Aug 31, 2011

Ch18-5~6

The Little Willingness 
少しの意欲

聖なる瞬間は「神聖に成ろう」というあなたの決意の結果なのです。
これ(聖なる瞬間)は「答え」です。
これを来させようとする意欲と熱意があればこそ、これ(聖なる瞬間=答え)がやって来るのです。
自分が何よりもましてこれ(答え)を求めていることをあなたが認識している度合いに比例して、あなたは自分のマインドを答えの為に整えているのです。
あなたはこれ(意欲と熱意をもって答えを求めることにより、自分のマインドを答えの為に整えること)以上のことをする必要は無いのです。 実際これ以上のことはあなたには出来ないと理解する必要があります。
聖霊に「聖霊が求めていないもの」を与えようとするのは止めなさい。そうでなければあなたは聖霊にエゴを付け加えてしまい、その二つをとり違えてしまいます。
聖霊は少しを求めています{あなたから少しの意欲を求めています}。 そして聖霊は偉大さと力を{あなたの意欲に}加えるのです。 {少しの意欲=聖霊に譲る意欲}
聖霊はあなたと一緒に繋がって、聖なる瞬間をあなたには理解出来ない程偉大にするのです。

あなた自身では少しのこと(聖霊に譲る意欲を与えること)しかする必要がないという理解によって、聖霊がとても多くを与えられるように成るのです。
あなた自身の良き意図を当てにするのは止めなさい。 それは不十分なのです。
そうではなく、例えどの様な状況に成っても{聖霊/神/ガイドに譲る}あなたの意欲だけを信頼しなさい。これだけに集中しなさい。 そして周りに影が見えても心配するのは止めなさい。
このこと故にあなたはここに来ているのです。 もしあなた達が聖なる瞬間無くしてここに来ることが出来たなら、あなた達は聖なる瞬間を必要とはしていなかったことでしょう。
傲慢を持たずに聖なる瞬間の中に行きなさい。聖なる瞬間が来ることによって引き出される状態をあなたが達成することを疑わずに。
聖なる瞬間の奇跡は(聖なる瞬間をそれそのままに存在させる)あなたの意欲に掛かっています。
そして本来のあなた自身をあなたが受け入れることも、このこと(聖なる瞬間をその真の姿のままにし続けること)に対するあなたの意欲に掛かっているのです。

謙虚とは、あなたが卑小さで満足してしまうことではありません。
謙虚とは、あなたが「自分に由来している偉大さに満たないもの{己から来ている卑小なもの}」では満足しないことなのです。
聖なる瞬間が難しいのは「自分はそれに値しない」とあなたが頑固に信じているからです。
そしてこれは(自分が聖なる瞬間に値していないという思い込みは)「思い通りの自分に成りたい」というあなたの決心から来ているのです。
しかし神は自分に相応しくない住家を自分の為には創造しませんでした。
{この神の住家があなたなのです。 訳注}
神が行こうとしている所に神が入れないとあなたが信じていた場合、その時あなたは神の意志を妨害しているに違いないのです。
{聖霊に譲る}意欲(willingness)の力はあなたから来る必要はなく、神の意志だけから来る必要があるのです。

聖なる瞬間は、あなたの少しの意欲(聖霊に譲る意欲)だけから来ているものではありません。
それは常にあなたの少しの意欲と神の意志の無限の力が融合したものなのです。
(あなた自身を神の為に準備する必要があると考えていた)あなたは間違えていたのです。
神聖の為の準備を傲慢に行ってしまったなら、あなた自身で平和の条件を設立する必要があると信じてしまわない訳にはいかなくなります。
神が平和の条件を設立したのです。 平和の条件は(それを自分で決めたいという)あなたの意欲によって左右されるものではありません。
平和の条件を(聖霊が)あなたに教えることが出来るようにする為に、あなたの{譲る}意欲が必要なのです。

