Apr 18, 2013

Ch28-03


Reversing Effect And Cause   結果と原因を逆転させること

 

原因無くして結果は在り得ません。 そして結果の無い原因も在り得ないのです。

原因(理由)は、その結果が表れることによって原因(理由)に成るのです。

父は「父の子の父であること」によって父であるのです。

結果(効果)がその原因を作ることはなく、しかし結果がその因果関係を確立するのです。

 

こうして子がその創造者に父権を与え、彼が彼に与えたギフトを受け取るのです。

{こうして神の子が(その子を作った)創造者に父権を与え、神が与えたギフトを神の子が受け取るのです。}

彼は神の子なので、だから彼(神の子)もまた「一人の父」であるに違いないのです。

神が神の子を創造した通りに、彼(神の子)も創造しているに違いないのです。

創造のサークルには終わりがなく、それが始っている場所とそれが終っている場所は同じなのです。

しかしそれ(創造のサークル)はその中に全創造の宇宙を保っており、終わりも始まりも無いのです。


父権(父で在ること)が創造なのです。

{だから}愛が拡張される必要があるのです。

純粋性(純粋なもの)は閉じ込められていないから。

「限定のバイリアーに閉じ込められることなく、永遠に自由であること」が無垢の性質なのです。

だから純粋性(純潔/無垢)は体のもの(体から来ること)ではなく、限定が存在している所で純粋性が見つけられることも無いのです。

体は「(純潔自身と同じように無限である)純潔の効果」によって癒やされることが出来るのです。

マインドの中に全ての癒やしが存在しており、マインドが体の中に在るのでは無いことが認識されたが故に、そして体の無垢は体から「離れている」が故に、全ての癒しが起こるに違いないのです。

 

であれば、どこに癒しがあるのでしょうか?

その原因が在る所にだけ、その効果/結果が与えられているのです。

何故なら、病とは「無原因(原因が存在していない状態)に対して結果/効果を与えて、無原因を原因にしようとする無意味な試み」に過ぎないのだから。
病の中では常に神の子が自分自身を原因にしようと試みており、自分自身が父の子に成ることを許可していないのです。

{自分で原因(父)に成ろうとする}この不可能な望みを達成しようとするが故に、彼は『自分が愛の効果/結果であって、そして「彼であるもの(自分の真実)」故に自分が{愛の}原因である』と信じようとはしないのです。

 
{自分は愛の効果/結果であって、そして「神であるもの」故に自分が原因に成ることが出来る、という}この認識の中では、無原因に対して効果が与えられておらず、無原因から起こる効果は全く見られていないのです。

癒やしの原因だけが全ての原因なのです。

全ての原因である癒やしの原因は「ひとつ」の効果/結果しか持っていないのです。

体の中のマインドは、分離したマインドを持った無数の他者が存在している世界は、あなた達の「創造」なのです。 

{あなた達が作っている世界観の中では}「他のマインド」というあなたが「あなた自身とは異なった結果」を作っているのです。

そしてそれら(世界の中に居る分離したマインド達)の父として、あなたはそれら{分離した体の中のマインド}と同じで在ることに成ってしまうのです。

 

ここで起こっているのは「あなたがあなた自身を眠らせ、あなたがあなた自身に対して異邦人(エイリアン)であるという夢を夢見ており、あなたが他者の夢の一部に成っていること」だけなのです。

奇跡があなたを目覚めさせるのではなく、奇跡は「誰が夢見ている人なのか」あなたに示すだけなのです。

あなたがまだ眠っている時点で、奇跡は夢の中に選択が存在していること(異なる夢を選択することが可能であること)を教えるだけなのです。

あなたは癒やしの夢を望んでいるでしょうか? それとも死の夢を望んでいるのでしょうか?

