Jul 6, 2013

Ch02-02

The Reinterpretation of Defenses

防御に対する新しい理解

 

あなたが何かを怖れている時、あなたは『「自分が怖れている何か」が自分を痛める力を持っている』と認めているのです。

 
覚えていてください。『あなたのハートがあるところにあなたの宝があるのです。』

これは「あなたが尊んでいるもの(あなたが価値を見出しているもの)をあなたは信じている」という意味なのです。

もしあなたが怖れているのなら、あなたは間違った価値を与えている(間違った評価を与えている)のです。

 

人の理解はどうしても避けようなく「間違った価値判断」をしてしまうのです。

そしてあらゆる人間的思考に等しく力を与えてしまうことにより、平和を壊してしまうのです。

 

だから聖書には「{人の}理解を超えた神の平和」と書かれているのです。

この平和は、どのような人の間違いによっても揺るがされることがなく、『「神から来ていないもの」があなたに何らかの影響を与える可能性』を否定しているのです。

 

これが否定/否認(Denaial)の正しい使い方なのです。

これ(正しい否定)は、何かを隠すために使われるのではなく、エラーを修正する為に使われるのです。

これが全てのエラー(間違い)を光の下に持って来るのです。

そしてエラーと暗闇は同じものなので、これが{光である神の平和が}自動的にエラーを消滅させるのです。

真の否定はとても強力な防御装置なのです。

 

あなたは「エラーがあなたを痛めることが出来る」という{間違った}信念を否定するべきなのです。

この種の否定は、隠蔽装置ではなく、修正装置なのです。

「正しいマインド」の精神衛生はこれ(真の否定がもたらす神の平和)に依存しているのです。

 

あなたは私が求めたことを何でもすることが出来ます。

私はあなたに奇跡を行なうことを求め、「奇跡は修正/癒やしをもたらすナチュラルで普遍的なことである」と明確に示しました。

奇跡に出来ない良きことは全く何もありません。しかし疑いのスピリット(疑いの心)の中で奇跡は行なえないのです。

 

あなたの質問を発する前に、私自身の{下記の}質問を憶えていなさい。

 

『オオ、小さい信心しかまだ持っていない者よ、何故あなたは疑うのか?』 

(聖書の中で水の上のキリストが弟子達と話している箇所からの引用)

 

何故あなたが私の言葉を本当に体現(統合)出来ていないのか、あなたはあなた自身に訊ねました。

(サクラメントとカンニバリズムを関連させてしまうことは、分け与えることに関する歪んだ考えの反映なのです。{ここではキリストの体や血としてパンを食べ葡萄酒を飲む儀式に言及しています。訳註} 以前も私はあなたに、聖書の中で「渇き」という言葉がスピリット/霊に対して使われているのは私が話しかけていた人達の理解がある程度限られていたからだ、と言いました。そして私はあなたにそれを使うこと{スピリットに対して渇きという言葉を使うこと}は止めなさいと言いました。 「feeding on:食べる」という言葉に関しても同じです。)

 

共生{魂があなた達と共に在ること}は精神異常の人達によって誤解されており、彼等は誤解したやり方でそれを使っているのです。

私は「あなたは自分が神に完全に依存していることを認識する必要がある」とも言いましたが、あなたはそれが嫌いでした。

神と神が作った魂達(Souls)は、共生的に関係しているのです。

神と魂は完全に相互依存しているのです。

魂の創造{神が魂を創造したこと}はパーフェクトに達成されていますが、魂による創造{魂が創造を行うこと}はまだパーフェクトに達成されていません。

 

神自身が魂達に依存出来るように、神は魂達をパーフェクトに創造したのです。

魂達が揺るがされず、魂達が騙されないように、神は魂達に対して平和を与えたのです。

あなたが怖れている時、あなたは必ず騙されているのです。 

{あなたが怖れている時、}あなたのマインドはあなたの魂に仕えていないのです。

{あなたのマインドがあなたの魂に仕えていない}この状態では、霊の日々の糧を否定することにより、あなたは魂を飢えさせているのです。

{ACIMの後のバーションでは、魂達(Souls)という言葉は使われなく成ります。}

 

 

昨日の夜にあなたが思い付いた{思い出した}聖なる家族に関する詩を思い出してください。

 

"Where tricks of words are never said, and mercy is as plain as bread."

