Sep 22, 2011

Ch19-11

Obstacles to Peace - The Fear of God           
平和への障害 - 神に対する怖れ

死の怖れが無くなったなら、あなたは何を見るでしょうか?
死があなたにとって魅力(惹き付ける力)を持たなくなれば、あなたは何を感じ何を考えるのでしょうか? 答えはとてもシンプルです。
「あなたはあなたの父を思い出すのです」。
命の創造者、生きている全ての源、宇宙の父、宇宙の宇宙、全宇宙の果てにある全ての父をあなたは思い出すのです。
この記憶があなたのマインド内に昇って来るに従い、平和が最後の障害を克服しなくてはならないのです。 
この障害が克服出来たなら、救済が完成し、神の子の正気が完全に修復されるのです。
何故なら(神の子の正気が修復された)ここであなたの世界が終るのだから。

克服されるべきこの第四の障害はキリストの顔に掛けられたヴェールのごとく重くたれ下がっています。
しかし父の愛の中にいる彼(キリスト)が喜び輝き、彼の顔がヴェールを越えて立ち上がったなら、平和が軽くヴェールを取り外して彼に会うために駆け寄ってきます。 そして平和がやっと彼と一緒になるのです。
何故なら死の怖れが消えて行く時、キリストその人の顔をらい病者の顔に見せているこの暗いヴェールは、「彼の顔を栄光で燈している父の愛の明るい光線」を流れる血のように見せているものは、灼熱の光の中に消えて行くのだから。

これ(神への恐れ)は死の信念によって保持されており死の魅力で守られている暗いヴェールなのです。
この死への献身と死の主権/尊厳は、{あなた達が行なった}厳粛な誓いでしかないのです。
これは「このヴェールを決して取り払わない、これに近づかない、これがそこに在ることを考えてみることさえ出来ない」と言ってエゴに対して誓われた秘密の誓約なのです。
これは「ヴェールの向こう側に在るものを隠して永遠に思い出せなくするよう」エゴと交わされた秘密の取引なのです。
これは「合一があなたを分離から呼び出してしまうこと」を決して許可しないと、あなたが約束したことなのです。
これこそ神の記憶が忘れ去られている大いなる健忘症で、あなたの「自己」があなたから分裂していることで、神への怖れで、あなたの分離/分裂の最後のステップだったのです。
死の信念がどのようにあなたを救済しているように見えているか見てみなさい。
何故ならこれ(死の信念)が消え去った時、あなたは生命以外の何を怖れることが出来るでしょうか? {死の信念が消えた時、あなたは自分が今まで生命を怖れていたことに気付くのです。}
死の魅力が生命を醜く容赦なく非情に見せているのです。{だからあなたは生命を怖れていたのです。}
あなたはエゴを怖れている以上に死を恐れてはいないのです。{あなたは死もエゴもそれ程恐れてはおらず、生命こそを怖れていたのです。}
彼等(エゴと死)があなたの選んだ「友達」なのです。
何故なら彼等との秘密の連合の中で、あなたは「神への怖れ」を決して取り除かせないことに合意することにより、あなたがキリストの顔を見て父の中で彼(キリスト)と繋がる(一緒になる)ことがないように合意しているのだから。
(平和がその上を流れ渡って行く)全ての障害は全て同じ方法で克服されるのです。
(その方法とは)障害を立ち上げている怖れが、その下に隠されている愛に譲り、怖れが消えて行くのです。
だからこの障害も(神への怖れも)同じように解消されるのです。


「平和を捨ててしまいたい」そして「聖霊をあなたから追い払ってしまいたい」という願いは、あなたが彼(聖霊)を愛しているという静かな認識が現れた時に消えて行きます。
「体を尊重しよう/賞賛しようとすること」が「スピリット(霊)を尊重しよう/賞賛しようとすること」に取って替わるのです。 あなたはスピリットを愛するように体を愛することは出来ないのです。
こうして愛の魅力があなたに呼び掛けあなたを惹き付けるに従い、死の魅力は永遠に失われて行くのです。
愛への障害{体を自分の源と認め続けること=スピリットではなく体を愛すること}の反対側から愛そのものが呼び掛けており、そしてそれぞれの障害がその障害の向こうにある魅力のパワーにより克服されたのです。
あなたが怖れを求めていたことが、それらの障害がそこに設置されているように見せていたのです。
しかしあなたがそれらの障害の向こう(反対側)から愛の声を聞いた時、あなたは愛の声に応えたのです。 そしてあなたが愛の声に応えた時、各障害は消えて行ったのです。


そして今あなたは「決して見ないとあなたが誓ったもの」の前で恐れ慄いているのです。
自分の「友達」との約束を思い出してあなたの目は下を向いているのです(目を逸らしているのです)。
罪の「愛らしさ」、罪悪の献身的魅力、蝋で固めた「聖なる」死のイメージ、そして(それを決して裏切らないとあなたが血で誓った)エゴの復讐の怖れ、それら全てが立ち昇って来て「目を上げてはいけない」とあなたに命令するのです。
何故ならあなたが「これ」を見てヴェールを上げさせたなら「彼等が永遠に消え去ること」をあなたは理解しているのだから。 
その時あなたの全ての「友達」が「保護者」が「家」が消え去るのです。
「今」あなたが覚えているあらゆるものを、あなたは全て忘れるのです。


あなたが自分の目を上げたなら「世界があなたを見捨ててしまう」ようにあなたは感じるでしょう。
しかし本当に起こるのは「あなた」が世界を永遠に去ることだけなのです。
これが「あなた」の意志が再確立されることなのです。
目を見開いてそれを見据えなさい。 そうすればあなたはもう二度と「自分の手の届かない物事/自分にコントロール出来ない力/自分の意識に反してやって来る思考」に左右されているとは信じなくなるでしょう。
『これを見ることがあなたの意志なのです。』
キチガイ染みた願いも、もう一回忘れてしまおうとする衝動も、怖れの衝動も、死のような冷たい汗も、あなたの意志に反して立ち昇って来ることは出来ません。
ヴェールの向こう(反対側)からあなたを惹き付けているものは、あなたの奥深くにもあるもので、それらは分離しておらず完全にひとつなのです。




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