The Illusion of Suffering
苦しみの幻想
苦しみは『世界が「あなた」に対して行なった全てのこと』を強調する手段なのです。
ここに世界救済の狂気のバージョンが明確に示されているのです。
『(何が自分を攻撃しているか気付いていない)懲罰の夢のように、「夢見ている彼」は自分が(自分以外の者から)不当に攻撃されていることを見ているのです。
「彼」は「(彼が全く責任を負っていない)何か別なもの、彼の外にある何か」の被害者なのです。
彼は無罪に違いないのです。何故なら彼は「自分が何をしているか」知っておらず、「自分に対して何が行われているか」ということだけを知っているのだから。
しかし本当に存在しているのは彼の彼自身への攻撃だけなのです。何故なら彼が苦しみを受けているのだから。{苦しみを負っているのは彼なのだから。}
そして彼は逃れられないのです。何故なら攻撃の原因が彼の外に見られているのだから。』
上記の説明が「あなたが(幻想/苦しみから)逃れられること」を示しているのです。
「あなたが問題を設定した通り」に問題を見るのではなく、問題それそのものをハッキリと見ることだけが必要なのです。{あなたは自分で問題を設定しており、問題をあなたが設定した通りに見ていたのでは(あなたが設定した問題が実在していることを知覚認識し続けていては)、問題は解決出来ないのです。}
(問題を解決不能にする為に作られている)重い複雑な雲が覆いかぶさっていた場合、問題を解決するとてもシンプルなもう一つの見方が見つけられないのです。
しかし{「自分が問題を設定した通り」に問題を見続けようと試みる}雲が取り払われたなら、問題本来の単純な姿が現れるのです。
この選択は難しいものではありません。 何故なら問題が明確に見定められたなら、その問題が馬鹿げていることが解るのだから。
問題があなたを痛めていることが見れたなら、問題をシンプルに解決させるよう自分のマインドを決めることは誰にとっても簡単で、だから問題は簡単に取り除かれるのです。
世界が作られている「理由」は、世界が成り立っている「理由」は、世界が保持されている「理由」は、下記の思考に基づいているのです:
『「あなた」が私の行動の原因です。「あなた」の存在が私の怒りを「正当化」しています。そしてあなたは私から「離れて」存在しています。「あなた」が攻撃している限り、私は無罪/無垢であるに違いないのです。そして私が苦しんでいるのは「あなた」からの攻撃を受けているからです。{私の現状は「あなた」の攻撃を現しているのです。}』
この「論理」を正確に調べてみたなら、これが理屈に合っていないことが誰にでも解るでしょう。
しかし世界があなたを苦しめているように見えているので、この論理が妥当であるかのように見えるのです。
だから{苦しみの}原因を調べるために「当然と思われていること」をあえて疑う必要が感じられていないのです。
しかし{あなたの感じ方/考え方を疑う}必要が確かにあるのです。
断罪から世界が逃れる必要を世界の中の人々が分け合っています。
しかし人々はこの共通の必要を認識していません。
何故なら「自分が己の役割を担ったなら、世界の断罪が自分の上に課せられるだろう」と人々はそれぞれに考えているから。
そして彼(世界の中の人々)はこれ(自分が世界の断罪を背負うこと)が世界を救出する為に必要な自分の役目なのだろうと認識してしまっているのです。
報復(仕返し)には焦点(対象)が必要です。
それ(仕返しの対象)が無ければ、復讐者のナイフは自分の手の中にあって自分自身に向けられていることに成ってしまいます。
だから(自分で選ばなかった攻撃の被害者に彼が成る為には)彼は復讐のナイフを他者の手の中に見る必要があるのです。
こうして彼は「自分では持っていないナイフからの傷を被る」状況を自分自身に対して与えているのです。
これが彼(世界の人々)の見ている世界の目的なのです。
そしてこのように見られたなら世界は「彼のこの目的を満たしている方法」を提供しているように見えるのです。
方法が目的を証言しているのですが、方法そのものが原因なのではありません。
そして原因をその効果/結果から離して見ることにより、原因が変えられてしまう訳でもありません。
原因が効果/結果を生んでおり、効果/結果は(効果そのものを証言しているのではなく)原因を証言しているのです。
であれば効果/結果を超えて見通しなさい。
苦しみと罪の原因が存在しているのは、{苦しみという}結果の中では在り得ないのです。
苦しみと罪の中に居続けるのは止めなさい。何故なら、それらはその原因の反映でしかないのだから。{苦しみと罪は「苦しみと罪を出現させている原因」の反射でしかないのだから。}
