Mar 31, 2013

Ch26-03

III The Forms of Error    エラーの形
 

 

全ての問題を解決してくれるようにあなたが聖霊に助けを求めていない理由は簡単に理解することが出来ます。

 彼(聖霊)にとっては、特定の問題解決が他の問題解決よりも難しいことはありません。

全ての問題は彼にとって「同じ」です。

何故なら、それぞれの問題は同じアプローチ(方法)で、全く同じように解決されるのだから。

問題がどのような「形」をとっているように見えても、解決が必要な要素は変わりません。

問題は様々な形で現れることが可能で、問題が続いている限りそれは様々な形で現れるのです。

「特別」な形で問題を解決しようとすることは無意味です。

全ての時の中で問題への答えが与えられて、それがどのような形でも再発しないようになるまで、問題は何度も再発し続けます。

その時はじめてあなたは問題から解放されるのです。

 

聖霊は「あなたが持っているとあなたが考えている全ての問題からの解放」をあなたに捧げています。

聖霊にとっては全ての問題が同じなのです。それぞれの問題は(その問題がとっているように見えている形がどのようであっても)「あなたが得るためには誰かが犠牲に成って損失を被るべきだ(被らざる得ない)という要求」なのだから。

 

そして誰も失わないよう状況が整えられた時、問題が消えているのです。

何故なら、問題は「今はもう修正されている知覚のエラー」なのだから。

彼(聖霊)にとって、一つの間違いを真理の下に持って行くことは、他の間違いを真理の下に持って行くことよりも難しくはありません。

何故なら、そこに在るのは一つの間違いだけなのだから。

「損失(ロス)が可能で、誰かの損失が他の人の得に成り得るというアイディア」が唯一の間違いなのです。

もしこのアイディアが真理であったなら、神は不公平(不正)であるに違いなく、罪が可能で、攻撃が正当化されており、復讐が正しいことになってしまいます。

様々な形で現れている、この「ひとつ」の間違いには「ひとつ」の修正が与えられているのです。

「損失は存在していません。」{これが修正です。}

損失が在り得ると考えることが間違いなのです。

 

 

あなたは問題は持っていないのですが、しかしあなたは自分が問題を持っていると考えているのです。

しかしもし、それらの問題を他の問題とは違うものとしてあなたが知覚/認識している属性(問題の大きさや複雑さや時間や場所)とは関係なく、それらの問題が一つづつ消えて行くことを見たなら、あなたはもうそう考えること(自分が問題を持っていると考えること)は出来ません。

『あなたが見ているものに対して「あなた」が与えている限定が神を何らかの方法で限定出来ている』と考えるのは止めなさい。

正義の奇跡は全ての間違い(エラー)を修正することが出来るのです。

そして全ての問題は間違いなのです。

それ(間違い/エラー)は神の子に対して不正義を行なう(与える)ので、だからそれは真理ではないのです。

聖霊が不正義を「大きい/小さい」あるいは「多い/少ない」と評価することはありません。

 

聖霊にとって、それら(不正義)は特性(properties)は持っていないのです。

それらは「神の子が不必要に苦しんでいる間違い」でしかないのです。

だから彼(聖霊)は棘や釘を取り払うのです。

彼(聖霊)が立ち止まって痛みが大きいか小さいか判断することは無いのです。

彼は一つの判断しか行ないません。

その一つの判断とは「神の子を痛めることは不正に違いなく、だからそれは在り得ない」です。


 

「ある種の間違いだけを修正させて、別の種類の間違いを自分自身の為に取っておくこと(そのままにしておくこと)が安全だ」と信じているあなたは次のことを憶えておきなさい。

正義はトータル(全体的/総括的)なのです。

部分的な正義などは存在していません。

もし神の子が有罪なら、神の子は断罪されて地獄に落とされており、神の子が正義の神から恩寵を受け取るには値しないことになるのです。

しかしあなたが彼(神の子)を有罪と見て死んで欲しいと思ったからと云って、彼(神の子)を懲罰することを神に求めるのは止めなさい。

 

神は「彼の無垢を見る方法」をあなたに捧げています。

そこに見るべきものをあなたが見なかったからといって彼を懲罰しようとすることが正しいことでしょうか?

あなた自身が解決しようとして問題を保つ度に、あるいは、その問題には解決方法が無いと{自分で}判断する為に問題を保つ度に、あなたは問題をより大きくし、癒やしの望みの外に問題を置いたのです。{その時}あなたは正義の奇跡が公平であることを否定しているのです。

 
 
 

もし神が公平/正義であるなら、正義に解決出来ない問題は存在しないのです。

しかしあなたは「ある種の不正義が公平で正しく、あなた自身を保つために必要である」と信じているのです。

あなたはこれらの問題を「解決出来ないより大きな障害」と考えているのです。

何故なら、あなたは誰かにロス(損失)を被って欲しいのだから。そして、誰かが犠牲から完全に保全される{犠牲から完全に守られる}ことをあなたは望んでは居ないのだから。

 
 

今一度あなたの特別な役割を考慮してみてください。

その人の中にパーフェクトな無罪をあなたが見るように、「ひとり(ONE)」があなたに与えられています。

そしてあなたは彼からどのような犠牲も求めないのです。 

何故なら、彼がロス(損失)を被ることをあなたは意図しないから。

あなたが呼び出す正義の奇跡が彼のもとに在ると同じだけ確実に、それが{正義の奇跡が}あなたのもとに在るのです。

そしてそれが(正義の奇跡が)全ての者達によって受け取られるまで、聖霊は満足しないのです。

何故なら、『「あなたが彼(聖霊)に与えたもの」が全ての人達のものに成り、あなたがそれを与えたことにより、全ての人達が等しくそれを受け取ること』を彼(聖霊)が確約出来るのだから。

 

 
であれば、あなたの全ての問題に対する修正をあなたが受け入れる意図を持てるようになった時、あなたの解放がどれだけ大きなものになるか考えてみなさい。

あなたはひとつの問題も保とうとはしません。 何故なら、あなたはどのような形の痛みも求めないのだから。

そしてあなたは、聖霊の優しい視線の中でそれぞれの小さな痛みが解決されることを見るのです。

 
 

何故なら、彼(聖霊)の視界の中では、それら全ては小さく(永遠に解消され思い出されることのない)消え去る前の卑小な見かけでしかないのだから。

一度は「特別」な問題に見えていたものが、修正不可能な間違いに見えていたものが、癒やされようのない悩みの種に見えていたものが、普遍的な祝福へと変容されたのだから。

犠牲は消え去ったのです。

そしてその代わりに神の愛が思い出されるのです。 神の愛が輝き、犠牲と損失の全ての記憶を消し去っていくのです。

 
 

正義が怖れられるのではなく、正義が愛されるまで、彼(神)は思い出されないのです。

彼(神)は誰に対しても何に対しても不正では在り得ないのです。 何故なら、彼は「全ては彼に所属しており、全ては永遠に彼が創造した通りであること」を知っているのだから。

彼が愛している全てのものは無罪であって攻撃が届かないに違いないのです。
 

あなたの特別な役割がドアを広く開けるのです。 そのドアの向こうには彼(神)の愛の記憶が損なわれること無く完璧に保たれているのです。

あなたがするべきことは「地獄ではなく天国が自分に与えられることを願うだけ」なのです。すると{天国への}ドアを硬く閉ざしているように見えている全てのボルトやバリアーが取り外され消えて行くのです。

何故なら、パーフェクトな愛の中で父があなたを創造しており、『父があなたに与えているものをより少なく受け取ること』はあなたの父の意志ではないのだから。

 

 

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