Sep 17, 2011

Ch19-7

Obstacles to Peace - The Belief the Body is Valuable for What It Offers
平和への障害 - 体が提供しているもの故に体が貴重で大切だという信念


コミュニオンはもう一つの(エゴが目指す完成とは別の)完成なのです。 これは体を越えて行くものなので、これは罪悪を越えて行くものなのです。
コミュニオンは平和と共にやって来ます、そして平和は体を超越するのです。
平和はまず第一に「平和を捨てたいとあなたが思ってしまうという障害」を克服しなくてはならない、とわたし達は言いました。
罪悪の魅力が支配力を握っている限り、平和は求められていないのです。
次に平和が越えて行かなくてはならない第二の障害は(これは第一の障害と密接に繋がっているのですが)「体が提供しているもの」故に体が大切だという信念です。
何故ならこの信念によって、罪悪の魅力(牽引力)が体の中に顕在化(表現)されており、体の中にこれ(罪悪の魅力)が見られているのだから。


この価値(体の中に現されている罪悪の魅力)が平和によって奪われてしまうとあなたは考えているのです。
だから平和がこれ(体の中に表されている罪悪の魅力)をあなたから取り上げてしまい、あなたを宿無し(ホームレス)にしてしまうと信じているのです。
この信念故に、あなたは平和に棲家を与えることを拒否しているのです。
『この「犠牲」は大きすぎて、私には重過ぎる』とあなたは考えているのです。
これは犠牲なのでしょうか? それとも解放なのでしょうか? {これは本当は解放なのです。}
「体の中に救済がある」というあなたの奇妙な信念を正当化する為に、体はあなたにどの様なものを本当に与えたのでしょうか?
それが(体の中に救済があると信じることが)「死」への信念であることがあなたに見えていますか?
{体の中に死がある、そして体に捕らわれているあなたは最終的に死によって体から救済される、という信念です。}
ここにアトーンメント(贖罪)を殺人として知覚認識する焦点(視点)が与えられているのです。 ここに「愛が怖れである」というアイディアの源があるのです。


聖霊は体を越えてより遠くまで送られて行き、「聖なるコミュニオンの中で繋がり平和に成るよう」マインドに呼び掛けるのです。
このようなメッセージを私はあなたの為に彼等(愛のメッセンジャー達)に与えたのです。
 
怖れのメッセンジャー達だけが体を見ているのです。何故なら怖れのメッセンジャー達は「苦しむことが出来るもの」を探しているのだから。
「苦しむことが出来るもの」から取り除かれることが犠牲でしょうか?
{あなたは体の中に棲んでいて、体は色々な原因によってあなたに苦しみを与えるものなのだ、という概念から解き放たれることが犠牲でしょうか?}

聖霊はあなたが体の快楽の望みを「犠牲」にすることを要求しません。
聖霊は快楽の望みは持っていません。 そして聖霊があなたに痛みの怖れを持って来ることも無いのです。
痛みだけが聖霊が求めている犠牲なのです。 だから聖霊は痛みを取り除くのです。


平和はあなたから「永遠なもの」だけに向かって差し伸べられて(拡張されて)いるのです。
平和は「あなた」の中の「永遠なもの」から手を伸ばしているのです。
平和は(平和以外の)その他全てを流れ渡ります(乗り越えて行きます)。
第二の障害は第一の障害よりも確実なものでは全く無いのです。
何故ならあなたは平和を捨てたいとも、平和を限定しようとも意図していないのだから。
あなたが「平和と平和が進行することの間」に挟んでいる障害達は何なのでしょう?
それらは「あなたの意志」と「その達成」の間にあなたが置いたバリアー(防壁)にしか過ぎないではないですか。
あなたは怖れの祝宴ではなく、コミュニオン(霊的交歓)を欲しています。
あなたは罪悪の痛みではなく、救済を欲しています。
そしてあなたは、卑小な土くれの塊ではなく、あなたの父があなたの住家になることを求めています。