あなた自身が逃れることが、世界を断罪から救出するあなたの役割(配役)なのです。
「世界の邪悪を証言する者」は「世界の中に悪がある必要を見ている者」の為以外には喋ることが出来ないことを覚えておきなさい。
そしてここ(世界の中に悪がある必要が見られている所)において「あなた」の罪悪が最初に見られたのです。
自分の兄弟(姉妹)からの分離の中で、あなた自身への一番最初の攻撃が始ったのです。
そして世界はこの証言を行っているのです。
これ以外の原因を見つけようとするのは止めなさい。世界の証言の多くの軍団の中からその解除を探そうとすることも止めなさい。
彼等(分離している世界の証人達)は{分離している世界に対する}あなたの忠誠心の上にその証言を成り立たせているのです。
真実を見つけようとして「真実を隠しているもの」の中を探しても無駄なのです。
罪の証人達(罪が実在することを証言している者達)は全て「ひとつ」の小さなスペースの中に立っているのです。
そしてあなたはここ(罪の証人達が立っているひとつの小さなスペース内)に「世界に対するあなたの知覚の原因」を見つけるのです。
世界があなたの前に無遠慮に押し出しているように見えている全ての原因が何なのか解らなくなった時点で、それがリアルになったのです{分離した世界がリアルに見えるようになったのです}。
しかし「痛みと苦しみをもたらしているとあなたが知覚している様々な原因」の中にはあなたの罪悪は含まれていないとあなたは確信しているのです。
そしてあなたはそれら(苦しみや痛み)を自分の為に求めはしなかったと確信しています。
このようにして{自分は苦しみは求めなかったと確信し、苦しみの原因を「自分が分離を選択したこと」の外に求めることにより}幻想が立ち昇って来ているのです。
それら(苦しみや痛み)を 作っている者は、自分がそれらを作っているとは、そしてそれらのリアリティが自分{の選択}に依存しているとは見ていないのです。
それら(苦しみと痛み)の原因は自分からはとても離れている(自分とは違った)もので、自分が見ているものは自分のマインドからは分離している。{と考えられているのです。}
彼は自分の夢のリアリティを疑ってみることが出来ないのです。何故なら夢を作っているそして夢をリアルに見せている自分の役割を彼は見ていないから。
「世界が彼の為に夢見ている夢」から醒められる者は誰も居ません。
{そのように考えている限り}彼は「誰か他の者」の夢の一部に成ったのです。
そして彼は自分で作らなかった夢から目覚めることを選択することは出来ないのです。
彼は呆然とやるせなく立っており、分離したマインドが考え出して大切にしている夢の被害者に成っているのです。
この分離しているマインドは確かに彼に対して無慈悲に違いないのです。
天気や時間の運行のように、このマインドは(夢の中の)彼の平和と幸福に対しては無思量(思いやりが無い)に違いないのです。
それ(分離したマインド)は彼を愛してはおらず、気分次第で彼を投げ捨て、その夢の願望を満たす為に彼にどのような配役でも与えてしまうのです。
彼の価値はとても僅かで、世界の夢の無意味なプロットに従って上下に跳ねて踊る影にしか過ぎないのです。
もしあなたが自分の夢を夢見ている人で無かったなら、もし{夢の}原因が他になかったなら(もし夢の原因が夢の外になかったなら)、これ(上記の無意味な世界)だけがあなたに見える絵で、これだけがあなたが選ぶことの出来るチョイス(選択肢)になってしまうのです。
もし苦しみの原因が「あなた」のマインド内にあることをあなたが否定しているなら、あなたはこれ(無意味な夢)を選んでいるのです。
これ(苦しみの原因があなたのマインド内にあること)が真実であることを喜びなさい。 何故なら、これが真実であるが故に「あなた」は「時間の中のあなたの運命」を決めている者なのだから。
あなたは「死と邪悪の夢」と「生命の喜びに溢れた嬉しい目覚め」のどちらかを選ぶことが出来るのです。
生命と死の間で、目覚めと夢見の間で、戦争と平和の間で、あなたの夢とあなたのリアリティの間で、何があなたに選べるのでしょうか?
もし選択権が本当にあなたに与えられたなら、あなたは自分が選んでいるもの達の原因をそれそのものとして(その真の姿で)それが存在している場所に見なくてはいけないのです。
一つの選択肢だけが明確に認識されている時に、二つの状態の中からどのような選択を行なうことが可能だというのでしょうか?
「ひとつ(の選択)」だけがあなたの選択権に見えている時に、異なる効果/結果の間を自由に選択出来る者が居るでしょうか?
