Jan 26, 2012

Ch27-6

The Healing Example
癒やしの模範

{他者を}癒やす唯一の方法は{自分自身が}癒やされることです。
奇跡はあなたの助けなしに広がって行きますが、奇跡が開始する為にはあなたの関与が必要なのです。
癒やしの奇跡を受け入れなさい。そうすれば奇跡はその性質故に自ら働き進みます。
生まれた途端にそれ自身を拡張していくことが奇跡の性質なのです。
そして奇跡は捧げられ受け取られた途端に生まれるのです。
他者が癒やされるよう{他者に}求められる人は誰も居ません。
しかし人は自らが癒やされることを許し、そうすることによって自分で受け取ったものを他者に与えることが出来るのです。


自分で持っていないものを他者に与えることが出来る人が居るでしょうか?
そして自分自身に対して禁じているものを分け与えられる人が居るでしょうか?
聖霊は「あなた」に話しかけるのです。
聖霊が他の人に話しかけるのではありません。
しかしあなたが聖霊に聞き入ることにより、聖霊の言っていることをあなたが受け入れ、聖霊の声が拡張され(差し伸べられ)るのです。

健康であるとは健康を証言することなのです。
それ(健康)が証明されない限り、それには確信が与えられないままに成ってしまうのです。
それがデモンストレート(体現/表現)出来た時に初めてそれが証明され、信念を引き出さずにはおれなくなるのです。

二重のメッセージを通して癒やされる人は居ません。
癒やされることだけを願えるように成って初めてあなたは癒やせるようになるのです。
あなたの揺るぎ無い唯一無二の目的(意図)がこれを可能にします。
しかしあなたが癒やしを怖れていたなら、癒しがあなたを通してやって来ることはありません。
癒やしに必要な唯一のものは「怖れの欠如」なのです。
「怖れ慄いている者」は癒やされず、他者を癒やすことも出来ません。
これは{癒やしを行なえるように成るためには}闘争/対立/矛盾があなたのマインドから永遠に消え去る必要があると言う意味ではありません。
もしすでに対立があなたのマインドから永遠に消え去っているのならば、癒やしはもはや必要ではなかったことでしょう。
一時だけでもいいので攻撃することなく愛することがあなたに出来たなら、癒やしは可能なのです。 奇跡は時間を無駄にはしないので一瞬で十分なのです{攻撃することなく愛することが一瞬でも出来れば良いのです}。

聖なる瞬間が奇跡の住家なのです。
そこ(聖なる瞬間)からそれぞれ(の奇跡)がこの世界の中に生まれて来て「対立/衝突を超越して平和に届いているマインド状態」の証人に成るのです。
それが{聖なる瞬間に留まり対立を超越しているマインド状態が}平和の場所から戦場に安楽を運び入れ、「戦いが影響を与えることは無い」とデモンストレートするのです。
そして戦いが引き出そうとしていた全ての「傷/壊れた体/引きちぎられた手足/泣き叫ぶ被害者/静かな死者達」は優しく引き上げられ安心を与えられるのです。
奇跡が癒やす為やって来ているそこには悲しみが無くなるのです。
これら全てが起こるために必要とされているのは、攻撃を全く含まないあなたの愛の瞬間だけなのです。

この瞬間の中で「あなた」が癒やされるのです。そしてこの一瞬間の中で全てが癒やされるのです。
聖なる瞬間がもたらす祝福をあなたが受け入れている時、あなたから離れているものがあるでしょうか?
あなたの祝福している者は世界の全てを愛しており、世界の中に怖ろしいものは何も残さないのだから、この祝福を受けることを怖れるのは止めなさい。
もしあなたが祝福から我が身を引いてしまったなら、世界は確かに怖ろしく見えるでしょう。 何故なら、その時あなたは世界に対して平和を与えておらず、世界が死ぬままにしているのだから。
これ程酷く絶望させられている世界は、「その世界を救える者(しかし癒やされることを怖れる余り後ずさりしている者)」によって断罪されている(地獄に落とされている)ようには見えないでしょうか?
その場合、死に行く全ての人達の目が叱責を示しており、苦しんでいる人達は「怖れるべきどのようなものがそこにあるのですか?」と囁いているのです。

その質問をよく考慮してください。これはあなたの為に尋ねられているのです。
死にゆく世界{死につつあるように見えている世界}は、あなたが「あなた自身」への攻撃を一瞬止めて、それによって世界が癒やされることを求めているのです。
聖なる瞬間の中にやって来て癒やされなさい。何故なら、聖なる瞬間の中で受け取られたものは全て、あなたが世界に戻った時に取り残されることが無いのだから。 そして祝福されることによって、あなたは祝福をもたらすのです。
死にゆく世界に命を与えるために、それ(命)があなたに与えられているのです。
そうすれば苦しんでいる目が断罪することが止まり、祝福を与えたあなたに対する感謝で輝くのです。
聖なる瞬間の輝きが「あなた」の目を燈し、全ての苦しみを越えて(苦しみの代わりに)キリストの顔を見る視力を与えます。
そして癒しが苦しみに取って代わるのです。 
ひとつを見ている者は、他者(他のもの)は知覚出来ません。何故なら、それら両方(ひとつ/他者)が一緒にそこに存在することは不可能だから。
そして「あなた」が見ているものを世界が目撃し、その証人に成って証言するのです。

