Sep 26, 2011

Ch20-3

Thorns and Lilies
いばら(棘)とユリ

(体に掛けたり/体を隠したり/体が使うために作られている)全てのくだらないものを見なさい。
(体の目で見るために作られている)使いようのない全てのものを見なさい。
体の楽しみのために作られている多くの捧げ物について思い巡らし、それらが「あなたの憎んでいるものを愛らしく見せるために作られていること」を思い出しなさい。
あなたは「この憎まれているもの」を使ってあなたの兄弟をあなたのもとに呼び、彼(兄弟)の体の目を惹こうとするのですか?
あなたは(それが一体何なのか理解しないまま)いばらの冠を彼に捧げ与えて、彼がそれを受け取ったことを理由に(彼に対する)自分の理解/解釈を正当化しようとしていることを理解しなさい。
(このギフトを喜んで受け取ったことにより彼が自分自身の価値の無さを認めており、だから)このギフトは彼の無価値をあなたに証明していることになるのです。{あなたにとってはそうなのです。}
しかしギフトが本当に与えられ受け取られている時、それは体を通して行われてはいません。
何故なら体は捧げる(与える)ことも受け取ることも(そして与えないことも取ることも)出来ないのだから
何かに価値を認めることが出来るのはマインドだけなのです。
自分が何を受け入れ何を与えるか決められるのはマインドだけなのです。
そしてマインドが与えようとする全てのギフトは「マインドが何を求めているか」にかかっているのです。
マインドは自分の住家をとても注意深く飾って、自分(マインド)が求めているギフトを受け取れるよう準備をします。 マインドの住家に訪れた者達に(あるいはそのギフトに惹き付けられた者達に)そのギフトを捧げることにより、マインドは自分が求めているギフトを{人々がそして自分が}受け取れるように準備するのです。
そしてそこで(マインドの住家で)マインド達は自分達に相応しいと判断したものを与え、そして受け取ることによってギフトを交換するのです。


それぞれのギフトは受け取っている者と与えている者の一つの評価なのです。
全ての人達が自分が選んだ住家を自分自身への祭壇(自身を称える祭壇)として見ています。
自分の祭壇の上に置かれているものを崇拝するよう参拝者を呼び込み、それを彼等の献身に値するものにしようとしない者はいません。
それぞれの人達が自分の祭壇に照明を燈しており、自分が祭壇の上に置いたものを他の人々が見てそれを彼等自身のものとして受け入れて欲しいと望んでいます。
あなたが自分の兄弟と自分自身の上に置いた価値がここ(祭壇の上)にあるのです。
ここに(あなたと兄弟)両方に対するあなたのギフト(神の子自身に対するあなたの裁き/判断)があるのです。
このギフトがあなたの救済者に対して捧げられていることを忘れないでください。
彼(神の子)に棘を捧げたなら「あなた」が磔になる(苦しめられる)のです。
彼(神の子)にユリを捧げたなら、それはあなたが「あなた自身」を自由にしていることなのです。

私はユリをとても必要としています。 何故なら神の子が私を赦していないのだから。
彼(神の子)が私に棘を捧げている時、私が彼に赦しを捧げることが出来るでしょうか?(出来ないのです。)
何故なら、棘を誰かに捧げている者はまだ私に抵抗/反対しているのですが、(まだ棘を誰かに捧げている)彼なしで誰が十全(全体)に成れると言うのでしょうか?
あなたは私の為に彼(神の子)の友達に成ってください。 私が(彼に)赦されるように。 そしてあなた達が神の子を十全/健全に見れるように。そしてあなたが神の子の全体を見れるように。


しかしまず初めに、あなたの選んだ住家の中の祭壇を見てください。 そしてその中にあなたが私への捧げ物として何を置いたか見てください。
もしそれが(血の赤い光で鋭く輝いている)棘であったなら、体があなたの選んだ住家なのです。 そしてあなたが私に捧げているのは分離なのです。

しかし棘は消えています。
祭壇をより詳細に見続けなさい。 あなたの祭壇が今までとは変っていることをあなたは見るでしょう。
あなたがまだ体の目で見ているのなら、あなたはまだ棘を見ることでしょう。
しかしあなたは違う視力(視界)を求めて受け取ったのです。
聖霊の目的を自分の目的として受け入れている者達は、聖霊のヴィジョン(視界)も共有しているのです。
そして「彼が彼自身の目的を見れるようにしているもの」が全ての祭壇から輝き出しています。 そして今、全ての祭壇があなたのものであると共に彼(神の子)のものなのです。
彼は異邦人は見ておらず、親愛なる愛情深い友達達だけを見ているのです。
彼は棘は見ず、(彼が見て愛した全てのものに投げ掛けている平和の優しい輝きの中の)ユリだけを見ています。

このイースターは、(体の目とは)違う目でお互いを見なさい。
あなたは私をすでに赦しています。
しかしあなた達がそれ(ユリ)を見ていないなら、私があなたのギフトであるこのユリを使うことは出来ません。
そして私が与えたものをあなた達が分け合わない(お互いに与え合わない)限り、あなた達には私が与えたものは使えません。