正直な選択(本当の選択)が『「卑小なあなた」と「(あなたの中の真実に関す異なる夢達を内包している)巨大な世界」に分けられたどちらかを選ばなくてはならないこと』として知覚認識されることは決してありません。
リアリティと夢の間のギャップは「世界の夢」と「秘密裏にあなたが抱いている夢」の違いから来ている訳ではありません。 それら(「世界の夢」と「秘密裏にあなたが抱いている夢」)は一つなのです。
世界の夢はあなたが投げ捨てた「あなた自身の夢の一部」で、これ(世界の夢)があたかもこれ自身の始りと終わりを持っているかのようにあなたはこれ(世界の夢)を見ているのです。
しかしこれ(世界の夢)はあなたの「秘密」の夢によって始められたもので、あなたはこれを知覚/認識していませんが、これがあなたが見ている部分/世界(そしてあなたはこの部分がリアルであることを疑っていません)を発生させているのです。
あなたが眠っており、これ(あなたが見ている部分/世界)の原因がリアルだと秘密裏に夢見ている間は、あなたがこれ(世界の夢)に疑念を懐くことは難しいのです。
あなた自身から分離した兄弟姉妹、古代の敵、夜に待ち伏せしてあなたのゆっくり迫り来る死を練っている殺人者。それらをあなたは夢見ているのです。
そしてこの夢の下にはもう一つの夢があり、その中では「あなた」が殺人者/秘密の敵であり「あなたが怖れている兄弟姉妹と世界」の破壊者なのです。
(あなたの夢とあなたのリアリティの隙間/スペースである)ここに苦しみの原因があるのです。
(あなたが見さえしていない)この小さなギャップ(隙間)が、幻想と怖れが生まれている場所で、恐怖と古代の憎しみの時間で、災害の瞬間なのです。 それらはすべてここに在るのです。
ここに非現実(リアリティでないもの)の原因があるのです。
そしてそれはここ(ギャップ内)で解除されるのです。
「あなた」が夢の世界を夢見ている人なのです。
それ(夢の世界)があなた以外の原因を持ったことは一度もないのです。
神の子を脅し「自分は無垢を失っている、自分は自分の父を否定しており父に対して戦いを挑んでいる」と神の子に考えさせている「怠惰な夢(立ち止まっている夢)」以上に怖ろしいものは存在していません。
この夢はとても怖ろしくとてもリアルに見えているので、より緩やかな夢が彼の目覚めの先頭に立ち彼のマインドを静めて「愛をもって彼を目覚めさせようとして呼びかけている声」を(恐れるのではなく)歓迎出来るように成らない限り、恐怖と死への怖れなくして彼(神の子)はリアリティに目覚めることが出来ないのです。
(その中で彼の苦しみが癒やされている、そして兄弟姉妹が彼の親友に成っている)より優しい夢の中で、神が彼(神の子)の目覚めを優しく喜びと共に意図するのです。
そして怖れを持たずに目覚める方法を彼(神の子)に与えるのです。
あなたの夢の替わりに、彼(神)が与えている夢を受け入れなさい。
夢見ている人が誰であるか一旦認識されたなら、夢をシフトさせることは難しくありません。
聖霊の中で休息しなさい。そして「あなたが怖れと死の恐怖の中で見ていた夢」が「聖霊の優しい夢」で置き換えられることを許しなさい。
彼(聖霊)は赦しの夢(寛容な夢)を持って来ます。 この夢の中での選択は「誰が殺人者か?」ではなく「誰が犠牲者になるのか?」でもないのです。
彼(聖霊)が持って来る夢の中には殺人も死もありません。
あなたの目は閉じられているのですが、罪悪の夢はあなたの視界から消えつつあるのです。
眠っているあなたの顔の上に光り輝く微笑みが訪れており、これらはハッピードリーム(幸福な夢)なので、いま眠りは平和に成っているのです。
聖なる無垢の中であなたと一緒になっている「無罪な兄弟」の優しい夢を静かにご覧なさい。
そして「この夢」の中から、天国の主自身が愛するわが子を目覚めさせるのです。
あなたの兄弟の間違いに{あなたの意識を}留めるのではなく、あなたの兄弟の優しさを夢見なさい。
彼が与えた傷を数え上げる代わりに、彼の思量深さに関して夢見ることを選びなさい。
彼の幻想に関して彼を赦して、彼が与えてくれた全ての助けに感謝しなさい。
そして彼の多くのギフトを払いのけてしまうのは止しなさい。 何故なら、あなたの夢の中では彼はパーフェクトではないのだから。
彼は(あなたに命と死の両方を捧げ与えている者としてあなたが見ている)彼の父を象徴(代表)しているのです。
しかし兄弟よ、彼(神)は命だけを与えているのです。
「あなたの兄弟姉妹が分け与えているギフトとしてあなたが見ているもの」は、『「あなたの父があなたに与えている」とあなたが夢見ているギフト』を象徴しているものなのです。
あなたの兄弟姉妹の全てのギフトを、あなたに与えられている慈愛と親切の光の中で見なさい。
そしてどのような痛みも「彼からあなたへのギフトに対するあなたの深い感謝の夢」を妨げないようにしなさい。
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