怖れからの救済
あなたの兄弟の神聖の前では、世界は静かで、平和が世界の上に優しく降りて来てとても完璧に祝福するので、夜の闇の中であなたを脅かす闘争は跡形も無く消えているのです。
彼が(あなたの兄弟の神聖が)、怖れの夢からあなたを救い出す救済者なのです。彼が、「あなたの犠牲感覚」と「あなたの所有しているものが風に飛ばされて塵に成ってしまうという怖れ」に対する癒やしなのです。
彼の中に「神がここに居る、神が今あなたと共に居る」というあなたの確証/保障が在るのです。
神が神である限り、神を知ることが可能であり、神があなたに知られることがあなたに確約されています。
何故なら「彼(神)自身の創造から離れること」は彼(神)には決して出来ないのだから。
(神の神聖の前ではあなた自身に対するあなたの全ての疑いが消えることを証明する為にあなたに与えられている)あなたの兄弟の中に「上記のことが真実であるサイン」が置かれています。
彼(あなたの兄弟)の中に神の創造を見なさい。
何故なら、「神があなたを神の一部として創造したことに対するあなたの認識」をあなたの兄弟の中で「あなたの兄弟の父」が待っているのだから。
あなた無しでは、神の中に欠落/欠乏があり、天国が未完成で、父に子が無いのです。{あなた無しでは、}そこには宇宙がなく、リアリティも無いのです。
何故なら、神の意志は完全/完璧/全体で、神の意志がひとつであるが故に「神が意図するもの」は神の一部なのだから。
神の一部でないものは何も生きておらず、神の中で生きているものしか存在していないのです。
あなたの兄弟の神聖が『神がひとつであり、神があなたとあなたの兄弟と共にあること。そしてあなたは兄弟からも兄弟の父からも分離していないので、「兄弟が持っているもの」はあなたのものであること。』をあなたに示すのです。
宇宙の全てのものはあなたから失われてはいないのです。
神が創造したもので、神があなたの前に永遠にあなたのものとして置いていないものは何もないのです。神のマインド内の思考で「あなた自身の思考内に存在していないもの」も無いのです。
「あなたに対する神の愛をあなたが分ち合い、世界が始る前に神があなたを考え作った愛(そして今も神があなたを知っている愛)であなた自身を眺めること」が神の意志なのです。
神は「神の子に対するマインド(神の子に対する考え)」を変えません。
(神が住んでおり、あなたが神と共に在る)永遠の中では、無意味な変り行く状況に応じて神が神の子に対する認識(マインド)を変えることはありません。
あなたの兄弟は、神があなたの兄弟を作ったとおりに存在しています。このことが「神が作らなかった世界」から「あなた」を救うのです。
神の子の癒しの為に世界の全てが存在していることを忘れないでください。
それだけが「聖霊が世界の中に見ていること」で、だからそれだけが「聖霊が持っている唯一のもの{聖霊の唯一の目的}」なのです。
「子を癒やすこと」だけが世界の中で(時間の中で、全ての見える様子の中で)あなたが達成しようとする全てに成るまで、あなたが父やあなた自身を知ることはないのです。
何故なら、そうなるまで(神の子を癒やすことだけがあなたの全目的に成るまで)、あなたは世界をその目的に反して使ってしまい、その法則の暴力と死から{世界に対する神の目的に反して世界を使おうとすることから来る暴力と死から}あなたは逃れられないのだから。
しかし全ての意味で全ての状況内でその法{あなたに見えている世界の法則}を超える為に、これが(世界が)あなたに与えられているのです。
「そこに存在しないものを知覚しようとする全ての誘惑」を退ける為に、「自身の在りのままの姿を見ていないが故に神の子が痛みをこうむることが出来る」という全ての信念を超える為に、これ(世界)があなたに与えられているのです。
あなたの兄弟を見て、「この世界を司っているように見えている法則全体」が彼の中で逆転することを見なさい{発見しなさい}。
彼の自由の中にあなたの自由を見なさい。彼の中の自由があなたの自由なのだから。
彼(兄弟)の特別性が彼の中の真理を不明瞭にしないようにしなさい。あなたが彼を縛り付けている死の法の一つからもあなたが逃れることは出来ないのだから。そしてあなたが彼(兄弟)の中に見る一つの罪でさえ、あなた達両者を地獄に留めてしまうのだから。
しかし彼(兄弟)のパーフェクトな無罪があなた達両者を解放するのです。 何故なら神聖は選り好みをせず、神聖が見ている全てのものに対して「ひとつ」のジャッジメント(判断/裁き)だけを持っているのだから。
