Apr 3, 2013

Ch26-05

Where Sin Has Left  罪が去ったところ(罪が去った後)

 
赦しとはこの世界の中で「天国の正義」に相当するものです。

赦しは罪の世界をシンプルな世界に変容させます。 そのシンプルな世界の中では(限定が完全に不在である門の向こうから)正義が反映されるのです。

「限りの無い愛の中に在るもの」は赦しを必要とはしていません。

そして「世界の中でチャリティー(施し)であるもの」が「天国へと開いている門へと抜けるシンプルな正義」に道を譲るのです。

罪を信じていない限り(そして自分はまだ多く赦されなくてはならないと信じていない限り)誰も赦そうとする人は居ません。

だから赦しが「何も赦すことを行っていないと人が学ぶ方法」に成るのです。

赦しは常にそれ(赦し)を捧げた者の上に在るのです。彼自身がもうそれを必要としなくなるまで{赦しを与えた者の上に赦しが留まるのです}。

こうして彼は自分のリアルな役割に戻るのです。 彼のリアルな役割とは創造で、彼の赦しが彼にそれ(創造)をもう一度捧げたのです。

 

赦しが罪の世界を「見るも素晴らしい栄光の世界」に戻すのです。

{栄光の世界である神の創造の中では}それぞれの花が光りの中で輝いており、全ての鳥が天国の喜びを歌っています。

そこには悲しみがなく、そこには分かれ(亀裂)がないのです。 何故なら、全ては完全に赦されているのだから。

そして「赦されている者達」が繋がるに違いないのです。それらを切り離しておくものは何もないのだから。

無垢な者達は自分達がひとつであることを知覚するのです。何故なら、「彼等の間に立って引き離すもの」は何もないのだから。 そして罪が残したスペースの中で(自分達の一部で在ったものが切り離されてはいなかったという喜ばしい認識と共に)彼等は一つに繋がるのです。

あなた達が立っている聖なる場所は、罪が消えた後に残されたスペースなのです。

そしてここであなた達はキリストの顔を(今まで罪が見られていた)その場所に見るのです。

 

キリストの顔を見て、彼の父のリアリティを思い出さない人が居るでしょうか?

愛を怖れながら「罪が去って所に天国の祭壇が立ち世界を超えて伸び上がり宇宙を越えて伸び出し全創造のハートに触れている場所」に立てる人が居るのでしょうか?

天国とは「創造された全て」が「創造の源」に向かって歌っている「感謝と愛と賞賛の歌」ではないでしょうか。

罪があると一度は信じられていた所に最も神聖なる祭壇が設定されているのです。

何故なら、天国の全ての光がここに来て喜びを燈し増やすのだから。

何故なら、彼等が失ったものがここに修復され、彼等の全ての輝きが再び十全に修復されるのだから。

 

赦しは卑小な奇跡を天国の門の前に掲げるものではありません。

ここ(天国の門)に神の子自身が来て「彼(神の子)を彼の家に近づけるそれぞれのギフト」を受け取るのです。

一つのギフトも失われず、一つのギフトが他のギフトより大切にされることもないのです。

それぞれのギフトが「彼の父の愛」を彼に思い出させるのです。

そしてそれぞれのギフトが『「彼が恐れていたもの」を彼が一番愛していること』を彼に教えるのです。

彼のマインドを変えて「愛を怖れることは出来ないと彼に理解出来るようにするもの」が奇跡以外にあるでしょうか?

これ以外のどのような奇跡があると言うのでしょうか?

あなた達の間のスペース(隙間)を消滅させる為に、これ以外の何が必要だというのでしょうか?

今まで罪が知覚されていた所に世界が立ち現れ、それが真理の祭壇に成るのです。

そして「あなた」が天国の光達と繋がり、彼等の感謝と賞賛の歌を共に歌うのです。

 

何故なら、彼等(天国の光達)があなたのもとに来て完璧/十全に成ったように、あなたは彼等と共に行くのだから。

何故なら、天国の歌を聴いて「この歌のパーワーを増してよりスウィートにする声」を持たない人は誰も居ないのだから。

そして『「罪が自分のものとして確保していた小さいスポット」の中に立ち上がった聖壇』で各人が歌に合流します。

すると「小さかったもの」が歌の巨大さへと育つのです。 

この歌の巨大さの中で宇宙が一つの声に繋がっているのです。

あなた達の間に立ちはだかっているこの小さな罪のスポットが、天国の門が楽しく開かれることをブロックしているのです。

あなた達から天国の豊かさを押し留めているこの障害は、なんと小さいのでしょう。

そしてあなた達が神の愛の強大なコーラスと繋がり一緒に成った時、天国の喜びは何と偉大なのでしょう。

 

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