲を持っていたなら、つまり(あなた達が持つように仕向けられた)全ての感情を喜んで手放そうと思えたなら(9-11に起こったことだけではなく、それ以降に行なわれたプロパガンダ全てによって引き出されている感情を手放そうという気持ちに成れたなら)、そして神の視点に聞き耳を立てたなら、あなた(達)はツインタワーがそこに在ることを見つけるでしょう。

それ(ツインタワー)がダメージを受けずに完全に存在しており、そこで亡くなった筈の全ての人達が彼等の持ち場(ポスト)に居ることを見るでしょう。

そして9月11日以降に全ての人々が感じていた悲しみが消えるでしょう。この出来事が起こったという記憶は残ったとしても。


クリア(明晰)な思考の力には限界がありません。
そしてクリアでない思考には全く力がありません。
だからクリアでない思考は何も変化させません。

「父よ、私の視点ではなく汝の視点がなされますように。 あなたの視点を私に見せてください。」とあなたが言えたことの結果として、そしてそう言う為にはあなたが感じた全てのことからオサマを解放しなければならず、神がオサマを見ている方法であなたもオサマを見たいと思えるように成らなければいけないと知ることにより、どれ位ラジカルな変化が起こり得るか、私はあなた達に教えているのです。

勇気を持ってラジカル(過激)に成ってください。 何故なら癒やしはラジカルなものだから。 目覚めはラジカルなのだから。
だから(自分達にとってこれはラジカル過ぎると考えて)あなたはそれ(癒やし)が起こることをまだ許可していないのです。少なくともそれが一度に全て起こることをあなたは許可していないのです。

いずれにしろ、あなた達の「パワー」に関して明確に理解して欲しいのです。
下記のように言うことにより、あなた達自身が癒やしのパワーに成れることに気付いて欲しいのです。

「父よ私の視点ではなく、父よ私の反応ではなく、父よ私の意志ではなく、あなたの意志がなされています。 それを私に体験させてください。私は自分の反応の全てを脇に退けましょう。

私は、これら全てに関して非常にもっともなこととして正当化出来る自分の痛みや悲しみや怒りを脇に退けましょう。 何故ならこれらが何も癒やさないことを私は知っているから。 そしてこれらの感情を使うことで私自身が苦しんでいることを知っているから。

(一人の人物の彼自身に対する貧しい自己評価がもたらしたネガティブで破壊的な結果から全ての人を解放する)真理を私は知りたいのです。
そして父よ、(どの様な予断も加えることなく)あなたが彼を見ている方法で私も彼を見たいのです。

私は、オサマ・ビン・ラデンのプライベートでパーソナルなフィーリング(個人的感情)に関して私自身が個人的感情を持つ権利を放棄したいです。 何故なら個人的感情に基づいた行動は闘争と葛藤しか生まないから。

私が闘争や葛藤を感じている限り、私は惨めなのです。 しかし私はもう惨めさは選びたくありません。 そして闘争や葛藤を選んでいる限り、私は自分が変化のエージェント(仲介者)には成れないことを知っています。
私は正義(という概念)の範囲に留まる(幽閉され続ける)ことは拒否します。何故なら私は癒やしを求めているのだから。」

そしてもし(上記のことをあなたが言って求めた結果として)ツイン・タワーが明日再び現れなかったとしても、これをやめてはいけません。
あなたの役割を体現し続けなさい。 何故ならあなたの役割が変容をもたらすのだから。

そして(直ぐに結果が感じ取れなくとも}あなたの役割を体現し続けることが、あなたの仕事なのです。 そして直ぐに結果が表れなかったとしても、あなたが自分の役割を果たしていないとは限らないのです。

あなたは自身の聖なる役割を満たしているのです。
あなたの聖なる役割とは何でしょうか?

それは、あなたが見ている全ての所で神を要求し神を探し神を見つけることにより神の栄光を称えることです。

 

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