夢もまた記憶のように働くもので、夢は「あなたの希望をあなたに示している絵」なのです。

それ(あなたの希望を示している夢)はドアが開いている空の倉庫で、あなたの全ての記憶と夢がそこに保持されているのです。

 

もしあなたが「夢見ている人」だったなら{そう認めることが出来たなら}、少なくとも下記のことが知覚されるのです。

「あなたが夢を発生させており、あなたは他の夢を受け入れることも可能である。」

しかし夢の内容にこの変化が起こる為には{あなたの夢がハッピードリームに成る為には}、「あなたが嫌っているこの夢をあなたが見ているのだということ」が認識されなくてはならないのです。

これ(夢)はあなたが起こした効果/結果なのです。 

しかし、あなたはこの効果/結果の原因には「成らない、成ろうとしない」のです。

{あなたは『「あなたが夢見て居ること」がこの夢の原因であること』を認識したがらないのです。}

 

殺人と攻撃の夢の中では、あなたが殺された体の中の被害者なのです。

しかし赦され赦した夢の中では、誰も犠牲者や苦しんでいる人に成るよう求められてはいないのです。

これらの赦された夢が「あなた達自身の夢の代わりとして奇跡が置き換えるハッピードリーム」なのです。

別の夢{新しい夢}を作るよう奇跡があなたに要請する訳ではありません。

奇跡があなたから求めているのは『「(ハッピードリームで置き換えられるべき)夢をあなた自身が作っていたこと」をあなたが認識すること』だけなのです。


世界の中で夢見られている全ての夢と同様に、この世界は無原因なのです{この世界の中には根源的原因が含まれていないのです}。

{この世界の中に見つかる}どの計画も不可能で、発見され理解されるデザインは何も存在していません。

「原因を持っていないもの」から上記以外の何が期待出来るというのでしょうか?

そしてこれ(この世界)に原因が無いのなら、これには目的も無いのです。

あなた達は夢を発生させたかもしれませんが、その夢にリアルな効果/結果を与えることは不可能なのです。

何故なら、もしそれが可能であったなら、その原因/目的が変えられたこと成りますが{あなた達によってリアリティの目的が変えられたことに成りますが}、それはあなた達には出来ないことなのだから{だからあなた達の夢にリアルな効果/効用を与えることは不可能なのです}。

 

夢の中で夢見ている人は目覚めていません。そして夢見ている人は自分が寝ていることを知っていないのです。

彼(夢見ている人)は自分のことを「病んでいる」とか「健康である」とか「憂鬱である」とか「ハッピーである」と見るのですが、そこには効果を確約する安定した原因が見られてはいないのです。

奇跡は「あなたの夢が夢であり、その内容が真実では無いこと」を証明するのです。

これは{自分が夢見ていて、その夢が世界として表れていると気付くことは}幻想と対処する上で重要なステップです。

自分が何かを作り上げていると気付いた時、自分が作り上げたものを怖れ続ける人は誰も居ません。

「自分が夢の著作者であり、自分は夢の中の人物ではない」と彼{あなた自身}が理解していなかったので、怖れが保たれていたのです。

「自分が兄弟に与えたと彼が夢見ている結果/効果」を彼は自分に与えているのです。

「(彼の願いが行なわれたと彼に示す為に)夢が取り繕い彼に捧げているもの」は「これだけ(自分が兄弟に与えたと夢見ている結果/効果をあなたは自分に与えている)」なのです。

こうして彼は{あなたは}「自分自身の攻撃」を恐れ、その攻撃が他者の手で行なわれることを見るのです{見ようとするのです}。

犠牲者として彼{あなた}は、その効果{あなたの作り上げた分離的思考の結果}に苦しめられているのですが、その原因{分離的思考}によって苦しめられているのではないのです。 彼は彼自身の攻撃の著作者ではなく、彼が起こしたものに対して無垢なのです。{犠牲者としての彼{あなた}はそう考えるのです。}

奇跡がすることは「彼が何もしなかったこと」を示すだけなのです。

彼が恐れているのは「結果を伴わない原因」なのですが、「その結果が起こったなら原因が成立する」と彼は考えているのです。 

{しかしそれは結果を伴わない原因なので}だから、それ(結果)は決して起こらなかったのです。

 

「父から父の効果{父の子}が奪われており、父はもう彼等(神の子)の創造者ではないので、効果{神の子}を保つ力を持っていない」という夢から分離が始まったのです。

夢見ている人は夢の中で彼自身を作ったのですが、彼が作ったものが彼に反逆し出し、(夢見ている人と同様に)夢の創造者の配役を演じ始めたのです。

そして彼(夢見えている人)が自分の創造者を憎んでいたように、夢の中の人物達も彼を憎んでいたのです。

彼の体は彼等(夢の中の人物達)の奴隷として虐げられるのです。

何故なら、「彼がそれに与えた動機」を自分達自身のものとして彼等が受け入れているのだから。 {何故なら、「夢見ている人が夢に与えている動機」を夢の中の人物達が自分達自身のものとして受け入れているのだから。 }

