Nov 21, 2012

Ch25-01

The Appointed Task
与えられている仕事

あなたの中のキリストは体に住んではいません。 しかしキリストはあなたの中に居るのです。
従ってあなたは体の中には居ないことになります。

あなたの中のものが{あなたの}外側に在ることは不可能です。

あなたの人生の真ん中に在るものから「あなた」が離れられないことは明白です。

あなたに命を与えているものが死の中に住んでいる筈はありません。

『そしてあなたが死の中に住んでいることも在り得ないのです。』

キリストは神聖の枠の中におり、その唯一の目的は「キリストを知っていない者達」に対してキリストを顕し、彼等{キリストを知っていない者達}に呼び掛けてキリストの下に来るようにして「自分達の体があると彼等が考えて来た所」にキリストが見られるようにすることなのです。
すると彼等の体は溶け去って、キリストの神聖が彼等の中に縁取れるように成るのです。

キリストを自分の中に運んでいる者達は、キリストを『体以外の』全ての場所に認識するのです。

自分達が体の中に居ると人々が信じている限り、「自分達はここに居ると彼等が信じている場所」にキリストは居られないのです。

だから{自分達が体の中に居ると信じている}彼等は、キリストを知らずに運び続け、キリストを顕す(顕在化する)ことはしないのです。

だから彼等は彼(キリスト)が居る所で彼(キリスト)を認識しないのです。

人の子(The son of man)は引き上げられたキリスト(復活したキリスト)ではありません。

しかし神の子は彼(人の子)が居るその場所に居り、彼と共に歩んでいて、彼の神聖の中からは(体の中に設定されている彼の特別性と同じ位明白に)それ(神の子)を見ることが出来るのです。


体は癒やしを必要としてはいません。

しかし自分が体だと考えているマインドは確かに病んでいるのです!

そしてここにキリストが薬(解決)を置いているのです。

キリストの目的がキリストの光の中に体を抱いており、キリストから輝き出ている神聖で体を満たすのです。

体が言うことや体がすることは彼(キリスト)を顕しません。

優しく愛をもってそれは{キリストの神聖は}キリストを知らない者達へキリストを運び届け、彼等のマインドを癒やします。

これがあなたの兄弟の「あなた」への使命なのです。

そして兄弟に対するあなたの使命もこれと同じであるに違いないのです。


「キリストがあなたに与えている仕事」をすることが難しい訳はありません。 何故なら、それをするのは彼(キリスト)なのだから。

そしてそれをすることにより、「体がそれ(癒やし)をする方法に見えているだけであること」をあなたは学ぶのです。

何故なら、マインドはキリストのもので、だからマインドはあなたのものであるに違いないのだから。

彼の神聖が「キリストと一つに成っているマインド」を通して体を指示するのです。

そして「あなた」があなたの聖なる兄弟の上に顕され、兄弟があなたの上に顕されるのです。

ここで聖なるキリストが彼自身と出会うのです。

彼(キリスト)の神聖の各要素/側面(aspects)の間には何も違いが知覚されず、それらの要素/側面は出会い繋がり、そして彼を彼の父まで引き上げ十全にピュアにして、神の永遠の愛に値するようにするのです。

あなたが神聖を見て、そこに彼(キリスト)を発見しない限り、あなたが自分の中にキリストを現すことが出来るでしょうか?

知覚は『「あなたが見ているもの」の中に「あなた」が顕されている(顕在化されている)』とあなたに告げます。

体を見たなら、あなたは自分がそこに居ると信じるでしょう。

そしてあなたが見ている全ての体が、あなた自身を、あなたの罪深さを、あなたの悪を、そして何よりもあなたの死を、あなたに思い出させるのです。

「あなたにこれを告げている者」をあなたは憎まないでしょうか? そしてあなたの死の替わりに「これをあなたに告げている彼」の死を{あなたは}求めないでしょうか?


