Oct 21, 2011

Ch22-2

The Message of the Holy Relationship
聖なる関係のメッセージ

理性をもう一歩先に進ませなさい。
神が癒そうとしている人をあなたが攻撃したなら、そして神が愛している人をあなたが憎んだなら、その時あなたとあなたの創造者は違った(異なった)意志を持っているのです。
しかしあなたが神の意志ならば{あなたは神の意志なので}、{上記のように考えた場合}あなたは「あなたがあなた自身ではない」と信じなければならなくなります。
あなたは確かにそう信じており、そう振舞っているのです。
そしてあなたはこれ(あなた自身ではないあなた、自分が分離していること)に信心を与えており。 その証拠を沢山見ているのです。
そして「自分の奇妙な不安や、切り離された感覚や、あなた自身の中の意味の欠落に対する怖れが何処から立ち昇って来ているのか」と思案しているのです。
これはあたかも(彷徨う以外のプランを全く持っていない)あなたがただ彷徨っているような感じです。 何故なら(この状態では)彷徨うことだけが確実に見えているのだから。

あなたは少し前にこれと良く似た叙述を聞いていますが、それはあなたに関する説明(叙述)ではありませんでした。
しかしこの奇妙なアイディアは、「これが自分だ」とあなたが考えている「あなた」を正確に説明しているのです。
「あなたのものではない目を通して見た世界{体の目を通して見た世界}」があなたに納得/理解出来るはずはないと、理性はあなたに告げるでしょう。
このようなヴィジョン{体の目を通して見た世界}は、そのメッセージを誰に送り返しているのでしょうか?
(世界を見ている目から完全に独立した視界を持っている){聖霊の視界を持っている}あなたに送り返されていないことは確実です。
これがあなたのヴィジョン(視界)でないなら、このヴィジョン{体のヴィジョン}はあなたに何を示せるのでしょうか?
頭脳は「あなた」のヴィジョン{聖霊のヴィジョン}が見ているものを解釈出来ません。
あなたはこれ(頭脳に「あなた」のヴィジョン{聖霊のヴィジョン}が理解出来ないこと)は理解出来ます。
頭脳は(それ自身がその一部である)体のために解釈するのです。
しかしそれ(頭脳)が言うことを、「あなた」は理解出来ません。
{上記の一連の文章では、「霊のヴィジョン」と「体のビジョン」が上手く言い分けられていないので、混乱を引き起こしがちですが、後続する文章を読めば上記の真意もおのずと明らかです。 訳注}

しかしあなたはそれ{体の目を通して見たヴィジョン}に聞き入ったのです。そして長い間そのメッセージを理解しようと一生懸命努力して来たのです。
あなたは「あなたに届くことに完全に失敗しているもの」を理解することは不可能だと気付かなかったのです。
あなたは、あなたが理解出来るメッセージは全く受け取っていないのです。
何故なら、あなたは「決してコミュニケーション出来ないもの」に聞き入っていたのだから。
であるなら、何が実際に起こっていたか考えて見なさい。
真のあなたを否定し「自分は真の自分以外の他の者である」と硬く信じて、あなたが作った自己(何か他のもの)があなたの視界に成ったのです。
この「何か他のもの」が見て、あなたでないもの(あなた以外の存在)としてその視界をあなたに説明するのです。

もちろん「あなた」のヴィジョン{聖霊のヴィジョン}は、これ{何か他のもの、あなたが自分で作った自己}を不必要にしてしまいます。
しかしあなたの目{あなたの霊的な目}が閉じられていて、あなたがこれ(何か他のもののヴィジョン)を呼び出して自分を導くようそれに頼んだなら、それが見ている世界をあなたに説明するように求めたなら、あなたはそれの説明を聞き入れない理由を持たなくなり、「それがあなたに告げていることが真実でない」と疑う理由はなくなってしまうのです。
理性はこれが真実では在り得ない(何故ならあなたはそれを理解出来ないから)とあなたに告げます。
神に秘密はありません。
神は、あなたを惨めな世界の中に導いて行って、何故自分(神)があなたに対してこれをしたか説明するのを旅の終わりまで待つようなことはしません。
何が神の意志から秘密で在り得るのでしょうか?
しかしあなたは「あなた」に秘密があると信じています。
神に意志から分離しているあなただけの意志(もう一つの意志)以外に、あなたの秘密が在り得るでしょうか?

