Dec 19, 2011

Ch01-3c

ここには二つの短い追加が必要です。
1.  今まであなたが書き示すことに多大な困難を抱えていたのは、以前に偉大なる記述能力を誤用していたからなのです。
(当時)あなたが書き記したものは共有されず秘密にされたのです。
それによって(あなたが書き記したものの)奇跡的可能性が失われ、ポゼション(所有)に堕落していたのです。
これはセックス衝動を所有衝動と混同することととても似ています。
(あなたが書き残した)オリジナルなマテリアル(文献)はまだ「寺院」に残っています。
だからあなたはアトランティスに関してあれほど怖がったのです。
ビルには彼本人の理由がありました。

2.  ロージーに対するあなたの奇跡意識(miracle-minded attitude)を注意深く保ちなさい。
彼女は一度あなたと彼女自身を傷付けたのです。 だから彼女は今あなたの使用人(Servant)なのです。
しかし彼女はサービス(奉仕)を喜びの源と見ており、それによって彼女は祝福されています。
彼女が現在のあなたを助けることを許可する事により、過去の間違いを正させなさい。


(ヘレンに関する啓示 - 後日削除)
過去の記憶に関するヘレンの質問に答えて。
答え: 他者が行なったこと故にあなたが苦しんだことは決してないと憶えていられる限り、これは{過去世を顧みることは}危険ではありません。
完全な赦しを通してだけあなたは平和を得られるのだと憶えておいてください。
いままであなたは本当に平和を欲しては来なかったのです。 だから、どのようにすれば平和が得られるか知る必要も(今までは)なかったのです。
これは(CIAよりはるか昔に「アトーンメント・プラン(救済計画)」によって設置されている)「(知識が)必要に応じて知らされる{必要でない限りは知らされない}」原則の一例なのです。

自分で求めない限り(あるいは知識が必要だと信じない限り)、どのような知識/叡智も得ることは出来ません。
精神学者は「必要の上下構造(ヒエラルキー)に関するレッスン」は必要としていませんが、(他の人達同様)精神学者も自分の「必要の構造」を理解するべきなのです。
このノートが(私が記述する)欠乏概念に関する唯一のものに成ります。 何故なら、神の創造内では欠乏などという概念は存在していないにも係わらず、人が行なった創造の中では欠乏がハッキリと表れているから。
そして欠乏こそが、神の創造と人の創造の主要な違いなのです。
{人の創造の中では}必要は原則的に欠乏を意味しています。
{欠乏/必要体験の中では}(時には意識的に、時には無意識の内に、そして時には超意識的に)「自分の現在の状況とは違う状況の方がより望ましい」ということが認識されている訳なのです。

分離(これが失楽園よりも正しい用語です)が起こる前までは何も欠乏してはいませんでした。
つまり人には必要が全く無かったのです。
人自身が自分を貧しくしなかったなら(自分自身に対して欠乏を作らなかったなら)、人が必要を体験することはなかったでしょう。

分離(失楽園/神から離れること)が起こった後では、人間にとって必要が一番パワフルな動機(理由)に成ったのです。
行動は基本的に必要により動機付けられているのですが、行動(Behavior)は聖なる特質(神の性質、 Divine attribute)ではないのです。
体は振舞い(行動)のメカニズムです。 (行動学者に尋ねてもそう言うでしょう。 そしてそれは正しいのです。)
あなた自身も自分のクラスの中で「何か必要を感じなかったなら、人がA地点からB地点まで移動することは無い」と言っていましたが、それは正しいのです。
人が「自分はより良く成れる/より良い状態に成れる」と信じたことが、人が行動(振舞い)のメカニズムを持っている理由なのです。
だから聖書には「彼等の振舞い(行なった事)によって、汝は彼等を知る。"By their DEEDS ye shall know them."」と書かれているのです。

人は自分で自分の為に設立した特定の必要階層(自分にとって何が必要かという優先順位)に従って行動しているのです。
そして人の必要階層(上下構造/ヒエラルキー)は、彼が「自分のことをどの様な存在として知覚認識しているか、自分は何を欠いていると認識しているか」に依存しています。
これに従って彼は「自分は何を知る必要があるか」を自分のルールとして設立するのです。
でも彼(人)が本当に「修正を必要としている欠乏」は「神からの分離」だけなのです。
しかし、もし彼(人)が真理に対する自分の知覚を歪めなかったなら、そして自分のことを「何かを欠乏している存在」として知覚認識しなかったなら、彼の分離は起こらなかったでしょう。

