Jun 14, 2011

Chapter 31-2

The Illusion of an Enemy  
敵の幻想

{Walking with Christ [キリストと共に歩む]がJCIM版でのセクション名です}

 
古代のレッスン{分離のレッスン}は、新旧の対立によって克服されるものではありません。
真理を教え知らせる為に何かを打ち負かしたり、真理をアピールする為に何か(誰か)と戦って負ける必要はありません。

 戦闘に備える必要はなく、拡張する(引き伸ばす)べき時間はなく、新しいものを引き出すためにプランを練る必要もないのです。
古代の戦いが真理に対して布告されてはいますが、真理はそれには反応しません。
自分で自分を傷つけない限り、誰がかような戦いで傷つけられ得るでしょうか?

彼は(人は)本当は敵を持っていません。そして彼が夢によって攻撃されることが在り得るでしょうか?

 
「あなたとあなたの真理の間に立ちはだかっているように見えているもの」をもう一度調べてみましょう。 何故なら、これを放棄するためには幾つかのステップを踏む必要があるのだから。
初めのステップであなたは選択する必要があります。その後、真理があなたに与えられるのです。

あなた(達)は{自分達で勝手に}真理を設立しようとしたのです。 {自分達で真理を決めたいという}あなた達の願いによって、何かを決める必要があると考える度に、二つの内から一つを選択するようになっています。 しかしそのどちらの選択肢も真実ではないのです。

そしてそれらの選択肢はどちらも基本的に同じなのです。 

しかし、あなたがそれらを超えて見られるように成り、「本当に異なる違いをもたらせる選択肢」を選べるように成る前に、わたし達は{根本的に違いをもたらさない}その両方の選択肢を見据える必要があります。 

しかし(この点が不明瞭に成っているかもしれませんが)あなた達が作った夢の中であなたがこれを(本当に異なる選択を)するわけではありません。

{夢の中で}あなたが選ぼうとしているのは{本当の}選択ではなく、自由の幻想を与えることだけなのです。何故なら、(あなたがどちらを選んだにしろ)それは同一の結果しかもたらさないのだから。 だからそれは本当は全く選択ではないのです。

リーダー(先導)と追従者は別々の役割として現れ出るものです。 そしてそれらの役割はあなたが手放したくない優位性をそれぞれ持っているように見えます。

だからこれらの役割を混ぜ合わせたなら、そこに満足と平和が得られるような気がするのです。

あなたは自分をこれら二つの役割に分離しているように見ており、この二つの間(リーダーと追従者)で自分が永遠に分けられていると思っています。

そしてあなたの全ての友と敵が「あなたをこのことから助ける方法{自分がリーダーとその追従者に分離していることを認識しないで済ませる方法}」に成っているのです。

もしかしたら、あなたはこれを愛と呼んでおり。もしかしたら、あなたはこれをやっと行なえた正当な殺人(正当防衛)と考えています。
 

あなたは特定の人に(本当は自分でしたかった)リーダーの役割を与えており、その人を憎んでいるのです。 そしてもし彼がリーダーの役を受け取らなかったならやはり彼を憎むのです。 時にはあなたは自分の中の追従者を現し、リーダーの役を他に譲りたいと思うのです。

あなたはこの為に自分の兄弟を作ったのです。 そしてこれが彼の役割だと(あなたのリーダーに成ったりあなたの追従者に成ったりすることがあなたの兄弟姉妹の役割だと)考えるように学んだのです。

もし彼がこの役割を担わなかったなら、彼はあなたが彼に与えた機能を全うしていないのです。 すると彼には役割が無くなり、あなたにとって役立たずに成るので、彼は死に値することになります。
 

さて彼の側ではどうなのでしょう?
彼はあなたから何を求めているのでしょうか? あなたが彼から求めているものを、彼もあなたから求めているのです。{彼も、あなたが彼のリーダーに成ったり、彼の追従者に成ったりすることを求めているのです。}

