Oct 13, 2011

Ch21-7

Reason and Correction 
理性と修正

理性には罪は見えません。しかし理性にはエラー(間違い)を見ることが出来ます。
そして理性はエラーの修正へとあなたを導くのです。
理性はエラーを尊ばず、エラーを修正しようとします。
そして理性は次のことをあなたにしらせます。
『あなたが罪を犯しているとあなたが考えている時、あなたは助けを求めます。 しかし自分で求めた助けをあなたが受け入れなかったなら、あなたは他の人に与えられる助けを自分が持っているとは信じない。
そしてもし自分で求めた助けをあなたが受け入れなかったなら、あなたは助けを与えず、従ってこの信念(他の人に与えられる助けを自分は持っていないという信念)を保持してしまいます。
何故なら「修正されていない全てのエラー」は「あなたの中にある修正の力」に関してあなたを騙してしまうから。
(あなたの中の)修正の力が修正を行なえる場面であなたがそれを許可しなかった場合、あなたは修正の力を自分自身に対して(そしてあなたの兄弟に対して)否定しているのです。
そしてあなたの兄弟がこの同じ信念(修正する力が自分達にはないという信念)をあなたと分け合い共有したなら、あなた達両者は自分達が地獄に落とされている(自分達は救われない)と信じてしまうのです。

しかしあなたは自分と兄弟をこの状況から救うことが出来るのです。
理性はあなたの中だけで修正を行なうわけではないので、あなたの兄弟を抜きにして、あなたが一人だけで修正を受け入れたり拒否したりすることは出来ないのです。 
しかし罪は「あなたはそう出来る(兄弟を抜きにして自分一人で修正の決断が出来る、自分だけを状況から救うことが出来る)」と言うのです。
しかし理性は「兄弟かあなた自身のどちらかを罪深いものとして見ながら、もう片方を無垢無罪と見ることは出来ない」と告げるのです。
自分自身を有罪(罪深いもの)と見ながら無垢な世界を見れる人がいるでしょうか?
そして罪深い世界を見ながら、自分をその世界から分離している者(世界の罪深さに影響されていない者)として見ることの出来る人がいるでしょうか?
罪は「あなた達は分離しているに違いない」と言い立てるのです。
そして理性はそれ(分離)が間違っていると言うのです。

もしあなた達が繋がっているなら、どうしてあなたにプライベートな思考が持てるでしょう? {あなた達は繋がっているので、あなた達には分離した思考(お互いに影響を与え合わない思考)は持てないのです。}
「あなただけのものに見えているもの」{あなたの体}の中に入ってくる思考が、「あなたのもの」{神の子全体}に対して全く効果を及ぼさない事が在り得るでしょうか?
{あなたの体の中に入って来ているように見えている思考が、あなたのマインド(あなた達の繋がったマインド)に全く影響を及ぼさない事が在り得るでしょうか?}
もしマインドが繋がっているのならこれは不可能です。
{マインドは繋がっているので、これは不可能です。}
神が神の子を抜きにしては考えないように、人が自分一人だけのために考えることは出来ないのです。 {他者に影響を与えないプライベートな思考を持つことは不可能なのです。全てのマインドは繋がっているのだから。}
両者が体の中にいる状態でのみ、このようなこと(分離した人が自分の為だけにプライベートな思考を持つこと)が可能なのです。
体がマインドで無い限り(体がマインドの住家でない限り)、一つのマインドが自分の為だけに考えることも不可能なのです。 何故なら、分離することが可能なのは(マインドではなく)体だけで、そして体{繋がったマインドをリアルに現していない体という概念}はリアルではないのだから。
狂気の住家は、理性の住家では在り得ません。
しかし、もしあなたが理性を見れたなら、狂気の住家を去ることは簡単です。

