「この世界の中で良いものであり価値があり努力するに値するとあなたが信じているもの」はあなたを痛めることが可能であり、あなたを痛めるのです。
それはあなたを痛める力をそれが持っているからではなく、それが幻想であることを「あなた」が否定しており、それをリアルにしているからです。
そしてそれはあなたにとってはリアルなのです。 それはあなたにとっては「どうでも良いもの」ではないのです。
そして知覚されているそのリアリティを通して「病んだ幻想の全世界」が入って来たのです。
「罪/攻撃の力/痛み/危害/犠牲/死」への全信念があなたのもとに来たのです。
一つの幻想をリアルにして、他の幻想から逃れられる人は誰も居ません。
自分が好んでいる幻想を保ちながら「真理だけから与えらる安全」を見つけることが誰に出来るでしょう?
「幻想は全て同じだ」と信じていながら、「一つの幻想が最上のものである」と誰が信じ続けられるのでしょうか?
一つの幻想をあなたの唯一の友達にしてあなたの小さな生活を孤独に過ごすのは止めなさい。
これは神の子に相応しいフレンドシップ(友情)ではなく、神の子が満足し続けられるようなものでもありません。
しかし神は神の子により良い友達を与えており、その友達の中に地と天の全ての力があるのです。
「自分の友達としてあなたが考えた一つの幻想」が、彼(神)の恩寵と威厳をあなたに対して不明瞭にして、彼の友情と許しをあなたの歓迎に満ちた抱擁から遠ざけてしまうのです。
彼(神があなたに与えた友達)が居なければ、あなたに友達は居ません。
彼の代わりになる友達を求めるのは止めなさい。
他の友達は居ないのです。
「神が割り当てた者」には代わりは居ないのです。どのような幻想が真理に取って替われるというのでしょうか?
影と共に住んでいる者は確かに孤独で、孤独は神の意志ではないのです。
「影の空虚があなたの玉座を空っぽしている」と理解したなら、『「あなたの友達の為に神が指定した玉座」を影が横取りすること』をあなたは許可するでしょうか?
幻想を友達にするのは止めなさ。 幻想を友達にしたなら、幻想が「神があなたの友達と呼んだ彼」に置き換わってしまうから。
そしてあなたの唯一の真の友達は彼(神があなたの友達として割り当てた者)だけなのだから。
彼は「この世界のものではないギフト」をあなたに与えるのです。 そしてこれらのギフトは彼にだけ与えられており、それらのギフトをあなたが受け取ることを確実にすることが出来るのは彼だけなのです。
あなたが彼の玉座の中に彼が座るべきスペースを作った時、彼がそれらのギフトを「あなた」の玉座に置くのです。
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