兄弟を赦すことに関してあなたはどれだけ意欲的でしょうか?
あなたはどれだけ(終らぬ苦しみと惨めさと痛みではなく)平和を熱望していますか?
異なる形で言い表わされてますが、これらの{上記二つの}質問は同じなのです。
赦しがあなたの平和なのです。
何故なら、{あなたが兄弟姉妹を赦している}ここに分離の終わりがあり、危険と破壊の夢の終りがあり、死と罪の終りがあり、狂気と殺人と悲しみと喪失の終わりがあるのだから。
これこそ救済が{あなたから}求めている「犠牲」なのだから、これではなく{罪と死の夢ではなく}平和を喜んで捧げなさい{与えなさい}。
{そうすることによって}神の聖なる子よ、死なないことを誓いなさい!
{独立的アイデンティティの確立を求めた}あなたは自分で守ることが出来ない取引を行なっているのです。
命の子が殺されることは不可能です。{命の子である}彼は父同様に不滅なのだから。
だから彼{命の子}が変えられることは不可能なのです。
彼は全ての宇宙の中でひとつで在るに違いない唯一の者なのです。
「永遠のように見えているもの」は全て終わりを迎えます。
星が消え去り、夜と昼も無くなります。
移り変わる全てのものは、(潮の満ち引き/四季/人の人生など)時と共に移り変わるものは、発生しては消えて行くものは、もう戻って来ません。
時が終りを設定している所は「永遠」が存在している場所ではありません。
人々が彼{神の子}を作ったこと(彼を定義したこと)によって神の子が変えられることは決してありません。
彼{神の子}は時間によって変化しません。
何故なら、時間は彼の運命を決めておらず、時間が彼の誕生や死亡を設定していることもないのだから。
赦しが彼を変えることもありません。
しかし時が赦しを待っているのです。「時に係わるもの達(時に縛られている物事)」がもう使われなくなって消え去るように。
その目的{時の目的}を越えて居残れるものは何もないのです。
死ぬ為に何かが作られているのなら、それは死なずにはおれないのです。それがこの目的をそれ自身のものとして受け入れなくなるまでは。
「(目的がどれだけ不変に見えても、実際には目的が固定されていない)ここ」では、変化だけが祝福に作り変えられるものなのです。
『「あなたに対する神の目的」とは違うゴールを「あなた」が設定し、それ{あなた独自のゴール}を不変で永遠なものに出来る』と考えるのは止めなさい。
あなたは、あなた自身に「あなたが持っていない目的」を与えることが出来ます。
しかし「(あなたのマインドを変化させて他の目的をそこに見る)パワー」をあなたが取り去ることは出来ません。
『「あなた」が永遠にしようとした全てのこと』に対して(天国だけが過ぎ去らないようにする為に)神が与えたギフトが「変化」なのです。
あなたは死ぬ為に生まれて来たのではありません。
あなたが変わることは不可能です。何故なら、あなたの役割は神によって固定されているのだから。
その他全てのゴールは時間の中に置かれており、時間を保存する為に変えられているのです。{赦しという}ひとつのゴール以外は{全て、時間の中に置かれており、時間を保存する為に変えられているのです}。
赦しは時間を保つことをその目的としておらず、(時間の役目をなくして)時間を終らせる為のものなのです。
時間の目的が終れば、時間は消え去るのです。
そして「一度は時間が支配していたように見えていた場所」が今「神が神の子の為に設立したその役目」を意識の中に全て取り戻したのです。
時が「その成就{神が神の子に与えた目的の成就}やその不変性」に対して終りを設定することは不可能なのです。
死は存在していません。何故なら、生きている者達は「創造者が彼等{生きている者達}に与えた役割」を共有しているのだから。
生命の役割が死であることは在り得ません。
「(終わりなく永遠に永遠にそれ{生命}がひとつであるように)生命を拡張する(差し伸ばす)こと」がその役目{生きている者達の役目}であるに違いないのです。
「神の子を十字架に懸けて苦しめる為にこの世界が作られている」とあなたが考えた時にだけ、この世界はあなたの手足を縛りあなたの体を殺すのです。
何故なら、この世界は死の夢なのですが、あなたがこの世界に対してそのような目的を与える必要はないのだから。
これ{「神の子を十字架に懸けて苦しめる為にこの世界が作られている」とあなたが考えていること}を変えさせなさい。そしてこの世界の中で変えられるべきものはこれ以外にはないのです。
何故なら、ここにある全ては、あなたがそれに与えた目的によって定義されているだけなのだから。
神の子の赦しが目的に成っている世界は何と愛らしいことでしょう!
それは何と怖れから自由で、どれだけ祝福と幸福に満ちていることでしょう!
そのようにハッピーな場所に少し留まることは、何と喜ばしいことでしょう!
そして{神の子の赦しがその目的に成っている}このような世界の中でこれ{神の子の赦し}が忘れられることもないのです。
無時間(timelessness)が静かにやって来て、時間に取って替わるまでには、少しの間があるだけなのです。
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