神の証人
あなたの救済者が自分自身のことを体だと考えていたとしても、彼{あなたの救済者/あなたの兄弟}を断罪するのは止めなさい。
「彼の夢」の遥か遠くに「彼のリアリティ」が在るのだから。
しかし自分が何か彼が思い出す前に、彼は自分が救済者であることを学ぶ必要があるのです。
そして彼は、救われるべき者を救わなくてはいけないのです。
あなたを救うことに彼の幸福が掛かっているのです。
救済を与える者が救済者なのだから。
だから彼は『それ(救済)は自分が{他者に}与えられることの出来る「自分のもの」である』と学ぶ必要があるのです。
彼が{救済を}与えない限り、彼は自分がそれを持っていることに気付かないのです。
何故なら、「与えること」が「持っていること」の証明なのだから。
このことが真実であると理解出来ないのは「自分達の力によって神を減らすことが出来ると考えている者達」だけなのです。
誰が「自分で持っていないものを与えられる」と言うのでしょうか?
誰が『「与えることによって増えるに違いないもの」を与えたならそれ(与えることによって増えるもの)を失ってしまう』と言うのでしょうか?
「父があなたを作った(創造した)時、父はあなたを失った」とあなたは考えるのですか?
父がその愛を分け与えた{あなた達と共有した}ことで、父はより弱くなったのでしょうか?
あなたの完璧性によって父は不完全にされたのでしょうか?
それともあなたは「父がパーフェクトで十全であることの証」なのでしょうか?
「彼が作った夢」から彼が開放される為に、彼自身が『「彼が作った夢」から救出する救出者』成る必要があるのです。
彼は『「(自分達が生きていると知ってはいない)全ての生きているもの」を{お互いから}隔てておく為に世界が作り上げた壁』を外して、誰か他の人を(体としてではなく)「自分と一つの者」として見る必要があるのです。
「体と死の夢の中」では、これはまだ「真理の一テーマ(一仮説)」に過ぎず、もしかしたら、これはまだ「小さな輝き、暗闇の中で作られた光りのスペース」でしかないのです。
あなたがあなた自身を揺り起こして目覚めさせることは出来ません。
しかしあなたは「あなた自身が目覚めるさせられること」を許可することが出来るのです。
あなたは彼の幻想をとてもパーフェクトに赦すことが出来るので、すると彼が「あなた達の色々な夢」の救済者に成るのです。
そして「神が住まう光のスペース内で彼が輝いていること」をあなたが見た時、「彼の体が居る所に神自身が居ること」をあなたは見るのです。
この光りの前で体が消えるのです。 何故なら、重い影は光の前に譲るしかないのだから。
{その時}暗闇が居残ることを選ぶことは出来ません。
光りが来たということは、暗闇が消え去ったことを意味しているのです。
するとあなたはあなたの兄弟の栄光を見て、何が「とても長いことあなた達を分け隔てていたギャップ」を本当に満たすのか理解するのです。
そこで、その場所で、神の証人が「神の子への親切で優しい道」を打ち立てているのです。
「あなたが赦した者」が「あなたの幻想をあなたから赦す(解き放つ)力」を与えられているのです。
あなたが与えた自由のギフトによって、それが「あなた」に与えられているのです。
「あなたが創造しなかった(しかしあなたが拡張し差し伸べることの出来る)愛」の為に道を空けなさい。
地球上ではこれが「(あなた達のマインドから暗闇が取り除かれるように)あなたの兄弟を赦す」という意味なのです。
あなたの赦しを通って光りが彼の元に来た時、「彼が自分の救済者を忘れて、彼(救済者)を救われないままにすること」はありません。
何故なら、彼が暗闇を通り抜けて永遠の光りに歩み出ようとする時、彼は「あなたの顔」の中に光りを見て、その光りを自分の元に保とうとするのだから。
荒涼と悲劇の夢の真っ只中で神の子があなたの救済者に成れるとは、あなたは何と神聖なのでしょう。
何と熱心に彼はやって来るのでしょうか。 そして「彼を隠していた重い影」から歩み抜け、あなたに向かって感謝と愛を輝き掛けるのです。
彼は彼自身なのですが、彼は孤独(一人きり)ではないのです。
そして彼の父は父自身のどの分部をも「あなたの創造の中」に失ってはいないのです。
だから彼の中の光は未だに明るく輝いているのです。 何故なら、彼を暗闇から助ける為に、あなたがあなたの光りを彼に与えたのだから。
これが夢の中で輝く閃光(スパーク)なのです。
{このスパークは}あなたが彼の目覚めを助けることが出来るということ、そして彼の目覚めつつある目がまず第一にあなたを見て、彼の喜ばしい救済の中で「あなた達」が救済されるということなのです。