そしてこれが{聖霊の一つのジャッジメントが}行なわれるのです。 これはそれ自身{聖霊自身}が行なうのではなく、(生きている全ての中に居る、神の存在を共有している全ての中に居る)神の為に話す「声」を通して{ジャッジメントが}行なわれるのです。
{体の目ではなく}「見ることの出来る目」が見るのは、彼(あなたの兄弟)の無罪なのです。
「見ることの出来る目{スピリチュアルな目}」が彼の愛らしさを全ての中に見ているのです。
そしてそれら(見ることの出来る目)があらゆる場所で探しているのは「彼{あなたの無罪な兄弟}」なのです。 そして彼が居ない場所や時間や光景は見つけないのです。
(あなたと世界の救済のパーフェクトな額縁である)「あなたの兄弟の神聖」の中に「(その中であなたと兄弟が共に生きている)彼(神)」の輝ける記憶が置かれているのです。
(キリストの顔を兄弟から隠してしまい、あなたからも隠してしまう)特別性のヴェール(覆い)によってあなたの目が眩まされないようにしなさい。
そして神への怖れが「あなたが見るべく意図されているヴィジョン」を見ることからあなたから押し留めてしまわないようにしなさい。
あなたの兄弟の「体」はあなたに「キリスト」は示しません。
「彼(キリスト)」はあなたの兄弟の神聖の中に置かれているのです。
だからあなたは彼の体と彼の神聖のどちらを見ることを「求める」か決めなさい。{あなたがそれら両方を同時に見ることは出来ないのだから。}あなたが見ることを決めた方をあなたは見るのです。
しかしあなたが真理{だけ}を選択出来るようになるまで、あなたは様々な機会/状況に限りなく選び続けるのです。
何故なら「彼の中のキリストをもう一度否定し続けること」の中で永遠を取り戻すことは出来ないのだから。
そしてもし彼が体でしか無かったなら「あなた」の救済はどこにあるのでしょうか?
彼の神聖の中以外の何処に「あなた」の平和があるというのでしょうか?
「永遠の中で神があなたの兄弟の神聖の中に置いた神の一部の中」以外の何処に神自身が居るというのでしょうか? 「あなた」があなたの真理を見られるように、あなたの真理があなたに認識され、あなたによって理解されるように、神は神自身の一部をあなたの兄弟の中に置いたのです。
あなたの兄弟の神聖が「あなた」へのサクラメント(聖なる行為)であり祝福なのです。
あなたの兄弟のエラーが、神の祝福が神自身から差し出されることを押し留めたり、「兄弟を真に見ているあなた」から神の祝福が差し出されることを押し留めることは不可能です。
彼(兄弟)の間違いは『彼から受け取るように「あなた」に与えられているもの』を遅らせることしか出来ないのです。
『彼から受け取るように「あなた」に与えられているもの』によってあなた達両者は、決して始らなかったそして終わりを必要としていない「旅」を終らせることが出来るのです。
「決して起こらなかったこと」はあなたの一部ではないのです。
しかし「決して起こらなかったこと」はあなたの傍らに立っている兄弟の一部でもないとあなたが理解するまで、あなたはそのように考えてしまうのです。
{『自分の兄弟が「決して起こらなかったこと{分離}」をしており分離した体に成っている』とあなたが考えたなら、あなたはあなた自身も分離しており体に成っていると考えてしまうのです。 訳注}
彼(兄弟)はあなた自身の鏡なのです。 あなたはその中に{あなた自身の鏡である彼の中に}『あなた達「両方」の上にあなたが置いた裁き(ジャッジメント)』を見ているのです。
あなたの中のキリストは彼の神聖を見ています。
しかしあなたの特別性は彼の体を眺めており、彼を見ていないのです。
彼を彼そのものとして見たなら{あなたが彼の真の姿を見たなら}「あなた」の解放は間近です。
その他の選択(彼の体を見て神聖を見ない選択)があなたに与えるものは、目的もどのような達成も無い無意味な彷徨だけなのです。
あなたの兄弟が眠っている間あなたに割り当てられている役割が達成されるまで、そして彼(兄弟)が過去から起き上がるまで、満たされない働きの無益があなたを悩ますでしょう。
自分自身を(そしてあなたを)断罪している彼は、あなたと共に断罪から救われる為にあなたに与えられているのです。
そして(あなたと兄弟の)両者が神の子の中に神の栄光を見るのです。
あなたは神の子を「肉であり法に縛られている」と誤解していたのですが、そのような法は神の子の上に力を持ってはいないのです。
これらの法が「あなた達のもの」ではないと喜んで理解しようとは思いませんか?