自分はこの学びには値しないと考えた場合、「自分が学習者を変えなければいけない」と信じることにより、あなたはこのレッスンの邪魔をしてしまうのです。
しかしあなたは学習者を作ってはおらず、学習者を変えることも出来ないのです。
あなたはまず最初にあなた自身から奇跡を作り出しておいて{何が奇跡か自分だけで定義して}、それからあなたの為に奇跡が作られることが期待出来ると考えていたのです。
しかしあなたがただ「質問」を訊ねれば答えが与えられるのです。
質問に答えようとするのではなく、与えられた答えをそのまま受け取りなさい。
聖なる瞬間を準備するに当たっては、聖なる瞬間を受け取る為にあなた自身を神聖にしようと試みるのは止めなさい。
そのようなことをすれば、あなたの役割と聖霊の役割を取り違えることに成ってしまいます。
アトーンメント(和解/贖罪)は、自分が始めに償わなければいけないと考えている人達にはもたらされず、アトーンメントの邪魔をしないようにシンプルに譲る意欲だけを捧げている人達だけにもたらされるのです。
浄化は神だけがあなたの為にすることです。
神の為にあなた自身を整えようとするのではなく次のように考えなさい。

[神のホストである(神を宿している)私はそれに相応しいのです。自身の住家を私の中に確立した神自身が、それ(神の住家=私のマインド)を自身の意志に従って創造しています。
私がそれを神の為に整えることは必要ではありません。{神の意志に譲ろうとする}私の意欲に対する私自身の気付き/意識(それは永遠なのです)を修復しようとしている神のプランの邪魔をしないことだけが私に求めれていることなのです。
私は神のプランに何も付け加える必要はありません。神のプランをただ受け取って、神のプランを私自身のプランで取り替えよう(代用しよう)とはしなくなる必要があるのです。]

"I, who am host to God, AM worthy of Him. He Who ESTABLISHED His dwelling-place in me created it as He would have it be. It is not needful that I make it ready for Him, but only that I DO NOT INTERFERE with His plan to RESTORE to me my own AWARENESS of my readiness, which is eternal. I need ADD nothing to His plan. But to RECEIVE it, I MUST be willing NOT to substitute my own, IN PLACE of it."

これで全てなのです。これ以外のものをあなたが付け加えようとしたなら、ここで求められている少しのもの{あなたの譲る意欲}が取り去られてしまうのです。
思い出して下さい、あなたは罪悪を作ったのです。
そして罪悪から逃れようとしているあなたのプランは、アトーンメント(和解/贖罪)を罪悪の下に持って行き救済を怖ろしいものにしてしまうのです。
そしてあなたが自分であなた自身を愛の為に整えようとした場合、あなたは怖れだけを付け加えてしまうのです。
聖なる瞬間の準備は(聖なる瞬間をあなたに与える)彼/聖霊の役割なのです。
(解放する役目を負っている)彼/聖霊に対してあなた達自身を解き放ちなさい。
彼/聖霊の代わりに彼の役目を行なおうとするのは止めなさい。
彼/聖霊が求めているものを彼(聖霊)に与え、あなたの役割がどれだけ小さなものか、そして彼(聖霊)の役割がどれだけ偉大なものか学びなさい。

このことが聖なる瞬間をとても簡単でナチュラルにしているのです。
「もっと自分でやることがあるに違いない」と固執することによりあなたがこれを難しくしているのです。
とても沢山のものを受け取るために、とても少しのもの(譲る意志)を与える必要があるというアイディアを受け入れることはあなたには難しいのです。
そしてあなたの貢献と聖霊の貢献にこれ程の差があることが、あなた個人に対する侮辱ではないと理解することはあなたにはとても難しいのです。
あなたは今でも「自分の理解が真理へのパワフルな貢献で、自分の理解が真理を真理にしているのだ」と信じ切っているのです。
わたし達はあなたは何も理解する必要がないことを強調し続けてきました。
救済は簡単なのです。 何故ならそれは今あなたに与えられること以外は何も求めていないのだから。

