The Unreality of Sin
罪がリアルではないこと
罪がリアルではないこと
罪悪の魅力が見つけられるのはエラーの中ではなく罪の中なのです。
この魅力(惹き付ける力)のせいで罪が繰り返されるのです。
(怖れが非常に強くなった場合には罪が行なわれることが禁じられることもあるのですが)罪悪が魅力的であり続ける限り、マインドは苦しみ続けながらも罪のアイディアを手放しません。
何故ならその時点で罪悪はまだそれ(罪悪のアイディア)を求めており、マインドはその声を聞いてそれを渇望し、この病的な魅力の自主的な囚人に成っているのだから。
罪とは「修正することが出来ない悪」というアイディアで、これを修正することは出来ず{何かが罪として認識されている限りその認識を通して罪を修正することは出来ず}、それ(罪)は永遠に望まれ続けるものなのです。
「エゴが考えるあなたの主要部分から」あなたは常にそれ(罪)を求めるのです。
そして(あなた自身とは違ったマインドを持っている)報復者だけが怖れを使ってこれ(罪の魅力)を踏み消せるのです。 {とエゴは考えています。}
「罪に対して必要とされているものが(怖れでなく)愛であり(罪を感じている人の求めに)愛が必ず応える」とはエゴには考えられないのです。 何故ならエゴは怖れへ罪を与えて懲罰を要求するのだから。
しかし懲罰は罪悪が使う防御の一つの形に過ぎないのです。
つまり懲罰に値することは、リアルに行なわれたことに違いない(と考えられてしまっているのです)。
こうして懲罰は常に罪を保存し続けようとするのです。懲罰は罪を尊び、罪の巨大さを尊重するのです。
「懲罰するべきものは真実に違いない。そして真実は永遠なので、それは永遠に繰り返される必要がある。」{と考えられているのです。}何故ならあなたがリアルだと考えたことをあなたは求め、それを手放そうとはしないのだから。
{懲罰に値する事実が報告されたならそれは真実に違いなく、それ(罪/懲罰/罪悪)は真実なのだから、永遠に繰り返す必要がある。何故ならそれはリアルで、あなたはリアルなものを求め続けているのだから。}
罪とは正反対に、エラーは魅力的ではないのです。あなたは明確な間違いとして認めたものには魅了されず、それを修正しようとします。
時に罪は(明白に好ましくない結果を生みながらも)何度も繰り返されるのですが、それでもその魅力は失われないのです。
しかしあなたがそのステータス(地位)を「罪」から「間違い」に変えたとしましょう。
するとあなたはもうその罪を繰り返そうとはしなくなります。あなたはそれを止めて手放すのです。しかしこれは罪悪が残っていなければの話です。
(あなたが罪を間違いと認識し直したとしても)罪悪が残っていた場合、あなたは罪が間違えだったことは認めるのですが、しかしその罪の形を変えてそれを修正出来なくしてしまうのです。
これは(罪の形を変えることは)あなたの知覚が変化すること(知覚のシフト)ではありません。 懲罰(が繰り返されること)を求めているのは(エラーではなく)罪なのです。
{罪悪が残っていた場合、あなたは罪が間違いだったことは認めるのですが、その罪の形を変えることにより、まだエラーとして認識されていない新しい形の罪を使い始めてしまうのです。}
聖霊は罪を罰せません。
聖霊は、間違いを見つけてそれら全てを修正することにより、神から与えられた役目を行なうのです。
聖霊は罪を知りません。そして聖霊は修正出来ない間違いも認識しません。何故なら修正出来ない間違いは聖霊にとっては無意味だから。 間違いは修正されるためにあるのです。
間違いは修正以外のものは何も求めていません。 そして罰を求める声は何も{どのような修正も}求めていないのです。
全ての間違いは愛を求めている声に違いないのです。 であれば罪とは何なのでしょうか?