理性はあなたに「罪として隠される必要がある秘密は無い」と告げるのです。
しかし間違え(エラー)は確実に存在しているのです。
罪に対するあなたの怖れによって、間違えの修正を阻止してしまうのは止めなさい。何故なら、罪悪の魅力は怖れに過ぎないのだから。
これ(怖れ)が「あなが」が作った唯一の感情なのです。この感情は色々な形に見えるかもしれません。そしてこれ(怖れ)は秘密の感情、プライベートな思考の感情、体の感情なのです。これ(怖れ)は愛に反する感情で、これは常に違いの視界(差異の視界)へとあなたを導くのです。
これ(怖れ)はあなたを盲目にする感情で、この感情は「あなたが自分で作ったと考えている自己」に依存しており、この感情が「偽者の自己があなたの為に作った世界」の中を導こうとするのです。

あなたの視界は(あなたに理解出来る全てと共に)あなたに与えられているのです。
あなたはこのヴィジョンがあなたに告げることを容易に理解出来るのです。
何故なら、人は「自分はこのような存在である」と自分自身で考えていることだけを見るのだから。
そしてあなたの視界があなたに見せることは真理なので、それをあなたは理解するのです。
『「あなた」が見れるもの』をあなたに伝えられるのは、あなたのヴィジョンだけなのです。
あなたのヴィジョンはあなたと直接繋がり、あなたがそれを解釈する必要はないのです。
解釈を必要とするものは異邦人(異質なもの)であるに違いないのです。
それ(解釈を必要とするもの)が(あなたに理解出来ない通訳によって)理解出来るように変えられることもないのです。
あなたが受け取って理解に失敗した全てのメッセージの中で、このコースだけがあなたの理解に対して開かれており、理解可能なのです。
これがあなたの言語なのです。
あなたがまだこれを理解していないのは、あなたの全コミュニケーションがまだ赤ちゃんのようだからです。赤ちゃんが聞く音はまだ全く確実ではなく、その時々で全く異なる意味を持ってしまいます。赤ちゃんの聞く音も視界もまだ安定してはいません。
それでも赤ちゃんが聞いていてまだ理解出来ていないもの(言葉)が、赤ちゃんが人々と対話するときの言語になるのです。
そして赤ちゃんが自分の周りに見ている奇妙な「シフトし続けている者」が「安心を与える者」に成り、{安心を与える者の中に}赤ちゃんが自分の家を認識し、彼(安心を与える者)がそこに一緒に居ることを見るのです。

だから各聖なる関係の中に(分離する能力ではなく)コミュニケートする能力が再生されるのです。
古い幻想が聖なる関係で置き換えられたのですが、聖なる関係は古い幻想よりもさらに古代のものです、しかし聖なる関係はつい最近不聖な関係から生まれ変わったもので、生まれたばかりの赤子のようです。
しかしこの赤子の中で、あなたのヴィジョンがあなたに戻されているのです。
彼(この赤子)があなた達両者が理解出来る言葉を話すのです。
彼(赤子)は『これが自分だをあなたが考えた「何か他のもの」』によって育まれるのではないのです。
彼はそこ(『これが自分だをあなたが考えた「何か他のもの」』)には与えられておらず。あなた自身以外のものによって受け取られることもなかったのです。
何故なら、(二人の人達をひとつとして見ているヴィジョンを持っている)キリストを通してでない限り二人の人が一緒になることは無いのだから。

