Jul 4, 2012

Ch24-3

The Treachery of Specialness

特別性の裏切り/欺瞞



比較はエゴの道具に違いないのです。何故なら愛は全く比較しないのだから。
特別性は常に比較するものなのです。

特別性は他者の中の欠乏感により「確立」されており、「それ(特別性)によって知覚出来る全ての欠乏」を探し続けクリアに見続けることにより欠乏が保持されているのです。

特別性は欠乏を求め続け、欠乏を見続けるのです。

あなたが兄弟を「あなたの特別性の為の卑小な方法」にしようとしなかったなら、「特別性がこのようにして矮小化させようとしていた者{特別でありたいというあなたの願いによって「取るに足らない者」と見定められている者}」があなたの救世主に成れた筈なのです。


彼(兄弟)の中にあなたが見ている卑小さに比例して、あなたは高く威厳に満ちて立っている{ように見えている}のです。 あなたが見ている者との比較により、あなたが清潔で正直で純粋で穢れなく成っているのです。
そしてその時あなたは「自分がこのようにして自分を矮小化させている(卑小にしている)こと」を理解してはいないのです。

特別性の追求は常に、平和を犠牲にすることにより行なわれています。

自分の救済者(救い主)を攻撃し切り裂きながら、その救済者の力強いサポートを認識出来る人がいるでしょうか?

彼(救済者)の全能を軽減させながら、彼の力を共有出来る人がいるでしょうか?

卑小さの指標(シンボル)として彼を使いながら、あなたが限定/限界から解放されることが可能でしょうか?


あなた達は救済の役割を持っているのです。
救済を求めることがあなた達に喜びをもたらします。

そして特別性を追求したなら、それは必然的にあなた達へ痛みをもたらします。

ここに(特別性を追求することに)救済を打ち負かそうとするゴールがあるのです。だからこれは神の意志に反しているのです。

特別性を尊ぶことは、「(真理よりもあなた自身への幻想が大切にされている)エイリアンな意志(侵害者の意志)」を尊ぶことなのです。


特別性とは罪のアイディアがリアルにされている状態なのです。
この基盤無くしては{特別性が受け入れられていなければ}罪を想像することさへ不可能なのです。

何故なら罪はそれ(特別性)から、立ち昇って来るものなのだから。それは虚無から立ち昇ってくる、根を全く持っていない邪悪な花なのだから。

ここに自分で自分を救世主として作っている者がいます。ここに「父とは違うように作っている者(父とは違うように創造しようとしている者)」がおり、その者は神に似せて(神のイメージに基づいて)創造してはおらず、神の子を自分に似せているのです。

彼(父とは違うように神の子を作っている者/偽救世主)の特別な子供達は沢山居ますが、それらは決してひとつではありません。

特別な子供達はそれぞれが彼自身(偽救世主)から追放されており、自分達自身からも遠ざけられています。

そして彼等(特別な子供達)は(彼等を神とひとつのものとして創造している)ワンネスを愛してもいません。

彼等は(天国と平和の代わりに)自分達の特別性を選んでおり、自分達の特別性を罪の中に注意深く包んで、罪が壊されないようそれを真理から遠ざけているのです。


あなた達は特別ではありません。
もしあなた達が自分達のことを特別だと考えていた場合、そして自分達の特別性を「本当のあなたの真理」に対して防御していた場合、どうしてあなた達に真理を知ることが出来るというのでしょう?

あなた達が自分達の特別性/特殊性に聞き入っている時、そして特別性が尋ね特別性が答えている時、「聖霊が与えている答え」があなたに届き得るでしょうか?


神からあなたへと永遠に流れ込んで来ているメロディーが「あなたであるもの」を愛し賞賛しており、このメロディーの中では特別性の卑小な答えは無音なのですが、「あなたであるもの」を称え愛しているこの広大な歌は、特別性の偉大さ/力強さの前では静かで聞えていないように見えるのです。
あなたは耳を澄ませて特別性の音無き声を聞こうと努力していますが、{あなたがそう試みている時}神自身の呼び声があなたには聞こえていないのです。


あなたはあなたの特別性を守ることが出来ますが、あなたの特別性と共に神の声を聞くことは不可能です。

あなたの特別性と神の声は異なる言語を話しており、それらはそれぞれ別の耳に届いているのです。

「特別な者達にはそれぞれ異なるメッセージが届いており、それらのメッセージは(お互いから)異なる意味を持っている」ということが真理なのです。

真理がそれぞれの人達にとって異なるものであることが、どうして可能でしょうか?