罪とはあなたが隠そうとしている間違いにしか過ぎません。 それは「助けを求める声」なのですが、あなたがそれを黙らせているので、答え(助け)が得られていないのです。
[下記の部分はURTEXETやJCIM版に含まれていますが、FFIP版からは削除されています。
この部分は時間の幻想性を螺旋と直線と平面を使って説明しているのですが、それらの位置関係が明確に述べられておらず、説明としては失敗していると思います。 しかし一応翻訳し原文も掲載しておきます。
要点としては「時間の進行を螺旋運動に例えており、時間の中に居る者は自分が回転運動をしながら進んでいることに気付いておらず、だから自分が見ているものに対して正しい解釈が出来ない」と言おうしているようです。 訳注]
In time, the Holy Spirit CLEARLY sees the Son of God can make mistakes. On this, you SHARE His vision. But you do NOT share His recognition of the difference between time and eternity. And when correction is completed, time IS eternity. Time is like a downward spiral that seems to travel down from a long, unbroken line, along another plane, but which in no way BREAKS the line, or interferes with its smooth continuousness. Along the spiral, it SEEMS as if the line MUST have been broken, but, at the LINE, its wholeness is apparent. Everything seen from the spiral is misperceived. But, as you approach the line, you realize that IT was not affected by the drop into another plane at all. But, FROM this plane, the LINE seems discontinuous. And this is but an error in perception, which can be easily corrected IN THE MIND, although the body's eyes will see no change. The eyes see many things the mind corrects, and YOU respond, NOT to the eyes' illusions, BUT TO THE MIND'S CORRECTIONS. You SEE the line as broken, and as you shift to different aspects of the spiral, the line looks different. Yet in your mind is One Who KNOWS it is unbroken, and forever changeless. This One can teach you how to look on time differently and to see BEYOND it. But NOT while you believe in sin. In error, yes, for this CAN be corrected by the mind.
聖霊は時間の中で神の子が間違いを起こしてしまうことを明確に見ます。
このことに関しては、あなた達は聖霊とヴィジョン(見解)を共有しています。
しかしあなた達は時間と永遠の違いに関する聖霊の認識を受け取っていません。
修正が完了した時、時間は永遠なのです。
時間は、下降している螺旋(運動)のようなもので、それは長い一つの分断されていない線から(その線を分断していない/その線と交わっていない他の平面に沿って)下に向かって動いているのです。
これは他のプレーン(平面)に沿って下に動いており、ですがこの線を螺旋が横切って切断することは決して無いのです。
螺旋に沿って見た場合、線は切断されているように見えるのですが、線から見ればその線は(分断されておらず)ひとつのままであることが明白なのです。
螺旋から見ている全ては誤って知覚されているのです。
しかしあなたが線に近づいていけば、次の平面(次の旋回?)の中に落ちて行ったことによってもその線には何も影響が無かったことが理解されるのです。
でも平面から見れば、この線は切断されているように見えるのです。
しかしこれは知覚の誤りで、「マインドの中で」これは簡単に修正出来るのですが、体の目はその違い(修正)を見ないのです。
目は多くのものを見て、マインドは(目が見たものを)修正し、「あなた」は(目の幻想ではなく)マインドの修正に反応するのです
あなたは線を分断されているものとして見ており、あなたが螺旋の別の分部に注意をシフトしたならその線は違って見えるのです。
しかしあなたのマインドの中に「その線が分断されておらず永遠に不変であることを知っている者」がいるのです。
どのようにすれば時間を違うように見れるか、どのうようにすれば時間を越えて見ることが出来るか、「この者」があなたに教えます。しかしあなたが罪を信じている限りそれは不可能です。
でもあなたがエラーを信じたなら(罪ではなく間違いが起こっているとあなたが信じたなら)、エラーはマインドによって修正可能なので、上記が(どのようにして時間を越えて見るか学ぶことが)可能になります。
----- 不明瞭な部分はここで終わりです。――――
しかし罪とは『あなたの知覚が変更不可能で、「マインド」はあなたの知覚が言ったことを真理として受け入れなければならない』という信念なのです。
そしてもしマインドがこれに従わなかったなら、それは狂気と判断されるのです。
「知覚を変えることの出来る唯一の力」がこのようにして不能とされ、 「(「知覚変化と一体の者」である教師{聖霊}が提供しようとする)知覚の変化への怖れ」によって体に押し付けられている{限定されている}のです。
罪がリアルだと信じるようにあなたが誘惑されている場合、下記を思い出してください。
罪がリアルだと信じるようにあなたが誘惑されている場合、下記を思い出してください。
もし罪がリアルなら神もあなたもリアルでないことになります。 でももし創造が拡張(EXTENSION、自分を広げること)であるなら創造者が自身を拡張したに違いなく、神の一部が神のその他の部分から全く異なっていることは不可能です。
だから罪がリアルだと仮定したなら、神がそれ自身の中で(自分と)戦っていることになります。神が分離し善悪に引き裂かれて、その一部が正気で他の部分が狂気(に成ったことになります)。 何故なら(罪がリアルであるならば)神は神を破壊しようと意図している者(そしてそのような力を持っている者)を創造したことになるのだから。
これを信じるよりも、あなたが間違っていたと信じる方が容易ではないですか?