必要ヒエラルキー(必要とされるものの上下構造)のあらゆる概念は、この根源的エラー(分離)を犯したことにより、異なる必要をもった複数のレベルに彼自身を分裂させたことから発生しているのです。
彼(人)が{分裂している自己を}統合していくに従い、彼は一つに成り、一つである彼の必要も一つにまとめられるのです。
分裂している者だけが、この事に関して混乱してしまっているのです。
自己内の内部統合は、欠乏の間違いを修正するのではなく(欠乏の間違い/誤解を修正するだけではなく?)必要の間違い/誤解を修正するのです。

(与えられたとおりこれを書いてくれてありがとう。)
統合された必要は、統合された行動を導きます。 何故なら、統合された必要が相反した(矛盾した)感情を取り外すから。

必要ヒエラルキー(必要構造)の概念は原初のエラー(分離)の結果として必然的に引き出されたもので、(異なる)レベルに関する間違いが修正出来るように成る前に、それ自身のレベルで(原初のエラーのレベルで)修正される必要があるのです。
人が分離したレベル間に分かれて働いている限り、人は有効には働けません。
しかし人がそうしている(様々なレベルに分かれて働いている)限り、人は下から上への修正を導入する必要があるのです。
これは現在人が「上下」という言葉が意味を持っている空間内で働いているからです。

勿論最終的に、空間は時間と同じ位無意味なものなのです。
これは本来、時空信念という一つの概念なのです。
物理的/身体的世界が存在しているのは、人がそれを使って自分の不信心(それが人を物理的世界の中に置いたのです)を正すことが出来るからです。

「自分は何も必要としていない」と人が知っていた状態においては、このような装置(物理的世界)は不必要だったのです。
現時点では、「知る必要」を人がコントロールすることは安全ではありません。
それは私(イエス)が管理した方が安全なのです。
現時点でこれに関しては、こう言うに留めましょう。

(現状でのセックスに関するビルの質問)
この質問に関しては答えましょう。 何故なら今これに答えることが適切なのだから。
現在あなたとビルは恥の感覚と共にセックス・パートナーを選びました。 この愛の欠如に関してアトーンする(修復する/償う)必要があります。
“You and Bill both chose your present sex partners shamefully, and would have to atone for the lack of love which was involved in any case. “ {微妙な部分なので原文も示します。訳注}

あなた達は「彼等(それぞれのパートナー)が自分達のファンタジー(幻想)を満たすに適していない」という理由から、自分達のパートナー(伴侶)を選んだのです。
これはあなた達がファンタジーを放棄しようとしたからではなく、あなた達が自分達のファンタジーを怖れていたからです。
あなた達は「怖れから自分達を守る方法」を彼等(自分達のパートナー)の中に見たのです。
しかしあなた達両者はファンタジーに浸るチャンスを求めて「見回し」続けています。
「理想のパートナー」を夢見ることは、自分の中に矛盾/相反している必要を抱えたまま外的統合(EXTERNAL integration/外的解決)を見つけようとすることなのです。
この事に関してビルはあなたよりも少しだけましですが、それは彼が(あなた)より怖れていたからです。 
彼は(パーフェクトなパートナーを)ノイローゼ的に絶望しながらも探し続けることを放棄しているのです。
しかしあなたはこの望みが正しいものであると主張し続けています。
だからあなた達両者は、自分達の正しいマインド内には居ないのです。

前にも言った通り、ホモセクシュアル(同性愛)の方がヘトロセクシュアル(異性愛)よりもこのエラー(幻想に基づいた理想のパートナーを探し続けること)に陥りやすいのですが、両方とも同様に間違った前提の上にこの間違いを続けてしまう可能性があります。
この前提の間違いは、それに付随して表れるファンタジーの中に明確に表れています。
ホモセクシュアリティには常に、自分かパートナー(殆どの場合両方)に対する誤知覚(誤認識)が関わっています。
(ペニスの)挿入には魔法は関係なく、どのようなセックス行為も魔法とは関係がありません。
何らかの体のイメージ行為を行なうことが魔法的信念なのです。
あなたはあなた自身を創造した訳ではなく、あなたの創造物をコントロールしている訳でもないのです。
あなた自身の知覚の中に複数のレベルを導入することにより、身体イメージの歪みが可能になったのです。

