Jan 21, 2012

Ch27-01

THE BODY AND THE DREAM
体と夢
不正に扱われたいという願いは攻撃と無垢を一緒にしようとする妥協の試みです。
両立し得ないもの同士を一緒にして(お互いと)繋がり得ないものから一つのものを作ることが可能でしょうか?
あなたは優しい道を歩んで行きなさい。そうすれば邪悪や夜の影に驚かされることはありません。
道程に恐怖のシンボルを掲げることは止めなさい。でなければ、あなたは茨の冠を編んでしまい、あなたとあなたの兄弟はその茨の冠から逃れられなく成ってしまうでしょう。

あなたは自分一人で自身を磔刑(犠牲)にすることは出来ません。
もしあなたが不正に扱われたとしたならば、彼(あなたの兄弟姉妹)もあなたが見ている不正を被らざる得ないのです。
あなたはあなた一人で自分を犠牲に上げることは出来ません。
何故なら犠牲は全体的なものだから。
もし犠牲が起こり得たとするならば、犠牲が神の創造の全てを取り囲んでいることになり、父が自分の愛する子を犠牲にしたことに成ってしまいます。

あなたが犠牲から解放されることにより、彼の解放が実現し、それ(解放)が彼自身のものであると示されるのです。{あなたが犠牲から解放されていることが、彼が本当に解放されていることを明確に示すのです。}
しかしあなたは自分が被っている全ての痛みを「彼が攻撃している証拠」として見ているのです。
そしてあなたは(苦しんでいる)自分のことを「彼がその無垢/無罪を失った印(証拠)」として作り、彼があなたを見さえすれば彼が断罪されていることが認識されるようにしているのです。
そして「あなた」に対して不正として行なわれたことが、正義{の断罪}として「彼」のもとに訪れることになるのです。
こうしてあなたが被って来た不正な苦しみに対する復讐が今彼に向けられて、復讐が彼の上に置かれた時「あなた」が自由になるのです。 {とあなたはそのように振舞っているのです。}
あなた自身を彼の罪悪の生きたシンボルにしようとするのは止めなさい。 何故なら、「あなたが彼の為に作った死」をあなた自身が逃れることは出来ないのだから。 そして彼の無垢の中にあなた自身の無垢が見つけられるのだから。

No comments:

Post a Comment