May 10, 2011

Chapter 17-4

Shadows of the Past  
過去の影

赦すということは、過去にあなたが与えた愛(愛ある考え)だけを思い出し、そしてあなたが受け取った愛だけを思い出すことなのです。
それ以外はすべて忘れる必要があるのです。
赦しとは(あなた自身では行なわない)選択的記憶なのです。
何故なら、あなたが不滅にしようとしている幻影(シャドー・フィギュア)こそがリアリティの敵(リアリティを壊しているもの)だから。
神の子がしなかったことに対して神の子を赦そうと思えるように成りなさい。
幻影はあなたの定義/見解)は「彼(神の子)のしなかった事を彼(神の子)がした」とあなたが証明しようとして持ち出している証言者なのです。
あなたが彼等(幻影)を持ち込んだので、あなたは彼等を虐げるのです。
あなたが彼等(幻影)を自分の選択によって保っているのです。 あなたは彼らがどのようにしてあなたのマインドの中に入って来たか理解しておらず、彼等の目的が何か理解していないのです。

[彼等(幻影/あなたの見解)は、あなたの上に行なわれたとあなたが考えている悪(不正)を象徴しているのです。]
「悪に対して悪を返す」為だけにあなたが彼等を引き入れたのです。
彼等の証言によって(あなた自身を傷つけることなく)他者を有罪として考えることが出来るようになる事をあなたは望んだのです。
彼等(幻影)は、不聖な関係(関係に対するあなたの定義/見解)を持つべき「理由」をあなたに与えているのです。 これがエゴ(分離感覚)のゴールをサポートしています。 そしてあなたの関係をエゴの力の証言者にしようとするのです。
これら幻影が、あなたの視点の中で、エゴを聖なるものにしているのです。そして「エゴを安全に保つ為にあなたがしていることが本当の愛なのだ」とあなたに教えているのです。

幻影は常に報復の必要性を説きます。 それら(幻影)が持つ全ての関係は完全に狂気なのです。
これらの関係は常に「他者の真理とあなた自身の真理を疎外すること」をその目的としています。
だからあなたは{あなたと他者の}両方の中に実在していないものを見て、両方を復讐の奴隷にしているのです。
だから(どのように歪んだ理由付けで追憶が行なわれているにしろ)「あなたに過去の憎しみを思い出させること」があなたを魅了しているのです。だからそれが(あなたに過去の憎しみを思い出させていることが)愛の名前{愛の性質}を持っているように見えるのです。
そしてこれらの関係は全て最終的には「体を通して合一しよう(一体になろう)とする試み」に至るのです。 何故なら、憎しみを表現する方法として見ることが出来るのは体だけだからです。

すべての不聖な関係の中心に体があることは明白です。
あなた自身の体験がそれを教えてきました。
あなたにまだ理解出来ていないのは「関係を不聖にしている理由」です。
不聖はそれ自身の周りに「自分に似ているとそれが知覚したもの」を集めて自己を強化しようとします。(そして神聖も同じことを行うのです。)
不聖な関係の中では、他者(相手)の体との合一が図られるのではなく、「そこには居ない存在」の体との合一が図られるのです。
他者(相手)の体(それはすでに彼に対するかなり限定された知覚なのですが)そのものでさえも注意の焦点にはならないのです。
「復讐の幻想のために使えるもの」と「復讐が意図されている者達に容易に与えられるもの」が「本当に価値あるもの」として分離され(切り分けられ)意識の中心に置かれるのです。
不聖な関係を作り、それを保ち、それを壊す。 その全てのステップの中でリアリティからの乖離が進み分離がより酷くなるのです。
幻影がより一層大きくなり「幻影の中に居るように見えている人」は一層重要でなくなるのです。

確かに時間は不聖な関係に対して非情です。
何故なら、エゴが手にしている限り時間は無慈悲なのだから。 しかし優しさのために使ったなら、時間は優しいのです。
{時間を優しさのために使い始めたなら}殆ど瞬時に不聖な関係の魅力は色褪せ、それに対する疑問が生じます。
疑問が生じたなら疑念が入るのです。何故なら、その(不聖な関係の)目的は不可能だから。
幻想をその中心に据え保つことが出来ている関係は、夢想されているだけで、まだ全く作られてはいない関係だけなのです。 そこには全くリアリティが入っていないので、ハッピーな夢を乱すものはそこには居ないのです。
しかしこれが意味する事を考えて見なさい。 不聖な関係の中により多くのリアリティが入ったなら、それはより不満足なものに成るのです。
そしてより多くの幻想が取り込めたなら、より多くの満足が得られているように見えるのです。
だから不聖な関係の理想は、他者のリアリティが全く入らずに夢が汚されないで保たれることなのです。
そして他者がリアリティを持ち込む度合いが少なければ少ないほど、それがより良いことに見えるのです。
だから{エゴの}合一の試みは、合一を求め合った者さえ疎外することに成るのです。
何故なら「彼をその中から疎外する」為に、そして誰にも邪魔されない「至福」の幻想の中で繋がるために、それは「作られ」ているのだから。

リアリティからの分離だけが目的である関係の中に、聖霊が「体に対する聖霊の認識」を持ち込むことが出来るでしょうか?
赦しがそれを可能にするのです。
愛の考えだけを残して全てが忘れ去られたなら、そこに残っているものは永遠なのです。 そして変容された過去が「現在の事」として作られるのです。
すると過去が現在と衝突することが無くなるのです。
これを継続することにより、現在に対するあなたの知覚/認識の中で(そのリアリティとその価値を増やすことによって)現在を拡張するのです{するべきなのです}。
愛の考えの中には美しさの片鱗が垣間見られるのですが、それは(その中で憎しみが思い出されている)不聖な関係の醜さの中に隠されてしまっているのです。
しかしこの関係が彼に与えられたなら、この美しさが生き返るのです。 彼がそれに命と美しさを与えるのだから。

