Obstacles to Peace - The Attraction of Death
平和への障害 - 死の魅力
あなたの特別な関係の中に精霊が入って来ており、あなたにそれ(特別な関係を解放する役目)が与えられており、あなたがそれ(特別な関係)を死から解放し、そうすることによってあなた自身が死への献身から解放されるのです。
この役目があなたに与えられており、あなたはこれを受け入れたのです。
しかしまずあなたは奇妙な献身(死への献身)に関してより多く学ぶ必要があります。
何故ならこの(奇妙な献身の)中に、平和が流れ越して行かなければならない三つの障害の中の一が存在してるのだから。
自ら死を選ばなければ誰も死ぬことは出来ません。
死の恐怖に見えているものは本当は魅力(惹き付ける力)なのです。
罪悪も(死同様に)怖れられているもの/怖ろしいものですが、罪悪に魅力を感じてそれを求めている人だけにしか罪悪の力は及ばないのです。
死もこれと同じなのです。
死はエゴによって作られており 、その暗い影は「生きている全てのもの」に伸びています。何故ならエゴは生命の「敵」だから。
しかし影に何かを殺すことは出来ません。生きているものにとって影が何だというのでしょう? 生きているものが影を通り抜ければ影は(生きているものの上から)消えてしまいます。
でも「生きないこと」に献身を捧げている者達にとってはどうでしょう?
黒装束の「罪人達」が、エゴの嘆きのコーラスが、重い鎖を引きずりながら自分達のマスター{エゴ/分離感覚}を称えてゆっくり行進し、生命から遠ざかっているのです。
彼等の一人を優しい手で触ったなら、彼等の鎖が解き放たれ、そして「あなた」も解き放たれるのです。
彼が自分の葬式の為に着ていた黒いマントを取り外すことを見て、彼が死を見て苦笑しているのを聞きなさい。
あなたの赦しによって彼は「罪が与えた死の宣告」から逃れられるのです。
これは傲慢ではなく、これが神の意志なのです。
(神の意志を自分の意志として選んだ)あなたにとって不可能なことがあるでしょうか? 死があなたにとって何だというのでしょう?
もうあなたの献身は死に与えられているのではなく、死のマスターに与えられているのでもありません。
あなたがエゴの目的の代わりに精霊の目的を受け入れた時、あなたは死を否定して、それを生命で取り替えたのです。
わたし達は、アイディアの「結果」がその源を去らないことを知っています{アイディアの結果がアイディアから離れないことを知っています}。
そして死は「わたし達がエゴと呼んでいる思考」の結果なのです。
これは生命が「神の思考」の結果であると同じように確実なのです。
エゴから罪と罪悪と死がやって来ました。 それは命と無垢と「神自身の意志」に反して出現しました。
このような{神に対する、生命に対する}反対(反乱)がどこに存在し得るでしょう?
これは(狂気に捧げられていて、天国の平和に反して設定されている)精神異常者の病んだマインドの中だけに在るのです。
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