ここにおいて生命が死と同じぐらい容易(に選択されているのです)。
何故なら、あなたが選んでいるものを、あなたは彼の為にも選んでいるのだから。{あなたが生命を選んだなら、あなたは彼の為にも生命を選んでいるのです。 あなたが死を選んでいるなら、あなたは彼の為にも死を選んでいるのです。}
 

あなたは彼に二つの呼び掛けを行い、彼もあなたに二つの呼びかけを行なうのです。この二つの間に選択が存在しています。何故なら、これらの各呼び掛けからは異なる結果が得られるのだから。

彼があなたにとってリーダーでも追従者でも、それは違いをもたらしません。何故なら、あなたは既に死を選んでいるのだから。{何故なら、「あなたが彼に与えたリーダあるいは追従者の役割」を彼が止めた途端、彼は死に値することになるのだから。 この部分は呼び掛けではなく、呼び掛けへの応答を説明しています。訳注}

しかし彼が、死/生のどちらを呼ぶか、憎しみと赦しのどちらを呼ぶか、によって異なる結果がもたらされるのです。{何故なら、あなたが生を選んだ場合、彼も生を呼び掛けていることがあなたに聞え、あなたが死を選んだ場合、彼も死を呼び掛けていることがあなたに聞えるのだから。訳注} 

その中の一つ{彼が死/憎しみを呼び掛けていること}を聞いたなら、あなたは彼から分離しており、失われている(迷子に成っている)のです。

他方の呼び声{彼が生命/赦しを呼び掛けていること}を聞いたなら、あなたは彼と繋がり、あなたの答えの中に救済が見つかるのです。

 
彼の中にあなたが聞く声は、あなた自身のもの(あなた自身の声)なのです。
彼はあなたに何を尋ねて(あなたから何を求めて)いるのでしょうか? 

よく聞きなさい。何故なら彼は「あなたのもとに来るもの」を求めているのだから。

あなたはあなた自身のイメージを{彼の中に}見ており、そして「あなたの声があなたの求めているものを要求していること」を{彼の中で}聞くのです。

 この質問に答える前に、立ち止まって次のことを考えて見なさい:

 The answer that I give my brother is what I am asking for. And what I learn of him is what I learn about myself.

[私が自分の兄弟に与えている答えが、私が求めているものなのです。
そして彼について私が学んだことが、私が私自身について学んだことなのです。]

 
わたし達は少し待って静かに成りましょう。 わたし達が知っていると考えて来たことを全て忘れて、わたし達がどれ位知らないか思い出しましょう。

わたし達が得られるのは「彼がわたし達と共に得たもの」だけなのです。 彼が進めなかったなら、わたし達は後退してしまうのです。 怒りではなく愛をもって彼の手を取りなさい。何故なら彼の進歩の中であなたは自分の進歩を計るのだから。 そしてあなたが彼を自分の傍に安全に保たなければ、わたし達はバラバラに進んでしまうのだから。

 神の愛の中では彼はあなたと同等の者なので、あなたは全ての「見かけ/見せかけ」から救われており、あなたに呼び掛けているキリストに答えることが出来るのです。

 静まって聴きなさい。古代の思考を考えるのは止めなさい。

あなたに呼び掛けているこの神の子に関してあなたが学んだ陰鬱なレッスンは忘れてしまいなさい。

 キリストは全て(全員)に対して同じ優しさで呼びかけています。リーダーを見ることなく、追従者を見ることなく、彼等全員に対する一つの答えだけを聞いているのです。

彼(キリスト)は「ひとつ」の声を聞いているので、神が彼(キリスト)を神の唯一の息子として任命している限り、彼(神)が与えたひとつの答えから異なった答えを聞くことは彼(キリスト)には出来ません。

 
少しだけ(一瞬だけ)とても静かに成りなさい。以前にあなた達が学んだ思考の全てを捨てて来なさい、そしてあなた達が作ったイメージを手放しなさい。あなたの抵抗や意図がなくなれば、新しいもの(新しいイメージ)の前で古いもの(古いイメージ)は抜け落ちます。