「あなたのリアリティやあなたの兄弟のリアリティが体によって縛られている」とあなたが信じている限り、あなたは罪を信じてしまうのです。
体が一緒になれる(体が連帯出来る)と信じている限り、あなたは罪悪を魅力的なものとして見て、罪が大切なものだと信じるのです。何故なら「体がマインドを限定している」という信念が「分離の証拠が全ての所に現れているように見えている世界」への知覚を引き出しているのだから。
そして神とその創造が引き裂かれ屈服させられているように見えているのです。何故なら「神が神聖に創造したもの」は罪に打ち勝てず、罪の力の前では(神が創造したものが)それ自身で在り続けることも出来ないと罪は証明しようとするのだから。
こうして罪は神よりも強いものとして知覚され、神自身がその前に跪き、その創造をこの征服者に捧げなければいけない(ことになるのです)。
これは謙虚でしょうか、それとも狂気でしょうか?
もし罪がリアルならば癒やしの希望はそこには永遠に届きません。
何故なら(罪がリアルであった場合)神を超えた力が存在し、神以外の意志を作ることが可能で、それが神の意志を攻撃して制圧しており、神の子に「神から隔たったより強い意志」を与えたことになるのだから。
そして分離/分断された神の創造の各部分は、神に反する異なった意志をそれぞれ持っていて、永遠に神に逆らい続けお互いと争い続けることになります。
あなたの聖なる関係の現在の目的(ゴール)は、上記が不可能だと証明することなのです。
そして天国がそれ(あなたの関係)に微笑みました。 その愛のスマイルの中で罪に対する信念の根っ子が引き抜かれました。
あなたはまだそれ(罪)を見ています。 何故ならあなたはまだその礎(基礎)が無くなっていることに気付いていないから。
その源は取り除かれており、だからそれ(罪)が愛でられるのは、それが消え去るまでのあと少しだけです。
それ(罪)を見つけようとする癖だけが未だ残っているのです。
しかしあなたは天国のスマイルと共に{それ}を見ており、天国の祝福をあなたの視界の中に入れてそれを見ています。あなたはそれ(あなたの視界/罪)を長くは見ません。
何故なら新しい知覚の中では、それ(罪)が見えているように思われている時マインドがそれを{エラーとして}修正し、それ(罪)は見えなくなるのだから。
何故なら新しい知覚の中では、それ(罪)が見えているように思われている時マインドがそれを{エラーとして}修正し、それ(罪)は見えなくなるのだから。
そしてエラーは直ぐに認識され(隠す為ではなく、癒やす為に)直ぐに修正に渡されます。
あなた達がお互いを縛り付けている罪へ力を与えるのを止めた途端(お互いに対して罪の力を与え合うことを止めた途端)「あなた」は罪とその全ての破壊から癒やされます。
そしてお互いを罪の信念から喜んで解放することにより間違いを克服するようあなた達はお互いを助けるのです。
聖なる瞬間の中であなたは天国のスマイルがあなた達両者の上に輝いていることを見るのです。
そしてあなたはあなた達に与えられた恩寵を嬉しく認めて、お互いに対して輝き笑うのです。
何故なら罪は天国が微笑みかけた連合(繋がり)には打ち勝てないのだから。
あなた達の知覚は天国があなたに与えた聖なる瞬間の中で癒やされたのです。
あなた達が今までに見て来たことは忘れなさい。 そして信心の中で瞼を上げて今あなた達に見えるものを見なさい。
あなたの聖なる視界の前で、天国へのバリアーは消え去ります。
何故なら目が見えていなかったあなたにヴィジョン(視界)が与えられ、あなたは見えるようになったのだから。
取り除かれたものを見つけようとするのではなく、あなたに見えるように修復された栄光を見つけなさい。
あなたの救い主(救世主)を見つめて、彼があなた達の中に見せるものを発見しなさい。
そして罪を再度立ち昇らせず、それがあなた達の目を眩ませないようにしなさい。
何故なら罪があなた達を隔てており、あなたの救い主はあなた達がお互いのことを自分自身として見るようにさせようとしているのだから。
