Apr 6, 2011

証人

同胞のための証人に成るとはどういう意味でしょう?

法廷では被告人側の証人とは、被告人の無罪を証明してくれる人のことです。
(原告側の証人は原告者の正しさを証明するために呼ばれているひとです。ここでは被告側の証人に話を絞ります。)

つまり(ラジが言っている)「同胞のための証人になる」とはその人の無垢を証言すること、
その人が(本来罪を持っていない)神の子であることを見ることです。

どうしたからこれが出来るのでしょうか?
思考や推察を使っては出来ません。

それにはまず証人である私が、「自分が無垢で罪を持っておらず(分離的思考に捕われておらず)、自分が神の子である(自分が正しいマインド/良心をもっており、それを通して神と繋がっている)」ことを知っていないければいけません。
そして自分が無垢無罪な神の子であるので、自分の同胞も同様に無垢無罪な神の子なのだとわかるのです。

テレビを見れば、日本の原発が放射性のある水を海に流しているニュースが聞こえて来ます。
「寿司が食べられなくなる。日本の恥だ! 他の国に申し訳ないではないか。」
そういう思考(意見)も聞こえて来ます。
勿論これは同胞のための証人に成っている状態ではありません。

「放射性のある水が海に流れている」と聞えた時点で汚染/失敗/恥/国際的責任/危険という考えが反射的/反応的に起こっています。 そしてこの反応的考え(嫌悪感)の矛先は責任者(政治家/電気会社/科学者)に向けられるわけです。
これは怖れにより攻撃的思考が引き出されている状態で、私はまだ静寂には成っていません。

ではテレビを消しましょう。  思考も手放します。
呼吸の速度をゆっくりと落して深く息をしましょう。

神の子である私が神から離れられたことが在ったでしょうか?

続く...


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