あなたはどこかよそに移動することによって狂気から逃れるのではなく、今まで狂気があった場所に理性を受け入れるとこによって狂気から去るのです。
狂気と理性は同じものを違う風に見ているのです。
狂気は理性への攻撃で、理性をマインドから追い出し代わりに自分がマインドの中に居座ろうとするのです。
理性は攻撃せず、静かに狂気に取って代わります。狂気の人が理性に聞き入ったなら、理性が狂気に取って代わるのですが、狂人達は自分達の{本当の}意志を知らないのです。
何故なら狂人達は、自分達が体を見ていると信じており、狂気が「体がリアルなのだ」と言うに任せているのだから。

理性はこのようなことはしません。
もし理性から体を守ろうとしてしまったなら、あなたには体もあなた自身も理解することが出来ません。
体はあなたをあなたの兄弟から隔ててはいません。
もしあなたがそう考えているなら、あなたは狂気の中に居るのです。
そして狂気には目的があり、その目的をリアルにする方法を持っていると(狂気の人は)信じています。

「繋がっているに違いないと理性があなたに告げているもの(一つに繋がったマインド全体)」の間に分け入ってそれを分離している『バリア』として体を見ることは狂気の沙汰です。
もしあなたが理性の声を聞いているなら、それ(分離/あなた達が切り分けられて存在している様子/体)を見ることは不可能です。
「繋がっているひとつのもの」の中に入り込んで、それを分離出来る(切り分けられる)存在が在り得るでしょうか? {いいえ。}
もし間に入っているもの(ひとつのものの中に入り込んでそれを切り分けている存在)が無いのなら、その一部を他の部分から分離しておくことがどのようにして可能なのでしょう? {それは不可能です。}
理性がこれをあなたに告げます。
そしてこれが真実ならば、あなたは何を認識しなくてはならないか考えてみなさい。

もしあなたが癒やしの代わりに罪を選んだなら、あなたは神の子を断罪し、神の子を全く修正不可能な状態に幽閉しようとしているのです{そのような状態が実際にある訳ではないのですが、兄弟の為に罪を選んでいるあなたはそうしようとしているのです}。(これがあなたが認識しなくてはならないことです。)

あなたは自分の選択により「彼は有罪で地獄に落ちている、彼があなたや父から永遠に分離しており、父の元に戻ってくることは不可能だ。」と彼に言っているのです。
あなたはこれ(分離とそれから来る罪)を彼に教え、あなたが彼に教えた通りのことをあなたは彼から学ぶのです。
何故ならあなたは「あなたは、こうあって欲しいと私が期待している通りの存在である」と彼に教えることしか出来ないのだから。 
{あなたは「彼はこうあって欲しい」という期待(希望)を彼に対して持っており、あなたが彼に教えられるのは、このあなたの期待だけなのです。 そして自分を体(限定された存在)だと思っているあなたは、彼にも体として存在することを期待するのです。}
そして「彼にはこう存在して欲しい」というあなたの選択は、あなた自身の為にあなたが行った選択でもあるのです。

これを怖ろしいことだと恐れるのは止めなさい。
あなたが彼と繋がっていることは事実で、それは単なる解釈ではないのです。
どうして事実が怖ろしいなどということが在り得るでしょう? 「あなたが真実よりも大切にしていること」と事実が衝突していない限り。
理性は、上記の事実があなたを解放するのだと言うのです。
あなたの兄弟もあなた自身も一人だけでは攻撃されようがありません。
しかしどちらか片方が奇跡によって祝福されない限り、どちらも(攻撃の替わりに)奇跡を受け取ることが出来ず、痛みから癒やされることが出来ないのです。

(愛と同様に)理性はあなたを安心させ、あなたを脅かそうとはしません。
神の子を癒やす力があなたに与えられています。 何故なら彼(神の子)はあなたとひとつであるに違いないのだから。
あなたは「彼(神の子)が彼自身(神の子自身)をどう見るか」ということに関して責任をもっているのです。
そして理性は「(あなたとひとつである)彼のマインド全体を(一瞬の内に)変える為にこの責任があなたに与えられている」と言うのです。
{あなたがそう意図した途端}どの瞬間であっても、彼のエラーを完全に修正して彼を健全(十全、全体)にすることが出来るのです。
あなた自身を癒やす選択をあなたがした瞬間に、彼の救済全体があなたの救済全体と共に完成したものとして見える(現れる)のです。
これが正しいことをあなたに理解させる為に理性が存在しているのです。
何故なら理性は(その目的と方法は優しいもので)確実に狂気から離れて真理のゴールへと導くのだから。