そしてそれ(夢の動機=神からの分離)が彼等に捧げようとする復讐故に、彼等(夢の中の人物達)はそれ(夢見ている人)を憎むのです。

 

体に対する彼等の復讐が『「夢見ている人が夢を作っているのではないこと」を証明している』ように見せているのです。

まず初めに、効果/結果と原因が切り離されて逆転されるのです。

すると結果が原因に成り、原因が結果に成るのです。{夢の中ではそのように体験されるのです。}

これが分離の最終ステップで、(分離とは逆の方法に進もうとする)救済はここから(原因と結果を再逆転させそれを一つにすることから)始るのです。

この最後のステップは「({分離の}原因として見られている)以前に既に起こっていること」の結果なのです。

奇跡とは、原因に(効果/結果としての役割ではなく)因果律上の正当な原因としての役割を与え直すことなのです。

何故なら、この混乱が夢を作っており、この混乱が保たれている限り、目覚めが怖れ続けられてしまうのだから。

そして{原因と結果に対するこの混乱が保たれている限り}「目覚めの呼び声」が「怖れの声」に見えてしまうので、「目覚めの呼び声」が聞き取られることも無いのです。


聖霊があなたに学ばせようとする全てのレッスン同様に、奇跡はクリア(明晰)なものなのです。

奇跡は「彼(聖霊)があなたに学ばせようとしているもの」をデモンストレート(体現)し、「その効果/結果があなたの求めるべきものであること」を示すのです。

その赦しの夢の中で「あなたの効果{あなたの夢の結果}」が解除され、「憎まれている敵達」が「慈愛の意志を持った友人」として知覚されるように成るのです。

今、彼等の敵意が無原因(理由の無いもの)として見られるのです。何故なら、彼等はそれ{あなたの夢の原因}を作らなかったのだから。

そして「彼等の憎しみには効果/影響が無いこと」があなたに見えるように成るので、「彼等の憎しみの原作者としての自分の配役」があなたに理解出来るように成るのです。

すると今、夢のこの部分からあなたは自由なのです。

世界はニュートラル(中立)で、「分離したものとして動き回っているようにまだ見えている体達」を怖れる必要はないのです。

だから彼等は病んでいないのです。


奇跡は、怖れを作ったあなたに怖れの原因を戻すのです。

と同時に、「それ(怖れ)には効果が無いので、それ(怖れ)は原因ではない」と奇跡は示すのです。 何故なら、「効果/影響を与えること」が原因の役割なのだから。 そして効果/結果が消え去っている所には、原因も無いのだから。

このようにして体が奇跡によって癒やされるのです。

何故なら、「マインドが病を作っており、マインドが体を犠牲にしていること、体が『マインドが作ったもの』の結果にされていること」を奇跡が示すのだから。

 

しかしこのレッスンの半分だけではレッスン全体は学ばれません。

体が癒やされることをあなたが学んだだけでは、奇跡は役立たずです。

何故なら、奇跡が教えるべきレッスンは「体を癒やすことが可能であるということ」ではないのだから。

{奇跡が教えようとする}レッスンは『「体が病気に成れると考えたマインド」が病んでいる』ということなのです。

つまりマインドがその罪悪を「外側」に投射していても、それは何も起こしておらず(原因を作っておらず)、それは効果/結果を持ってもいないのです。

 

この世界は奇跡に満ち溢れています。

「罪と罪悪から来ている痛みと苦しみの夢」の隣には輝ける奇跡が静かに立っているのです。

奇跡とは夢のアルタナティブ(夢の中に現れている選択肢)で、夢を作り出している働きを否定せずに、自分が夢見ている人であることを認める選択なのです。

奇跡とは(病の結果を病の原因の下に戻すことから来る)喜ばしい効果/結果なのです。

「これは私に対して行われていることではなく、私がこれを{自分に対して}行っているのだ」とマインドが認めているので、体が解放されるのです。

こうして{この認識によって}他の選択を選べる自由をマインドが獲得するのです。

{このことが認識された}この時点から、救済は分離の降下(失楽園の流れ)から方向転換して、その全ステップを遡って行き、すると梯子が消え去り、世界の夢の全てが解除されるのです。

 

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