Aug 5, 2013

Ch30-07

The New Interpretation

新しい解釈

 

神が世界の意味をあなたの解釈に任せるでしょうか?

もし神がそうしたなら、世界には意味がないのです。

何故なら、「意味が常に変化し続けながら真理であること」は在り得ないのだから。

聖霊は世界を「(不変に確立されている)一つの目的を持っているもの」として見るのです。

 
{聖霊の}その目標に影響を与えられる状況は存在しておらず、{全ての状況は}それ{聖霊の目的}と調和しているに違いないのだから。

その目標が夫々の状況に応じて変化可能である場合にのみ、(あなたがその都度考える様々な)解釈に応じて目的が変わり得るのだから。

 

あなたは、一日の各瞬間に対して自分で書いたスクリプト(筋書き)に対して一つ一つの要素を加え付けており、起こっている全てのことは今「何か他のこと{神のリアリティ以外のこと}」を意味しているのです。

だから、あなたが一つの要素を取り除いたなら、それに応じて全ての意味がシフトするのです。


あなたのスクリプトが「一日がどのように在るべきか決めているあなたのプラン」以外の何を反映するというのでしょうか?

こうしてあなたは悲劇/成功、前進/後退、獲得/損失を判断するのです。

これらの判断(裁き)は全て「スクリプト(筋書き)が割り当てた配役」に従って作られているのです。

「これらのラベル{配役}が(体験の異なる側面から下された)各判断によって簡単に変えられてしまうこと」が「{これらの配役は}これら自身では全く意味がないという事実」をデモンストレートしているのです。

そして過去を振り返った時あなたは、以前起こっていた事に対して(今までとは)異なる意味を見るのです。

一体あなたは「そこには意味が無かったということを示す」以外の何をしたというのでしょうか?

そしてゴールが変わる度に全ての意味がシフトしており、あなたは変化し続けるゴール(目的)の光の中で{様々に変化する}意味を割り当てていたのです。

 

出来事に対して安定した意味を与えられるのは不変の目的だけなのです。

そしてそれは(不変の目的は)、それら(出来事)全てに対して『ひとつ」の意味を与える必要があるのです。

もしそれら(それぞれの人物や物や出来事)に異なる意味が与えられていたなら、それらは異なる意図を反映しており、それらが持っている意味は全てこれ{リアリティとは異なる意図を反映すること}に違いないのです。

 

これが意味で在り得るでしょうか? 意味の意図が混乱で在り得るでしょうか?

知覚が常に変動している時には、意味の安定が何処にも無いのです。

 

怖れは、決して正当化されていない裁き(判断)で、「あなたが怖ろしいスクリプトを書いていて、それに従ってあなたは怖れている」とあなたに示す以外の意味は持っていないのです。

それは{あなたが怖れているのは}「あなたが怖れているもの」がそれ自体で怖ろしい意味を持っているからではないのです。


共通した目的(共有されている目的)だけが、「知覚を安定させ、世界とそこにおける全体験に一つの解釈を与えることの出来る」唯一の方法なのです。

この共有されている目的の中で「あなたが見ている全ての人と物」が一つの意味を共有しているのです。

あなたは判断する(裁く)必要はないのです。

何故なら、一つの意味が全てに対して与えられているとあなたは学び、あなたはそれ{共有されている一つの意味}を全ての場所に見て喜んだのだから。

それ{共有されている一つの意味}が変わることは不可能なのです。何故なら、状況によって変えられることなく、あなたはそれを全ての場所で知覚するのだから。

だからあなたはそれ{共有されている一つの意味}を全ての出来事に対して捧げ与え。

それら{全ての出来事}があなたに安定を捧げるのです。

 

裁きからの解放は次のことだけに掛かっているのです。

「あなたが持っている全てのものは一つの目的だけを持っていて、あなたはそれ{一つの目的}を世界の全てと共有して(分けあって)いるのです。 そして世界の中の何者もそれと敵対することは出来ないのです。 何故なら、(一つの目的があなたに帰属しているように)それは全てに帰属しているのだから。{何故なら、あなたが一つの目的を所有しているように、世界の全てが一つの目的を所有しているのだから。}

 

一つの目的の中に「(得る者と失う者の間に異なる目的を想定せざる得ない)犠牲の全アイディアの終り」があるのです。

{得る者と失う者が居るという}このアイディアを離れたなら、犠牲の思考は成り立たなくなるのです。

「この{得る者と失う者の間の}異なるゴールのアイディア」が、知覚をシフトさせ{知覚を歪め}意味を変化させているのです。

一つに統合されたゴール(目的)の下では、これ{得る者と失う者の異なる目的}が不可能に成るのです。 何故なら、{聖霊に対する}あなたの合意が解釈を安定させ永続させるのだから。

 

使われているシンボルが{人々の立場によって}異なることを象徴している限り、どうしてコミュニケーションが本当に確立出来るというのでしょうか?

 

 

聖霊のゴールは(あなたとあなたの兄弟の両方にとって意味を持っている)「一つ」の解釈を与えるのです。

こうしてあなたは彼(兄弟)とコミュニケートし(意志を疎通させ)、彼(兄弟)があなたとコミュニケート出来るように成るのです。

あなた達両者(あなたとあなたの兄弟)が理解出来るシンボルの中で、意味の犠牲が解除されるのです。

 

全ての犠牲の中には「様々な出来事の間の関係を見るあなたの能力」を失うことが含まれて居ます。

一つ一つを切り離して見たなら、それぞれの出来事には意味が無いのです。

何故なら、「それらの出来事を見て理解する光」がそこには無いのだから。

{だから、そこで見られている}それらの出来事には目的が無いのです。

「(意味を持つことが出来ない)損失の思考」の中では、それらの出来事が何の為に在るのか見ることは出来ず、出来事の意味をあなたと合意している人は誰も居ないのです。

 

{上記の}これは歪められたスクリプト(筋書き)の一部で、意味と共にこれを解釈することは不可能なのです。

これは永遠に不可解で、そこにはコミュニケーションが無いのです。

あなたの暗い夢達は、夢の中で書かれた無意味な分離されているスクリプト(筋書き)に過ぎないのです。

分離した夢達の中に意味を探して見ようとするのは止めなさい。

免除の夢(赦しの夢)だけが共有可能なのです。

それら{赦しの夢}はあなた達両者にとって同じ意味を持っているのです。


 

孤独の中で{自分一人で}解釈しようとするのは止めなさい。

何故なら、あなたが見ているものには意味が無いのだから。

その意味はシフトし続けて、あなたは「世界は不確実な場所で、自分は危険なところを歩いている」と信じてしまいます。

 

しかし安定を欠いているのは、あなたの「解釈」なのです。

そしてそれ{世界に対するあなたの解釈}は「あなたであるもの(あなたのリアリティ、本当のあなた)」とは食い違っているのです。

これはとても危険に見える状態で、怖れを引き起こさず得ないのです。

 

私の兄弟よ、このような在り方を続けるのは止めなさい。

私達には「一人(ひとつ)の解釈者」が居るのです。

そして彼(聖霊/私達の解釈者)のシンボル解釈を通して私達は繋がっており、私達全員にとってそれら{世界の中に表れているシンボル}が同じ意味を持っているのです。

私達の共有の言語によって、私達は全兄弟達に話し掛けることが可能で、「私達全員に赦しが与えられていること」を彼等{兄弟達}と一緒に理解することが可能なのです。

こうして私達はコミュニケーションを再開することが出来るのです。

 

 

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