Sep 13, 2011

Ch19-5


Obstacles to Peace - The Desire to Get Rid of It
平和への障害 - それ(平和)を捨ててしまいたくなること

平和が流れ越えて(乗り越えて)行かなければならない第一の障害は、あなたが平和を捨ててしまおうとすることです。
あなたが平和を保たなければ平和は広がれない(拡張されない)のです。
あなたを中心にして平和は外側へと広がって、他の人々を内側に呼び込むのです。
あなたは平和の家なのです。 あなたがその静かな住処で、そこから平和が広がって行くのですが、決して平和がそこを去ることはないのです。
もしあなたが平和を宿無しにしたなら、どうやって神の子の中にそれが住まうことが出来るでしょう。  平和が創造全体に広がる為には、平和がまずあなた(達)の中に広がらなくてはならないのです。
そして(平和を求めて)呼び掛けている人達全員に対してあなたから平和が差し伸べられ、あなたと繋がることで彼に(平和を求めた人達全員に/神の子に)安息がもたらされるのです。


何故あなたは平和を宿無し(ホームレス)にしたいのでしょう?
平和が何を捨てれば、平和を自分の中に住まわせても良いとあなたは考えているのでしょうか?
あなたが支払いたくないと考えているコスト(代償)に見えているものは何なのでしょうか?
あなた達の間には砂のバリアーが少し残っているだけなのです。
あなたはそれを補強しようとしますか?
あなたは、あなた自身だけの為にこれ(バリアー)を手放すように求められている訳ではありません。
キリストがキリスト自身の為に、あなたからこれを求めているのです。 彼(キリスト)は全ての人達に平和を与えようとしているのです。
あなたを通してでなければ、どのようにして彼にこれが出来るでしょうか?
あなたは「僅かな砂の土手/塵の壁/小さなバリアーに見えているもの」をあなたの兄弟と救済の間を阻ませてしまうのですか?


(あなた達がお互いに対して使うことをまだ好んでいる)この攻撃の滓(バリアー)が少し残っているだけなのです。 あなたの中で平和が先に進む際に一番初めに遭遇する障害がこれ(バリアー)なのです。
この小さな憎しみの壁が、まだ神の意志に対抗しており、それを限られたものにしているのです。
聖霊の目的はあなたの中の平和に依存しています。 しかしあなたはまだ平和があなたと完全に一緒になることに躊躇を感じているのです。
あなたはまだ少しだけ神の意志を否定してそれに逆らっているのです。
そしてこの「少し」(少し残ったバリアー)こそ、あなたが全体に対して課している限定/限界なのです。
しかし神の意志は「ひとつ」であって「多数」ではありません。
そこには対立/反対がないのです。 何故ならそれ(神の意志)以外にはなにも存在していないのだから。


あなた達が小さなバリアー内に囲って、お互いから分離させようとしているものは、宇宙よりも強大なのです。
それ(小さなバリアー)は宇宙と宇宙の創造者を押さえようとするのです。この小さな壁は天国の目的を隠し、それを天国から離そうとするのです。
あなたは「救済を与える人」から救済を弾き飛ばそうとしますか?
あなたが「救済を与える人」に成っているのに。 {あなたが「救済を与える人」に成ったのだから、「救済を与える人」から救済を取り除けようとするのは止めなさい。}
平和が神から離れられないように、平和はあなたからも離れられないのです。
この小さな障害を怖れないでください。 それが神の意志を防ぎ止めることは出来ません。
平和はそれ(小さなバリアー/神に逆らいお互いを攻撃したいという誘惑)を流れ越えて、邪魔されることなくあなた達と一緒に成るのです。


救済があなたから差し控えられることはありません。救済があなたの目的なのです。あなたは意志を使ってこれ(救済)から離れることは出来ません。
あなた達はお互いから離れた目的は持っていません。そして『「私はこの人と分かち合いたい」とあなたが聖霊に頼んだ特定の人』から離れた目的も持っていません。 
小さな壁(バリアー)は平和の羽根の下でとても静かに崩れて行きます、
何故なら平和の羽は平和のメッセンジャー達をあなたのもとから世界の全てに送るのだから。
そしてバリアー達は、このメッセンジャー達が到来するより先に崩れて行きます、「あなたが{平和の広がりに対して}介入/邪魔させようとしたもの達」が克服されるのと同じぐらい易々と。
世界を克服することはあなたの小さな壁(バリアー)を乗り越える位簡単なことです。
何故ならこのバリアーさえ無ければ「あなた達の関係の奇跡」の中に全ての奇跡が含まれているのだから。