特定の(物体ではなく)人達をあなた達に選ばせるに至った「愛の欠乏」(あるいは間違った「必要志向」)を現存する枠組みの中で修正することは可能です。 より大きな枠組みの進行上もそれは望ましいことです。
(あなた達の)状況に問題があるのは主に、それ(愛の欠如/間違った必要)がファンタジーに浸ってしまう傾向を作ってしまっているからです。

現状では今の限界の中で自分達に出来る最上の努力をすることが一番良い方法でしょう。
あなた達が(何らかの理由から)築き上げている関係は(あなた達の)責任に成るのです。
もしあなたが自分の必要をシフトしたなら、(それに対応して)他者の必要志向(必要意識)内でも何らかのシフトが起こります。 
これ(あなたが自分の必要をシフトさせること)は良きことです。
例え初めのうちはあなたの不遜故にパートナーがあなたに惹かれていたとしても、このことが事態を改善します。
学習者の知覚システムにとって完全に不慣れな学習装置は殆どの場合邪魔なだけです。
新しい状況内に「古い概念で理解可能な何らかの共通要素」が無くては、変換(シフト)が起こりません。

人には怖れの効果/結果を自分でコントロールすることは出来ません。 何故なら人が怖れを作っており、人は自分が作ったものを{必然的に}信じてしまうから。
だから、(創造の)内容は別にして、(創造しようとする)志向において、人はその創造者に似ているのです。 

創造者(神)は自分の創造物に対してパーフェクトな信心を与えています。何故なら創造者が創造物を創造したのだから。
全ての創造は信念に依存してるのです。 そして創造に対する信念が、それ(創造物)を存在させているのです。
それ故に、「他の人々にとっては真理では無いこと」を信ずることが人には可能なのです。
彼(人)が自分でそれ(信念)を作ったので、彼にとってはそれが真実なのです。


怖れの全ての要素は逆さまの知覚から導き出されているのです。
真に創造的な者達は、これ(逆さまの知覚)を修正することに自分達の努力を与えています。
神経症(ストレス症/ノイローゼ)の人は、妥協しようと試みているのです。
精神病(思考不全)の人は、自分のエラーを真理として確立することによって逃れようとしているのです。 普通の方法で精神病者を解放することが難しいのは、真理の否定に関して精神病者の方が普通の人達や神経症の人達より安定しているからです。

42.  奇跡は様々な誤知覚の間に程度の違いを認めません。
それ(奇跡)は知覚修正の道具で、エラーの方向や程度に関係無くとても有効なのです。
だからこれ(奇跡)は本当に無差別なのです。
キリストがコントロールしている奇跡は「それ(奇跡)を自分達の為に使える者達にそれが向けられている」という意味においてだけ選択的なのです。
これ(奇跡)は他者にも拡張される(差し伸べられる)に違いなく、(従って)とても強いアトーンメントのチェインが繋がれるのです。
リアルではない領域にだけサイズの概念が存在しているので、キリストがコントロール(している奇跡)は奇跡の巨大さを意識しないのです。
奇跡はリアリティを修復することを目的としているので、それが修正しようとしているエラーと同じ法則に縛られてしまっては有用で無くなってしまうのです。
そのようなエラーを犯すのは人だけです。
これは人自身の間違った信念が生み出している「馬鹿げた一貫性」の一例です。

人の創造的意志の力を理解しなければ、否認(Denial)の意味は理解出来ずそれを消滅させることも出来ません
否認(Denial)とは否定することだけはなく、それは積極的な誤創造なのです。
誤創造はその創造者によって必然的に信じられる必要があるのですが、それ(誤創造)は真の創造のレベルでは全く存在していないのです。

