本当のアルタナティブ(本当の違いをもたらす選択肢)
問題を保持し続けることが世界の目的であるにも係わらず、問題に対する解決と脱出を世界が提供出来ると考える傾向が{あなた達には}あります。
何故そのような傾向があるのでしょうか?
何故なら、そこ(世界)は「様々な幻想の選択だけが選択肢に(選択可能に)見えている場所だから。
そしてあなたは{この世界の中で}あなたの選択の結果をコントロールしているのです。
だからあなたは誕生から死までの狭い帯域内で「あなただけの為に使う事の出来る僅かな時間が与えられている、その時間内であらゆる人々があなたと対立/闘争している、しかしあなたを対立/闘争から(あなたとは無関係な問題から)遠ざける道を選ぶことが出来る」と考えているのです。
であれば、それらの問題/関係から自分を置き去りにすることにより、あなたがそれらの問題から逃れることなど可能でしょうか?
自分で選んだ道を進みながらあなたは「あなたと共に行かねばならないもの」を自分と一緒に運んで行くのです。しかし世界はそのような選択肢{リアルな選択肢}を全く持っていません。
{世界の中に見えている}その全ての道は落胆/虚無/死へと続いているのです。その選択肢{世界が提供している選択肢}の中には本当の選択は存在していません。ここの中で{世界の中で}問題から逃れようと求めるのは止めなさい。
この世界は問題から逃れることが出来ないように作られているのです。
この道々{世界の中の道々}に与えられている様々に異なった名前に騙されるのは止めなさい。
それらは皆同一の終点しか持っていないのです。そして夫々の道は、その結果(同一の終点)を得る方法でしか無いのです。
何故なら、(それぞれの道の始まりがどれだけ違って見えても、どれだけ違う径路を見せていても)全ての道はここに到達するものなのだから。{世界の中の様々な選択から導かれる}それらの終点は確実なのです{確実に全て同じなのです}。 何故なら、それらの選択の中には違いが存在していないのだから{違いをもたらす選択肢が存在していないのだから}。
それらは全て死に至るのです。道によっては、ある程度楽しく進むでしょうがその内に暗闇が訪れます。道によっては、始った途端にその棘が感じられることでしょう。
{ここで提供されている}選択がもたらす違いは、終点(結果)の違いではなく、終点が何時現れるかという違いだけなのです。
全ての終点が確実に同じである時、そこに選択肢は存在していません。
もしかしたらあなたは(それらの選択が全て同じで在ることが学べるまで)それら全ての選択肢を試してみようとするかも知れません。
この世界が提供している選択肢は多大であるように見えています。 しかし全ての人々がそれらの選択肢が等しいことを見始める時がやがて来るでしょう。
人々はこれを見ようと(それぞれの選択が何をもたらすか調べようと)試みて死んで来ました。 何故なら、彼等は世界が提供している道筋以外の道は見ていなかったから。そしてこれらの道が彼等を何処にも導かないことを学んで、彼等は希望を無くして来ました。
しかし{世界の中の全ての選択が死しかもたらなさいと知って彼等が絶望していた}その時こそ彼等が一番偉大なレッスンを学べるチャンスだったのです。
全ての人達はこの地点まで辿り着き、その先に行かなければいけないのです。
世界の中には{根源的違いをもたらす}選択が全く無いことが完全な真実なのです。
しかし{世界の中にリアルな選択肢が存在していないという}この理解だけが学ぶべきレッスンなのではありません。
このレッスン{ACIMの学習}には目的が在るのです。そしてこのレッスン目的を認識することにより、あなたはこのレッスンが何の為に在るのか理解するのです。
何故あなたは他の道を(他の人のもとに、他の場所に)行こうとするのでしょうか? あなたはこのレッスンが始る道を学んだばかりで、まだこのレッスンが何の為に在るのか理解していないのに。
このレッスンの目的は「この答え以外の答えが発見出来る筈だとまだ信じている全ての人達が行なうべき探求」へ答えることです。
絶望を感じることなく今これを学びなさい。 この世界の中には答えの希望は存在していないのです。
今あなたの学習を早く進めなさい。そして「既に学んでいることを超えて、まだ学んでいないことへと届くまで、あなたは唯時間を無駄にしているだけだ」と理解しなさい。
何故ならこの最低のポイントから、学習の目的/目標が最高のハピネスへとあなたを導き、その最高のハピネス(幸福)の中でこのレッスンの目的がクリアに輝いていることを、そしてそれがあなたの理解の範疇に在ることを、あなたは見るのだから。
何故なら、「選択が本当は存在していない場所」に選択肢を見ている限り、どのような選択の力が使えるというのでしょうか?
