Apr 25, 2013

Ch28-08

The Beautiful Relationship
美しい関係

 
神は何も求めておらず、神と同様に神の子も何も求める必要がないのです。

何故なら、彼の中には不足が無いから。

 
空のスペースや少しのギャップがもしあったなら、それは欠乏なのです。

そしてそこ(空のスペース/卑小なギャップ内)でだけ「自分が持っていない何か」を彼が求めることが可能なのです。

神でないスペースは、父と子の間のギャップは、一つに成ることを約束している{父と子の}どちらの意志でも無いのです。

 
神の約束は彼自身(神自身)への約束で、『「自身の一部として存在するように彼が意図したもの」に対して不真実で在ろうとする者』は誰も居ません。

『「彼自身{神自身}」と「彼であるもの{神の子}」の間にギャップを作らないという約束』が不真実であることは在り得ません。

どのような意志が「一つで在るべきもの(ギャップを持ち得ない全体性)」の中に入り込めるというのでしょうか?

 
「あなたの兄弟(姉妹)全員とあなたが持っている美しい関係」は、それが神自身の一部なので、だからそれはあなたの一部なのです。

あなたが「あなた自身の全体と健康、ヘルプの源、癒やす声、癒やされる声」を否定していたなら、その場合あなたは病んではいないでしょうか?

あなたの救い主が癒やしを待っているのです。そして世界が彼(あなたの救い主)と共に待っているのです。

そして「あなた(達)」がそれ(癒やし)から離れていることも無いのです。

何故なら、癒やしは一つであるか、でなければ、癒やしは全く行なわれないのだから。

そのワンネス(一体性)の中に癒しが在るのだから。

 
「分離を修正出来るもの」は「分離の反対物」ではないでしょうか?

救済のどの側面にも中間域(妥協)は無いのです。

あなたはそれを完全に受け入れるか、でなければ全く受け入れないのです。

「分離していないもの」を{あなた達の意識の中で}繋げる必要があるのです。

そして「繋がっているもの」を分離することは出来ないのです。

あなたとあなたの兄弟の間にギャップが在るか、でなければ、あなた達はひとつなのです。

その中間は無く、これ以外の選択も存在していません。

この二つの状態を切り分けて{混ぜ合わせて}忠誠を誓うことは不可能です。

切り分けられた(混ぜ合わせられた)忠誠心は両方に対する不信心で、あなたを堂々巡りさせるだけなのです。 

それは「何らかの安心を約束しているように見える藁」を掴もうとする頼りない試みでしかないのです。

藁の上に自分の家を立て、風から身を守ることが出来る者が居るでしょうか?

体をこのような家として作ることは可能です。何故なら、それは{このような家は}真理の基盤を欠いているのだから。

しかしそれ(体)をあなたの家と見るのではなく、体を「神が住まう家にあなたが辿りつく為の助け」として見ることも可能なのです。

 
これ{上記}を目的としたなら体が癒やされるのです。

{その場合}体はもう分離と病の夢を証言する為に使われていないのです。

そして{その場合}もう「体がしなかったこと」が体のせいにされることもないのです。

それ(体)は「あなたの自身のものではない目的」とは繋がらず、{「神が住まう家にあなたが辿りつく為の助け」として体を見ることをあなたが選んだなら}「それ(体)が病に成らないこと」をあなたは選択したのです。

全ての奇跡はこの選択の上に築かれており、この選択が行われた瞬間に奇跡があなたに与えられるのです。

 
どの様な病の形も{この選択の}例外ではないのです。 何故なら、形に基づいて選択することは不可能だから。

病の選択は形に見えるのですが、しかしそれ{形と病}はひとつで、それ{形と健全}は反対なのです。

そしてあなたは{あなたの選択に従って}病んでいるか、あるいは健全であるのです。

 
しかしあなたが一人で孤独にそうなる{選択の結果を一人で受け取る}訳ではないのです。

この世界は「あなたが孤独であって、あなたから離れている人達に影響を与えることなく考えることがあなたに出来るという夢」でしかないのです。

孤独である(一人に成る)ということは、あなたが一人離れているという意味です。

そしてもしあなたが孤独で在るのなら、あなたは病んでいることになるのです。

 
これは{上記の文章}はあなた達が離れていることを証明しているように聞えるかもしれません。

しかしこれは「あなた達は不信心に対して誠実であろうとする約束を守ろうとした」ということに過ぎないのです。

あなたの不信心が病なのです。{あなた達の不信心(分離した心)が病の原因なのです。}

 
それは{あなたの孤立したアイデンティティは}藁の上に築かれた家のようなものです。

それ自身はかなり強固で永続的に見えます。

しかしその基礎から切り離してその安定度を測ることは無意味です。

もしそれが藁の上に立っていた場合、そのドアを閉めたり窓をロックしたり、ボルトを閉める必要さえ無いでしょう。

風がこの家をなぎ倒してしまい、雨が降り出してこの家を忘却の彼方に押し流してしまうでしょう。

「危険と怖れをもたらす為に作られているもの」の中で安全を求めることに意味があるでしょうか?

これ以上ロックやチェーンや重いアンカーを掛ける必要が在るのでしょうか?

弱点がそれそのものにあるのではなく、「それ(家)の下で礎となっている虚無の小さなギャップの脆弱性」が弱点なのだから。

影の上に立っているどのようなものが安全で在り得るのでしょうか?

あなたは「羽根の重みで崩壊してしまうもの」の上にあなたの家を建てようとしますか?

 
あなたの家は「あなたの兄弟の健康/ハッピネス/無罪/父が彼に約束したその他全て」の上に建てられているのです。
それ以外のあなたの秘密の約束が「彼(あなたの兄弟)の家の基礎」を揺さぶることはないのです。

彼の家の上に風が吹いて雨が降っても影響はないのです。

世界が流されても、この家は永遠に立っているのです。

何故なら、この家の力(安定力)はそれ自身だけから来ているのではないのだから。

この家は(神の子が神自身の中で永遠に安全であるという)神の約束の上に置かれている安全の箱舟なのです。

どのようなギャップがこの「安全なシェルター{家}」と「その源{神}」の間にそれ自身{ギャップ自身}を挿入出来るというのでしょうか?

 
ここからは{この視点からは}体をそれそのものとして見ることが可能で、「神の子を彼の家へと解放する為に使える価値」よりも多く(あるいは少なく){体が}見られることはないのです。

そしてこの聖なる目的と共に少しの間これ{体}が神聖の家に作られるのです。

何故なら、これはあなたの父の意志を「あなた{達}」と分け合っているのだから。

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