だからアトーンメント(救済/和解)の主題は過去なのです。 過去が分離の源で、過去の中で分離を解除する必要があるのです。
何故なら、分離はそれが作られた所で修正される必要があるから。
エゴは自分の問題を(問題の源ではなく、その問題が作られていない所で)解決しようと求めます。こうして問題が解決されないことを保障しようとするのです。
しかし聖霊は解決を完了させパーフェクトにしようとだけ意図するのです。
だから彼(聖霊)は問題の源を、それが存在している場所で探し、そこで問題を解除するのです。
彼が行う解除の各ステップで、分離がより一層解除されて行き、合一がより親密になるのです。
彼(聖霊)が分離の「理由」によって混乱することは全くないのです。
彼(聖霊)が分離の中で認識するのは「それは解除されるべきだ」ということだけです。

あなたの関係の中に隠れている美しさの片鱗を彼に発見させ、あなたに示させなさい。
その愛らしさはあなたをとても惹き付け、あなたはそれを二度と見失いたくないと思うように成るでしょう。
すると、あなたはそれに関係を変容させ、より多くの愛らしさが見えるようになります。
何故なら、あなたはそれ(愛らしさ)をより多く求め、それがあなたから隠され続けることを段々求めなくなるからです。
そしてあなたは「美しさが見えるように成る条件(状態)」を学び、それを確立しようとするでしょう。
彼(聖霊)があなたの前に(美しさの)片鱗をかざし、あなたの道を照らして、それをあなたにクリアに示すことをあなたが許したなら、あなたはこれら全てを喜んでするように成るのです。


神の子はひとつです。 「ひとつのものとして神と繋がっている者」をエゴが分離する(切り分ける)ことは出来ません。
神聖の輝き(片鱗)は(例えどれだけ深くそれが隠されていたとしても)それぞれの関係の中で安全(健在)に保たれています。 何故なら、ひとつの関係の創造者は、その全ての部分に彼自身を含めたのだから。

聖霊はこの部分(創造者自身が含まれている部分)だけを見るのです。 何故なら、ここだけが真実だと彼は知っているから。
あなたは(関係が)実在していない場所にそれを見て、(関係の)その真の姿を見ないことにより、関係をリアルではないものにして、それを不聖なものにしたのです。
(あなたの為にあなたのマインドを変えることが出来る)彼に過去を渡しなさい。
しかしその前に、あなたが過去に何を象徴させたのか(何故そうしたのか)十分に理解しなさい。

簡潔に言えば、現時点では、過去はあなたの言い訳として使われているのです。
現在に抵抗してエゴと共に不聖な連合に入りそれを継続しようとする、あなたの言い訳として過去が使われているのです
何故なら、現在は赦しなのだから。
だから「不聖な連合が主導権を握っている関係」は(不聖な関係は)、現在のものとしては知覚されず、それは「現在のこと」としては感じられないのです。
しかし、現時点で意味の為に(理解の為に)参照されている枠組みは、過去に対する幻想なのです。{現時点であなたが過去を振り返っている時、あなたは幻想をもとに記憶を作り上げているのです。}
その中に(過去の幻想の中に)「不聖な連合の目的に合致する要素」が保たれており、それ以外の全ては無視されているのです。
だからあなたは、過去が現在に与えることが出来る全ての真理(リアリティへの証言)を見過ごしており、夢のリアリティ(夢に与えられている現実感)だけが証人として保たれているのです。

真理と繋がるか幻想と繋がるか、その選択は今でもあなたのものです。
しかし、どちらかを選んだなら、もう片方は手放さなければいけないことを覚えておきなさい。
あなたが選んだほうに、あなたは美とリアリティ(現実感)を与えるのです。
何故なら、あなたの選択はあなたが尊んでいるものによって決まるのだから。
美しさの輝きか、醜さのヴェールか。 リアルな世界か、罪悪と怖れの世界か。真理か幻想か。 自由か隷属か。 それらの選択は全て同じです。
何故なら、あなたは常に神とエゴのどちらかを選ぶことしか出来ないのだから。
思考システムは、正しいものか間違ったものか、そのいずれかに違いありません。
それら思考システムの属性(思考システムがもたらすもの)の全ては単に思考システムそのものを示しているだけなのです。
そして神の思考だけが真理なのです。
真理が聖なる源から来ているように、それら(思考システム)の後を付いて来るものは、それら(思考システム)からもたらされているのです。 

私の聖なる兄弟達よ、私はあなた達全ての関係の中に入り、あなたとあなたの幻想の間に立ちはだかります。
私とあなたの関係をあなたにとってリアルなものにしなさい。 そして私が「兄弟に対するあなたの知覚」にリアリティを与えることを許可しなさい。
それら(リアリティ)は「あなた達が彼等(他者)を通して自分達を傷つけられるように作られているもの」ではありません。
それらはあなたと共に創造する為に作られているのです。
これが(あなたとあなたの狂気のゴールの間に)私が挿入する真理です。
私から離れ続けるのは止めなさい。そして復讐の夢の中でアトーンメント(和解)の聖なる目的があなたから失われないようにしなさい。
そのような夢が尊ばれている関係が私を疎外しています。
神の名において私を受け入れ、私が平和をもたらせるようにしなさい。
そうすればあなたが平和を私に捧げることが出来るようになります。

訳注:

Body(体)という英語には「体/身体」という意味と「組織の総体」という意味があり、ここではその両方が意図されているようです。

1 comment:

  1. 「影の形」を「幻影」と書き直しました。 訳註を書き加えました。

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