あなたは世界の中に存在してない道を探すためにここに来ているのではありません。
これ(真実/平和)から遠ざかっていく道を辿ることによってハッピネス(幸福)が見つかると考えるのは止めなさい。そのような試み(平和から遠ざかること)は無意味で、それは{正しい}道では在り得ません。
{ゴールから}反対の方向に行くどの道程を進んだとしても、目的は見つからないことでしょう。
もしこれが理解の難しいものであったなら、このコースは学習不可能だったことでしょう。しかしこれが理解の難しいもので無い限り、このコースが学習不可能である筈はないのです。
そしてこのコースが学習不可能でないのならば、これは明白なことをシンプルに教えているだけなのです。
あなたがリアルな選択肢(今までとは別の選択)を見た時、そこに選択肢が存在しており、あなたはその選択を行う力を持っているのです。
この地点まで到達するまで、あなたは{本当の違いをもたらす}選択肢を持っては居ません。この地点に到達するまであなたに出来ることは、「どのようにすればあなた自身をより上手く騙す事が出来るか」決めることだけなのです。
このコースは『「(根本的には同じ幻想で、同じ間違えにしか過ぎない)様々な異なる形からどれか一つを選ぶこと」の中には決定の力は存在してない』と教える以上のことは目指していません。世界の中の全ての選択は次のこと{次に示される考え}に依存しているのです。
『あなたは「あなたの兄弟」と「あなた自身」のどちらかを選ぶのです。 そして兄弟が得た分だけ、あなたは失うのです。そして「あなたが失ったもの」が兄弟に与えられるのです。』
上記の考えは真理から全く異なっているのです。
「あなたの兄弟が失ったものをあなたも失うのです。そして、兄弟が得たものがあなたに与えられるのです。」という真理を学ばせることがこのレッスン{現状の世界の中に留まるレッスン}の目的なのです。
彼は彼の思考から離れてはいません。{神は神の思考から離れてはいません。}
しかしあなたは彼{神}の存在を忘れており、彼{神}の愛を覚えていません。
世界の中の道を通って彼{神}のもと届くことは出来ません。 また、世界の中のゴールは彼{神}と一つではありません。世界の中のどの道を通ったなら自分の中に至ることが出来るのでしょうか?
{世界の中の}全ての道は、旅とその目的を分離する為に作られており、無駄な彷徨に過ぎないのに。
「あなたであるもの」から遠ざかって行く全ての道が、あなたを混乱と絶望に導くのです。
神は神の思考を置き去りにはしませんでした。{ここで言う「神の思考」とは神の子と同義語です。}
神がそれら(神の思考)の傍を去ることは出来ず、それら(神の思考)が神を自分達の中から押し出すことも不可能でした。
神との合一の中にそれら(神の思考/神の子)は住んでいるのです。
それらのワンネス(神と神の思考の一体性)の中で、それぞれが十全に保たれているのです。そのような目的を持った道が在り得ると考えることは、何と馬鹿げた狂気なのでしょうか?そのような道で何処に辿り付けるというのでしょうか?どうしたらあなたがそのような道の上を歩き、あなた自身のリアリティを伴わないまま進むことが出来るというのでしょうか。
あなた自身からあなたの狂気を赦しなさい。 無意味な旅やゴールの無い目的は全て忘れてしまいなさい。それらには意味がありません。
あなたは「あなたであるもの(あなた自身)」からは逃れられません。
何故なら神は慈悲深く、神の子が神を捨て去ることを許さなかったから。
「神で在るもの(彼で在るもの)」に対して感謝しなさい。
何故なら「神で在るもの(彼で在るもの)」の中であなたは狂気と死から逃れるのだから。「あなた」が発見されるのは、彼(神)が居る所だけです。
彼(神)に辿り付かない道筋は存在していません。
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