 「大切で守る必要があるとあなたが思ったもの」への攻撃はなされません。「決して発せられなかった呼び掛けを聞こうとしていたあなたの願い」への攻撃は起こりません。

 (静かに聞く為に、そして「あなたが本当に望んでいるもの」の真実を学ぶ為に、あなたが訪れている)この聖なる場所であなたを傷付けるものは何もありません。

あなたが学習するべきはこのこと(上記のこと)だけなのです。

しかしあなたがこれを聞いている時、あなたは自分が求めていなかった(そして決して真実には成らなかった)思考を手放してここに来る必要があることを理解するでしょう。


あなたの兄弟の見かけ(様相)を全て赦しなさい。 それらは、あなたが自分に教えた「自分の中の罪深さ」の古代のレッスンにしかすぎません。

慈悲への彼の呼び掛けを聞いて、彼が「彼であるもの」に押し付けている怖ろしいイメージから(彼を)解放しなさい。 {そして、そのイメージが「あなたはこうであるに違いない」という定義もおこなているので、彼がそのイメージから解放されれば、あなたも怖ろしいイメージから解放されるのです。}

彼はあなたと共に歩むことを怖れており、(あなたより)少し後か前に居た方が自分を安全に保てると考えています。

 
あなたが(彼と)同じ考えをもっていたなら(彼が後退した時だけ自分が進み、彼が進んだ場合自分が後退してしまうと考えたなら)、あなたは前に進めるでしょうか?

何故なら、その場合あなたはこの旅のゴール(目的)を忘れてしまうから。

この旅のゴールとは、(どちらかがリーダーに成ったり追従者に成ったりすることなく)彼と共に歩く決断をすることなのです。

だからこれはあなた達が(一人きりではなく)一緒に歩く道なのです。

この選択をしたなら学習の結果が変わるのです。 何故ならその時、あなた達両者の下にキリストが生まれて来ているのだから(キリストが再来しているのだから)。

 
「誰があなたの偉大なコンパニオンなのか、彼は(あなたの偉大なコンパニオンは)何を求めているべきなのか」に対するあなたの古いアイディア無しに一瞬でも過ごしたなら、これが(キリストの再生/再来が)可能になるのです。

 そしてあなたは「彼の目的があなたのものと同じである」と知覚/認識するのです。

「あなたが求めているもの」を彼も求めており、あなたと同じ必要を持っているのです。

それは(必要や欲求は)彼の中では(あなたとは)違う形で表れているかもしれません。 しかし、いずれにしろあなたは形に答える訳ではありません。

彼が訊ね求め、あなたが受け取ります。 何故なら、あなたはひとつの目的だけを抱いて来ているのだから。 その目的とは、あなた達両者が兄弟の愛でお互いを愛していると学ぶことです。

そして兄弟として、彼の父があなたの父でもあるに違いないのです。 そして彼はあなた自身に似ているに違いないのです。

あなた達の共有されている相続権は、あなた達両者によって一緒に思い出され受け取られるのです。

孤独である限り、それ(父からの遺産)はあなた達両者のどちらにも与えられないのです。


 あなたがリーダーに成ったり追従者に成ったりする事にこだわっている間、あなたは「誰も連れずに自分は一人で歩いている」と考えているのですが、これがまだ明確に理解されていません。

それ{現在あなたが一人で歩いている道}は袋小路です。 何故なら、あなたが一人で歩いている限り光は与えられず、自分が何処に向かっているかあなたには見えないのだから。

だからあなたが暗闇の中一人で行き来している時、そこには混乱があり、終わりのない疑念があるのです。
しかしそこに見ているのは、旅の様に見えているもの、旅が作られている様子だけなのです。

何故ならあなた達の隣には、あなた達のために光を燈している者がおり、各ステップを確実に安全にすることが出来るのだから。
目隠しは確かにあなたの視界を隠すことが出来ますが、それが道そのものを暗くすることは出来ません。

そしてあなた達と一緒に旅している彼(聖霊)が光を持っているのです。

1 comment:

  1. 2012年10月19日に修正しました。

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