メッセージとメッセンジャーはひとつなのです。
{「使者が伝えようとしていること」と「使者」はひとつなのです。}

そしてあなたは、あなたの兄弟をあなた自身として見なくてはならないのです。

「彼の体の中の枠組み」内にあなたは「自分の罪深さ」を見ているのです。そこであなたは断罪されて立っているのです。

しかし彼の中のキリスト(それは彼の神聖の中に設置されています)が彼自身をあなたとして宣言するのです。



知覚とは「あなた自身がどのように在りたいか、あなたがどのような世界に住みたいか、つまりあなたのマインドが満足するだろうとあなたが考えている状態を」求める選択なのです。

知覚は『「あなたの決断によって」どこにあなたの安全があるか』選択するのです。

知覚は、あなたが求めた「あなた」{このように成りたいとあなたが考えたあなた}としてあなた自身を示すのです。

知覚は常にあなたの目的に忠実で、知覚があなたの目的から離れることは決してありません。

そして知覚は「あなたのマインド内の目的が尊重していないもの」は何も証言しないのです。

知覚は「見よう(発見しよう)とするあなたの目的」の一部なのです。
何故なら、方法と結果は決して分離していないのだから。

こうして『「離れた(分離した)生命を持っているように見えているもの」は全く命を持っていないこと』をあなたは学ぶのです。

 
あなたは神の方法(神を現す方法)なのです。

あなたは神から分離しておらず、神から分離した命も持っていないのです。

神の生命は「神の子であるあなた」の中に顕されているのです。

彼自身(神自身)の各側面(aspect)は神聖の中に縁取られていて、パーフェクトにピュアで、天空の愛の中にあり、とても完璧で、「それが見ているもの全て」をそれ自身の上に解放することだけを望んでいるのです。

その放射はそれが見るそれぞれの体を輝き通り抜け、それら全ての暗闇を(暗闇を超えて光へと見抜くことにより)光の中に掃き込むのです。
その優しさを通してヴェールが持ち上げられ、すると『「キリストの顔を見ている人」から隠しているもの』はもう何もないのです。
そしてあなた達両者がそこに立ち、今彼(神)の前に居て、「あなた達を分け隔てているように見えるヴェール」を彼(キリスト)に持ち上げさせるのです

あなた達は自分達が分離していると信じているので、天国もそれ自身を分離したものとしてあなた達の前に示しているのです。 

これ(分離した天国)は真実ではないのですが、真理を繋げる為にあなたに与えられているリンク(連鎖)は、「あなたが理解していること」を通してあなたに届くのです。

あなた達兄弟全員が真理の中で一つに繋がっているように、父と子と聖霊も一つなのです。

キリストとキリストの父は決して分離したことがなく、キリストはあなたの理解の中(あなたが父の意志を共有している部分)に住んでいるのです。

聖霊は「他の分部 = 分離しよう、異なろう、特別であろうとする小さな狂気の願い」を「キリスト」と繋げ、「本当にひとつであるもの」に対してワンネス(一体性)をクリアに示すのです。

この世界の中で、これは理解されていませんが、これを教えることは出来るのです。



エラーが起こっている場所である「特別性の目的」が修正出来るように、聖霊はあなたのマインドの中でキリストの目的に仕えているのです。
聖霊の目的はまだ父と子の双方と一つなので、聖霊は神の意志を知っており、「あなたが本当に意図していること」を{聖霊は}知っているのです。

しかしこれは「一つのものとして知覚されているマインド/それ自身が一つで在ることを認識しているマインド」によって理解され、そのように体験されるのです。{一つのマインドは、全てを「自分と一つであるもの」として体験するのです}
どのようにしたらこのワンネスが体験出来るか、あなたが何をしたらこれが体験出来るか、どこに行ってこれをしたらよいか、あなたに教えることが聖霊の役割なのです。

これら{の学習}全ては、時間や場所をあたかもそれらが分離しているかのように扱います。何故なら、あなたの一部が分離しているとあなたが考えている限り、一つに繋がったワンネスという概念はあなたにとって無意味だからです。

 
とても分離しているマインドは「それ自身の中に全てのものを統合しているワンネスを教える教師」には決して成れないのです。

だから{一つである}このマインド内に在るものが、全てを一緒に繋いでいるものが、分離したマインドに対する教師であるに違い無いのです。

しかしこの教師は、この{分離した}マインドが(自身が置かれているとそれが考えている)状況内で理解出来る言葉を話す必要があるのです。

そしてこの教師は、あなたに対する全ての間違ったアイディアを取り外し、それらの間違ったアイディアを超えて真理(真理は間違ったアイディアを超えているのです)へとあなたを導き、幻想を真理に変換する為に全ての学習を使う必要があるのです。



これら全ては次の文章に要約することが出来ます:

「同じであるもの」が「異なるもの」に成ることは不可能で、「一つで在るもの」が分離した部分を持つことは出来ない。

No comments:

Post a Comment