幻想の後ろにある真理
あなたは「満足させないもの」を攻撃し、だから「あなたがそれ{あなたを満足させていないもの}を作り上げていること」があなたには見えないのです。
{だから}あなた達は常に幻想と戦っているのです。
{しかし}これらの幻想の背後にある真実はとても愛くるしく愛の優しさの中で静かなので、あなたがそれ{幻想の背後にある真実}に気付いたなら、あなたは防御を全て忘れて、その抱擁の中に駈け寄ることでしょう。
真理は攻撃され得ません。
あなた達がアイドルを作った時に、あなた達はこれ(真理を攻撃することは出来ないこと)を知っていました。
これ(真理を攻撃することは出来ないこと)を忘れることが出来るようにする為にアイドル達が作られているのです。
あなたは間違ったアイディアしか攻撃しておらず、決して真実のアイディアは攻撃していないのです。
全てのアイドル達は『「あなた自身」と「真実であるもの」の間に立ち昇っているとあなたが考えている「ギャップ」を埋める為にあなたが作った間違ったアイディア』なのです。
そしてあなたは「アイドル達が象徴{証言}しているとあなたが考えていること」故にアイドル達を攻撃しているのです。
しかし彼等の後ろに在るものは攻撃出来ないのです。
あなた達が作った(疲労し、不満足を訴えている)神々は大きく膨らまされた子供の玩具なのです。
閉じられている箱が急に開けられて木彫りの頭が飛び出した時、彼(子供)はビックリして恐れおののくのです。
あるいは、静かで柔らかい熊のぬいぐるみを彼が抱きしめた時、キュっと音がしたなら{やはり彼は驚くのです}。
{このようにして、}が箱や熊に与えた彼のルールが彼を裏切っており、彼が自分の周りをコントロールしようとする能力からそれらの玩具が飛び出しているのです。
彼はルールが自分を守ると考えていたので、{自分のルールが上手く働いていないことを見た}彼は恐くなってしまったのです。
すると彼は「箱や熊が自分を騙してはいなかったこと、箱や熊がルールを破っていないこと、{箱や熊の行動は}彼の世界がカオスに侵され危険に成っていることを意味してはいないこと」を学ぶ必要があるのです。
彼は間違っていたのです。
彼は、何が自分を安全にしてるか誤解しており、それ{自分を安全にしていたもの}が自分のもとを去ってしまったと考えていたのです。
「そこに本当は実在していないギャップ」は様々な形の玩具達で埋め尽くされています。
そしてそれぞれの玩具は、あなたがその玩具の為に設定したルールを破っているように見えます。
しかし、その玩具は「あなたが考えたようなもの」では(初めから、そして今でも)全く無かったのです。
あなたの作った安全のルールは間違っているので、玩具はそのルールを破る必要があるのです。
しかし{玩具があなたのルールに従っていないからといって}あなたが危険に晒されている訳ではありません。
あなたは、飛び出してくる頭や抱きしめられてキュウキュウ言っている玩具に対して(「玩具達は自分を脅かすものではない」と学んだ子供がするように)笑いかけることが出来るのです。
しかし玩具達で遊ぶことを止めない限り、『玩具達は「自分の喜びの為に彼が作ったルール」に従っている』と彼は知覚し続けるのです。
だから{玩具達で遊ぶことを止めない限り}、「玩具達が従っていないように見えているルール」が存在することに成り{つまり玩具達は子供のルールに完全に従ってはいないので}、それが彼を恐がらせるのです。
しかし彼が自分の玩具の被害者に成り得るでしょうか?
玩具達が彼に対する脅威に成ることが在り得るのでしょうか。
リアリティは神の法に従うもので、あなたが設定したルールに従うものではありません。
あなたの安全を確約しているのは神の法なのです。
あなたがあなた自身に関して信じている全ての幻想は、どのような法にも従っていないのです。
それらの幻想は、あなたがそれらに対して設定したルールに従って、少しの間踊り続けるように見えます。
しかしそれらの幻想は倒れて、再度立ち上がることは出来ません{あなた自身がその玩具/幻想でもう一度遊ぼうとしない限り}。
私の子供達よ、それらは玩具に過ぎないのです。
それらの為に嘆き悲しむのは止めなさい。{それらの玩具を失うことを厭うのは止めなさい。}
それらの踊りがあなたに喜びをもたらしたことは無く、しかしそれらはあなたを脅かす為のものでもなく、それらがあなたのルールに従うことであなたが安全に成る訳でもないのです。
それはを大切にする必要も、攻撃する必要もないのです。
それらを(それ自身では何の意味も持ってない)子供の玩具として見ればよいだけなのです。
あなたが玩具(幻想)の中に一つでも意味を見たなら、あなたは全ての玩具/幻想に意味があると見るのです。
あなたが玩具の中に全く意味を見なかったなら、玩具(幻想)があなたに触れることは無くなるのです。
様相(風貌/見かけ/appearances)は様相であってリアリティではないので、様相は騙すのです。
どのような形でもそれら{の様相}に留まる(こだわる)のは止めなさい。
それら{様相}はリアリティを不透明にしているのです。
そして様相は真理を隠しているので、だから様相が怖れを引き出すのです。
「あなたを騙させる為にあなたが作ったもの」を攻撃するのは止めなさい。
何故なら、そのようにして{攻撃することにより}、あなたが騙されたことをあなたは証明するのだから。
攻撃は「幻想をリアルに作る力」を持っているのです。
{攻撃することによって、幻想をリアルな臨場感と共に体験してしまうのです。}
しかし「それ{攻撃}が作ったもの」は無意味なのです。
誰が「リアルな効果を全く持ち得ない力」によって脅かされるというのでしょうか?