「自然で簡単なこと全てを自分にとって不可能にしようとしたこと」があなたの決断だったことを忘れないで下さい。
不可能だとあなたが信じたことは不可能に成るのです。 
神が「このようにあれ」と意図したことでも(それは不可能だとあなたが信じたなら)あなたはそれに対してとても無意識なままで、それには気付けないのです。
もし「聖なる瞬間は自分にとっては難しい」とあなたが信じているなら、それはあなた自身が「何が可能か」判断する裁定者に成ってしまっており、「知っている者」に場所(認識)を与えないようにしようとしているからです。
奇跡の難しさに違い(奇跡の難易度に違い)があるという信念の全ては、このこと(あなたが「知っている者」をその居るべき場所から排除し続けていること)から来ているのです。
神が意図していること全ては可能であるだけでなく、それらはすでに起こっているのです。
だから過去は消え去っているのです。リアリティ内では過去は全く起こらなかった(起こっていない)のです。
あなた達のマインドの中だけから過去を解除することが求められているのです。
(あなた達のマインドの中でだけ)あなた達のマインドは過去を行なったつもりでいるのです。


The Happy Dream 
ハッピードリーム(幸福な夢)

今、決して起こらなかった事(初めから起こってなどいなかった事)が解除されます。
もしすでにあなたが真理と幻想の違いを理解していたなら、アトーンメント(和解/贖罪)は無意味で不必要だったことでしょう。
(もしあなたがすでに真理と幻想の違いを理解していたなら)聖なる瞬間も、あなたの聖なる関係も、聖霊の教えも、そして救済が達成される全ての方法も必要なかったはずです。
何故ならそれらは全て、あなたの怖れの夢を幸福な夢に変えるプランの一部でしかないのだから。 そして幸福な夢の中に移行した後、あなたはそこから容易に叡智へと目覚められるのです。
あなたは前進と後退を見分けることが出来ていないのだから、あなた自身にこの責任(怖れの夢から幸福な夢へ移行する責任)を与えるのは止めなさい。 
あなたは自分の最大の進歩を失敗と判断しており、最大の後退を成功と評価してしまっているのです。

自分のマインドから怖れと憎しみを全て取り去ろうとした後で聖なる瞬間に手を伸ばそうとするのは止しなさい。
それをすることが(怖れと憎しみを取り去ることが)聖なる瞬間の役割なのだから。
聖霊の助けを求める前にあなたの罪悪を見過ごそうとすることは止めなさい。 聖霊の役目がそれ(あなたの罪悪を見過ごすこと)なのだから。
あなたの役割は、少しの意欲(譲る意欲)を聖霊に与えることにより、全ての怖れと憎しみを聖霊に取り除かせて、そしてあなた自身が赦されることなのだから。
聖霊の理解と繋がったあなたの少しの信心の上に、聖霊はアトーンメント(和解/贖罪)に対するあなたの役割を作り、あなたがその役割を簡単に果たせるようにします。
聖霊と共に、あなたは信心という揺るがぬ岩に支えられた橋を作り、天国へさえも昇って行くのです。
しかしあなたはそれを使って一人で天国に昇天することは出来ないのです。

あなた達の関係は(あなたが自分ではアレンジ/準備しなかった)それぞれの聖なる瞬間の中で生まれ変わっており祝福されており、その関係を通してあなたと共に何千もの人達が天国に昇って行きます。 
あなたにこのようなプランが作れたと思いますか?あなたはこのような役割の準備を自分自身に整えさせられたでしょうか?{答えはNOです。}
それでもこれは可能なのです。 何故なら神がそれを意図したのだから。そして神はこの事に関して自身の意図を変えることは無いのだから。
この方法と目的の両方は彼(神)のものです。 あなたは(彼から)その中の一つを受け取りました。 もう一つは(これからあなたに)提供されるのです。
方法無くして、このような目的は考えられません(これを達成する方法がなかったならこの目的も在り得ませんでした)。
神は、自身の目的を分け合っている全ての者に対して(適切な)方法を提供するのです。