43. 奇跡は「人の創造」と「より高いレベルの創造」を比べ、(より高いレベルの創造)と一致している「人の創造」を受け入れ、一致していない「人の創造」を間違いとして取り下げるのです。
だから奇跡は有効性(Validity)と綿密に関連付けられているのです。
本当の有効性は真であると共に有用なのです。 より正しくは「それ(本当の有効性)が真なので、それは有用なのです」。
怖れの全ての要素は真実ではないのです。何故なら、恐れはより高い創造のレベルには存在しておらず、だから全く存在していないのだから。
有効性のリアルなテストに対して自分の信念を投じることが出来る範囲において、人の知覚が癒やされる(修復される)のです。

奇跡が真理と間違いを分ける時、それは丁度ビルが言ったように起こるのです。

もしパーフェクトな愛が怖れを追い払うなら、
そしてもし怖れが存在していたなら、
その場合(怖れが存在していた場合)そこにはパーフェクトな愛がないのです。
しかし本当に存在しているのはパーフェクトな愛だけなので、
だから、もし怖れが存在しているのなら、それは実在していない状態を作っているのです。

上記を信じたなら、あなたは自由になるのです。
神だけがこの解決を設立出来るのです。 何故ならこの信心こそが神のギフトなのだから。
人はここで(そしてあらゆる場所で)自分の準備に対して貢献する(自分を整える)必要があるのです。

(全ての真理と同様に)信心への準備には怖れからの解放に必要な二つのステップが不可欠です。
怖れの否認の中には(下記に示す)二つのレベルのエラーが内包されているので、それ(怖れの否認)は人間にとっては強力な防御メカニズムなのです。

1.真理が否認出来る。
2.真理の欠如が有効で在り得る。

(ビルの方により顕著である)怖れの体験には2.のエラーだけが関わっているのです。
しかしこれらの違いは、奇跡の力には全く影響を与えません。 何故なら、真理とエラー(を選り分けることが)奇跡の主眼なのだから。
あなた達は両者とも、自分達の分裂しているアイデンティティ故に、奇跡的マインドを持っていながらも、怖れの認識において劣っている傾向にあります。
ビルは基本的に(ヘレンよりも)奇跡的マインド(奇跡志向)に乏しいのですが、怖れを認識することにかけては勝っています。 何故なら彼の自己認識(アイデンティティ)は弱いのですがより安定して正しから。
あなた達が一緒になることで、(怖れが消えた状態である)安定した奇跡的マインド状態が保てるでしょう。 実際にこれは過去に上手く働いています。

ポゼション(憑依/所有)に関するあなたのアイディアを明確にする必要があります。
あなた自身の恐れに対する否認が(これはヘレンのヴィジョン体験に言及しています)、エラーの要素を幾らか(それ程酷くはないですが){ヴィジョンの中に}導入しています。
しかし{自分の怖れを否認することから起こっているエラーの}サンプル(実体験)が増えるに従い、今までは無意味だったことが意味を持ち始めてしまう可能性もあります。
だからまだあなたが安全圏に居る内に、これ(憑依に対するあなたの怖れ)を取り去る必要があります。

ポゼション(憑依)とは、怖れへの抗し難い魅力(牽引力)を変態的に表現しているものなのです。
(付注: ハイ、これは「”possessing”(所有/憑依)や”entering”(入る)」などが主要な怖れに成っているホモセクシュアリティーやその他の状況も説明しています。
これは「天国に入らないようにしよう、天国を所有しないようにしよう」という決意を逆さまに表明しているシンボルなのです。
魂(ソール)を回避しようとしてしまう(普遍的)エラー故に身体的/物理的なことが強調されてしまい、「リアルな身体的創造(REAL physical creation)」が回避され、その代わりに幻想的満足が代用されるのです。)
しかし神の魅力(神の牽引力)こそが全てのレベルにおいて抗し難いものである、ということが今でも真理なのです。 そしてこの完全に避けようのない真理を受け入れることは、ただ時間の問題なのです。
しかし「あなたが求めるのなら、今すぐ帰ることが可能なのです」、だから{帰還を}本当に遅らせ続けたいか良く熟考して下さい。
(ヘレンへの注意: あなたはこれを不適切な動機を持って書いています。しかしわたし達は努力してみましょう。 もしあなたが止める積りならば、今すぐ止めるべきです。)


