Mar 11, 2013

Ch25-08

The Principle Of Salvation

救済の原則(原理)


聖霊は「あなたが聖霊に与えた全てのもの」をあなたの救済の為に使うことが出来るのです。

しかし聖霊は「あなたが与えなかったもの(あなたがとって置こうとしたもの)」は使えないのです。何故なら、(あなたがそれを聖霊に与える意欲を持っていなかったなら)聖霊はそれ(あなたが聖霊に与えなかったもの)をあなたから取ることは出来ないのだから。

もし聖霊がそれ(あなたが聖霊に与えなかったもの)をあなたから取ったなら、聖霊があなたの意志に反してそれを奪ったとあなたは信じてしまいます。

その場合、それを手放すことがあなたの意志であることが学べないのです。

あなたがそれを聖霊に完全に快く与える必要はありません。何故なら、そうすることがあなたに出来るのならば、あなたは聖霊を必要とはしていないのだから。

 
聖霊が必要としているのは次のことだけです。

それをあなた一人で保ち続けようとするのではなく、「聖霊がそれをあなたから受け取ること」をあなたが選び、そして『「誰にも損失を与えないもの」を自分は知っていない』とあなたが認識すること。

「あなたが得るために他の人が失う必要はない」というアイディアのに対して、これ(上記)を加える必要があるのです。 これ以外のものを加える必要はありません。
救済が必要としている唯一の原則がここに示されているのです。

「このこと{上記が真実だということ}に対するあなたの信心が強かったり、揺ぎ無かったり、これに反する信念からの攻撃が無くなる」必要は無いのです。

 

あなたは固定された忠誠心は持っていません。
しかし「既に救われている者は救済を必要としていないこと」を憶えておいてください。

『「まだ分離している者(自分に対してまだ分離している者)」にとっては不可能なこと』をあなたがするように求められてはいません。

「このようなマインド状態の中でも知恵(wisdom)を見つけることは出来る」という少しの信心を持ちなさい。
そしてこの少しの信心だけがあなたから求められていることに感謝しなさい。

「まだ罪を信じている者」の中には「罪への僅かな信心」だけしか残っていません。
救済されている者の正義や天国に関して、彼等が何を知っているというのでしょうか?

救済の中には、世界が全く知らない種類の正義が在るのです。

世界にとって正義と復讐は同じものです。何故なら、罪人は正義を「(もしかしたら他者からもたらされるかもしれない、逃げようのない)自分達への懲罰」としか見ないから。 

罪の法は犠牲者を要求するものなのです。

その犠牲者が誰か? それは少しも違いをもたらしません。{罪の法の犠牲者が誰であっても同じことです。}

いずれにしろ、死がコストであるべきで、それが支払われなくてはならないのです{と思われているのです}。
そしてこれは、正義ではなく、狂気なのです。

 
でも愛が憎しみを意味していた場合、死が永遠と無時間と生命に対する勝利として見られていた場合、どうやったら狂気の無い正義が定義出来るというのでしょうか?
正義について知っていないあなたは、それでも訊ねて答えを学ぶことが出来るのです。

正義は全てを等しく同等に見るのです。

「人が何かを持っているが故に他者がそれを欠いている必要(一人が何かを持っている故に他の人がそれを失っている状態)」は正義(正しいこと)ではありません。

何故なら、例えそれがどのような形で現れているにしろ、それ(一人の人が何かを持っている故に他の人がそれを失っている状態)は復讐なのだから。

正義は犠牲を要求しませ。何故なら、どのような犠牲も罪が確保され保管されるように作られているのだから{犠牲は罪を確立し保つ為に作られているのだから}。

犠牲は罪のコスト(代価)への支払いとして捧げられているのですが、それ{犠牲}がコストの全てでは無いのです。
{罪のコストの}他の部分は他者から奪い取られ、「あなたが手放そうとしていないもの全て」をアトーン(贖罪)する為に、あなたの「小さな」支払いの隣に横たえられるのです。

だから犠牲者は部分的にあなたとして見られ、誰か他の人がより大きな部分として{他の人があなたよりも大きな犠牲を払っているように}見えるのです。

{だからあなたも少しの犠牲を払っているように見えるのですが、あなたよりもさらに大きな犠牲を払っている者が居るように見えるのです。}

そして{罪の}コストの総量は、彼の分が多かったなら、あなたの分が少ないのです。

そして盲目な正義は{罪のコストが}支払われることによって満たされるのですが、誰が{罪のコストを}支払うかは問題では無いのです。



これが正義で在り得るでしょうか?