そしてここであなたは真実の否定という重荷を下ろすのです。
この重荷は怖ろしいものであって、それは真実ではないのです。
あなた達が繋がっていることがあなた達の救済なのです。 それが天国のギフトで、それは怖れのギフトではないのです。
天国はあなたにとって負担として見えているでしょうか?
狂気の中ではそうです。 しかし狂気が見ていることは、理性によって追い払われるべきなのです。

「天国こそがあなたの求めているもので、天国だけがあなたが求めているものだ」と理性が保障しています。 理性をもって話している彼(聖霊)に聞き入りなさい。 そしてあなたの理性を彼の理性と合わせなさい(統一しなさい)。
理性を「あなたがどのようにして狂気を捨て去るか指示する彼(聖霊)の方法」にさせなさい。理性から逃れようとして、狂気の後ろに隠れるのではなく。
聖霊は「狂気が隠そうとしているもの」を(皆がそれを見て喜べるよう)今でも指し示し続けているのです。

あなたはあなたの兄弟の救済者なのです。
あなたの兄弟はあなたのもの{あなたの大切な人}で、理性はハッピーにこのことを告げているのです。
愛がこの寛大なプランに愛を与えているのです。
そして愛のプランは愛と同じように(一緒に)統合/統一されており、「あなたはこう(統一された愛)であるに違いない/あなたはこうでしか在り得ない」とあなたに教えようとするのです。
愛のプランは愛とひとつなので、愛があなたに与えたもの(愛があなたに与え続けているもの)をあなたは与える必要があるのです。
瞬間の中で「あなたが受け取りそれを兄弟に与えるべきもの」を嬉しく受け取って、あなた達両者(あなたと兄弟)に与えられているものを(兄弟と一緒に)学びなさい

与えることが受け取ることよりも、より多く祝福されている訳ではありません。
しかし与えることが受け取ることよりも、より少なく祝福されている訳でもないのです。
神の子は常に一つの存在として祝福されているのです。
あなたが彼を祝福し彼があなたに感謝している時、「あなたが祝福から離れて立っていたならそれは起こり得なかった」と理性はあなたに言うのです。
彼があなたに捧げた感謝が、あなたが父を完成させた事に対する父の感謝をあなたに思い出させているのです。
そしてここに来て初めて「あなたがどのような存在か/あなたが何であるに違いないか」理解出来ると理性があなたに言うのです。
あなたと父の距離は、あなたと兄弟の距離と同じなのです。
そして『あなたの「自己」よりもあなたに近いもの』が在り得るでしょうか?
{あなたの兄弟は、あなたの自己の一部で、あなたと兄弟の距離関係があなたと父の距離関係なのです。}

あなたが神の子の対して持っている力は、神の子のリアリティを脅かすものではありません。
あなたが神の子に対して持っている力が、神の子のリアリティを証明しているのです。
彼(神の子)がすでに自由であるならば、彼の自由が彼自身の中以外のどこに在り得るでしょう?
そしてもし彼が自分の自由を否定しているのなら、彼以外の誰に彼を縛ることが出来るのでしょうか?
神は嘲笑されません(神のマネを出来る者はいません)。
そして(自身の願いによって救われている)神の子を幽閉することも不可能です。

そして彼(神の子)は自分の願いによって自由に成るのです。
これは彼(神の子)の力であって、彼の弱点ではないのです。
彼は彼自身に対する恩寵なのです。
彼が恩寵を与えている(優しくしている)所で彼は自由なのです。
しかし彼が断罪することを選んでいる所では、彼自身が牢屋に入れられ鎖に繋がれており、彼自身が自分を許して自由にすることを待っているのです。

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