それぞれの奇跡に難しさの違いはありません、何故ならそれらは全て同じなのだから。
奇跡とは全て罪悪のアピール(呼び掛け)から愛のアピール(呼び掛け)へ気持ちを変えるよう優しく説得することなのです。
これが行なわれた場合(これが何処で行なわれたとしても)失敗が在り得るでしょうか?
罪悪はこれに対してリアルなバリアーは築けません。
あなた(達)が応えた呼び掛け故に、あなた達の間に立っているように見える全てのものは崩れ落ちて行くに違いないのです。
そして(この呼び掛けに)応えたあなたの中から、あなたに応えた彼(聖霊)が答えます。
彼の住処はあなた達の聖なる関係の中なのです。
彼(聖霊)と彼の聖なる目的の間に立ちはだかろうとするのは止めなさい。 それは(聖霊の聖なる目的は)あなたのものなのだから。

[聖霊は「あなたの関係の奇跡」をそれそのままに「関係者全員」に差し伸べようとするので、そうさせなさい。]

{あなた達の関係に奇跡が与えられ次第、聖霊が「あなた達の関係の奇跡」を「あなた達の関係に関与している人達全員」の間に素早く広げようとするので、その邪魔をするのは止めなさい。}
 
旅の終わり(が近づいていること)を認識して、天国に静寂があり、ハッピーな期待があり、感謝の小さなため息があります。
何故ならあなたが天国を知っているように天国はあなたを良く知っており、あなた達の間には全く幻想がないのだから。
影達の小さな壁を見つめ続けるのは止めなさい。太陽がその上に昇っています。影があなたを太陽から隔てることが出来るでしょうか?
これ以上あなたが影によって光(この光の中で幻想が終るのです)から離され続けることはありません。
全ての奇跡は幻想の終わりに過ぎないのです。 これが旅だったのです。これが終ったのです。
そしてあなた(達)が受け入れた真理のゴールの中で全ての幻想が終るのです。
(あなたが自分で呼び入れた)「彼(聖霊)を振り放そう押し出そうとする卑小な狂気の願い」は葛藤/闘争を生まずにはおれません。
引き抜かれ目的無く漂っているこの小さな願い(聖霊を振り払おう押し出そうとする願い)は、あなたが世界を見ている時に、どこにでも落ちて暫くそこに留まることが出来るでしょう。何故なら今それ(あなたの狂気の願い)には目的がないのだから。
聖霊がやって来てあなたと共に居るようになる前までは、それには強大な目的があるように見えていたのです。 その目的とは罪とその結果に変らぬ献身を与え続けることだったのです。
今それは目的なく無駄に漂っており、愛のアピールに対してもう暫く邪魔する以上のことは何も出来ないのです。


羽根のようなこの望みが、この小さな幻想が、罪へのこの信念の残り滓が、世界に見えていたものの残骸の全てなのです。
これはもう平和に対する揺るぎの無いバリアーではないのです。
その無目的な彷徨はその結果を以前よりも不確実で気まぐれにしています。
しかし強固に組織化されている幻想システムよりも不安定なものがあるでしょうか?
この不安定さとして見えているものが、その根本的弱点であり、それが{幻想システムの}全てに広がっているのです。
この少しの残り滓が引き起こしている変動は、その限定された結果を単に示しているに過ぎません。
真理の偉大な羽の前で小さな羽根がどのような力を持ちえるでしょう?
それに鷹の飛行が邪魔出来るでしょうか? それに夏の到来を妨げることが出来るでしょうか?
それに「夏の太陽が雪に覆われた庭園に与える影響」を邪魔することが出来るでしょうか?
この小さな一束の毛は容易に運ばれ去って行き二度と戻らないのだから、それをただ見ていなさい。
別れを惜しむのではなく、喜んでそれと別れなさい。
何故ならそれはそれ自体では何ものでもなく、そして(あなたがそれに対してより大きな信心を与えていた時でも)それは何の象徴でもなかったのだから。
消え行く雪の残りを眺め冬の寒さを思い出して震えるより、あなたは夏の太陽に挨拶したいとは思いませんか?

1 comment:

  1. 2012年12月に改訂しました

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