であれば、彼(兄弟)をこれらの法の囚人と見るのは止めなさい。
「神の一部を統治しているもの」が神の全てを統治しているに違いないのです。
彼を統治しているとあなたが見ている法の下にあなたはあなた自身を置いているのです。
であれば(神の一部をあなたに与えて痛みから救い「あなた」に幸福を与えている)神のあなたへの愛がどれだけ偉大なものか「考え」なさい。
(神の全ての部分を同等に愛しており気遣っている)神の意志の前にあなたの特別性が消え去ることを疑うのは止めなさい。
あなたの中のキリストはあなたの兄弟を真に見ることが出来るのです。
あなたは「彼(あなたの中のキリスト)が見ている神聖」を否定しようとしますか?
特別性はあなたがあなた自身に対して与えた働き/役割なのです。
{「あなたの中のキリストが見ている神聖を否定すること」が特別性の働きであり目的なのです。 訳注}
{「あなたの中のキリストが見ている神聖を否定すること」が特別性の働きであり目的なのです。 訳注}
それ(特別性)はあなただけの為に立っており、自らを作っており、自らを保っており、何も必要とはしておらず、体を超えたどのようなものとも繋がっていないのです。
(特別性の)その目の中であなた達は分離した宇宙であり、それ自身をその中に完全に保持する全ての力を有しており、その全ての入り口は侵略に対して閉ざされており、その全ての窓が光を閉ざしているのです。
{特別性は}常に攻撃されており常に怒っており、その怒りは常に正当化されており、あなたはこのゴールを「決して譲ろうと考えない警戒心」とそして「決して止めようとしない努力」と共に追い求めてきたのです。
そしてこれらの冷徹な決意は全て下記の為だったのです:
「あなたは特別性が真実であることを求めたのです。」
今あなたに求められているのは、これ{特別性を真実にしようと求めること}とは別のゴールを追及することなのです。
{今までよりも}より穏やかに、より少ない時間で、より少ない努力で、そして神の力によってこれ(神聖なるゴールの探求)を保ちなさい。神の力がその成功を確約しているのだから。
しかしあなたはこれら二つ(特別性と神聖)の内で「これ(神聖/神の力)」をより難しいと思っているのです。
あなたは自己の「犠牲」を理解しており、これが大き過ぎる代償だと思ってもいません。
そして神に対するうなずきさえ、あなたの中のキリストに対する僅かな譲る意欲さえ、あなたにとっては疲れる退屈な担い切れない重荷なのです。
しかし神が設立した真理への献身の中では、犠牲は求められておらず、苦しみは呼び出されていません。
天の全ての力と真理そのものの力が方法{癒やす方法}の為に与えられており、ゴールの達成を確約しているのです。
兄弟の神聖よりも兄弟の体を見る方が容易だと信じているあなたは、何がこの裁き(判断/ジャッジメント)を作ったか理解しなさい。
ここに(キリストに対して裁きを与え、あなたに得ることの出来る目的を「あなた」のために設定しており、あなたに出来ないことを設定している)特別性の声が明確に聞こえています。
「この裁き{兄弟を体と見ること}を味方にしてあなたが何をしたか」に対してこの裁きが適用されるに違いないことを忘れないでください。
{特別性の世界の中では「この裁きを使ってあなたが何をしたか」によってあなたが裁かれることを忘れないでください。}
何故なら、それは{あなたの特別性の裁きは}あなたがキリストを通して何をしているか知らないのだから。
彼(キリスト)にとってはこの裁き(特別性の裁き)は全く無意味なのです。
何故なら彼の父が意図したことだけが可能で、彼(キリスト)に見える他の可能性は存在していないのだから。{父の意志がなされていること以外をキリストが見ることは出来ないのだから。}
「彼(キリスト)の矛盾/葛藤/闘争の欠如」からあなたの平和がやって来るのです。
そして彼(キリスト)の目的から、抵抗の無い達成と休息(安楽)の方法が来ているのです。
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