それは「何かを{物事を/相手を}それ自身と同じように見せる幻想」でしかないのです。
{このようにして作られている}玩具達を冷静に見てみなさい。そして彼等{玩具達}が空虚な願望に踊っているアイドルであることを理解しなさい。
彼等{玩具達}にあなたの崇拝を与えるのは止めなさい。何故なら、彼等はそこには居ないのだから。
しかし、攻撃の中ではこれもまた忘れられているのです。
{しかし、攻撃している間は、「アイドル達が実存していないこと」が理解出来ないのです。}
{しかし、攻撃している間は、「アイドル達が実存していないこと」が理解出来ないのです。}
神の子は彼の夢{神の子の夢}から{自分を}防御する必要はないのです。
彼のアイドル達は、彼を全く脅かしていないのです。
彼のひとつの間違いは、それらのアイドル達がリアルだと彼が考えていることです。幻想の力に何が出来るというのでしょうか?
様相(見かけ/appearances)は『「騙されることを求めているマインド」を騙すこと』しか出来ないのです。
あなたは「(永遠にあなたをあざむきから遠くへ置く)シンプルな選択」をすることが出来るのです。
「これが{あなたがあざむきから遠ざけられることが}どのように行なわれるか」あなた自身が心配する必要は在りません。 何故なら、あなたはこれを理解出来ないのだから。
しかし下記の非常にシンプルな決断をした時、あなたは「意図の変化が素早く行なわれたこと」を理解するのです。
『あなたは「アイドルが与えているとあなたが信じているもの」を{それが何であるにしろ}求めてはいない。』
{「アイドルが与えてくれると自分が信じているもの」を自分は求めていない。}
何故なら、このようにして{このように言うことにより}神の子は「アイドル達から自分が自由であること」を宣言するのだから。 そして、これによって彼は自由なのだから。
確かに救済はパラドックスなのです。
それはハッピー・ドリーム以外の何で在り得るというのでしょうか?{救済はハッピードリームでしかないのです。}
「そこに存在していないもの」をあなたが見越せる{無視出来る}ようなる為に、そして「リアルでないもの」をリアリティとして見続けなくなるように、『「今までに誰も全くしたことがない全て」を赦すこと』があなたから求められているのです。
あなたは「あなたの意志がなされるようにさせること、そしてあなたが欲していないアレコレをこれ以上求めないこと」を求められているだけなのです。
そして『「あなたのリアリティではない夢の全て{あなたが決してリアルにはしなかった夢の全て}」からあなた自身を自由にして、もう「神の意志」を「怠惰な願いの力」で代用しようと願わなくなること』があなたに対して求められているのです。
ここにおいて、分離の夢が消え始めるのです。
何故なら{こうすることによって}、「あなたが作った怖れの玩具」が手放され「そこに実在していないギャップ{そこにギャップが存在していないこと}」が知覚され始めるのだから。
これ以上のことは{あなたからは}求められていないのです。
救済が(とても多くではなく)これ程少ししか必要としていないことを喜びなさい。
リアリティの中では救済は何も求めていないのです。{何故なら、リアリティの中に不足は無いのだから。}
しかし幻想の中でさへも、救済は「怖れを赦しで取り替えること」しか求めていないのです。
ハッピードリームのルールはこれだけなのです。
ギャップの中から怖れの玩具達が全て取り除かれ、するとそれ{ギャップ}がリアルでないことが明確に成るのです。
夢には{リアルな}目的がないのです。
そして神の子はそれらの夢を必要としていないのです。
夢は「神の子が求めるようなもの」を神の子に対して何も捧げていないのです。
神の子は神の子の意志によって幻想から解放され、「神の子である状態(彼の本来の姿)」へと修復されるのです。
「神の子の救済に関する神のプラン」は、 彼を彼自身に与える方法{神の子を神の子自身に与える方法}でしかないのです。
No comments:
Post a Comment