Apr 8, 2013

Ch26-09

The Immediacy of Salvation  救済の素早さ(救済の即時性)

  
あなた達がまだ持っている一つの問題は『「あなたが赦した時」と「信頼の利益を受け取るまで」の間に時間を見ていること』です。

これは「(自分達を少し分離し続ける為にあなた達が自分達自身の間に挿入して保とうとしている)少しのもの{卑小なもの}」を反映しているのです。

 
何故なら、時間と空間は(それぞれ異なる形をとっている)同一の幻想なのだから。

もしこれ(分離=少しのもの)が「あなた達のマインドの向こう(外側)」に投射されていた場合、あなたはこれを時間として考えるのです。

これ(分離)がそれ(マインド)のより近くに持ってこられた場合、あなた達はこれを空間として思考し把握し始めるのです。



「あなた達がお互いを分離しておこうとしている距離」が在るのです。

このスペースをあなた達は時間として見ているのです。 何故なら、あなた達はまだ「自分達がお互いの外に存在している」と信じているから。

これにより信頼が不可能になっているのです。

だからあなた達は「信頼が全ての問題を今解決する」と信じてはいないのです。

 

だから『少し慎重に留まり、「分離しているものとして知覚されている利害」を心配する方が安全だ』とあなた達は考えるのです。

しかし、この知覚/認識に基づいて「赦しが今捧げている利益」をあなたが理解することは出来ないのです。

「ギフトを与えてから受け取る間に存在しているとあなたが考えている時間」が「あなたが犠牲にされ損しているように見えている期間」なのです。

あなた達は「未来にやがて来る救済」を見ており、「{救済の}現在の結果/効果」は見ていないのです。

しかし救済は、その時直ぐに起こるのです。

あなたがそのように見るまで{救済が直ぐに起こるとあなたが信じるまで}、『「救済の目的があなたのものに成った時」から「救済の効果/結果があなたに与えられる時」までの間の損失のリスクが大きい』と信じて、あなたはそれ(救済)を怖れるのです。

この形では、「エラーが怖れの源であること」がまだ不明瞭にされているのです。

救済は、「あなた達が自分達の間にまだ見ているスペース(隙間)」を消滅させ、あなた達を瞬間的にひとつにするのです。

そしてあなた達は「{あなた達が瞬間的にひとつに成った}ここ」で損失が起こると怖れているのです。

 

この怖れを時間に対して投射するのは止めなさい。時間は、あなた達が知覚/認識しているような敵ではないのだから。

 

時間は体と同じようにニュートラル(中立)なのです。 「あなた達がそれ(時間)をどのように見ているか」がそれ(あなたの時間の体験)に与える影響を除けば{時間は中立なのです}。

 

もしあなた達が自分達の間に少しのスペースをまだ保とうとしているなら、あなた達は「赦しがまだ少し遠ざけられている少しの時間」を保とうとしているのです。

これが「赦しが押し留められて与えられていない時点」と「赦しが与えられている時点」の間の期間を危険であるように見せており、怖れが正当化されているのです。

しかしあなた達の間のスペース(隙間)は「今」明白に見えており、それを未来の時間に知覚することは出来ないのです。

現在の中でしか、それ(あなた達の間のスペース)を「見越す」ことは出来ないのです。

 

「未来に(何かを)失うこと」があなた達の怖れなのではなく、

「現在繋がっていること」をあなた達は一番怖れているのです。

『「今」以外の時に「見捨てられた荒涼感」を感じられる者』など居るでしょうか?

未来の原因が結果/効果を持つというようなことは、未だ起こっていないのです。

 

だから、もしあなたが怖れを持っているなら、そこには現在の原因が在るに違いないのです。

そして、未来の状態ではなく、これ(現在あなた達に怖れをもたらしている原因)が修正される必要があるのです。

あなた達が「安全の為に立てているプラン/計画」は全て「あなた達には計画出来ない未来」に向かって打ち立てられています。

それ{安全の為のあなた達の未来のプラン}にはまだ目的が与えられておらず、「将来起こること」にはまだ原因が存在していないのです。

原因の無い結果を誰が予測出来るというのでしょうか?

『結果が「今」原因によって起こされており、それ(原因)が「今」問題を起こしている』と判断しない限り、誰が結果を怖れるというのでしょうか?

