Jun 25, 2011

Chapter 31-8

Choose Once Again
[もう一度選び直しなさい]


(どこでどのような形で起こっていたにしろ)誘惑が教えようとするレッスンは一つだけです。
このレッスンは神の聖なる子供に「彼(神の子)は体で、死すべき体の中に生れ落ちて来たもので、その脆弱さから逃れることは出来ず、体が感じるよう命令しているものに彼は縛られている」と教えようとします。

「誘惑のレッスン」は神の子の能力に対して限定を与え、その限定された力だけが彼(神の子)の持っている力で、彼(神の子)はその卑小な限定された範囲の中でしか力を発揮出来ないと教えるのです。

 
キリストがその全ての栄光と共にあなたの前に現れて「世界を救う者達の仲間に成るか、地獄に留まり自分と兄弟姉妹を一緒にそこに押し留めようとするか、今一度選び直しなさい」と言っていた場合、あなたはこのような存在(限定された力しか持っていない肉体)で在り得るでしょうか?
彼(キリスト)は来ており、彼(キリスト)がこの質問を訊ねているのです。

 
あなたはどのようにしてこの選択を行なっているのでしょうか?

これはとても簡単に説明出来ることです。
あなたは常に「自分の弱さ(脆弱性)」と「あなたの中のキリストの強さ」のどちらかを選んでいるのです。

そして「自分が選んだ方がリアルだ」とあなたは考えるのです。

{あなたが自分の弱さを選んだなら、あなたは自分の弱さをリアルに体験します。 あなたが「あなたの中のキリストの強さ」を選んだなら、(日常の一瞬一瞬の中で)あなたはそれを体験するのです。}

 
弱さに自分の行為を任せなくなれば、あなたは自分の弱さに力(リアリティ)を与えなくなるのです。

そして、あなたの中にあるキリストの光に全ての決定権が与えられるのです。

何故なら、その時あなたは彼(キリスト)の所に「あなたの弱さ」を持って行っており、「あなたの弱さ」の代わりに彼(キリスト)が「彼の力」をあなたに与えているのだから。

 
試練とは「繰り返され続けている同一のレッスンをあなたが学べないでいる状態」なのです。 今まであなたは間違えた選択をして来ており、今度は(以前と同等の選択ではなく)正しい選択を行ない、(以前の選択があなたにもたらした)痛みから自由に成るべきなのです。

 
あなたが直面している全ての「試練/ストレス/困難/謎」の中でキリストがあなたを呼んでおり「兄弟よ、もう一度選びなさい(選び直しなさい)」と優しく言っているのです。

彼(キリスト)は全ての痛みを癒やし、真理の上に覆いかけられているイメージ(虚像)を全て剥がすのです。

神が喜びの祭壇をあなたの中に創造しました。 神の祭壇であるあなたの全ての惨めさを神は取り除きます。

彼(キリスト)は地獄の夢の中のあなたを一人にはせず、あなたが苦しまないようにします、そして「彼(キリスト)の顔をあなたから隠している全てのもの」をあなたのマインドから取り除きます。

 
彼(キリスト)の神性はあなたのものなのです。 何故なら、彼(キリスト)だけがあなたの中の唯一リアルな力なのだから。

彼の力はあなたのものなのです。 何故なら、彼(キリスト)は「神の一人子として神が創造した自己」なのだから。

 
あなたが作っているイメージが「神自身があなたとして成り立たせているもの」に打ち勝つことは出来ません。
誘惑を怖れる必要はありません。誘惑をその真の姿で見て、選び直す(正しい選択をし直す)チャンスと捉えなさい。 そして全ての状況の中に、あなたが自分のイメージを今まで掲げてきた全ての場所に、キリストの力を行き渡らせ、それに全てを統治させなさい。

 
何故なら、「キリストの顔を隠しているように見えているもの」は彼(キリスト)の尊厳の前では無力で、彼(キリスト)の聖なる視力の前で溶けて無くなってしまうのだから。

(キリストとして見られる)世界の救世主とは「キリストから離れた時に見えている自分達の弱さを選ぶのではなく、キリストの力を選んでいる者達」のことなのです。

彼等が世界を贖う(救済する)のです。 何故なら、彼等は神の意志の全ての力と繋がっているのだから。そして彼/キリストの意志だけを彼等は望んでいるのだから。

 
だから(自分自身を弱く惨めな者として知覚/認識する)全ての誘惑に対して下記の言葉で応えるハッピーな習慣を学びなさい。

"I am as God created me. His Son can suffer nothing. And I AM His Son."

[私は神が私を創造した通りに存在しています。神の子が何かを苦しむことは不可能です。 そして私は神の子なのです。]

 
このようにしてキリストの力が呼び込まれ、それが行き渡り全てを統治し、「あなたの弱さ」を「(決して挫かれることのない)神から来ている力」で置き換えるのです。

 
神聖を選ぶ前まで怖れと苦しみが自然に見えていましたが、このようにして奇跡が自然に見えるようになるのです。

何故なら、この選択をすることにより、間違った分け隔てが無くなり、幻想の選択肢(より好ましいと思われている代用品、偽りの自己認識)が手放され、真理を遮るものが無くなるのだから。