神はこのようなことは知りません。 しかし神は正義を知っており、正義を大変良く知っているのです。

何故なら、神は全ての人達に対して完全に公平なのだから。
神のマインドにとって復讐はエイリアン(異邦人/異物)なのです。

何故なら神は正義を知っているのだから。

 
正義とは公平であること(正しくあること)で、復讐することではありません。
公正/公平と復讐{が同時に成立すること}は不可能です。 何故なら、それらはお互いに対する否定であって、それらはお互いのリアリティを否定しているのだから。

特別性を少しでも考えることが出来るマインドを使って、あなたが聖霊の正義を共有することは不可能です。
もし彼(神)が、罪人が行なわなかった(しかし自分ではしたと罪人が考えている)犯罪に対して彼(罪人)を断罪していたなら、どうして彼(神)が公正で在り得るのでしょうか?

そしてもし『「懲罰のアイディアに取付かれている者達」がそれ(罪悪)を脇に除け、それを使わず、「それ(罪悪)が真実であると知覚/認識しないこと」を彼(神)が要求していたなら』、その場合正義は何処に在るのでしょうか?
 

「罪に意味が在るとまだ信じている者達」が聖霊の正義を理解することはとても難しいのです。
(罪に意味があるとまだ信じている)彼等は「彼(神)が彼等自身の混乱を共有している」と信じ、「彼等自身が信じている正義が必然的に内包している復讐」を避けることが出来ないのです。

だから彼等は聖霊を恐れ、彼の中に神の怒りを知覚するのです。

確かに(罪を信じている)彼等は彼に対して不正なのです。

「神自身の怒りの手で天国の炎から引きちぎられた雷によって彼等(自分達)が撃ち殺されることはない」と信頼することも彼等には出来ないのです。

彼等は天国が地獄だと信じており、愛を怖れているのです。

{聖霊によって}「あなた達は全く罪を犯してはいない」と告げられた時、深い疑いと怖れの戦慄が彼等の中を駆け巡るのです。

彼等の世界は罪の安定に依存しているのです。

そして彼等は『「神が正義として知っていることの脅威」が自分達と自分達の世界にとって「彼等が理解し愛している復讐」よりも破壊的である』と知覚/認識するのです。

だから彼等は罪を「失うこと」が呪いだと考えるのです。
そしてあたかも聖霊が「裏切りと罪悪と共に上からもたらされた地獄からのメッセンジャー」であるかの如く、あかたも聖霊が解放者や友達のフリをして神の復讐を彼等に対して働くものであるかの如く、彼等は聖霊の祝福から逃げ回るのです。

彼等にとって聖霊は「天使の衣を纏って騙そうとする悪魔」でしか在り得ないのです。

そして聖霊は「天国の門のように見える地獄へのドア」以外の開放は彼等にもたらしていないように彼等には見えるのです。

 
しかし正義が懲罰を求めている者達を罰することは出来ず、正義は「(罪人の積りでいる)彼等が本当は完全に無垢/無罪であることを知っている裁判官(判断者)」を持っているだけなのです。
正義の中では、彼(聖霊)が彼等を自由にすることが「必然」なのです。

そして彼等自身が公正ではなかった故に、そして彼等自身が無垢/無罪であると理解出来ていなかった故に、彼等が否定して来た彼等自身の栄誉(彼等に相応しい栄誉)の全てを彼(聖霊)が彼等に与えるのです。