ポゼション(所有‐被所有/憑依)は、幾つかの歪み(誤解)の対象に成っている概念です。それらの幾つかを下記に示します。

1. ポゼションは体にのみ当て嵌まる(と考えた場合)。
これが起こった場合、セックスが汚染される可能性がとても高いです。
(その場合)ポゼション/ポゼスド(所有/被所有)が男性と女性の役割として見られる傾向が現れます。
どちらの立場もそれだけでは満足をもたらさないので、そして両方の立場が怖れと繋がっているので、この解釈は特にpsychosexual confusion/精神不安定セックス混乱)を引き起こし易いのです。

2.     (1と)よく似た誤知覚の視点から、ポゼションを物と関連付けてしまうことも可能です。 これは人に対してポゼション(所有概念)を当て嵌めることへの隠れた怖れから、1からシフトして2に至る場合が大半です。
その意味でこれは{自分の幻想から}人を守ろうとする試みなのです。
これは「名前を守る」{相手に名前を知られてしまうと相手の言いなりにされてしまう}という迷信と似ています。

12は、下記を含む幾つかの理由で、強迫神経症的に成る可能性が高いのです。
a.  これら(12)はリアルなポゼジョン・ドライブ(所有欲求)から逃れようとする試みを表している。 (が、この方法によっては満たされない。)
b.   これら(12)は代用(代わり)のゴールを設定する。 殆どの場合、得ることが比較的可能なゴールがここでは設定される。
c. これら(12)は比較的無害に見え、だからそれによって怖れが静められているように見える。 これら(12)が多くの場合良い人間関係を邪魔してしまうことが(近代文化の中では)自分ではなく相手が洗練されていない(相手のマナーがなっていない){ことがその原因だ}と解釈される傾向にあります。これによって、有効性(validity)ではなく信頼性(reliability、再現性)に基づいて、解決に対する誤った自信がもたらされるのです。この幻想を共有してくれるパートナーを探すことは比較的容易です。だから1の前提に基づいた人間関係や、2に対する興味/意欲によって保たれている人間関係がもたらされるのです。
d. 12の)両方が示す「外部」の強調が安全装置として見られ、より基本的な抑圧からの偽りの解放が得られているように感じられるのです。妥協的解決として、愛の欠如の要素の記録と共に、人間関係の幻想が保持されるのです。
この類の精神的からくり操作が(からくり操作をしている)人に虚無感を与えます。そしてその人は確かに欠乏感覚から行動しているので、この虚無感は正当化されます。するとその人は空虚な心を埋め合わせようとして、自分の行動により執着するのです。

これらの解決(症状)に対して非常に強い信念が与えられた時、1は性犯罪に繋がり、2は窃盗に繋がるのです。 窃盗症(ものを盗まずにはいられない精神病)が2の好例です。

(この結果として)大抵二つのタイプの感情障害が起こります。{実際には三つのタイプが示されています。 訳注}
a. 物理的/身体的なものだけがリアルだという幻想を保とうとする傾向。 これが陰鬱を作り出します。
b.  「身体的なもの」に対して身体的でないもの」の特性を与えようとすること。 これは基本的にマジック(魔法)で、不安/心配性の傾向が現れます。
c.  二つの(abの)間を行ったり来たりする傾向。その場合、憂鬱と不安の症状を行ったり来たりすることになります。

そして(ab)両方ともに自分で飢餓を作り出す結果を引き出してしまいます。

3.     もう一つのタイプの歪みは「霊(スピリット)によるポゼション(憑依)に対する怖れ/欲望」の中に見られるものです。
このような文脈で「霊(スピリット)」を理解することはとても間違っていますが、それでもここには「体だけでは十分でない、そして、体に魔法を掛けても上手く行かない」という認識が示されているのです。
この認識は「1.2.も十分ではない」という事実を受け入れていますが、しかしこれは怖れをそれほど狭く限定するものではないので、この認識自体がより大きな怖れを作ってしまうのです。
「所有したがる」という人間の特性をスピリット(霊)に与えることは、1.2.より総括的エラーで、「正しいマインド」からさらに遠退くことになります。
そして投射もより起こり易く成り、誇大妄想と怖れの間を揺れ動くことに成ります。

