怖れの夢に置き変わるもの
病の感覚は(切り分けられ、遠ざけられている)限定感覚なのではないでしょうか?
「私達自身」と「健康として見られているもの」の間にギャップ(亀裂)が知覚されており、そして「良きもの」が外側に見られており「悪」が内側に見られているのです。
このようにして病によって「良きもの」から自己が切り離されており、悪がそこ(自己内)に保たれているのです。
神が「怖れの夢に取って換わるアルタナティブ(怖れの夢の代替品)」なのです。『「怖れの夢」の中で{怖れの夢を}分け合っている者達』は決して神の中で分け合うことが出来ないのです。
しかし「怖れの夢を分け合うことから自分のマインドを引き抜いている者達」は神を分け合っているのです。
これ以外の選択は存在していません。
あなたが何かを分け合わない限り(あなた達が何かを共有しない限り)、何も存在出来ないのです。
そして(神の創造物であるあなた達自身もまた創造を行うようにと)神が神自身の意志をあなた達と分け合っているので、だからあなた達が存在しているのです。
悪の夢(邪悪な夢)を分け合うことが、憎しみと悪意と死を共有することが、苦しみと罪と痛みと損失を分かち合うことが、様々な怖れの夢をリアルにしているのです。
怖れの夢が分ち合われなければ、怖れの夢は無意味なものと知覚されるのです。
怖れに夢にあなたのサポートを与えなかったで、怖れが夢から去って行ったのです。
そして怖れが去った所に愛がやって来るに違いないのです。
何故なら、それら(怖れと愛)はお互いのアルタナティブ{反対物}なのだから。
{怖れか愛の}どちらか片方が現れたなら、もう片方は消え去るのです。
そして「あなたがシェア(共有)しているもの」が「あなたの持つ(あなたの体験する)唯一のもの」になるのです。 {あなたが怖れを分け与えたなら、あなたは怖れだけを体験し、 あなたが愛を分け与えたなら、あなたは愛だけを体験するのです。}
{愛か怖れの内から}あなたが受け入れた方をあなたは持つのです。 何故なら、{あなたが受け入れた}それだけがあなたの求めているものなのだから。
もしあなたが「夢見ている人」を赦して、彼が「彼が作った夢」とは違うことを{あなたが}知覚したなら、あなたはもう悪の夢を分け合わないのです。
こうして彼はあなたの夢の一部ではなくなり、あなた達両者があなたの夢から解放されるのです。
赦しが、悪の夢から「夢見ている人」を切り離し、そうすることにより彼を解放するのです。
あなたが悪の夢を分ち合ったなら、「あなたが分け与えた夢があなた(自分)なのだ」とあなたは信じるように成るのです。
そして、あなたはそれ(あなたの悪の夢)を怖れ、あなた自身のアイデンティティを知りたいと思わなくなるのです。 何故なら、「それ(あなたのアデンティティ)は怖ろしいものだ」とあなたは考えるから。
こうしてあなたは、あなた自身を否定しようとし、あなたの創造者が作らなかった「エイリアン(疎外されている者)の地」を歩き回り、そこであなたは「あなたで無い何か」であるように見えているのです。
あなたは「(あなたの敵に見えている)あなた自身」と争い、「(あなたが憎んでいるものを象徴している)あなたの兄弟」を攻撃するのです。
ここには妥協が存在していません。
あなたは、あなた自身であるか、そうでなければ、あなたは幻想なのです。
幻想と真理の間に何が在り得るのでしょうか?
(あなたが「あなたではないもの」に成ることの出来る)中間地点。
{幻想と真理の間に在ると見られている}この中間地点は夢であるに違いなく、真理では在り得ないのです。
ここ{あなたが考え作っているギャップ}に「病んでいる世界」が確立されており、この世界を体の目が知覚しているのです。
「それ(体の耳)が聞いている音」がここに在り、「その耳に聞えるように作られている声」がここで聞かれているのです。
しかし体で知覚出来る視界や音は無意味なのです。
それ(体)には見ることも聞くことも出来ないのです。
見ることとは何を意味しているか、聞くことが何の為なのか、それ(分離した体)は知っていないのです。
それがジャッジし理解し知ることが出来るのは「小さいもの(卑小なこと)」であるように、それが知覚することも小さく卑小なのです。
その目は盲目で、その耳は難聴なのです。
それ(体)は考えることが出来ず、だからそれ(体)が効果を持つことも無いのです。
「神が創造したもので生き続けられないもの」とは何なのでしょう?
あなた達の目に夢を見させるのは止めなさい。 そうしようとした場合、あなた達の目は幻想を証言してしまうから。
それら(あなた達の体の目)は「そこにはない(実在していない)世界」を見るように作られているのです。 それらは(あなた達の耳は)「喋ることが出来ない声」を聞くように作られているのです。
何故なら、目や耳は「センス/意味」を持っていない感覚なのだから。
そして目や耳は、それらの感覚器が聞いたり見たりしたことを伝えるだけなのです。
聞いたり見たりしているのは、それら(目や耳などの感覚器)ではなく、「あなた」なのです。
あなたは「壊れた破片、無意味な断片、証拠の欠片」を集めて『自分が求めている世界に対する証人/証言』を作っているのです。
『体の耳や目が「あなたが空想しているギャップ」の中でこれらの無数な断片を知覚して、「自分の空想はリアルである」と空想の創造者を説得させること{あなたの空想がリアルであるとあなたに証明しようとしている知覚を信じること}』を続けさせるのは止めなさい。
創造は{神により創造されている者は}「全創造が共有している働き」を分ち合うことにより、リアリティを証明するのです。
それ(創造のリアリティ)は、その(体の)真実を証言しようとして組み合わされている、少しのガラスや木片や数本の糸によって作られているのではないのです。
リアリティはこれ{知覚されている物質}には依存していません。
「真理を夢と幻想から分離しているギャップ」は存在していません。
真理は、時間や空間の中に「それら(夢と幻想)が存在する余地」を残してはいないのです。
何故なら、真理が全ての場所と時間を満たしており、それらを完全に不可分に(切り分けることが出来ないように)しているのだから。
(自分達の間に小さなギャップが存在していると信じている)あなた達は『「ここ」に(このギャップ内に存在していると知覚されている世界の中に)あなた達が囚人として捕らえられていること』を理解していないのです。
「あなた達が見ている世界」は実存していないのです。何故なら、「あなた達がそれ{世界}を知覚している場所」はリアルではないのだから。
ギャップは霧の中に注意深く隠されているのです。
それ(ギャップ)を隠す為に曖昧な絵が立ち上がっているのです。
不確かな形と変化し続ける様子によって、この絵は永遠に不安定で不確実なのです。
驚異的な秘密も、死の骨から怖れが立ち昇って来ている暗い墓も、そこには無いのです。
そして「愛を認識することへの怖れ」をあなたが捨てた時、あなた自身の中にこれ(罪の不在と無垢)を見るのです。
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