 
罪人達には愛は理解不可能です。
何故なら「正義が愛から切り離されており、正義は愛以外の何か別のことを示している」と彼等は考えているから。

こうして愛が弱いものとして知覚されており、復讐が強いものとして知覚されているのです。
何故なら、裁き(判断)が愛のもとから去った時、愛は失われており、懲罰から救うには{愛は}弱すぎるのだから。 {そのように知覚されるのです。}

しかし愛の無い復讐は、愛から離れていることにより力を得ているのです。
そして(正義と生命力を奪われ、助ける力を持たず、力ない手を持つ)愛が無力に立ち竦んでいる今、復讐以外に「助け救えるもの」が居るでしょうか?

「これらの全てが真実だと考えているあなた」から愛は何を求めることが出来るのでしょうか?
正義と愛の中に居る彼(聖霊)が、あなたの混乱(あなたは沢山の混乱を与えることが出来ます)を信じることが可能でしょうか。


 あなたは彼(聖霊)を長く(遠くまで)信じるように求められている訳ではありません。
あなたに見える範囲だけ、そして「あなた自身に与えることが出来ないとあなたが認識しているもの」だけ、彼(聖霊)はあなたに捧げるのです。

神自身の正義の中で、彼/聖霊はあなたに相応しい全て(あなたのものである全て)を認識し 、しかし「それらをあなたがあなた自身の為に受け取ることは出来ない」と理解してもいるのです。
「無垢な者に相応しいギフト」をあなたに差し出すことが「彼(聖霊)の特別な働き」なのです。

そしてあなたが受け入れる全ての人達が、あなたのもとに、そして彼(聖霊)のもとに、喜びを持って来るのです。
あなたが受け入れるそれぞれの人達によって天国がより豊かに成ることを彼(聖霊)は知っているのです。

そして『愛に溢れた正義が神の子への支払い(神の子の権利)として知っているもの』を神の子が受け取った時、神が喜ぶのです。

何故なら、愛と正義は異なっていないから。
愛と正義は同じなので、だから慈悲が神の右手に立っており、神の子に対して「自分自身(神の子自身)を罪から赦す力」を与えているのです。


「全てに賞賛(評価/意味)を与えている彼」から何かが遠ざけられていることなど在り得るでしょうか?
{彼から何かが奪われていることが在り得たなら}それこそが不正義で、(どれだけ彼が彼自身の神聖を認識していなかったとしても)それは確かに「彼の中に在る全ての神聖に対して不正なこと」だから。

神は不正義は知りません。
神は『「神の子の死を求めている者/神の子の真価を全く見ていない者」によって神の子が裁かれること』を許しません。

神の子の為に正直に証言出来るどのような証人を彼等が呼び出せるというのでしょうか? 
そして誰が、彼の生命に反してではなく、彼の為に{彼の無垢を}懇願/証言することが出来るのでしょう?

あなたから彼へは正義は与えられません。

しかし神は「神が愛している子」に対して正義がなされることを確約しており、(彼/神の子への正当な支払いは復讐であると考えて)あなたが捧げようとするかもしれない全ての不義/不正から{神の子を}守るのです。


特別性は{特別性を信じている人は}、罪のコストが支払われている限り、誰が罪のコストを払うことに成っても構わないのです。
聖霊は、無垢が見られて認識されている限り、「誰が最後に無垢/無罪を見るか」には注意を払いません{無頓着です}。

何故なら(真実を本当に見た)その一人の証人が居れば十分なのだから。 シンプルな正義はそれ以上は求めません。
聖霊はそれぞれの人達に対して「そのような者(真実を見る証人)に成りたいと思わないか」尋ね、正義が愛に戻れるよう成り、そこで{愛の中で}満たされるようにします。

それぞれの人達が「愛と正義が分離していないこと」を学べるように、彼(聖霊)はそれぞれ特別な役割を各人に割り当てているのです。
そして(自分達の特別な役割を満たして、愛と正義が分離していないことを学んだ)両者は、自分達の合一によって(お互いと一つになることによって)一層強められるのです。

 
愛がなければ正義は偏見に影響されてしまい弱いのです。

そして正義無くして愛は不可能です。

何故なら、愛は公正で、原因なく罰することは無いのだから。
{そして}無垢に対する攻撃を認めるどのような原因が在り得るのでしょうか?