特別な者達が聞く特別なメッセージは彼等がお互いから異なっており離れていると言い立てるのです。 それぞれの者達が自分達の特別な罪の中で(人の特別性を全く見ない)愛から安全に隔離されていると{特別なメッセージは}言うのです。

特別な者達の敵はキリストのヴィジョンなのです。何故ならキリストのヴィジョンは彼等が見ようとしていることを見ていないのだから。

そしてキリストのヴィジョンは「特別な者達が見ていると考えている特別性は幻想である」と彼等に示すのです。


{キリストのヴィジョンを見ている}彼等は{幻想/特別性の}代わりに何を見るのでしょうか、
それは(父にとても似た)神の子の輝ける光で、{この光によって}父の記憶がマインド内に瞬間的に沸き起こって来るのです。

この記憶によって神の子が(神の子が父に似ているように、神の子に似ている)自分の創造達を思い出すのです。 

そして彼のマインドが彼自身に関する真理を受け入れるに従い(そして真理が彼のマインド内に戻って来てその本来の場所を取り戻したなら)、彼が作った全ての世界が、そして彼の全ての特別性が、彼が彼自身に対する防御の為に持っていた全ての罪が、消え去るのです。

これだけが真理の唯一の「コスト/代価」なのです。

{父の記憶を取り戻して、自分自身の真理を受け入れたなら}あなたはもはや「決して起こっていないこと」は見ず、「音を立てていないもの」は聞かないのです。

「何も放棄せず神の愛を永遠に受け取り続けること」が犠牲でしょうか?

自分の救世主を自分の特別性に縛り付けて、そこを彼の居場所として見定めている「あなた」は次のことを覚えておきなさい。
『「彼」と「あなたの為に彼に与えられている救済の役割」の間に置いたとあなたが考えている全ての罪』を赦す力を彼は失っていません。

{あなたは自分で「あなたの救済者」と「その救済者があなたを救済する働き」の間に罪を置いたと考えていますが。 あなたの救済者は「あなたが自分の救済者とその働きの間に置いたと考えている罪」を赦す力を失ってはいません。}

そしてあなたが彼の中の(そしてあなたの中の)真理を変えることは出来ない様に、あなたが彼の働きを変えることも出来ません。

{あなたとあなたの救済者の}両方の中で真理は同じで在ることをあなたは知りなさい。

真理は異なるメッセージは与えず、真理のメッセージは「ひとつ」の意味しか持っていないのです。

そして真理のメッセージはあなた達{「あなたの中のあなたの兄弟の救済者」と「あなたの兄弟の中のあなたの救済者」}両者に理解出来るもので、あなた達両者を解放するものなのです。

ここに{救済者である}あなたの兄弟が立っており、天国への鍵を持ってそれをあなたに差し出しているのです。

特別性の夢があなた達の間に残らないようにしなさい。

「ひとつであるもの」は真理の中で繋がっているのです。


あなたが彼(兄弟の神聖/兄弟の中の聖霊)を友達として見た時に、あなたがあなた自身の中に見る愛らしさを考えてみなさい。

彼は特別性の敵ですが、しかし彼は「あなたの中のリアルなもの」に対しては友達でしかないのです。

あなたが彼に対して行なったと思っているどの攻撃も「あなたの為に神が彼に与えたギフト{神が彼にギフトを与えており、彼はそのギフトをあなたに与えます}」を彼から奪ってはいません。

あなたがこのギフトを彼から得ることを必要としていると同じ位、彼はこのギフトをあなたに与える必要があるのです。

彼に「あなたの全ての特別性」を赦させなさい、そしてあなたを十全/全体/健全にさせ、あなたを彼とひとつにさせなさい。

赦しをあなたに返せるように彼はあなたの赦しを待っています。

神の子を断罪したのは神ではないのです。

断罪したのはあなた(達)だけです。神の子の特別性を救って神の子自身を殺す為にあなた(達)はそうしたのです。
 

今よろめき道に迷ってしまうには、あなた達は既に真理の道を進み過ぎています。
後もう一歩で、神に対する怖れの痕跡全てが愛の中で溶け去るでしょう。

あなたの特別性とあなたの兄弟の特別性は敵同士で、お互いを殺すよう憎しみに縛られており、自分達が{あなたの特別性と兄弟の特別性が}同じであることを否定しているのです。

