Sep 25, 2011

Ch20-2

Holy Week
聖なる週

今週わたし達は(死ではなく)永遠の命を祝います。 そして神の子の(罪ではなく)パーフェクトな純潔を尊ぶのです。
お互いに対して(いばらの冠でなく)ユリの花を捧げなさい。 (怖れのギフトではなく)愛のギフトをお互いに捧げ合いなさい。
あなた達はお互いの隣に立って、片手にいばらを持ちもう一つの手にユリを持っており、そのどちらを与えるべきか自信が持てないでいます。
今私と繋がって、いばらを捨てて、それに取って代わるものとしてユリを捧げなさい。
このイースーター(感謝祭)に私はあなたの(あなたから私に捧げられ、あなたから私に戻される)赦しのギフトが欲しいです。
わたし達は磔刑(十字架)や死の中では一緒になれません。
そしてあなたの赦しが(わたしの赦しと一緒に)キリストの上に置かれるまで復活は完了しません。

一週間は短いものです。 しかしこの聖なる週は神の子がしている旅全体のシンボルなのです。
彼(神の子)はすでに与えられている「勝利のサイン/復活の約束」と共に旅を始めました。
彼を磔の誘惑の中に迷い込ませて彼を遅らせないようにしましょう。
彼自身の無垢の光が彼のあがないと解放の道を照らして、平和の内に彼がそれ(磔の誘惑)を越えて行けるようにしましょう。
彼のあがない(救済)がこれほど近い時、いばらや釘で彼を押し留めるのは止めなさい。
あなたは輝ける白いユリのギフトを証言として与えて、彼が自分の復活の道を急いで行けるようにしなさい。

イースターは罪のコスト(支払い)のお祝いではなく、罪のコストの終わりを祝うことなのです。
ヴェールの後ろのキリストの顔をあなたが垣間見たなら「(あなたが受け取りギフトとして与えた)雪のように白いユリの花びら」の間を通してあなた達はお互いの顔を見てそれを認識するのです。
私は異邦人(見知らぬ人)でしたが、私が誰か知らないまま、あなたは私を受け入れました。
しかしあなたが捧げたユリのギフトゆえに、あなたは知るのです。
(あなたが知らない、しかしあなたの古代の友人である)この異邦人をあなたが赦すことにより、彼が解放され、彼と共にあなたのあがない(支払い/救済)が行なわれるのです。
イースターの時は悲しみの時ではなく喜びの時です。
蘇った(立ち上がった)あなたの友達を見て、彼の神聖とあなたの神聖を一緒に祝いなさい。
何故ならイースターは「あなた」の救済の時であり、と同時に私の救済の時なのだから。

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