今あなた達の関係は癒やしの寺院であって。全ての疲れた人々がそこに来て安息を得るのです。
ここが(旅の後で)全ての人々のために用意されている安息所なのです。
そしてあなた達の関係によって、これ(安息所)が全ての人達のより近くに持って来られたのです。
あなた達自身の奥深くからこの平和が広がって、神の子(の共同体)の全てを抱擁しそれに休息を与えている時、多くの障害が現れます。
その中の幾つかはあなたが(自分達に)与えようとするものです。
他の障害は、あなたの兄弟や「外」の世界の様々な要素や、その他の所から現れて見えます。
しかし平和がそれらを優しく包んで、全く問題なくそれらを超えて広がります。
聖霊の目的を「あなた」の関係から他の関係へと拡張すること(それらを優しく引き寄せること)はすでに始まっています。
これが方法とゴールを一致させる彼(聖霊)の方法なのです。
あなた達両者の奥深くに彼(聖霊)が置いた平和が、あなた達の生活の全ての部分に静かに広がり、あなた達両者を「輝ける幸福」と「完全な安全への落ち着いた認識」で包みます。
そしてあなた達は愛と自由のこのメッセージを「あなた達の寺院に夜を引き入れてくる全ての人」に伝えます。 彼はそこ(あなた達の寺院)で癒やされるのです。
彼にこれを与える為にあなたが待つ必要はありません。何故なら、あなたは彼に呼び掛け、あなたの呼び掛けの中に神の呼び掛けを認めた彼がそれに答えるのだから。
そしてあなたは彼を招き入れ彼に休息を与えます。丁度それが「あなた」に与えられたように。
あなたはこの全てをするのです。
あなたはこの全てをするのです。
しかしまず、すでに奥深くにある平和が広がり(「あなた」が平和の前に置いた)障害物を越えてそれ(平和)が流れる必要があります。
あなたがこれをするのです。聖霊と共に行なわれたことで未完成のままになるものは何も無いのだから。
『あなたの「外」にあなたが見ていること』の中には信じられるものは何も無いのですが、しかしあなたはこれを(下記の文章を)信じることが出来るのです。
聖霊は、あなたが彼(聖霊)に安息所(そこであなたは聖霊の中に入って休むのです)を与えることを求めています。
彼(聖霊)があなたに答え、あなた達の関係の中に入って来ました。
あなたは彼(聖霊)の気持ちに答えて、関係の中に彼(聖霊)と一緒に入りませんか?
何故なら彼(聖霊)があなたの関係に神聖のギフトを与えたのだから。そしてこのギフトが無かったなら{あなた達が}お互いに近づくことは永遠に不可能だったのだから。
「あなたが彼(聖霊)に負っている感謝の念」をあなたが彼(聖霊)の為に受け取ることを彼(聖霊)は求めているのです。
そしてあなた達が優しさと共にお互いを眺めた時、あなた達は彼(聖霊)を見ているのです。
何故なら、(その時)あなた達は彼(聖霊)が居る所を見ており、あなた達と離れたところに彼(聖霊)を見てはいないのだから。
あなたは聖霊を見ることは出来ません。しかしあなたはあなたの兄弟を正しく見ることが出来ます。
そして彼等(あなたの兄弟)の中の光が「見る必要のある全てのもの」をあなたに示すのです。
あなた達の中の平和が全ての人達を包むように広がったなら、聖霊の役割が達成されたのです。
その時見る必要が何か残っているでしょうか?
神が自身で最後のステップを取った時、聖霊はあなた達が彼(聖霊)に捧げた全ての感謝を集めて(神の一番神聖なる息子の名において)それらを「彼の創造者/神」の前に並べます。
そして父が(彼/神の名において)それらを受け取ります。
彼/神の感謝の現れ(表明)の前で、見る必要などがあるでしょうか?
[翻訳文では「あなた」と「あなた達」の二つの単語が使われていますが。基本的に神の子はひとつで全ての人達は繋がっているので「あなた」=「あなた達」です。 訳注]
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