しかし『「神や天国がとても離れており、だからそれらに届くことは出来ない」と見せているこの最後の障害に届いているもの』は幻想ではありません。

ここで、この神聖な場所で、あなた達両者を受け入れようとして真理が立って待っているのです。 静かな祝福の中で、そしてとてもリアルで全てを内包しておりその外には何もない平和な中で、あなた達を受け入れる為に真理が立って待っているのです。


あなた自身に対する全幻想を(あなたが希望と正直を持ってやって来た)この場所の外に置き去りなさい。
ここに「あなたの特別性からあなたを救う者」が居ます。

あなたの一部としてあなたが彼自身を受け入れることを彼は必要としており、彼の一部として彼があなた自身を受け入れることをあなたは必要としています。

神が神自身に似ているように、あなた(達)は神に似ているのです。

神は特別ではありません。何故なら彼(神)は「彼自身のどの部分も自分の内に引き止めて彼の子与えず自分だけの為に保とう」とはしないのだから。

あなたはこれを怖れているのです。

もし神が特別でないなら、神は神の子が神に似ていること(神と同じであること)を意図しており、従ってあなたの兄弟もあなたに似ているのです(あなたと同じなのです)。

{神は、そしてあなたの兄弟は}特別ではなく、しかし(あなたを含めて)全てを持っているのです。

等しい愛の中で神が神自身をあなた達両者に与えていることを思い出しながら、彼(兄弟)が既に持っているものを彼(兄弟)に与えなさい。あなた達両者が(愛は決して切り分けられないことを選んだ)神と一緒に宇宙を共有する為に。
 

あなたは「あなたの兄弟のもの」なのです。
愛の一部が彼に対して否定されていることはありません。{(あなたという)愛の一部があなたの兄弟から遠ざけられていることはありません。}

「彼が完全であるが故に、あなたが何かを失った」ということが在り得るでしょうか。

彼に与えられたものが、彼を十全にすると同時に、あなたを十全にするのです。

神の愛があなたを彼に与え、彼をあなたに与えたのです。 何故なら神は彼自身(神自身)を与えたのだから。

彼/神と同じであるものは、彼/神とひとつなのです。

特別性だけに「神の真理」と「ひとつのものとしてのあなた達」を天国以外に見せることが可能なのです。

そして{上記のことが理解された時}平和の望みがやっと見え出すのです。

特別性は「愛のギフトの上に押された裏切りの証印」なのです。

「特別性の目的に従っているもの」は殺す為に与えられているに違いないのです。

この証印が押されているギフトは、その受け手と与え手の両方に裏切りしかもたらさないのです。それを一瞥してみたなら、死の光景しかそこには見えないのです。

誰もその{特別性の}有効性を信じてはいないのですが、特別性を敬っている全ての人達は取引や妥協を通して「罪が代用品{争いの考え}を愛しており、代用品{対立/闘争の思考}に忠実に仕えていること」を確立しようとするのです。 

特別性の目的を大切にしている関係は「安全の為の武器、愛の脅威から幻想を守る偉大な防御者」として殺人にしがみ付いているのです。


特別性の願いが「神が神自身から神の子を遠ざける刑務所として体を作ったこと」を可能に見せているのです。
何故なら特別性の願いは「神が入ってこれない特別な場所」を要求しており、「あなたの卑小な自己だけが歓迎されている隠れ家」を要求しているのだから。

{特別性の願いが認められている}ここにおいては(あなたの全兄弟達から隔てられた、幻想の中に侵入しようとしている正気から守られた、神に対抗して守られている、永遠に続く闘争が守られている)「あなただけに捧げられているもの」だけが神聖なのです。

ここにおいてあなたはあなた自身を地獄の門の中に閉じ込めているのです。 神から離れて、真理と救済から離れて、ここをあなたの特別な王国として孤独と狂気で統治しようとしているのです。

あなたが投げ捨てた鍵を神があなたの兄弟に与えました。そしてあなたが自分の救済プランの代わりに神の救済プランを受け取る用意が出来た時、あなたの兄弟の聖なる手がこの鍵をあなたに捧げる(差し出す)のです。
 

「あなたの惨めさの全光景」と「平和と喜びに対するあなたのプランが失敗しており永遠に失敗し続けるという気付き」が無かったなら、どうしてこの準備を整えることが可能でしょう。

この絶望を通してあなたは今旅立ちます。 しかしこれは幻想に対する絶望なのです。

特別性の死はあなたの死ではなく、これはあなたの永遠の命への目覚めなのです。

あなたは「あなたに対する幻想」から抜けて、神が作ったあなた自身を受け入れるのです。


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