Apr 9, 2013

Ch26-10

For They Have Come   彼等が来たのだから

 
(『「あなたの呼び掛けに答える声」を兄弟の中に目覚めさせる為に兄弟に向かって愛しく呼び掛けている神の声』を発している)あなたがどれだけ神聖であるか考えてみなさい。

あなた自身の救済は彼の自由と繋がっており、彼の中で眠っているのです。そのような彼(あなたの兄弟)がどれだけ神聖か考えてみなさい。

彼が断罪されることをどれだけあなたが願っていたとしても、神は彼の中に居るのです。

そしてあなたが神の選んだ住家を攻撃し、神のホスト{あなたの兄弟}と戦っている限り、神があなたの中にも居ることをあなたは決して知らないのです。

彼を優しく見返しなさい。

「キリストを自分の中に運んでいる彼」を愛する目で見つめなさい。あなたが彼の栄光を見て、天国があなた達から分離していないことを喜べるように。


あなたの全ての罪が赦される為に、そしてあなたがまだ尊んでいる一つの罪も残さないようにする為に、「あなたに向かってキリストを運んでくる彼」に対して少しの信頼を持つことは難し過ぎるでしょうか。

「あなたの兄弟とあなた自身の間に掲げられている影」が「キリストの顔」と「神に関する記憶」を不明瞭にしてしまうことを忘れないようにしてください。

あなたはそれら(キリストの顔と神に関する記憶)を古代の憎しみで取り替えてしまおうとするのでしょうか?

あなたの立っている場所は「あなたと共にそこに立って自分達の無垢と平和でそこを祝福している者達」故に神聖なのです。

憎しみの血が色褪せて、もう一度芝が緑に茂り、夏の日の中で花々が白く輝くのです。

死の場所であった所が今、光りの世界の中の生きている寺院に成ったのです。

それは彼等{父と子}のおかげです。

 

彼等{父と子}のプレゼンス(出現)が神聖を持ち上げ、「古代の玉座の中のそれ本来の場所」に(神聖を)据えたのです。

彼等故に、「憎しみが焼き尽くし不毛にした荒涼の地」の上に奇跡が芝や花のように生え出したのです。

「憎しみが作ったもの」を彼等が解除したのです。

そして今あなた達は「(天国がやって来て繋がり天国自身と同じようにした)とても神聖な地」の上に立っているのです。

彼等が訪れた土地から、古代の憎しみの影は消え去り、全ての荒涼と萎縮が永遠に立ち去ったのです。

 

彼等にとって、百年や千年や一万年が一体何だといのでしょう?

彼等がやって来た時に、時間の目的は満たされたのです。

彼等が来たなら、「決して起こらなかったこと」が虚無へと消えて行くのです。

「憎しみが主張していたもの」が愛に対して放棄され、「生きている全てのもの」を自由が照らし出し天国に引き上げるのです。そして、それぞれの生き物が故郷に帰る度に天国がより明るくなるのです。

「不完全なもの」が今一度完全にされたのです。

そして「天国のもの」がそれ自身へと修復されたので、天国の喜びが増えたのです。

血塗られていた地球が清められ、狂者達が狂気の衣を脱ぎ捨てて、あなた達が立っている地の上で彼等{父と子}と繋がったのです。

 

(今まで長いこと押し留められていた)このギフトを受け取って天国が感謝しているのです。

何故なら、彼等は彼等自身の中に集まる為に来ているのだから。

「閉じ込められていたもの」が開かれ、「光りから引き離されていたもの」が手放され、それに光りが当たるように成り、天国の光と世界の間に距離やスペースが残らないようにされたのです。

古代の憎しみが現在の愛に成った(変換された)場所が、地球上で一番神聖な場所なのです。

そして彼等は直ぐに「(彼等の住家が設立されている)生きている寺院」のもとに来るのです。

ここよりも神聖な場所は、天国の中にも無いのです。

彼等は「(あなた達と彼等両方の安息の場として)彼等に捧げられている寺院」の中に住まうのです。

 

「憎しみから愛へと解放されたもの」が「天国の輝きの中で一番明るい光り」に成るのです。

こうして「修復されたもの」に対する感謝の念により、天国の全ての光がより明るく燈されるのです。

あなた達の周りを天使達が取り囲み、罪の暗い思考全てを遠ざけ、光りが入って来た所に光りを保つのです。

あなた達の足跡が世界を明るくするのです。何故なら、「あなた達が赦しを歩んだ場所」があなたと共に歩んで行くのだから。

 

『「自分の住家を修復して(寒い冬から自分を守ってくれた)者」に対して感謝を捧げない人』など地球上には居ないのです。

「これ程多くのことに対して天国の主とその子供がより少ない感謝を与えること」などがあるでしょうか?

 

「生きている神の寺院」が今(その寺院を建てた彼を再びホスト/宿主として)建て直されたのです。

彼が住んでいる所に、彼の子が彼と共に住んでおり、決して分離しないのです。

{神が住んでいる所に、神の子が神と共に住んでおり、神と神の子は決して分離していないのです。}

 

そして彼等{神と神の子}がやっと歓迎されたことに対して、彼等は感謝を与えるのです。

「十字架が今まで立てられていた所」に蘇ったキリストが立っており、彼(キリスト)の視界の中で古代の傷が癒やされているのです。

 

古代の奇跡が訪れており。 祝福することによって、「殺す為に来ていた古代の敵」が奇跡で置き換えられるのです。

 

優しい感謝の中で、神である父とその子供が「彼等のもの(父と子に所属するもの)」に戻り、永遠にそこに留まるのです。

 

今、聖霊の目的が完了しました。

何故なら、彼等(父と子)が来たのだから! 彼等がやっと来たのだから!

 

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