私の聖なる兄弟達よ、あなた達に何が与えられているか考えて見なさい。
この赤子は「あなた達が理解していないこと」をあなた達に教え、それを簡単にします。
赤子の言葉は異邦人の言葉にはならないから、彼(赤子)を理解する為に通訳は必要ではありません。
「彼(赤子)が知っていたこと」を彼(赤子)に教えたのはあなたなのです。 何故なら、あなたがそれを知っていたのだから。
赤子はあなた(達)のもとにしか来られないのです。 (これが自分だをあなたが考えた)「何か他のもの」のもとに赤子が来ることは不可能です。
キリストが入って来た所で孤独な人は誰も居ません。 何故なら、彼(キリスト)が「分離している者達」の中に自分の住家を見つけることは不可能だから。
彼(赤子=キリスト)は彼の古代の家(それは新しく見えて、それでいて彼と同じ位古いのです)の中で生まれ変わる必要があるです。 この小さな新しい者は、あなた達の関係の神聖に依存しており、生きるためにそれ(あなた達の関係の神聖)を必要としているのです。

神は自分の子を「価値の無い者」にはあずけないことを確信しなさい。
「彼(神)の一部であるもの」だけに、彼(神)と繋がる価値があるのです(繋がることが出来るのです)。
彼(神)の一部でないものが、彼(神)と繋がることは不可能なのです。
そして繋がった者達に対してコミュニケーションが修復されるに違いなのです。 何故なら、これは体を通しては出来ないことだから。
では何が(コミュニケーションが修復されている)彼等と繋がったのでしょうか?
彼等は「体のものではないヴィジョン」を通してお互いを見たに違いない、そして体が使わない言語でコミュニケートしたに違いない、と理性があなたに言うのです。
そして彼等を優しくひとつに導いたものは、怖ろしい光景ではありえない(と理性があなたに言うのです)。
「彼等はお互いの中に、自分自身が安全に平和に生まれ変われるパーフェクトな避難場所を見たに違いない。」と彼の理性が彼に告げて、彼はそれを信じるのです。何故ならそれが真理なのだから。

ここにあなたが行なった一番最初の直接的知覚があるのです。
あなたは知覚よりも古い(しかし一瞬の中で生まれ変わっている)意識の中を通してこれを行いました。
「常に存在し続けている者」にとって時間とは何でしょうか?
 『これが自分だとあなたが考えた「何か他のもの」』は幻想だったのです。この認識の瞬間にあなたにもたらされた洞察について考えてみなさい。
「あなたの自己が存在している場所」を示すために真理が瞬間的にやって来たのです。

幻想の否定が真理を呼び込むのです。
何故なら、幻想を否定することが怖れは無意味だと認識することなのだから。
(その中では怖れが無力な)聖なる家の中に愛が感謝に溢れて入って来て、(愛と)繋がってそれ(愛)を入らせたあなたがそれ(愛)と一つであることを喜ぶのです。

キリストは「キリストに似たもの」(キリストと違うものではなく、キリストと同じもの)のもとにやって来るのです。何故なら、キリストは常に彼自身に惹きつけられているのだから。聖なる関係以上にキリストに似たものがあるでしょうか?
そしてあなた達を惹きつけ合っているものが、キリストをあなたに惹きつけているのです。
ここに(聖なる関係の中に)キリストの優しい無垢があり、それは(ここで)攻撃から守られているのです。
そしてキリストは自信を持ってここ(聖なる関係の中)に帰って来れるのです。何故なら、お互いに対する信心は常にキリストに対する信心だから。
あなた達がお互いのことを「キリストの為に選ばれている家」として見ていることは正しいのです。
何故なら、ここであなたは彼(キリスト)と共に、そしてキリストの父と共に、意図している(意志を持っている)のだから。
これがあなたの為の父の意図であり、あなたと父の意志(あなた達が父と共有している意志)なのです。
そしてキリストに惹かれている者は神に惹かれており、それは両方(キリストと神)が全ての聖なる関係に惹かれていると同じ位確実なのです。
全ての聖なる関係は、地上が天国に返還されていくに従い彼等(聖なる関係の中の人々)の為に用意されていく家なのです。  

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