あなたの聖なる関係があなたの父の子供なのです。{あなたの聖なる関係の中に「あなたの父の子」が居るのです。
神の子は神とのコミュニオンを失ってはいないのです。
そして神の子は神の子自身とのコミュニオンを失ってもいないのです。
あなた達がお互いと繋がることを合意した時、あなたはこれ(神の子は神とのコミュニオンも神の子自身とのコミュニオンも失っていない)が真実だと認めたのです。
これはコスト(損失)ではありません。 そうではなく、これ(コミュニオンを保つこと)はコスト(損失)からの解放を持っているのです。
あなたはあなたの幻想の為に大いなるもの{コミュニオン/天国}を支払ったのです。
そしてあなたのこの支払いは、あなたに平和をもたらしませんでした。
天国が犠牲に出来ないことを、そしてあなたから犠牲が求められていないことを、あなたは喜びませんか?
わたし達の合一(union)の前にあなたが置ける障害は存在していません。 何故ならあなたの聖なる関係の中に私はすでに居るのだから。
わたし達は「一緒に」全ての障害を克服します。 何故なら{一緒になっている時}わたし達は(門の外ではなく)門の中に立っているのだから。


この門は、いとも簡単に内側から開けられるでしょう。 そして平和が通って行って「疲れ切った世界」を祝福するのです。
あなたが無限と繋がっているの時、わたし達が一緒にバリアーを通り抜けることが難しいでしょうか?
罪悪の終わりはあなたの手の中にあり、あなたはそれを与えればよいのです{あなたは兄弟を赦せばよいのです}
今あなた達は立ち止まって、お互いの中に罪悪を探そうとするのですか?
私を「あなたの罪悪の終わりのシンボル」にしなさい。 そしてあなたが私を見ているように、あなた達はお互いを見なさい。
神の子が犯したとあなたが考えている全ての罪の為に私を赦しなさい。
そしてあなたの赦しの光の中で、彼は彼自身が誰か思い出し、決して起こらなかったことを忘れるのです。

私はあなたの赦しを求めます。 何故なら、もし「あなた」が有罪なら(罪悪を持っているなら)私も同じであるに違いないから。
そしてもし私が罪悪を超越し世界を克服したのなら、あなたは私と共にそこに居たに違いないのだから。
あなたは罪悪のシンボル/象徴を私の中に見ようとしますか、それとも罪悪の終わりを見ようとしますか?
あなたが私に象徴させているものを、あなたは「あなた自身」の中に見るのです。これを覚えておいてください。
あなたの聖なる関係の中から、真理が真理を宣言しており、愛がそれ自身を見ています。
救済はあなたが私の父と私に捧げた家の奥深くから流れ出ています。
そしてわたし達はそこに(父と子が繋がって一緒に成っている静かなコミュニオンの中に)一緒に居るのです。


おお、信心深いあなたがたよ、あなたの中の父と子の聖なる合一に入って行きなさい!
{あなたの中で父と子が聖なる合一をしている所に来なさい!}
天国の中に平和の住家が与えられていることに感謝しなさい。そして「あなたに捧げられているもの」から「あなた」を遠ざけようとするのは止めなさい。
罪悪の終わりのメッセージを全ての世界に送りなさい。 そうすれば全ての世界が応えます。
全ての人々が罪の終わりの証言をあなたに捧げ、罪の力が永遠に消えていることをあなたに示したなら、あなたの幸福はどうなるでしょう(それを考えなさい)。
罪への信念が消えた時、罪悪がどこにあると言うのでしょうか。
そして(死の)偉大な弁護人がもう聞き入れられていないなら、死がどこにあるのでしょうか?


あなたの幻想から私を赦してください。 そして私がしなかったことに対する懲罰から私を解放してください。
そしてあなた達がお互いに自由を教え合うことにより、「あなた」は私が教えた自由を学び、そうして私を解放するのです。
私はあなた達の聖なる関係の中に居るのですが、しかしあなたは「あなたが自由に対して掲げた障害」の後ろに私を閉じ込めようとしており、私から「あなた」への道を塞いでいます。
しかし「そこ(聖なる関係の中)にすでに居る者」を遠ざけることは不可能です。
そして「彼の中で」わたし達のコミュニオン(そのコミュニオンの中でわたし達はすでに繋がっています)が(「あなた」の中にある光を全ての世界にもたらす)新しい知覚の焦点に成ることが可能なのです。  

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