Apr 28, 2013

Ch29-02

The Coming Of The Guest

ゲストの到来
 

何故あなたは、「あなた達が自由であると学ぶこと」を解放として知覚しようとしないのでしょうか?

何故あなたは、それ{自分達が自由であると学ぶこと}を敵として見ようとする替わりに、真理を認めようとしないのでしょうか?

何故「(道に迷うことが不可能な程明確に表示されている)簡単な道」が、あなたにはこれ程険しく難しいように見えているのでしょうか。

 

それはあなたがこれを「どのような犠牲も伴わず神と天国の中にあなた自身を見つける道」と見るのではなく、これを地獄への道と見ているからではないでしょうか?

{聖霊の勧める道を進んでも}自分は何もギブアップしていない(自分は何も失っていない)と気付くまで、損失が在り得ないことを理解するまで、あなたは「あなたが選んだ道」を悔むのです。

そうするまで「あなたの選択{自由の選択}がもたらしている多くの利益」があなたには見ないのです。

 

あなたはそれら(あなたの多くの利益)を見ないけれども、それでもそれらはそこに在るのです。

それらの原因は既に確定(導入)されており、「それらの原因が入って来た所」にはそれらが在るに違いないのです。

あなたが癒やしの原因を受け入れたので、あなたは癒やされるに違いないのです。

そしてあなたは癒やされたので、癒す力も今あなたのものであるに違いないのです。

奇跡は、原因無しで急に起こる結果のような「切り離された事柄」ではないのです。

そして奇跡それ自体が原因でもないのです。

しかし奇跡の原因が在る所に、奇跡も在るに違いないのです。

今奇跡が起こされたのですが、まだ知覚されてはいないのです。

そして奇跡の影響/結果がそこに{あなたの目の前に}在るのですが、それはまだ見られていないのです。

今内側を見つめなさい。するとあなたは後悔の理由は見つけず、平和の願いと喜びの原因を見つけるのです。

 

戦場の中で平和の希望を探す試みは不毛だったのです。

「罪と痛みを保つ役割を果す為に作られているもの」に「罪と痛みからの解放」を要求することは不毛だったのです。

何故なら、憎しみと怖れが一つの幻想であると同様に、攻撃と罪悪が一つの幻想であると同様に、罪と痛みも一つの幻想なのだから。

「それら(幻想)が原因を持っていない場所」ではそれらの効果は消え去っており、それらが存在していない場所へ愛がやって来るに違いないのです。

 

何故あなたは喜んでいないのでしょうか?

あなたは「痛みと病、惨めさと損失、そして憎しみと攻撃の全ての効果」から自由なのです。

もう痛みがあなたの友ではなく、罪悪があなたの神でもなく、あなたは愛の効果(結果)を歓迎するべきなのです。

 

あなたのゲストがやって来たのです。

あなたが彼を求め、彼が来たのです。

あなたは彼が入って来た音を聞きませんでした。

何故なら、あなたは彼を完全に歓迎してはいないから。

しかし彼のギフトが彼と共に来ているのです。

彼はそれらのギフトをあなたの足元に置いたのです。

そしてあなたがそれらのギフトを見て、それらをあなた自身のものとして受け取るように、彼はあなたに求めるのです。

 

それらのギフトを「自分達が分離しており孤独だと信じている者達全員、離れて歩いている者達全員」に与える為に、彼はあなたの助けを必要としています。

あなたがあなたのギフト(あなたに与えられているギフト)を受け入れた時、彼等が癒やされるのです。 何故なら、あなたのゲストは「あなたが立っている(そしてあなたのゲストが彼等の為に持って来たギフトが置かれている)聖地に足を踏み入れている者達全員」を歓迎するのだから。

 

「あなたが受け取った全てのもの故に、今あなたが与えることの出来るものがどれだけあるか」あなたは見ていない(知らない)のです。

しかし{あなたの関係の中に}入って来た彼は『「あなたが彼を招待した場所」にあなた達がやって来ること』を待っているのです。

彼(あなたのゲスト)が自分のホスト(あなた)を見つけることの出来る場所は、そして彼のホストが彼と出会える場所は、ここ以外に無いのです。

彼の平和と喜びのギフトと彼の出現がもたらす全ての幸福が得られる場所は他にはないのです。

何故なら、それらのもの(平和/喜び/幸福)は「それらをあなたに与える為に持って来た彼(あなたのゲスト)」が居る場所に在るのだから。

あなたは自分のゲストを見ることは出来ません。 しかし彼(あなたのゲスト)が持って来たギフトをあなたは見ることが出来るのです。

そしてあなたがそれらを「見た」時、彼の存在(出現)がそこに在るに違いないとあなたは信じるのです。

何故なら、今あなた達に出来ること(今あなた達がしていること)は「彼の存在(出現)が保っている恩寵と愛が無ければ」することが出来ないのだから。

 