“言葉のトリックが決して言われておらず、そして恩寵がパンのように簡明なところ。”

 

この言葉がこれ程強い印象をあなたに与えたのは、この言葉の意味をあなたが知っていたからです。

神は恩寵だけを与えているのです。

だからあなたの自身の言葉も常に恩寵(慈悲)だけを反映するべきです。

何故なら、あなたが受け取っているものは恩寵(慈悲)であって、あなたが与えるべきものも恩寵(慈悲)なのだから。

 

正義(Justice)は{恩寵が受け取られるまでの}一時的な便宜なのです。

あるいは正義とは恩寵/慈悲の意味を人に教える試みなのです。

正義の中に裁きの要素が出て来てしまう唯一の理由は、(もし人のマインドが不正義を作ってしまった場合)人は不正義を行なう可能性(能力)を持っているからなのです。

 

あなたはあなた自身の意志を(神が自身と同じに作った創造に対する)誤創造の為に使ったので、だからあなたは神を怖れているのです。

 

「マインドが自由でない時にのみ、マインドが誤創造を行うことが出来る。」

このことをあなたはまだ理解していないのです。

囚われているマインドは基本的に自由ではないのです。

それ(囚われているマインド)は憑依されているか、あるいはそれ自身によって押し留められているのです。

だからその意志は限定されており、従ってそれ自身を主張する自由が無いのです。

 

 

このことに関してあなたのマインド上に現れた(その時点では比較的自由であった)三つのことがあります。

 

1. 過去を振り返ることは悪いことではありません。どのようなことであれ、あなたが苦しんだことは「あなた自身のエラー」故であったと思い出している限り。

 

2. 「焼かれた後、もし彼をもう一度見たとしても私は絶対に彼を認識しないでしょう。」とあなたが書いたことに関して。

(ここであなたは最初「彼を認識するでしょう」と書いており、後日「彼を認識しないでしょう」と書き直していることに注目してください。)

これは、その時あなたに内在している修正装置が正しく働いていたから{「彼を認識するでしょう」と書いた}です。

{その時あなたの中の修正装置が働いていた}その結果として、あなたは「私を否定していない」のです。

 

3.ヒンダのストーリーに関して。これは誤知覚が人に対して全く不必要な怖れを引き出した良い一例です。

(このストーリーはヘレンが階段の下で腕を広げて親しみを表現していた時、階段の上から転げ落ちてしまった幼い子供に関することです。 この出来事の後何年もヘレンを見る度にヒンダは泣いていました。)

彼女を躓かせた原因はあなたとは無関係でした。丁度あなたの躓きが私と全く関係無かったように。

 

エラーの否定は、真理を守るとてもパワフルな防御なのです。

私達は少しづつ話の焦点を否定のネガティブな使用からポジティブな使用にシフトして来ました。

思い出してください。私達が既に述べているように、否定は完全にネガティブなだけの機能ではなく、否定がポジティブな誤創造を作り出すことも可能なのです。

そして精神障害の人達はそれ{否定のネガティブな誤創造}を使っているのです。

 

「否定の力を決して甘く見てはいけない」というあなた自身がかなり前に考えていたことを思い出してください。

「正しいマインド」に従っているなら、エラーに対する否定がマインドを自由にして、意志の自由を再確立するのです。

意志が本当に自由である時、その意志が誤創造することは不可能です。

何故なら、本当に自由である意志は真理だけを認識しているのだから。

投射は(正しく使用された否定ではなく)間違った否定から発生しているのです。

アトーンメント(贖罪/和解)の中の私自身の役割は「正しい投射{Urtextの後の部分では拡張と呼ばれるように成ります:訳注}」を行うことなのです。私は真実の認証をあなた達に対して投射することが出来るのです。

あなたが私に対して(あるいはあなた自身に対して)間違いを投射した場合、あなたはこのプロセス{私があなたに対して正しい投射を行うプロセス}を邪魔しているのです。

私が使う投射はあなたのものでもあって、それは間違った否定に基づいてはいないのです。

しかしそれにはエラーを否定するとてもパワフルなことが含まれているのです。

 

ミラクル・ワ-カーとは「私の否定と投射{拡張}を受け入れて、私と共に{エラーを}否定し私と共に投射する自分自身の内在能力を統合し、それらを自分自身と他者達のもとに返す者」なのです。

 

これがどこにも全く脅威がない状態を確立するのです。

すると私達は「永遠である平和のリアルな時間」の為に一緒に働けるように成るのです。

 

私がボブ(ヘレンがアパートメントから降りることを手伝ってくれたエレベータ係の人)にあの言葉を言わせたのです。 そしてあなたがその最後の部分しか聞き取っていなかったことは残念です。 しかしあなたはそれを使うことが出来るのです。

彼(ボブ)の言葉は「閉じられている全ての目が寝ている訳ではない」で終っていました。

現時点ではあなた自身のヴィジョンも改善されているので、{このことに関して}もう少し話し続けますよう。

 

{マインドの}メカニズムに関する{シグムンド}フロイドの認識は正確でした。

彼はこの{マインドの}創造的能力に気付いていたのだから。

これらは{マインドは}確かに人の知覚(自分自身の近くと周りにいる他者の知覚)を作ることが出来るのです。

 

