Jul 3, 2012

Ch24-2

Specialness as a Substitute for Love

愛の代用品としての特別性


”Substitute for love” 「愛の代用品」とは、愛に代わるものとしてエゴが求め/考え/知覚しようとする攻撃/対立のことです。
Specialness”「特別性」は多様に説明されています。 
ここより少し後ろにある“Specialness and Salvation/  Specialness versus Sinlessness”のセクションに下記のテキストが在ります。特別性に対する一つの説明としては解り易いものなので参考までにここにも示しておきます。
"Specialness is a lack of trust in anyone except yourself."
[特別性とはあなた自身以外は誰も信用しないことです。] 
訳注}

  
愛とは拡張(extension、差し伸ばし)です。
少しのギフトでも惜しんで控えてしまえば、愛の目的が解らなくなってしまいます。
愛は全てを永遠に捧げ続けています。
一つの信念でも、一つの捧げ物でも、{差し伸べずに}惜しんで(抑制して)しまえば、愛は消えてしまいます。 

何故なら{拡張を控えているその時}あなたは愛の代用品が愛の代わりに使われるよう求めているのだから。
すると(平和の代用品である)戦争/闘争が必然的に起こり、愛の代わりにあなたが選べるもう一つの選択肢{争い}が示されるのです。

あなたがそれ(戦争/争い)を選んでいることが、「それが持っているように見えている全てのリアリティ」を与えているのです。
信念同士があからさまにお互いを攻撃することは決してありません。 何故なら{実際に}矛盾/葛藤している結果(を出すこと)は不可能だから。

だから認識されていない{明確に意識されていない}信念によって秘密裏に戦争/闘争を起こす決断がされており、闘争の結果も秘密にされており、「それ(闘争)が理性の前に引き出されてそれが理に適っているかどうか考慮されること」も行われてはいないのです。

こうして多くの無意味な結果が引き起こされて来ました。そして多くの無意味な決断がされ、それが秘密にされて来ました。 今それら(無意味な秘密の決断)が信念に成っており、帰納的に決断を下し続ける力がそれら(信念)に与えられているのです。

あなたの平和を乱すこれらの隠れた戦士達の力を軽く見るのは止しなさい。
あなたがそれ(闘争の選択)をそこ{あなたのマインドの中}に置くことを決めている限り、あなたの平和は彼等(隠れた戦士達=愛の代用品=間違った信念から来る決断)の慈悲(意図)次第なのだから。

平和に反する隠れた敵達とは、ほんの少しでも平和の代わりに攻撃を選択しようと思うあなたの選択であって、この選択は意識されておらず、速やかに「あなた」を攻撃/暴力へと変えるのです。 あなたが考えているよりも多くのものがあなたの選択に掛かっているのです。
{あなたの選択の}その酷い存在や、その酷い結果を否定しようとするのは止めなさい。
否定出来るのはそれらの「リアリティ」だけで、その結果ではないのです。

{「特別性を尊んでいるあなたが対立/闘争を選択しておりそれがリアルに成っていること」が否定出来ることであって、(あなたがそのような選択を止めない限り)そのような選択がもたらした結果として見えていることを否定しても無駄です。}


隠された信念として大切にされている全ては、認識されないことによって守られている全ては、「特別性に対する信心」だけなのです。
これ(特別性への信心)はあらゆる形で現れていますが、これは神の創造のリアリティとは(そして神が神の子に与えた偉大さとは)常に衝突するものなのです。
これ以外にどうしたら攻撃が正当化出来るでしょうか?
自分の自己である誰かを(自分で知っている自己を)憎める人が居るでしょうか。

特別な者だけに敵を持つことが可能なのです。 何故なら彼等は(特別な者達は)異なっており、同じではないのだから。
あらゆる種類の違いが、リアリティに次元の違いを挿入し、「逃れることの出来ない断罪」を必要とするのです。
しかし神が創造したものを攻撃することは不可能なのです。 何故なら、宇宙の中には「神が創造したものと似ていないもの」は何も存在していないのだから。
 

しかし「(お互いと)違うもの」は断罪を呼び求め、その断罪は「より優れた者」から来る必要があるのです。 それ(違うもの)の上に立って「{自分とは違うものとして}自分が断罪しているものと似ることが不可能な者」、それ(違うもの)と比べて無罪な者が必要になるのです。
こうして特別性が方法と結果に同時に成るのです。

何故なら特別性は(分離するだけでなく)「特別な者より劣っている者」への攻撃が自然で正当であるという主張の土台になるのだから。

しかし特別な者達は「違い」ゆえに、力弱く脆弱に感じるのです。

何故なら敵の存在が彼等を特別にしているのだから。しかし彼等は自分達の敵を守って、それを友達と呼ぶのです。
彼等はその為に(違いの為に)宇宙と戦います。 何故ならそれ(違い/特別性)こそ特別な者達が一番大切にしていものなのだから。


特別性こそが間違った選択の偉大な独裁者なのです。
ここにあなたと兄弟に対する壮大な幻想があるのです。

そしてここに体を大切にし体を保つ価値があると思わせているものがあるのです。
特別性は守られる必要があるものなのです。{特別性は守られなくては消えてしまうものなのです。}

幻想はそれ(特別性/体)を攻撃しようとし、確かに幻想はそれを攻撃することが出来るのです。

「(あなたの特別性を保つために)あなたの兄弟が成らなくてはならないもの」が幻想なのだから。


「あなたより酷い者」が攻撃されるべきだと示されるのです。
そして彼の敗北によってあなたの特別性が生き長らえるのです。

何故なら特別性は勝利と見なされており、{あなたの}特別性の勝利は彼(兄弟姉妹)の敗北と屈辱なのだから。

あなたの全ての罪を背負って彼がどうして生きていけるでしょう?