聖霊のヴィジョンはくだらないギフトではありません。それは暫くそれで遊んでから傍らに放って置くようなものではありません。
これを注意深く聞きなさい。 そしてこれを(たまに取り上げる玩具、無責任な思考の遊び)夢物語と考えるのも止しなさい。 あなたがそう考えたなら、あなたにとってはこれがそうなってしまう(夢に成ってしまう)のだから。

あなたは全ての幻想を見通すヴィジョン(視力)を持っています。
それは棘を見ず、異邦人を見ず、平和への障害をなにも見ないように、あなたに与えられているのです。

今あなたにとって神への恐れは何でもありません。
自分の救済者が自分のすぐ横に立っていることを知っていたなら、誰が幻想を見ることを怖れるでしょうか?
彼の助けを得て、あなたのヴィジョンは幻想を解除する偉大な力に成ったのです。それが神自身に与えることの出来る一番偉大な力なのです。何故なら神が聖霊に与えたものをあなたが受け取ったのだから。
神の子が自分の解放を求めてあなたを見ているのです。
何故なら、あなたはこの最後の障害を見る力を求めそれを与えられたのだから。 そして神の子を磔にして彼を死の王と任命する冠をかぶせようとする棘や釘は見ないのだから。
あなたの選んだ故郷は反対側に、ヴェールの向こう側にあるのです。
それ(あなたの故郷)は注意深く整えられており、あなたを受け入れる準備が出来ています。

あなたはこれを体の目では見ません。 しかしあなたが必要としている全てのものをあなたは持っています。
時が始まって以来あなたの家(故郷)はあなたに呼び掛けて来ました。 そして(あなたの家からの)この呼び掛けをあなたが全く聞かなくなってしまったことは今までありませんでした。
あなたは(故郷からの呼びかけを)聞いているのですが、どのようにしてそれ(あなたの家/故郷)を見たら良いか知らないのです。
あなたの中に叡智(knowledge)があります。 それは「ヴェールが取り払われ、それを隠している全ての怖れから自由になること」を求めています。
愛の中には怖れがありません。イースター(復活祭)の歌は「神の子が磔に掛けられたことは一度も無かった」と嬉しくリフレーン(繰り返)しているのです。
わたし達は自分達の目を(怖れの中にではなく)信心を持って一緒に上げましょう。
そしてわたし達の中には怖れが無くなります。 何故ならわたし達のヴィジョンの中に幻想がないのだから。
天国(静寂の中でわたし達が一緒に住んでいる家、わたし達がひとつの存在として一緒に住んでいる優しい平和な場所)の開かれたドアに続く小道だけがわたし達のヴィジョンの中にあるのです。


あなたの聖なる兄弟があなたをここに導くことを許可しませんか?
彼(兄弟)の無垢があなたの道を照らし、それが道案内しあなた達をしっかりと守ります。 そして彼の中にある聖なる祭壇(そこにあなたが赦しのユリを与えたのです)からも(彼の無垢が)輝いているのです。
彼が「あなたを幻想から救い出す者」に成ることを許可しなさい。そして(ユリを見て「あなた」に喜びをもたらす)新しいヴィジョンで彼を見なさい。
わたし達はお互いの道を照らしながら、怖れのヴェールを超えて行きます。
わたし達を導いている神聖は、わたし達の中に(わたし達の住家/故郷として)存在しているのです。
こうしてわたし達は(わたし達を導く彼/聖霊のすぐそばに)わたし達が見つけるべきものを見つけるのです。

これが天国への道、イースターの平和への道です。 「神の子が過去から蘇り立ち上がり、現在に目覚めたこと」に対する嬉しい気付きの中でわたし達は繋がるのです。それが天国への道(イースターへの道)なのです。
そして今、彼は自由で限定に縛られることなく「彼の中の全てのもの」と無限のコミュニオン(霊的交歓)を行なっています。
そして今、彼の無垢のユリは罪悪に汚されておらず、怖れの寒風や罪の破壊からパーフェクトに守られています。
あなたのギフトが彼を棘や釘から救い、自由になった彼の強い腕があなたをガイドして棘や釘の中を安全に通り越させその先に導くのです。
いま喜んで彼と共に歩きなさい。「幻想から救済する者」がやって来てあなた達に挨拶しており、あなた達を故郷に導こうとしているのだから。
ここにあなたの救済者であるあなたの友達がいます。 彼はあなたのヴィジョンを通して磔から解放されており、今あなた達によって自由を得た彼は自分が行こうとしている所にあなた達を導くのです。
彼はあなた達のもとを去らず、苦しんでいる救済者を見放さないのです。
{救済者とは彼を解き放ったあなた(達)のことです。訳注}
そしてあなた達は一緒に喜んで無垢の道を進んで行きます。 開け放たれた天国の門を見ながら歌い、あなた達を呼んでいる故郷を認めて。
あなた達をそこ(天国の門)に導いて行く力と自由を、お互いに対して喜んで与え合いなさい。
そして(力と自由が待っている)お互いの聖壇の前に来て、あなた達を故郷に導く輝ける意識(気付き)を(お互いに対して)捧げ合いそして受け取りなさい。
あなた達両者の中のランプがお互いの為に燈されました。
そしてそれ(ランプの火)をお互いへ与え合った手によって、あなた達両者は愛への怖れを越えて導かれるのです。

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