(それぞれの人達にとって)ハッピードリーム(幸福な夢)は真に成るのです。 それはハッピードリームが夢だからではなく、ハッピードリームが幸福なものだからです。
だから各ハッピードリームは「愛を与えるもの(loving)」であるに違いないのです。
ハッピードリームのメッセージは「私はこれを違うようにして欲しい」ではなく「あなた(神)の意志がなされますように」"Thy Will be done," and NOT, "I want it otherwise." なのです。
方法と目的の向きを一致させること(一致させるやり方)を、あなたが理解することは不可能なのです。
あなたは自分が聖霊の目的を自分のものとして受け入れていることさえ理解していません。 だから{自身で方法を決めようとした場合}あなたは不聖な方法を達成しようとしてしまうだけなのです。
方法を受け取りそれを使う為には、(あなたの)目的を変える為の少しの信心{聖霊を信頼し譲る心}だけが必要とされているのです。

あなたの兄弟をあなた自身として愛することは夢ではありません。 そしてあなたの聖なる関係も夢ではありません。
聖なる関係の中にある程度夢が残っているのは、それ(あなたの聖なる関係)がまだ特別な関係のままであるからです。
しかしあなたの特別な関係は「(ここで特別な役目を持っている)聖霊」にとってとても有用なものなのです。
あなたの特別な関係がハッピードリームに成るのです。聖霊はあなたの特別な関係を通して(愛が幸福ではなく怖れだと信じている)幾千もの人達に喜びを与えるのです。
聖霊があなたの為に(あなたの代わりに)役割を受け入れることによって「聖霊があなたの関係に与えた役割」を聖霊が満たすことを許可しなさい。
そして聖霊が何かをこうしよう/こうさせようとした時、その為に不足しているものは何もないのです。

何かによってあなたの関係の神聖が脅かされていると感じている時、あなたは直ぐに(怖れを感じ続けることを)止めて聖霊に自分の意欲(譲る意欲)を捧げなさい。 
そうすれば聖霊がその瞬間(怖れの瞬間)をあなたにとってより好ましい聖なる瞬間と取り替えてくれます。
聖霊がこれに失敗することは決してありません。
しかしあなた達の関係が「ひとつのもの」であって、一人の平和を脅かしているものはもうひとりの人(相手)にとっても同じ脅威であることを忘れてはいけません。
繋がることの力と祝福は「繋がった後のあなた達両者は、もう一人で怖れを体験することが不可能に成っており、怖れに対して一人で対処しようとすることも不可能に成っていること」から来ているのです。
そのようなこと(怖れを一人で体験したり、怖れに一人で対処すること)をする必要があるとか、そのようなことが可能だと信じるのは止めなさい。

そしてそれ(怖れを一人で体験すること)が不可能であるように、(特別な関係を持っている)あなた達の内の片方だけのもとに聖霊が来ることも不可能なのです。 (相手のもとに行くことなく聖霊があなたのもとだけに来ることは在り得ず、その逆も在り得ません。)
聖霊は(あなたか相手か)どちらか片方の求めに応じて、両者の為にやってくるのです。
脅威が認識された場合、より正気だった人が「相手に対する自分の負債がどれだけ深いか、そして自分は相手にどれだけ感謝するべきか」思い出すべきなのです。そしてあなた達両者に幸福をもたらすことによって相手が彼自身の負債を支払うことが出来ることを喜びなさい。

下記のことを思い出して言いなさい:
[私はこの聖なる瞬間を私自身の為に求める。
これを私の愛する兄弟と分かち合えるように。
彼無くして私がこの聖なる瞬間を得ることは不可能であり、私無くして彼がこれを得ることもまた不可能です。
しかしわたし達がこれを今分け合うことが可能なのです。
だから私はこの瞬間を聖霊に捧げるものとして選びます。
聖霊の祝福がわたし達の上に降りて来て、わたし達両者を平和の中に保つように。]

"I desire this holy instant for myself, That I may SHARE it with my brother, whom I love. It is not possible that I can have it WITHOUT him, nor he without me. Yet it is WHOLLY possible for us to SHARE it NOW. And so I choose THIS instant as the one to offer to the Holy Spirit, That His blessing may descend on us, and keep us BOTH in peace."

1 comment:

  1. 一部を書き直しました。
    下記が新しく書き換えられた部分です。


    謙虚とは、あなたが卑小さで満足してしまうことではありません。
    謙虚とは、あなたが「自分に由来している偉大さに満たないもの」では満足しないことなのです。

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