しかしフロイド自身の限界が、彼自身の知覚/認識に対して限定を導入していたのです。

彼は二種類のエラーを犯しています。

第一のエラーは、このメカニズムが精神障害者だけに働くものとして彼が見ていたことです。

第二のエラーは、アトーンメントのメカニズム(働き)に対する彼自身の否定{から来ているものです}。

 

 

まず第一のエラーを見てみましょう。何故なら、第二のエラーの理解は、第一のエラーを明確に理解することに掛かっているのだから。

否定はエラーに対してだけ向けられるべきで、そして真実だけを投射するべきなのです。

本当にあなたが受け取ったものだけをあなたは本当に与えるべきなのです。

このことに基づいていない限りゴールデン・ルール{あなたはあなたが与えたものを受け取る}は上手く働きません。

 

知識化(Intellectualization)は不適切な言葉で、これは頭脳とマインドを取り違えることから来ているのです。「正しいマインド(Right-Mindedness)」がより好ましい言葉です。

この装置{あなたの中の修正装置}は、正しいマインドを守り、正しいマインドに体のコントロールを与えるのです。

知識化は分離を示唆しており、正しいマインドは癒やしと関係しているのです。

 

砂漠から抜け出る為に「Withdrowal(退却/回避/自分自身を引き抜くこと)」が正しく使用されたのです。{これは出エジプト記に言及しているようです。訳註}

これは逃げる為の装置(働き)ではなく、統合/合併の働きなのです。

一つのマインドしか存在していないのだから。

 

Dissociation(関連を切ること)も{否定に}とても良く似ています。

あなたはエラーから自分を切り離すべきなのですが、統合を守る為だけにそうするべきなのです。

Detachment(離れること)は、Dissociation(関連を切ること)のより弱い形なのです。

これらのことに関してあなたとビル(セットフォード)はまだ押し留めている(隠している)のです。

 

あなたはどちらでも自分の選んだ好きな方向に逃避することが出来ますが、{逃避という}この概念自体に「何かから逃れようとすること」が含まれていることを理解してください。

エラーから逃げる(離れる)ことはとても適切なことです。

目的地は(目標を置くことは)、あなた自身と「あなたが逃れるべきこと」の間に距離を置こうとする方法なのです。

退行(Regression)とは、あなた自身の原初の状態に立ち返ろうとするリアルな努力なのです。

この意味で退行は、より幼稚な状態に返ることではなく、{神聖を}修復する為に行なわれているのです。

昇華(Sublimation)は原初(Sublim)と関連付けて{理解する}べきです。

 

防御の間違った使用から来るエラーには、これらの他に「ダイナミックな概念」と呼ばれている様々なものがあります。

リアルなレベル・コンフュージョン(レベルの混同)から発生している「様々に異なるレベルの渇望/向上心の概念」もここに含まれています

しかしここで理解するべき主要なポイントは「あなたは真理を守ることも出来るし、エラーを守ることも出来る(エラーを守ることの方が容易だったりもする)」ということなのです。

 

今まで私達は、方法ではなく、結果に話の焦点を当ててきました。

何故なら、特定の結果に対してそれを達成するに値するとあなたが考えるようになるまで、その結果を達成する方法にあなたが自分を投じることはないのだから。

 

あなた自身の質問によって結果から方法へと焦点をシフトすることが私に出来るように成ったのです。(ここで言及されている質問とは「どうしたらこのマテリアルを実体験に役立てることが出来ますか?」というものでした。)

 

あなたとビルは{この試みがもたらす}結果を価値あるものとして受け入れました。

そうすることによって、これ{ACIM}を確実にする為に防御を使うあなた達の意欲がもたらされたのです。

ゴールそのものの本当の価値がしっかりと確立されたなら、方法を明確にすることがより容易に成るのです。

人は誰でも自分の宝を守ろうとするものだから。

あなたが彼に「そうしなさい」と言う必要はありません。何故なら、彼は自動的(自発的)にそうするのだから。

 

今の時点でも本当の質問は「あなたは何を尊んでいますか。そしてあなたはどれだけそれを尊んでいますか。」なのです。

あなたがこの二つのポイント{「あなたは何を尊んでいますか。そしてあなたはどれだけそれを尊んでいますか。」}を考慮出来るように成り、これらをあなたの全行動においてあなたの振舞いを決める判断基準にしたなら、私が{奇跡の}方法を{あなた達に対して}明確にすることがより易しくなるのです。

 

あなたは一貫性を持ってこれに取り組むことはまだ学べていません。

だから私は「あなたが求めた時、方法は常に与えられている」と示すことに焦点を当てて来たのです。

しかしこのステップを必要以上に引き伸ばさなかったなら、あなたは多くの時間をセーブすることが出来るのです。

正しいフォーカス(意識の焦点)が必要とされている時間を著しく短縮するのです。

このようにして時間が短縮されたなら、このマテリアルを書くことはとても容易に成るでしょう。

 

 

 

 

 

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