そしてあなた以外に誰が彼の征服者/征伐者に成り得るのでしょう?

あなたが兄弟と似ていたなら(あなたが兄弟と同じであった場合)、あなたが兄弟を憎むことは可能でしょうか?
あなたが兄弟と共に(同一のゴールに向かって)旅していることに気付いたなら、あなたに兄弟を攻撃することが可能でしょうか?

(もし彼が達成したことがあなたのものでもあったとしたなら)あなたは彼がゴールに到達することを(あなたに出来るあらゆる方法で)助けようとはしないでしょうか?

特別性の中であなたは彼(あなたの兄弟)の敵であり、共有されている目的の中であなた達は友達なのです。

特別性は共有する(分かち合う)ことが決して出来ません。 何故なら特別性はあなた一人が到達できるゴールに依存しているのだから。

彼(あなたの兄弟)はそれ(特別性/あなた独自のゴール)に決して到達してはいけないのです。もし彼がそこに到達してしまったならあなたのゴールがダメに成ってしまうのだから。

ゴールが{他者に対する}勝利である所で愛に意味が在り得るでしょうか?  このような選択が「あなたを痛めない」でいられるでしょうか?


父はあなたの兄弟をあなたと同じに創造したので、あなたの兄弟があなたの友達(同胞)なのです。
そこには(父が作ったあなたと兄弟の間には)違いがありません。

愛が拡張されるように(愛がお互いから切り離される為ではなく、愛が差し伸べられるように)あなた達はお互いに対して与えられているのです。

あなたが保っているもの{あなたが兄弟から遠ざけているもの}があなたから失われているのです。 

神はあなた達両者に神自身を与えたのです。

そしてこれが今あなた達の共有している唯一の目的であると憶えておくこと(が神の意志なのです)。

だからこれがあなた達が持っている唯一の目的なのです。

自分達の間にどのような特別性も見ない選択をあなた達がしていたなら、あなた達がお互いを攻撃するようなことが在り得るでしょうか?

あなた達が相手に対して部分的な歓迎しか与えていないこと(あなた達がお互いから離れていたほうが良いと考えていること)を見据えてみなさい。

あなたは常に「あなたの関係故にあなたの特別性が限定されている」という信念を持ってこなかったでしょうか?

この幻想/信念こそが(あなた達をお互いに対する幻想に仕立て上げている)本当の「敵」ではないのでしょうか?

神への怖れ(そしてお互いへの怖れ)は「特別性の中にある認識されていない信念」から来ているのです。
何故なら(特別性の幻想の中にいる人々は)それぞれ相手に対して「自分の意志に逆らってそれ(特別性)にかしずくこと」を要求するのだから。

そして神自身もそれ(特別性)を尊重しなければ{あなたからの}復讐に晒されるのです。

ここから全ての「憎悪/憎しみ/分かれたい/離れていたいという願い」が立ち昇っているのです。

何故ならここにおいて、あなた達が共有している目的が(あなた達両者にとって)不明瞭にされているのだから。

このコースは「あなた達はお互いと似ている」と教えようとするものなので、あなたはこのコースに反対したいと感じるのです。

あなた達は同じでない目的は何も持っていません。

そしてあなた達の父はその全ての目的をあなた達に分け与えています。

何故なら、あなた達の関係からは特別なゴールがきれいに取り払われているのだから。

あなた達は今「天国がそれ(あなた達の関係)に与えた神聖のゴール」を負かそうとするのですか?

特別な者に持てる視点で「それ自身に対する幻想の裁き」に僅かでも影響されないものがあるでしょうか?
 


特別な者達は幻想を真理から守ろうとしてしまうのです。

何故なら、特別性とは神の意志に対する攻撃でしかないから。

あなたがこれ(特別性)を兄弟から守ろうとしている限り{あなたが兄弟より特別性を大切に考えている限り}、あなたは自分の兄弟を愛していません。

あなたの兄弟はこれ(あなたの特別性)を攻撃し、あなたはこれ(あなたの特別性)を守ろうとするのです。

あなたが彼に対して仕掛ける戦闘の地がここ(あなたが自分の特別性を尊んでいる状態)なのです。

ここにおいて彼(あなたの兄弟)が敵でなくてはならず、彼はあなたの友達では在り得なくなっているのです。

「お互いに違っている者達」の間には平和が訪れません。

しかしあなた達は同じなので、あなたの兄弟はあなたの友達なのです。



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