生きている神の約束はこのようなものなのです。

神の子が生命を持っており、生きている全てのものが彼(神の子)の一部で、神の子以外に生命を持っているものは何も無いのです。

 

「{自分は神から分離した独立存在であると考えている}あなたが生命を与えたもの」は生きていません。 

それは{神から離れてあなたが行なっている創造は}「生命から離れて居たい、死(分離)を生命と知覚して死の中で生きたい、そして生命を死として知覚したい」というあなた達の願いを象徴しているだけなのです。

ここでは混乱が更なる混乱を引き起こしているのです。

何故なら、この世界は混乱の上に作られており、この世界は混乱以外のものには依存していないのだから。

この世界は常に変化しているように見えていますが、この世界の基盤は変わっていません。

しかし(この世界の基盤の安定は)その混乱状態を示しているだけなのです。

混乱している者達にとって安定は無意味なのです。

そしてシフトと変化が「生命/人生を予測する為の彼等の法{彼等を統治している法則}」に成っているのです。


体は変化しません。

それ(体)は「変化が可能だというより大きな夢」を象徴しているのです。

変わるということは「あなた自身が今まで居た状況とは違う状況」を得ることです。

不滅(永遠)の中には変化が無く、天国はそれ(変化)を知りません。

 

しかしこの地球上では、体には二重の目的があるのです。

何故なら、体を使って正反対の二つのことを教えることが可能だから。

そしてそれら(目的)は「それら(目的)を教えている教師達」を反映しているのです。

体は時間と共に(病/健康や体の上に訪れる出来事によって)変化しているように見えます。

しかしこれは『「何が体の目的なのか決めている信念」に関してマインドが変わっていなかったこと』を意味しているだけなのです。

 

病気とは『体を「体本来の在り方とは違うもの」にしようとする要求』なのです。

体が無(空)であることが、体が病気に成れないことを確約しています。

でも「体がこれ(無)以上に成ること」をあなたが要求していることに、病のアイディアが在るのです。

何故なら、それは神を神の全リアリティ以下にしようと求めることなのだから。

であれば、「あなた」はどう成るのでしょうか? {あなたのこの願いの中では}あなたが犠牲に成ることが求められているのだから。

 

「彼(神)の一部がもう彼(神)のものではない」と彼(神)に告げられているので、

彼(神)はあなた自身を犠牲にしなくてはならず、彼の犠牲(神があなたを失うこと)によって「あなた」がより多くなるのです。 そしてあなたを失うことで彼(神)がより少なくなるのです。

そして「彼(神)から消え去ったもの」があなたの神に成り、{この新しいあなたの神が}あなたを守り「あなたが彼(神)の一部に成ること」を阻止するのです。


「神{源}に成ることを求められている体」は攻撃されるのです。 

何故ならその場合、体の無な状態(空っぽな状態)が認識されていないのだから。

だから体が「それ自体の中に力をもっている物」に見えるのです。

「物として体が感じ行動している、あなたが体の中に保たれており、その囚人として体に閉じ込められている」と知覚し考えることが可能なのです。

 

そして体は「あなたが体に要求しているもの」に成ることに失敗することがあるのです。

あなたはその卑小さ故に体を憎むのです。

しかしこの失敗は{体が卑小であることは}「体がその本来の姿より偉大ではないこと」がその原因なのではなく、これは『「体が無(空)である」と知覚出来ていないあなたの失敗』でしかないのです。


そして「体が無(カラ)であること」があなたの救済なのですが、あなたはこの救済から逃げようとしているのです。

物としての体は「神の敵」であることを求められており、「神であるもの」を卑小さと限定と絶望で置き換えているのです。

「自分が愛しているもの、あるいは自分が憎んでいるもの」としてあなたが体を見ている時、あなたは神の損失(神があなたを失ってしまうこと)を祝っているのです。

何故なら、もし神が全体の総合(全体を合わせたもの)であったなら、神の中に無いものは存在しておらず、「その無{神の中に無いものの不実在性}」が「神の完成」なのだから。

 

あなたの救済者は死んでいません。

あなたの救済者は「死の寺院として建てられているもの{体に対するあなた達の概念}」の中には居ません。

彼(あなたの救済者)は神の中に住んでいます。

そしてこのことが(彼が神の中にだけ住んでいるということが)彼をあなたの救済者にしているのです。

彼の体の虚無があなた達を病と死から解放するのです。

何故なら、「あなたのもの」が「彼のもの」よりも多かったり少なかったりすることは在り得ないから。

 

 

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