罪に対する信念が怖れを起こしており、罪に対する信念は(怖れの原因と同じように)未来の中に過去を見ており、「いまここ」を無視しているのです。

 

しかし、もし結果が「怖ろしいもの」として既に判断(ジャッジ)されているのなら、その原因は今ここに在るに違いないのです。

そして「これ{怖れの原因}」を無視することにより、これ{怖れの原因}が保たれ癒しから隔たれ続けるのです。 何故なら、奇跡は「今」なのだから。

 

奇跡は、現在の恩寵の中で既にそこに立っており、「罪と怖れが無視されている期間」の中だけに立っているのです。(時間は怖れと罪を見越す為だけに存在しているのです。)

 

全ての修正が行われることには全く時間が掛かりません。

修正の働きを受け入れることに永遠の時間が掛かっているように見えているだけなのです。

あなた達の関係の為に聖霊が持って来た「目的の変更」の中に「あなた達が見る全ての結果/効果」が入っているのです。

それら(結果)を「今」見ることが出来るのです。

何故、それらが起こらないかもしれないと恐れながら、それらが時間の中で紐解かれるまで待つのでしょうか? それら(聖霊が持って来た目的変更の結果)は既にそこに在るのに。

 

『「神から来ているもの」は全て良きものをもたらす』とあなたは聞かされています。

しかしそうではないように見えているのです。

 

「大惨事の形の中の良きこと」を前もって認める(与える)ことは難しいのです。

そして{大惨事の中に良きことが在るという}そのようなアイディアに何か意味がある訳でもないのです。

どうして「良きものが悪の形をとって現れる必要」などがあるのでしょうか?

もし良きものが悪の形をとって現れたなら、それは騙しではないでしょうか?

もし何か{良きこと}が表れているのなら、その原因もここに在るに違いないのです。

であれば、何故その結果が明確に表れていないのでしょうか?

何故それが未来に持ち越されなくてはならないのでしょうか?

 

しかしあなた達は溜息をついて自分をなだめ、「理屈を付ける」のです。

「今はまだ理解出来ない、でも何時か分かるであろう、その時その意味が明確に成るであろう」と(あなた達は理屈を付けるのです)。

 

このようなことは「理性(reason)」ではありません。

何故なら、これは不正義であって、解放の時が与えられるまで続く懲罰を明確に示唆しているのだから。

 

良きことへの目的変更が与えられたなら、「(いつの日か良いものとして知覚される、しかし今は痛みの形で表れている)惨事が起こる期間/時間の理由」は無くなるのです。

これ(惨事が起こる可能性を思い悩むこと)は今の犠牲で、これは「聖霊の求めたコスト」では在り得ないのです。

聖霊はコスト(支払い)を全く求めずに与えたのだから。

しかしこの幻想は(本当は真実ではないのですが、あなた達のマインド内では既に真実とされている)原因を持っているのです。

 

この幻想は「それ{分離}が発生させている一つの結果/効果」に過ぎないのです。 この幻想は「その結果{分離の結果}が知覚されている一つの形」に過ぎないのです。

 

「(報復が「良きことが現れる形」として知覚/認識されている)この期間」は「(赦していない/赦されていない)あなた達の間に在る少しのスペース」の一側面に過ぎないのです。

 

未来の幸福で満足してしまうのは止めなさい。

それには意味が無く、それはあなたの正当な報酬ではありません。

何故なら、今あなたは自由の原因/理由を持っているのだから。

囚人の形の中の自由にどのような利益が在るというのでしょうか?

解放が死の扮装をしている理由があるでしょうか?

 

「遅延(遅らせること)」は無意味で、『現在の原因の結果は未来の時間まで遅延されなくてはならないという「論理(理由付け)」』は「原因と結果はひとつのこととして同時に起こる」という事実の否定でしかないのです。

 

 

時間から解放されようとするのではなく、あなた達の間の小さなスペース(隙間)から解放されることを期待しなさい。

それ(あなた達の間のスペース)が時間の扮装をすることにより形を変え認識されないようにして保たれようとしても、それには騙されずに居なさい。

聖霊の目的は「今」あなた達のものなのです。

聖霊のハッピーネスも「あなた達のもの」であるべきではないでしょうか?

{聖霊の目的は今あなた達のものなのだから、聖霊の幸福をも今あなた達のものにしなさい。}

 

 

 

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