Entering the Ark
箱舟に入る
あなが何かに自分を痛める力を与えない限り、あなたを痛め苦しめることが出来るものは何もありません。
あなたはこの世界の法則に力を与えようとしており、『「与えること」を「あなたが与えたものをあなたは失う」と解釈している世界の法則』にあなたは力を与えているのです。
しかしあなたの役割は力を与えようとすることではありません。
力(パワー)は神のものです。
力は神から(あなた達に)与えられており、(「あなたが与えた時あなたは得る」と心得ている)聖霊によってその力が再度目覚めるのです。
聖霊は罪に力は与えず、だから罪は力を持っていないのです。
そして聖霊は罪の結果(世界が罪の結果を見ている様子:死/惨めさ/痛み)も持っていないのです。
これらの事は起こっていないのです。何故なら聖霊はこれら(死/罪/病)を見ておらず、「これらの源として見えているもの」に力を与えてもいないのだから。
こうして聖霊は、あなたをこれら(死/罪/病)から自由にするのです。
(「あなたが何か」ということに関する幻想を持っていない)聖霊は(すでに全ての真実を与え受け取っている)神に全てを与えるだけなのです。
聖霊は、真実でないものは受け取らず、真実でないものは与えないのです。
天国の中には罪の居場所はありません。 天国の中では罪の結果は異邦人(エイリアン)で、罪の源と同様に罪は天国に入ることは出来ないのです。
だからあなたは自分の兄弟を「罪を持っていない者(無罪)」として見る必要があるのです。 何故ならあなたの兄弟の中に天国があるのだから。
あなたが彼の中に罪を見たなら、あなたにとって天国は失われているのです。
しかし彼を彼そのものとして(ありのままに)見たなら、「あなたのもの」が彼からあなたに輝き出て来るのです。
あなたの救済者はあなたに愛しか与えません。
しかしあなたが彼(あなたの救済者)から何を受け取るか、それはあなた次第です。
それ(あなたの救済)は彼の中に在って、それがあなたの全ての間違いを無視する(見越す)のです。 そしてその中に彼自身の救済があるのです。
これはあなたに関しても全く同じです。
救済とは「与えることに関するレッスン」で聖霊がそれを翻訳/解釈するのです。
これは(「神の法以外の法則」を確立して「神が創造しなかったもの」を強制する力をそれらの法則に与えている)マインドの中で神の法を目覚めさせることなのです。
あなたの狂気の法則はあなた達が間違えを起こすように作られており、これらの法則の結果をあなたの正当な支払いとして受け入れる事により、これらの法則にあなた達を統治する力が与えられているのです。
これは狂気でなくて何なのでしょう?
あなたは「あなたを狂気から救出する者」の中にこのようなものを見ようとするのですか?
あなたがこの狂気から自由である程に(あなたの救済者である)彼もこの狂気から自由なのです。 そして彼の中にあなたが見ている自由を、あなたはあなたのものとして見るのです。
何故ならあなた達はこれを分け合うのだから。
神が与えたものは神の法に従います。 神が与えたものは神の法だけに従うのです。
そして神の法に従っている者達が、その他の原因(神の法則以外)の結果を被ることは不可能です。
自由を選択した者達は、その選択の結果だけを体験するのです。
彼等の力は神のものです。 そして彼等はこの力を「彼等と分け合うように神が与えたもの」だけに与えるのです。
彼等に触れること(彼等に影響を与えること)が出来るのはこれ(神が彼等に与えた力)だけなのです。何故なら彼等はこれだけを見て、神の意志に従って彼等の力を分け合うのだから。
このようにして彼等の自由は確立され保持されるのです。
これは幽閉しようとする、そして幽閉されようとする、全ての誘惑の中でも保持されるのです。
あなたは「この自由を学んだ者達」に自由が何か尋ねるべきなのです。
「どのようにして鷹が飛んでいるか」ツバメに聞くのは止めなさい。何故なら、小さい翼を持っている者達は、あなたと分け合う力を自分達のためにまだ受け入れてはいないのだから。
無罪(無垢)な者達は受け取ると同時に与えるのです。
ならばあなたの兄弟の中に無罪の力を見なさい。 そして「あなたが彼に捧げた罪(あなたが兄弟に与えた罪)」から解放する力を彼(兄弟)と分け合いなさい。