だから、復讐の中ではなく、正義の中で、愛は間違いを修正するのです。

そうしたなら{もし復讐の中で間違いを修正しようとしたなら}、それは無垢に対する不正なのだから。

もしあなたが「神の子が復讐に値することは不可能だ」と理解したなら、あなたは愛と正義の力のパーフェクトな証人に成れるのです。

全ての状況内でこれが真実であることをあなたが知覚する必要はありません。
(本当は「あなた自身の中で起こっている全てのこと」の影である)世界の中のあなたの体験を見る(探す)必要もありません。

『あなたは、あなたから来る必要は無く、「(とても偉大で神聖である故に、自身の無垢を疑うことは出来ない)より大きな自己」から来る必要がある』という理解が必要なのです。

 
あなたの特別な働きは「彼(聖霊)に呼び掛けること」です。 すると彼(聖霊)はあなたに微笑み、あなたの無罪をあなたに分け与えるのです。

彼(聖霊)の理解があなたのものに成るのです、聖霊の特別な働きが満たされるように。
こうして神の子は(自分の罪への証人ではなく)自分の無罪への証人を見つけたのです。
シンプルな正義があなたに与えられる為にあなたが聖霊に与える必要は何と小さいのでしょう。 

{シンプルな正義を得る為にあなたが聖霊に与える必要があるものは、何と小さいのでしょう。}



公平(偏見の不在)が無ければ正義もありません。
どうすれば特別性が正義で在り得るのでしょうか? {特別性は正義では在り得ません。}

あなたもまた惨めな罪人であるから裁くのを止めるのではなく、あなたは裁くことは出来ないのだから、裁くことを止めなさい。
特別(特別な者)が「全ての者にとって正義は同じである」と理解することが本当に出来るでしょうか?

一人から奪ってもう一人に与えることは、それら両人に対する不正であるに違いないのです。 何故なら、聖霊の視界内では彼等は同等なのだから。
父は彼等両方に対して同じ遺産を与えているのです。

より多くを持とうとしている者{人より多く持とうとしている者}や、より少なく持とうとしている者{一人より少なく持とうとしている者}は、自分が全てを持っていることを理解していないのです。

彼は「他者への支払い(他者の権利)が何で在るべきか」判断出来ないのです。

何故なら、彼は「彼(自身)」が貧しいと考えているから。

だから彼は嫉まねばならず「彼が裁いた者(自分が裁いた者)」から奪おうとする必要があるのです。

彼は公平ではなく、(彼自身の権利が彼には見えなく成っているので)他者の権利を正当に見ることは出来ないのです。

あなたは宇宙の全てに対する権利を持っています。

パーフェクトな平和への、罪の効果からの完全な解放への、神が神の子に差し出した「全ての意味で完全で喜びに満ちた永遠の命」への、権利をあなたは持っています

これだけが天国が知っている正義であり、聖霊が地球/地上に持って来る全てなのです。
あなたの特別な働き/役割は「パーフェクトな正義があなたの為に広がること」だけをあなたに示すのです。

そしてあなたはあらゆる形の復讐から安全に守られているのです。

世界はあなたを騙そうとしますが、世界が「神の正義」を「世界の正義」で取り替えることは出来ません。

何故なら、愛だけが正義で、神の子にどのような正義が与えられるべきか知覚出来るのは愛だけなのだから。

 

{あなたがどのような正義を与え受け取るべきから}愛に決めさせなさい。

『そしてあなたの不正ゆえに「神の正義があなたに割り当てた正義」をあなたがあなた自身から奪ってしまうこと』を怖れるのは止めなさい。

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