だから「あなた」の癒やしが(世界が癒やされる為に)世界が必要としている全てなのです。
世界はパーフェクトに学ばれた一つのレッスンを必要としています。
(このレッスンが学ばれたなら)「あなた」がそれを忘れてしまっている時、「あなたが世界に教えたこと」を世界があなたに思い出させるのです。
世界の感謝は(世界が生きられるようにあなた自身を癒やさせた)あなたへの援護を惜しみません。
世界はあなたに対してキリストの顔を見せる証人を呼び出すのです。 あなたは彼等(世界の中の人々)にキリストの視界を与え、その視界を使って彼等(世界の中の人々)はキリストの顔をあなたに証言するのです。
「断罪の世界」は「全ての目が(それらの目に解放を与えた)友達を優しく見ている世界」で置き換えられるのです。 
そしてあなたの兄弟は「今まで自分の敵だと考えていた多くの人達」を友達として認識するのです。

問題は特定のものではないのですが、しかし問題は特定の形を取って現れるのです。
そして問題の特定の形が世界を作っているのです。
そして誰も自分の問題の性質を理解していないのです。
もし人が自分の問題を理解していたなら、その問題は彼にはもう見えなくなっていることでしょう。
問題の本質的な性質は「それは存在していない」です。
だから問題を知覚認識している時、彼はそれ(彼が問題だと考えているもの/こと)をそれそのものとして知覚してはいないのです。
しかし癒やしは特定の状態/事例に対して起こり、全てのこと(問題)が癒やしの中に含まれるよう一般化される{拡張される}のです。
これは全ての問題が(それらの異なる形にも関わらず)本質的に同じだからです。
全ての学習は伝達をその目的としており、「二つの状況がひとつのものとして見られた時」に完結するのです。
何故なら、その二つの{異なって見えている}状況内には共通する要素しか存在していないのだから。
しかしこれ(二つの状況をひとつのものとして見ること)は「あなたが見ている違いを見ていない者」だけによって達成され得るのです。

あなたの学習がもたらす完全な移行(乗り換え)は、あなたによって行なわれるものではありません。
それは既に行なわれているのです。あなたが見ている「あらゆる違い」にも関わらず。
「それら(あなたが学習していること/ACIM)がリアルでは在り得ない」と「あなた」に確信させている「あらゆる違い」にも関わらず(完全な移行は既に行なわれているのです)。
あなたの癒やしが拡張され「自分のものではないとあなたが考えていた問題」に対してもこの癒しが与えられるのです。
そして多くの異なった問題の内のどれか一つから解放された時「その他全ての問題も解決されること」が明確にされるのです。

これを可能にしているのは各問題の違いではあり得ません。何故なら、学習は特定の状況からその反対{の状況}にジャンプして「同じ」効果/結果を持って来るものではないのだから。

全ての癒やしは法{神の法則}に則したマナーで(正しく知覚された法則に従って)進む必要があり、決して法を犯すものではありません。
『「あなた」がそれらの法を知覚する方法』を怖れるのは止めなさい。{あなたに神の法則が告げられるその様子を怖れるのは止めなさい。}
あなたは間違っていますが、あなたの中には「正しい者」が居るのです。

だから、あなたの学習の移行を「その法を本当に理解している者/法が犯されず限定されないことを保障している者{聖霊}」に任せなさい。
あなたの役割は彼(聖霊)があなたに教えたことを「あなた自身」に対して当て嵌めることだけで、その他のことは彼(聖霊)がするのです。
こうしてあなたの学習の力が多くの異なる証人によって、あなたに証明されるのです。
(その証人の中には)第一にあなたの兄弟が見られるのですが、あなたの兄弟の後ろには幾千の人々が立っており、それら各人の後ろにはまた幾千の人達が立っているのです。
このそれぞれの人達はそれぞれに「異なる」問題を持っているように見えています。
しかしそれらの問題は「一緒」に解決されるのです。
そしてそれらの問題に共通する答えが『「質問」が分離していることは在り得ない』ことを示すのです。

あなたに癒しが捧げられており、あなたに平和が訪れます。
そしてあなた自身の為に癒やしを受け入れた時、平和があなたに与えられていることをあなたは学ぶのです。
自分がその恩寵を得ていることをあなたが理解出来るようになる為には、その価値全部が「あなた」によって評価される必要は必ずしも必要ではありません。

「(攻撃を伴わずに愛が入って来た)この瞬間の中で起こったこと」があなたと一緒に永遠に残るのです。
「あなた」の癒やしはその効用の「ひとつ」で、あなたの兄弟の癒やしもその効用の「ひとつ」なのです。
どこに行ってもあなたはこの増幅した(大きく増やされた)効果を見るのです。
しかしあなたが見ている全ての証人達は、実際にそこに居る証人の数に比べればとても少ないのです。
分離した部分を数え上げるだけでは無限を理解することは出来ません。
あなたの癒やしに対して神が感謝します。 何故なら、神はそれが神の子への愛のギフトであって、だからそれが彼(神)に与えられていることを知っているのだから。

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