(この地球の上を孤独に歩いているように見えている)それぞれの人達には一人の救済者が与えられており。 その救済者の特別な役割はその人を解放し、それにより自身も解放されることなのです。
分離した世界の中では、それぞれが独自に割り当てられていますが、彼等は全て同じなのです。 {分離した世界の中では、一人の個人に特定の救済者が割り当てられているように見えていますが、それらの救済者は本当は全く同じなのです。}
しかし彼等(救済者)が全て同じだと知っている者達は、救済は必要としていません。
{何故なら全ての救済者が同じだと知っている者達はすでに救済を得ているのだから。}
それぞれの人達は、キリストの顔を見て彼(キリスト)を無罪と見る用意が出来ている時に自分の救済者を発見するのです。
このプランはあなたが作ったものではなく、あなたが学ぶように与えられている分部以外のことを思い悩む必要もありません。 何故なら、それ(あなたが学ぶべき部分)以外の全ての部分を知っている者が、あなたの助けを必要とすることなく(あなたが学ぶべき部分以外のことを全て)用意するのだから。
しかし彼(あなたの救済者)が{あなたが学ぶべき部分への}あなたの関与を必要としていないと考えるのは止めなさい。
何故ならあなたの部分(あなたが学ぶべき部分)に全てが掛かっており、あなたの部分がなければ(あなたが自分の役割を果たさなければ)すべては未完成なままなのだから。
平和の箱舟の中には二人づつ入って行くのですが、もう一つの世界が彼等と共に(その二人と共に)始まるのです。
聖なる関係が聖霊の役割を共有するように成った今、それぞれの聖なる関係がここから(平和の中に)入って行って、聖霊のプランの中のその特別な役割を学ぶ必要があるのです。
そしてこの目的/役割が満たされたなら、(その中には罪が入って来れない、そして神の子がその中に怖れなく入って行ける)新しい世界が立ち上がるのです。
そして彼(神の子)はそこで少し休んで、幽閉生活を忘れ自由を思い出すのです。
あなたがそこ(新しい世界)に居なければ、どうして彼がそこに入って休憩し思い出せるでしょう?
あなたがそこに居ない限り彼は完成しておらず、彼がそこで思い出すのは彼の完成なのです。
これがあなたに与えられている目的です。
あなた達がお互いを赦すことが、あなた達二人だけの為だと考えるのは止めなさい。
何故なら新しい世界全体が(休憩する為に)ここに入って来る全ての二人組みの手に掛かっているのだから。
そして彼等が休んでいる時キリストが彼等に輝きかけ、彼等は神の法を思い出し、それ以外の全ての法則を忘れて、神の法則だけが彼等と彼等の全ての兄弟の中を完全に満たすことだけを熱望するのです。
これが達成された時、あなたが彼等(あなたの兄弟)なしで休むとあなたは思いますか?
私があなたを置いてきぼりにして私自身の一部を忘れることは出来ないように、あなたが彼等の中の一人でも外に置き去りにすることは出来ないのです。
あなたは自分がまだ時間の中にいる時に(平和への道が開くまでまだ沢山しなくてはならないことが残っているのに)どのようにして平和に成れるのか不思議に思っています。
それはあなたには不可能に思えるかもしれません。
しかし神が上手く働かない救済プランをあなたに与えることが可能かどうか自分に訊ねてみてください。
神のプランをあなたが満たすべき役割として受け入れたなら、(あなたの心配をよそに)聖霊はそれ(あなたが満たすべき役割)だけをあなたの為に用意するのです。
聖霊はあなたの先に行き、あなたの道を真っ直ぐにして、あなたが躓かないようにして、あなたの道を阻むものがないようにするのです。
あなたが必要とするものであなたに与えられないものは何も無いのです。
全ての障害が(そこにあなたが辿り着く前に)消え去るのです。
あなたは自分が満たす役割/目的以外は、何も考える必要がなく、何も思い煩う必要がないのです。
あなたの役割があなたに与えられたように、あなたの役割は満たされるのです。
神の確約は全ての障害を越えて保たれるのです。 何故ならそれは偶然ではなく必然なのだから。
それはあなたに掛かっている(依存している)のです。 そして神の子よりも確実なものがあるでしょうか?
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