 
あなたは、神があなたを創造したとおりの存在なのです。そしてあなたが見ている全てのものも(あなたがそのものに与えているイメージにも関わらず)それは同じです。

あなたが病/痛み/苦しみ/喪失として見ているものは「あなた自身を地獄に居る無防備な存在として知覚しようとする誘惑」に過ぎないのです。

この誘惑に身を委ねるのは止めなさい。 そうすればあなたは「全ての場所に全ての形で表れている全ての痛み」が太陽の前の霧のように消え去ることを見るでしょう。

神の子を癒やす為に、そして彼の弱さの夢のドアを閉じ、彼の救済と解放のドアを開ける為に、奇跡が来ています。

『あなたの一つ一つの選択が「(あなたの見ている、あなたの信じている)あなた自身のアイデンティティ」を確立していること』を思い出しながら、あなたの目の前に居る彼/彼女をどのような存在にさせたいか、それをもう一度選び直しなさい。(あなたはこのようにして確定したアイデンティティを(自分として)見て、このアイデンティティを(自分だと)信じるのです) 

{アイデンティティ=自己認識/これが自分だとあなたが思っているもの}

 
私があなたから求めている少しのギフトを拒否しないで下さい。 (あなたが私に与えるギフトのお返しに)私はあなたの足元に神の平和を与えており、『この平和を「不安で孤独で怖れを抱きながら世界中を彷徨っている人達全員」に与える力』をあなたに授けるのだから。

 これは(わたしがあなたから求めている少しのギフトは)、あなたが彼と繋がり、あなたの中のキリストを通して彼の目の上に掛かっているヴェールを取り除き、彼自身の中のキリストを彼に見させる為に、あなたに与えられているのです。

 
救済の中に居る私の兄弟よ、私の声を聞き私の言葉を理解してください。
私が求めているのは、あなた自身の解放だけなのです。

愛らしさがいまだ強烈で包括的な世界の中には、地獄の余地はなく、そこから天国までたった一歩なのです。

 
あなたの疲れた目に私は今までとは違う世界のビジョンを与えます。 それはとても新しく清潔新鮮で、あなたは今までの痛みや悲しみは忘れてしまいます。

そしてあなたはこのビジョンを「あなたが見ている(あなたの前の)全ての人々」に分け与えなければいけないのです。 そうしなければ、あなたはこのビジョンを見られないのだから。


このギフトを与えることにより、あなたはこれを自分のものにするのです。

そして「それはあなたのものである」と慈愛の中で神が任命しました。 わたし達が世界を歩いて、彼(神)のギフトがわたし達のものであることを様々な機会に再確認出来ることを喜びましょう。

このようにして地獄の様々な遺物や秘密の罪や隠れた憎しみが消え去り、それらが隠していた愛らしさが、(キリストが現れる前までわたし達が歩んできた茨の道からわたし達を引き上げる)天国の芝生のように、わたし達の視界の中に現れ出るのです。


私の兄弟よ私を聞きなさい。 私を聞いて私と繋がりなさい。

私の呼び掛けが虚しくなることはないと神が決めたのです。

神の確信の中で、私は満足して休むのです。

何故なら、あなたは聞き、あなたはもう一度選び直すのだから。

そしてこの選択の中で全ての人が安全に成るのです。

 
(訳注: これ以降の文章は神に対する呼び掛けで、あなた=神、私=読者です。 )

父よ、あなたの子供達であり私の兄弟達であるこれら聖なる者達を遣わしてくれたあなたに感謝します。 彼等(私の兄弟)に対する私の信心はあなたのものです。
彼等が私の元に来て永遠にそこに居続けることを(彼等をあなたが知っていると同じ位確かに)私は確信しています。

彼等は私が与えるギフトを受け入れるのです。何故なら、あなたが彼等のためのそのギフトを私に与えてくれたのだから。

そして私はあなたの聖なる意志だけを行い、彼等がそれを(あなたから私に与えられた意図を)選ぶのです。

そして私は彼等に関して感謝を捧げます。

 彼等が(彼等に与えるようにと神であるあなたが私に与えてくれた)ギフトを選択する毎に救済の歌が世界に鳴り響きます。
何故なら、わたし達はひとつの目的を共有しており、地獄の終わりが近づいているから。

私の手は過去の誘惑を退けている(そして完璧に落ちつき輝き透っている光を弛まず見定めている)全ての兄弟と繋がるために伸ばされており、彼等を歓迎しています。

私自身のもの(私の兄弟姉妹)を私に与えてください。彼等はあなたのものなのだから。

「あなたの意志でしかないもの」の中であなたが失敗することが在り得るでしょうか?

私の兄弟の真実に関して、そして私と繋がることを決めてくれた各人の真実に関して、私はあなたに感謝します。 


 地上から天国への感謝の歌が聞こえて来ます。小さなバラバラのメロディーが「地獄から贖われた世界」より聞えてくるコーラスに育って行き、あなたに感謝を捧げるのです。

そして今わたし達は「アーメン」と言いましょう。

何故なら、「時が始まる前の永遠の静けさの中であなたが彼(キリスト)のために設定した住処」にキリストが住み付いたのだから。

旅は終わりに近づいており、それはこの旅が始まった場所で終るのです。

それは(旅の厳しさは)跡形もなく消えるでしょう。

一つの幻想さえも信心には値しないのです。キリストの顔を隠す一つの闇さえも最早残っていません。

あなたの意志がなされました、完全にパーフェクトに。

そして創造されている全てのものが、それ自身の唯一の源としてあなたを認めており、あなたを知っているのです。

あなたのイメージに従って「あなたの中に住んで動いている全てのもの」が光を放っています。

何故なら、わたし達はわたし達が「ひとつ」である所に到達しており、「あなたがわたし達を居させようとしている故郷」にわたし達は居るのだから。

1 comment:

  1. 2012年10月20日に文章を修正しました。

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