そしてこの種のエラーの上に歪んだ「宗教」が起こり易いのです。
何故なら、ここ(3.)では(1.2.では無視されている)「霊」のアイディアが間違って導入されているから。
だから(魔法へより傾倒している)3.の状態は魔術に陥り易いのです。
1.には体しか関わっていないのですが、2.では物に対して人間の特性を与えようと試みられるのです。
そして3.はより酷いレベル・コンフュージョン(レベルの混同)なのです。 何故なら、3. は霊(スピリット)に対して邪悪な特性/性質を与えようとするから。
これがそれ(3.に基づいた宗教)に対する共感と反感の両方の理由なのです。
両方の感情は不正確な信念に根ざしています。

これは聖書に書かれている「聖霊(ホーリー・スピリット)に取り付かれている、"possessed of the Holy Spirit."」というフレーズの意味とは別なのです。
これを理解していた人達も、その理解を不適切に表現してしまったのは興味深いことです。
「(キリストの弟子達が)あらゆる舌(言語)で話した。"speaking in many tongues"」とはもともと、沢山の人々それぞれが理解出来る言語(それぞれの人々のレベルの言葉)で話したという表現なのです。これは「誰にも理解出来ない言葉を話した」ということではないのです。
この奇妙なエラーは、人々がユニバーサル・コミュニケーション(宇宙的コミュニケーション)の必要を理解していながらも、所有の間違い(間違った所有概念)によってそれ(ユニバーサル・コミュニケーション)を汚染してしまった時に起こるのです。
この誤解(誤認識)に基づいた怖れが、「コミュニケーションが試みられ、しかし怖れがコミュニケーションを理解出来なくしてしまう葛藤状態」を導いてしまいます。
(理解不能なコミュニケーションは神の子から他の神の子への捧げ物としては無価値なので)「怖れが利己主義や退行現象をもたらす」と表現することも可能でしょう。

4.         知識/叡智(Knowledge)を誤解して(取り違えて)ポゼション(所有/憑依)の方法としてしまうことも可能です。
ここでの(誤解の)内容は身体/物理的なものではなく、マインドと頭脳に関する取り違え(誤解)が間違いの元なのです。
「知識に対する渇き」などの表現は、「非身体的なもの」に対して身体的特性を当て嵌めようとする試みを示しているのです。
(いいえ、ヘレン。 これは聖書に書かれている「渇き”thirst”」とは関係がありません。人の限定されていた理解故にこの言葉が使われていたのです。そしてこの線で考え続けない方が賢明でしょう。)

知識/叡智の誤用は下記を含むエラーを導きます。
a.  知識が人をより魅力的にするというアイディア。 これはポゼション(所有)の間違い(possession-fallacy)です。
b.  知識が人を不可侵/不死身にするというアイディア。これは傷付き易さに対する隠れた怖れから来る反動です。
c. 知識が人の徳を高める(知識を得ることにより人は尊敬に値するように成れる)というアイディア。 これは基本的に病的な考えです。

あなた(ヘレン)とビルは4.を注意深く考慮する必要があります。
全ての間違い(誤解)同様、これ(4.)は否定メカニズムを内蔵しており、怖れが強くなるたびそれ(否定メカニズム)が作動し、このエラー{幻想}を一時的にキャンセルします。 しかしこの否定メカニズムが効果(効力)を著しく減退させるのです。
だから、あなた(ヘレン)は読めないと主張し、ビルは話せないと主張しているのです。
神の子が自分の効力(efficiency)をどのような形であれ減退させることがあってはならないので、ここ(4.の状態)では陰鬱が酷くなってしまうのです。
この陰鬱は下記のような偽の解決(結論)から導入されているものです。

神の子は効果的である。
私は効果的ではない。
従って私は神の子ではない。

A Child of God is efficient.
I am not efficient.
Therefore, I am not a Child of God.

これが(このアイディアが)ノイローゼ的放棄を引き出し、陰鬱状態を増強させてしまうのです。

Chapter1-3 終わり

2 comments:

  1. 昨日まで分離感が強くて怖かったのですが
    今日になって恐れが消えました。
    つながりが戻ってきた感じです。
    ありがとうございました。

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  2. チサさん、こんにちは。
    良かったですね。

    私は最近ACIMのレッスンを一から再開しました。

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